第四十八話 ローズクウォーツの輝き
それは、ガーデンパーティー毒殺未遂事件の次の日の事。
バシュラール伯爵が一命を取り留め、けれど目が覚めない状態にあると報告を受けた日の夜の事だった。
「雑魚の相手は疲れるな」
その日は朝からディオンは出かけていった。一体どこに行くのか気になったけれど……「大人しく待っていてくれ」とキスを一つ残し出かけて行ってしまった。これは、ごまかしということでいいのかしら。
いつもそう。ディオンは出かけて行ってはその行き先も、目的も、全く話さない。気になりはするものの、聞く事はしなかった。聞かないほうがいいと、何となく思ってしまったから。
そして今日は、夕食の時間になっても帰ってこず、結局就寝の時間になっても寝室には私一人となった。昨日の件に関しての報告について話しておきたかったのに。これはまさかの朝帰り? ……さすがに浮気はない。むしろ相手が可哀そうね。
こういう事は、今までなかった。珍しい事でもあるものね、と思いつつベッドに一人で入り目をつぶったけれど……眠れなかった。何故? 煩いディオンがいなくてリラックス出来るはずなのに。
……ディオンが今どこにいるのか、気になる、という事かしら。無意識に気になっている。
明日の朝にでも、冗談で「浮気をする旦那様だったなんて、全く知らなかったですわ」とでも一言言ってやろうかとも思ったけれど……これでは眠れないと思い気分転換に寝室を出て散歩をしようと思っていた。
けれど、少し歩き曲がった先に足を向けようとしていた時、ディオンの声がした。
雑魚の相手……?
「またご自分で直接制裁をなさってしまわれたのですか。指示だけなさって下さればといつも……」
ディオンと、執事の声だ。
一体、何の話かしら……盗み聞きは悪い事だと分かっているけれど、気になって足が動かない。
制裁……? 誰を?
「私の可愛い妻に手を出そうとしたんだ。自ら手を下さなければ気が済まなくてな。それに……最近身体がなまっていたようだからな。良い運動になった」
少し覗くと……執事に、剣を渡していた。そして……沢山血が付いた上着を、脱いでいた。見つかったらまずいとすぐに引っ込んだけれど……こちらまで、血の匂いがかすかにする。
一体、誰の血……?
制裁した、相手……? じゃあ、人の、血……?
私に手を出した、となると……もしかして、昨日の事が関係しているのかしら。
あの暗殺ギルドのメイド、そしてあの廊下ですれ違ったうちの使用人が脳内に浮かび上がる。
「……すぐに湯浴みの準備を。寝付けないらしい妻が待っているからな」
「っ!?」
き、気付いてる……?
は、早く戻らなきゃ……!
靴の音を鳴らさないよう、けれど急いで来た道を戻った。湯浴みをするらしいけれど、こちらに歩いてきてしまっては、何故こんなところにいるのか、聞いていた事に何か言われてしまうのではと焦ってしまう。
短い距離であっても遠く感じた寝室にようやく辿り着いた。取っ手を掴んでは、ちらりと後ろを振り向くと……安心した。大丈夫、ついてきていない。
けれど、聞いていた事がバレてしまった事は事実。だからさっさとベッドに入って寝てしまおう。そう思いベッドに急いだ。
喉が渇いていたけれど、部屋に用意されていた水差しの水は飲む気にはなれなかった。昨日の事を思い出すと、もし毒が入っていたらと思ってしまう。入っていないと分かってはいるけれど……気分的に飲めなかった。
「……」
けれど……目をつぶっても血だらけのディオンが頭から消えない。制裁。その言葉が頭から抜けない。
一体、誰と会ってきたのかしら……まさか……
そんな想像をしても、それが本当かどうかは今の時点では分からない。知らない事が多すぎるから。
ただ目をつぶっていると、この部屋のドアが開く音がした。その瞬間に肩が上がり、心拍数が少しずつ上がっていく。もしかしたら、一気にこの掛け布団が剥ぎ取られて問い詰められてしまうのではないか、と想像してしまうと、掛け布団を掴んでいる手の力が強くなった。
狸寝入りなんてしたところで鋭いディオンであればすぐにばれてしまう。けれど、そうせざるを得なかった。
ぎし、とベッドがきしむ音がする。そして、頭にぬくもりを感じた。大きな手のように感じる。
「おかえりの一言でも貰いたかったのだが、眠ってしまったのであれば仕方ないな……――ただいま、愛しのローズ」
いきなり耳で囁かれて、途端顔は熱を上げ始める。肩が上がってしまい、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。
……やっぱり、狸寝入りをしている事はバレバレなのね。
「やはり私の妻は寝顔も可愛らしい」
そして、狸寝入りをしている私をからかう事を楽しんでいる。横向きになっている私の背中側にいるディオンは、逆側に身体を伸ばして顔を覗いているような気がする。頬を撫でてくるのが、くすぐったい。
そして……顎を掴まれたと思ったら、上に傾けられ……柔らかいものが唇に重なってきた。顔が熱くなってしまい目を開けかけたけれど何とか耐えた。人が無抵抗だということをいいことに……狸寝入りを決め込む私の自業自得ではあるけれど、今すぐその美貌をぶん殴りたい。笑い声も聞こえてくるし……
起きるか、と目を開けようとしたけれど……またキスをしてくる。けれど……ただ触れるだけではなかった。何度も角度を変え、温かい何かが口の隙間から入ってきては私の舌を追いかけまわしてくる。
まるで口の中に飴玉が入っているかのように、舐めまわしてくる。息が出来ずに苦しくはあったけれど、驚愕し頭が真っ白にもなった。
苦しすぎて目を薄く開けディオンの肩を何度も叩いた。力がなかなか入らなかったが、彼には伝わったらしい。ようやく離してくれた時には、視界がうるんでいた。
「っはぁ……」
「起こしたか」
「……」
……何が起こしたかよ。起きてる事を分かっていてやったのは分かりきっているのに。その笑顔も、分かっていてわざとそんな事を言ってくるのにも腹が立つわね……
「起こして悪かったな。可愛い寝顔だったからついやってしまったんだ」
「……」
そう言いつつ今度は額に一つキスをしてきた。呆れ顔で視線を送るけれど、笑顔で返してくるから本当に腹が立つ。
「言う事があるんじゃないのか?」
それは恐らく、「おかえりなさい」なのだろうけれど……素直に言う気がなくなってしまった。寝てはいなかったけれど、起こし方がムカついたのと、非常に恥ずかしかったせいだ。
「……私の旦那様が浮気をされる方だったとは知らなかったですわ」
「そうか、寂しくさせてしまったのであれば私が悪かったな。だが、断じて浮気などしてないから安心してくれ」
「……口ではどうとでも言えますよ」
「だいぶお怒りか。それは困ったな」
あの大公殿下にお困りごとなんて一つもない事は私には十分に分かっていますが。
顎に手を当て考えている様子を作っているけれど、楽しんでいるのがよく顔に出ている。
内心呆れつつも上半身を起こした。
「一体どんな貴婦人と遊んでいらしたのかしら」
「ほぉ、残念ながら私は一途だからな。……可愛い私の妻以外とは遊ぶ気は更々ない」
「っ!?」
いきなり、背中の方に押し倒されてしまった。ディオンが、上に乗ってきては楽し気に見つめてくる。
頬を撫でる指が、優しく感じる。くすぐったくもあるけれど……何故か照れてしまって目を逸らしてしまう。
「本当に恥ずかしがり屋だな。そういうところも魅力の一つだ」
「あ、あの、も、もういいんで……どいてもらっても、いいですか……?」
「何故? 妻と喧嘩した時の『もういい』はまだ怒っている証だろう? 呆れられてしまっては困るからな」
……誰だ、それをこの人に教えたのは。リトナ夫人? うん、十分にあり得そう。余計な事を言わないでほしいわ……
「ローズ、お前はいつもそうだ」
「え……」
気が付けば、至近距離にディオンの顔があった。
近すぎて、視線が外せない。
「私の事になると逃げる。話を逸らすか、聞く事もせず何でもないと終わらせる」
「っ……」
「何故だ? 夫婦だろう」
確かにそうだ。何でもないと聞く事をしなかった。どうせ教えてもらえない、と思ってしまうのは……ただのいいわけだ。
とはいえ、話を逸らすのはそちらもだ。それは初夜の日。自分で私に質問し答えたというのに、私が質問すれば話を逸らした。私もちゃんと答えなかったところがあるから、言えずにいたけれど。
「……本当に、夫婦ですか?」
「何?」
私は、聞いた。何故私に釣書を送ってきて、結婚までしたのか。ディオンは、心にもない事を言って逸らした。
では、何故アルベール子爵家の令嬢と結婚をした?
「何故、私だったのですか」
「……」
「何故、ただの下位貴族の令嬢でしかない私だったのですか」
ディオンは、口を閉ざしたまま軽く微笑んだ。また、話を逸らすつもりなのだろうか。なら、聞いても無駄なのでは?
「そうだな……そろそろ奥方が欲しいところだった。だがひ弱な小娘では面倒なだけだ。私は人を見る目はあると自負しているのでな、お前なら面白そうだと一目見て思った」
「……」
「ただそれだけだが、これではご不満か?」
それは、建前だろうか。本音は言うつもりがない、という事だろうか。
確かに、ひ弱なご令嬢なら大公という地位に立つのは難しい事。私はまだまだ未熟で、ディオンに助けられているようなものでもあるし、小説での知識があるからというところも大きい。
小説の知識がある。もしかして、そこを見抜かれている……? 不可解ではあるけれど、はっきりとしたことは分からないけれど……あの状況であっても周りを見ていた私が、ちょうどいいと?
そういう、事……?
「それでもご不満なら……そうだな、しいて言えば……このローズクォーツだ」
がっしりと顎を掴まれ、瞳を見つめてくる。ローズクォーツ、というのは……私の瞳の事だろうか。確かに、私の瞳はローズクォーツのようなピンク色だ。けれど、そんなに宝石のような輝かしさなどはない。
「ローズクォーツは愛の石。愛とは相手がいて初めて抱くものだ。ただの感情の一つでしかないものではあっても、触れてみる価値はあると思った」
目の前には、ギラギラと輝くルビーの瞳。こんなにも存在感のあるルビーの輝きからは一生逃れられないと、思ってしまった。
しかも、この旦那様の口から『愛』という言葉が出てきた。
「実際に触れてみると……案外楽しいものだな。己が知らぬ未知のものに触れるという事は大事な事だとよく言うが、これは触れる価値が思っていた以上にあると感じている」
「……あ、の……」
「ん?」
「……いえ、何でも……」
「最後まで言え」
笑顔が、恐ろしくてしょうがない。それなのに、この火照りは何だろうか。
「……飽きる、予定は、ない、という事で、よろしいで、しょうか……」
「相手がお前なら一生飽きない自信すらあるな。牢屋にいるあいつ〝等〟よりも……ずっとな」
あの暗殺ギルドの暗殺者は1人だったはずなのに、どうして人数が増えているのか聞く余裕は全くなかった。
顔が高騰したと同時に、身震いと恐ろしさもあった。おかしなことになっているのは何故だろうか。それはきっと、この変人から『愛』なんて恐ろしい言葉が出てきたからだ。
目の前の彼は、まるで、魅力的な獲物を見つけた猛獣のように見えた。喰われる。骨の髄まで一つ残さず喰われる。
私は、あの日あのパーティー会場に行ってしまった時点で、もう終わっていたのだと悟ってしまった。いや、もう私がこの小説に入り込んだ時点で終わってしまっていたのかもしれない。
目の前にいるこの猛獣は、昨日のガーデンパーティー会場にいた誰よりも、恐ろしい存在だ。いろいろな意味で、恐ろしい存在。
「そうだな……やはり牢屋の奴らは全員あちらに譲ってやろう。それよりも、可愛い妻に構ってもらった方が面白いかもしれないな」
「ぁ……っ」
「私の目に狂いはなかった。私の隣で花を咲かせるローズは実に魅力的だ。だから……私を失望させてくれるなよ。……――ローズ」
不幸な人生を打破し幸せな老後を過ごすために頑張ってきたはずだ。そう、そのはずだ。
けれど、〝この男〟に目をつけられた時点で、ある意味での地獄に足を踏み入れてしまった、という事なのだろうか――
第一章、完。




