第十話 上位貴族の品格 ①
この国の王族である大公殿下との結婚。そんな恐ろしい緊急事態がいきなり発生した。
とんでもないことがいきなり起きてしまい、私はまず考える時間が欲しかった。それなのに……そんなものはくれてやらないとでも言っているかのように次の日の早朝、来訪者がいらっしゃった。
「おはよう、ローズ。良い朝だな」
「……ご機嫌麗しゅう、大公殿下」
「婚約者にそのような礼儀など必要か?」
「……朝から婚約者様にお会い出来てとっても嬉しいですわ」
言伝も全く寄こさず、早朝からご来訪だなんて迷惑のなにものでもない。昨日いらっしゃったのだから一言言え。
そんな意味を込めて、笑顔を見せた。
これは嫌がらせなのかしか? おかげで朝っぱらから屋敷の中は大慌ての大忙し。いきなり押しかけるのが好きなのかしら、この人は。
昨日も、釣書が届き結婚のお許しと言って言伝なしにいらっしゃった。釣書は言伝ではございませんよ、殿下。いらっしゃるなら使用人か誰かをこちらに向かわせ連絡をして下さらないとこっちが困ります。
「それで……これは?」
「君へのプレゼントだ」
客間のローテーブルを挟んだソファーに向かい合わせで座りお茶を出したあたりで、殿下が私に渡すようにしてローテーブルに大きな封筒を置いた。
開けてみろ、と言われたけれど嫌な予感しかしない。そのままお返ししたい気持ちではあるけれど、言われてしまえば開けるしかない。そして、恐る恐る中身を覗くと……静かに閉めてお返ししたくなってしまった。
「これは一体……?」
「言っただろう、君へのプレゼントだ」
「これ、本当に私が頂いてもよろしいものなのですか……?」
これを見ているだけで恐ろしさと危機感を覚えてしまった。
だって、これ……
「シャンパンガーネット、好きか?」
まさかの、鉱山の権利書。シャンパンガーネットは、とても希少性のある宝石。そのためこの大陸ではだいぶ人気を誇っている。そんなもの、私が貰ってしまってもいいのかしら。……いや、こんな貴重なものをただの子爵令嬢が所持するなんて恐ろしい事があってたまるものですか。
「……さすがに鉱山はいただけませんわ」
「他にもあるぞ。ちゃんと見た方がいい」
鉱山の権利書の他にも、まだあるのね……恐ろしくて仕方ないわ。
一枚目から眩暈がするものだったから、もう早急にお返ししたい。けれどもしそのままお返ししたら……殿下が何を言い出すか分からない。そっちの方が恐ろしいかもしれない。
仕方なく封筒から全て出すと……絶句した。
さっきのシャンパンガーネット鉱山の権利書の他に、有名なワイナリーの権利書、更には大公家の家紋が入った小切手まで。
ワイナリーの権利書を渡してくるという事は、ワイン製造事業をそっくりそのまま渡してきたという事になる。今、ワイン製造業界ではこのワイナリーが一番の人気を誇っている。
そして一番大事な事は、このワイナリーはこれから小説で……
「……このワイナリー、何故殿下が持っていらっしゃるのでしょうか?」
「私が投資してやったんだ。ちょうど美味しいワインが飲みたかったからな」
その理由って……単なる我儘よね。
けれど、まさか殿下が投資していたなんて知らなかった。小説ではちょくちょく殿下の名前は出てきたけれど、このワイナリーと関わっていた事は書かれていなかった。秘密にしていたのかしら?
「せっかくのプレゼントではございますが、私は下位貴族の令嬢です。さすがにこれは頂けませんわ。私の手に余るものですし……」
「ん? お前が受け取らないなら、これらは全て紙くずになるが?」
「……」
そんないい笑顔で言わないでいただきたいのですが。
この鉱山やワイナリーに一体どれだけの人が関わってると思っているのかしら、この人は。きっと何万人もいるはずよ。それなのに、これが紙くずになってしまったらその何万人の方々が一瞬にして無職になる。あぁ、恐ろしい……
そして小説では、この後このワイナリーが注目される。小説通りに行けば、このワイナリーはヒロインと関わる事になるわ。ヒロインとは出来れば関わりたくないけれど……
「……ありがとうございます」
「いい子だ」
……頑丈な金庫に保存しましょう。それしか私に出来る事はないわ。
きっとこれを見たお父様達は……目が飛び出すでしょうね。
「それで、結婚指輪の件なんだが……」
と、言い出すと、またしても絶句した。
「ピジョンブラッドルビーで今作らせている。結婚式までには間に合うよう言ってあるから安心してくれ」
「……」
ピジョンブラッドルビーとは、高価な宝石である『宝石の女王・ルビー』の中でも最高級のルビーの事。
それを、結婚指輪にですって……? 結婚指輪は、ずっと付けなくてはいけないもの。となると、肌身離さず最高級ルビーの指輪を気にしながら生活しなくてはいけないという事よね……?
まだ実物すら見ていないはずなのに、寒気を感じるのはどうしてかしら。
「ん? 選びたかったか?」
「……いえ、可能なら、宝石を小さめにしてくださると嬉しいなと思いまして……」
「あぁ、邪魔にならないよう言っておいたから安心してくれ」
あ、はい、そうですか。ありがたいですわ。
……ん? 待って、今、殿下は結婚指輪と言った?
「あの、婚約式って……」
「婚約式? 必要か?」
「え……?」
婚約式、しないの?
結婚は、婚約書にサインをした後婚約式を行い、結婚式の準備を始めるのが普通。それなのに、婚約を省略して結婚式ですって?
確かに、婚約書にサインするだけで済ませ婚約式をせず結婚式をするケースはある。その理由は金銭面だ。婚約式に結婚式にと高額な資金が必要となるため、アルベール子爵家のような裕福ではない家では簡素化するしかない。
それだというのに、王族ともあろうお方がそんな事をしていいの……?
「もし婚約指輪が欲しいなら用意させるが?」
「いえ、必要ございません」
即答させていただいた。また恐ろしい事が起こるのではと危機感を覚えたから。これは仕方ない。
けれど、どうして婚約式を行わず結婚式を速めてしまうのかしら。ただ単に、大公殿下が乗り気ではない、というだけなのかしら?
「あぁ、ただお前との結婚生活が待ち遠しいだけだ」
「……そう、ですか」
もう、殿下の話す一語一句が全て信じられなくなってしまった。本当に、待ち遠しいとお思いなのかしら。
地獄の囚人生活突入日がだいぶ近くなってしまった。横暴な我儘変人との結婚生活なんて、一体どんな事になるのか予測すらつかない。
結婚後周りからの目が一瞬にして180℃変わるという事は明らか。変人を見るような目か、それとも同情の目を向けられるか。あぁ、恐ろしい……
でも、こう考えてはどうかしら。大公殿下は王族。側室の子であっても王弟であることに変わりはなく、王太子より上の立ち位置となる。なら、下手な事は言えない、はず、では?
「そうだな……披露宴はクリスタル宮になるか」
「……クリスタル宮っ!?」
「何だ、嫌なのか。だが、王族の結婚披露宴はクリスタル宮と決まっているだろう?」
何ですって……? クリスタル宮って言ったら……これから来るであろう王太子殿下主催のパーティーが行われる会場じゃない。確かに王族の結婚披露宴は毎回クリスタル宮で行われるけれども!
小説では、新しい婚約者となったカロリーヌのために開くパーティーだからと盛大に行われるはずだけれど……きっと今、大急ぎで準備してる最中、よね。
じゃあ……全部片付けて開け渡せ、って事よね、それ。このタイミングって事は。
王族の結婚披露宴と、王太子殿下の開く婚約者の為のパーティー。優先順位はこっちが上。
……胃が痛くなってきた。
「……少し、結婚式の時期を遅らせませんか?」
「何故?」
すっごくいい笑顔……
この人顔が良いからときめきそうに……いや、そんな事してる暇はないわ。危機感がありすぎなのよ。
これで王太子とカロリーヌに睨まれたら大変な事になってしまうわ。今、王太子達の婚約に賛成か反対かを貴族間で探り合っている状態なのに、そんなことをしてしまっていいのかしら。
大公殿下は誰も支持していない中立派だから派閥に関してはいいとして……王太子派の人達に睨まれたらどうするのよ。たとえ大公殿下であっても、私はただのひよっこ夫人。今まで下位貴族のご令嬢でしかなかった、ただの19歳の小娘よ。
きっと大公妃になった途端に格好の的になるに違いないわ。あぁ、今から恐ろしい……
「お前と夫婦になるのをここまで待ち遠しくしているというのに、今のは意地悪か?」
「……」
……意地悪なのはそっちでしょう!! これは意地悪が過ぎるのではないですか!? 意地悪の規模が大きすぎるんです!! 分かってて言ってます!?
あぁ……もう、全部投げ出したい……遠くの国に嫁がされてもいい。メルリアナ嬢、私と代わってください。お父様達と3人仲良く移住したい……
目の前の殿下は大変ご満悦な様子。もう帰ってほしいと脱力してしまうわ……
そう思っていた時、コンコンと客間のドアがノックされた。その相手はウチのメイドで、入ってきては焦った顔で私に耳打ちをしてきた。
「先ほどベルナール夫人がご来訪なさいました。今は玄関ホールで旦那様と奥様が対応なさっていまして……お嬢様には、こちらに来ないようお伝えするよう仰せつかっております」
確か、今日の来訪予定は誰もいなかったはずよね。……目の前に、言伝なしに勝手にご来訪なさった方がいらっしゃるけれど。
今のタイミングでの、ロランの母親であるベルナール夫人の来訪。という事は、昨日のリトナ夫人主催のパーティーでの事でしょうね。昨日の今日、という事は相当頭にきたという事。けれど、ロラン自身は来なかったのね。ロランに伝えず来訪なさったのかしら。
「……殿下、申し訳ございません。少々トラブルが起きたようですので、席を立たせていただきます」
「お嬢様っ!」
確かに、私が行けばややこしい事になってしまう。きっと、ベルナール夫人は私に会いに来たのだろうから。けれど、これは私が引き起こした問題。それに、きっとどこかで顔を合わせる事になるのだから、それなら早い方がいい。
「ほぅ、私を放っておくと言うのか」
王族である殿下を一人きりにしてしまう事は失礼に値する事ではあるけれど……
「……優秀で模範的な旦那様であれば、優しく見送ってくださるはずですが」
「そうだな……なら、自分の旦那を寂しくさせぬのも模範的な妻にとっては当然のことだろう。早く戻ってきてくれ」
「殿下の寛大なお心に感謝いたします」
……忙しいのであれば日を改めてまた来よう、とでも言ってくれた方がよっぽどよかったのですが。まぁ、殿下の事でしょうから気を遣うなんて事はしないでしょうけれど。
それに、模範的な妻を目指すようなことは全くもって思わない。殿下がそれを望むのなら、演じるつもりではあるけれど。
「ローズ、そこは違うぞ」
そう言いつつ、顔を近づけてきた。
……あぁ、なるほど。
「ありがとうございます。早く戻ってきます」
「あぁ、私がしびれを切らさないうちに帰ってきてくれ」
「はい……」
……なるほど、殿下はかしこまった言葉遣いを使われるのは癪に障るようね。気を付けよう。でも、毎回毎回顔を近づけてくることはやめてほしいわ。無駄に整った、そう、無駄に整った顔がダメなのよ。
本当に、私で遊ぶのはやめてほしい。けれど、お伝えしたところで聞くつもりは毛頭ないのでしょうね。




