9 ゆっくりとその時が来るのを待っていた
ゆっくりとその時が来るのを待っていた。
体はとても熱いし、とてもとても苦しいけど、すぐになにもわからなくなるはず。私という存在はなくなるけど、それがなに? 何の問題もない。
今はとても辛いけど、苦しくて痛くて熱くてどうしようもないけれど、きっともうすぐ、すべてが感じられなくなる。
そう思っていたのに。
バアン!と大きな物音がして、誰かが入ってきたと思ったら、囚われてしまった。大きな体と手が私を引き寄せ、固く厚いなにかに押し付けられる。
どくん、と頭の中に鼓動が響く。
以前もこんな様に拘束されたことがあった。
あのときは、たしか、服を半分脱がされて、足のほうに、手が……。
怖い!
そう思った瞬間、全身を焼くように体中が熱くなった。
怖い怖い怖い!!
やめてやめてやめて!!!
嫌嫌嫌嫌嫌!!!!!
一生懸命暴れているつもりなのに、体が言うことを聞かない。
嫌だ怖い助けてやめてもういやだ……。
叫びたくても声が出ない。怖くて怖くて、ただもがく。
そのとき。
「怖がるのは当たり前だが、助けに来たつもりだ。大丈夫」
耳元で声がした。
今までに聞いたことがない男の声。柔らかく響く甘い音は暖かな手で布のようなものを私に巻いた。驚いて抵抗したら、大きな手を押し付けられる。
同時に、多分独り言なのだろう。困惑したようなつぶやきが届いた。
「怖くない、と言いたいところだが、俺は怖くないと言えるのか? 壁を蹴破って押し込んだ男だぞ。あからさまに不審者じゃないか。困ったな……」
私は一瞬固まった。
なんだろう? 今までこんなことを言った人はいなかったのに。
この人は悪い人ではないのだろうか?
戸惑いで心が途切れた瞬間、私の中に固まってきていたものが溢れ、爆発した。
何もない場所で漂っている。
痛くなくなったし、苦しくもない。熱いも寒いもない、音もない、ただオレンジ色の暖かな光だけがある、そんな場所。
以前、実験だと言う白い服の男が大きな水桶に私を投げ込んだことがあった。あの時はとても苦しかったけれど、ただ水だけに包まれている空間は何かに還ったような心地よさがあったのを憶えている。
目の前に光り輝く大きな道があった。
どこからきてどこに行くんだろう?
そう思って目を凝らせば、端っこは私の足と一体になっている。大きな道からくる光は私の中にどんどん入ってきて、凝って、淀んでいく。それは瘴気になって心をどんどん焼いていくよう。
暗い闇に囲まれないと安らげないのかもしれない。
眩い光だけでは癒されないのだ。
光あふれる世界だけが素晴らしくはないのと同じ。
何かが欠けてもいけないし、何かが多すぎてもいけない。
何故かそんな言葉が身に沁み込む。
『今世は辛い思いをしたな』
やがて、光がゆっくりと集まってきて、目の前でとても美しく輝いた。手のひらに載るくらいの光の玉、そういうイメージだ。
『光の神の乙女、お主が望むならば我はお主を光の神の元に届けるぞ』
光の玉が話しかけてくる。
『我は光霊だ。ずっとお主とともにいた。力が足りず、酷い目に遭わせすまなかった』
「光霊、さん?」
『本来ならばお主は光の乙女として光の神殿で手厚い保護を受ける身だった。しかし、我が目覚める前にこの地の者がお主の魔力を奪ったため、我も力を使うことができなかったのだ。今やっと、お主の力が戻ったことで我に力が満ちた。お主が望むなら、光の神の御許にお主を届けると約束する』
もちろん、私はここになんていたくない。
痛い思いなんてしたくないし、苦しいこともされたくない。怖いのはもう嫌だ。
「私は……」
戻りたい、そう言おうとしたとき、急激に意識が引っ張られた。
最初に感じたのは大きな手が足をまさぐっていることだった。
「!!!」
思わず身が硬くなる。
気が付けばさっきよりぐるぐる巻きにされて身動きが取れなくなっていた。押し付けられている何かはさらに力強く拘束してくる。
それとは別の手が私の足元をゆっくりと触っていた。足首のほうからゆっくりと上に這い上ってくる。
太ももの付け根を気持ち悪く撫でられたことを思い出した。
あの時は何とか振り払えたけれど、その後散々殴られたんだった。今も逃れたいけど、抑える力が強すぎて抵抗できない。
ガタガタと体が震えた。
先ほどの光の言葉が現実だったらいいのに。
お願い、もう、許して……。
ギュッと目を閉じ、ただただ震える。
すると驚くことに手はぴたりと止まり、すごい勢いで離れた。
「ああ、すまなかった。怖がらせるつもりはなかったんだ。鎖が気になって……」
鎖?
なんのことだろう?
ああ、そういえば逃げないようにと足に鎖を巻き付けられていたんだった。すっかり忘れていた。
ということは、この手はその鎖を解こうと?
わけがわからない。
困惑していると、足から離れた大きな手は私の頭を何かに引き寄せ、頭をポンポンと柔らかく叩いてくれた。
「いや、俺は君を怖がらせに来たわけじゃないんだ。でも君にしてみたら、確かに迷惑な話で。16歳の女の子が見知らぬ32歳の男にいきなり捕まえられてこうして抱きかかえられているっていう状況は、その、なんだ、非常に不本意だと思う」
いったい何を言っているのだろう?
意味は今ひとつわからないのだけど、本当に困っているような声は心地よくて、体の震えが納まってくる。
「しかもバアンとか壁を蹴破ってしまった、こう、バアンとか……」
バアンって。
思わず笑い声が口からこぼれた。
その後も声は「バアン」を繰り返す。気に入ったのかもしれない。そう思ったけど、嬉しそうにバアンを繰り返す声を聞いていると不思議と心が落ち着いて、暖かな光がともったように感じられた。
この声は私を温めてくれるみたい。
気が付くと私はくすくす笑っていた。
そうして気が付くと、再び何もない暖かな場所を漂っていた。
とても心地よい。
心地よいけれど、先ほどの声がないのが物足りなく感じた。暖かくて優しい声だった。私を気遣う言葉なんていつ以来だろう?
ずっと聞いていたかったな。
毎日あの声を聞けたら、なくなりたいと思わなかったかもしれないのに……。
そんなことを思っていたら、胸がきゅっとなった。
でもそれだけだ。私には何もないのだから。
オレンジ色の暖かな光が体にゆっくりと溶け込んでくる。
この色に染まったら、光と一緒になれるのかもしれない。
そうしたら、私はやっと、解放されるんだ。
今まで、痛かったなあ。
本当に、苦しかったなあ。
一人で、寂しかったなあ。
ぽろぽろと涙があふれる。
何で泣けるんだろう?
自分がかわいそうだから?
いっぱい辛いことがあったから?
誰にも愛してもらえなかったから?
生まれたことに意味がなかったから?
そんなことを思うけれど、もちろん答えなんてわからない。
ただただ、涙が湧いてくる。
失った涙の分、光が体に入ってくるような気がした。
すごく暖かい。
『光の神はお主が光の神の乙女から光の神の聖女になる試練としてこの地に降臨させたが、このままこの地に存在すれば搾取されるだけだと知り、大変怒っておられる。あの魔術師は別の神からの横やりだったようだ。今まで気が付かなかったことは不覚だったと、お主に申し訳ないと仰せられ、御許に戻られるようにと、我を遣わせた』
先ほどの光が下りてきて、くるりと回った。
『お主が望むなら、我はすぐにこの地を滅ぼし、ともに神のもとにゆこう。まあ望まぬ時もきちんと罰は与えるがな』
光はくるくると回る。回るたびに色が変わる美しさに、私は目を細めた。
光の言葉はとても柔らかく、心にしみてくるようだ。
「私を心配してくれるの?」
尋ねると、光は何度も瞬き、身を寄せた。
『当たり前だろう? 本当に、すまなかった。我が身の力不足になんど地団駄踏んだことか。近くにいただけで何もできず、消滅するより辛いと思った。謝罪など恥ずかしくて出来ぬ』
なんだろう、すごく、嬉しい。
嬉しいのに、涙がますます出てくる。ごめんなさいと言いながら、私はただ涙をこぼした。
「私ね、辛かったの」
『うむ』
「痛いことたくさんされて、臭い場所でご飯もなくて、嫌なことだけされて、ただ生きてるだけで、苦しくて、辛かったの」
『うむ……』
「だけどね、私ね、誰かに一回でいいの、好きって言ってほしかった。そこにいていいんだよって言われたかった。心配してほしかった」
『うむ…………』
「さっきね、心配してくれたって言われて、とっても嬉しいの。だから、もういいかなって、思ってるの、だけど……」
『だけど?』
「バアンって言った人にね、会いたいの」
暖かい手と柔らかな声が思い出される。とても心地よくて、もっとそばにいたいと思った。
「あの人は私を助けてくれたみたいだから、消える前にちゃんとお礼を言いたいの。ダメかな?」
少し落ち着いた今ならわかる。
バアンって音は壁を破った音。
巻き付けられていたのは保護のマントで、大きな体のあの人が私をぎゅっと抱えて守ってくれた。
不安と恐怖で震える私を優しくなだめてくれて、温かい言葉をかけてくれた。
見ず知らずの人なのに、こんな私のために、身を危険にさらしてくれたんだろう。
その献身にお礼の言葉だけというのは申し訳ないけれど、私にできるのはそれしかない。
だからせめて、お礼を言いたい。
『わかった。望みをかなえよう』
光の玉はくるくると周りながら浮上して見えなくなった。
そしてしばらくして、とても暖かくて柔らかなものが唇を覆った。
それはとても甘くて優しくて、なぜかちょっとぎこちなかったけれど、私の胸をいっぱいに満たした。
読んでいただいてありがとうございます。
とても難産でした……。いつもはねっ返りばっかり書いているのでこんなことに。




