引退巫女は後任の行く末を憂う
2つに割ろうか悩みましたが、そのままで。たぶん過去一長いです。
クレアの昔話です。
子供の相手を一日した日は、夜になると少しの時間でもいいから一人になりたくなる。そんな時、私は決まって屋敷のすぐ外にある東屋の先の大きな木の下へ行く。
木の枝が月や星の光を遮ったその場所で、一人暗闇の中に姿を隠して静かに座り込んだ。
周囲に誰もいない、自分が一人になれる特別な場所だ。
ひんやりした風が心地よく、今は小さな光の群れと闇だけになった街を見渡す寂寥感。
何年か前まで住んでいたはずなのに、一人遠く離れて見ている違和感が面白い。自分が生まれ育った町なのに、自分がそこにいないという感覚も不思議で、未だに慣れない。
死んで魂だけになったとき、きっと私は同じことを思いながらこのアリアという町を見下ろすのだろうか。
丘の上のお屋敷は、アステリア様一族の住む家。
初代アステリア様がこの星を説得できなければ、私は存在しなかった。先祖たちがここで暮らせるようになったのは、アステリア様のおかげ。そうでなければ、先祖たちは戦火で焼かれていたか、龍が吐き出す光で分解されて消滅していたのだから。
駅と病院の間、食品通りと呼ばれるマーケットに入ると、お屋敷がまっすぐ正面に見える。
初等教育学校が病院のすぐ裏、中等教育学校が駅のすぐ裏なので登校時には必ず見えていたのだが、当時の私には全く関係のない、殿上人の住む場所だった。
きれいだな、行ってみたいなと思ったこともあったが、まあ縁のない話だ。飲食通りのスイーツ屋の娘が、そこに行くなんて話はあり得なかったのだ。
それが、好きになった同級生の家だったなんて。40歳を過ぎるつい最近まで知りもしない事だったのに。
「クレア、またそんな恰好で…寒くないのか?」
薄手のコートを着たジークが、暗闇の中を何度も躓きそうになりながら大判のストールを持ってやってきた。
「心配性だな。何度も言うが、私たちは寒いのには強いんだ。それに、まだそんなに寒くはないよ」
そう言いつつも、せっかくジークが持ってきてくれたストールを拒むという選択肢はない。肩にかけてくれるのを嬉しい気持ちで受け入れつつ、また街のほうを見た。
「そうだとしても、冷えは体に良くない」
文句を言いつつ、ジークは私の隣に座った。
「…そうだな、気を付ける」
座るとすぐに、ジークは何か確認するように地面を手で押さえた。
「地面がまだ暖かくてよかった、これが冷たかったら即連れて帰るところだった」
「そうか」
心配されるのも良いものだと思いながら、私は笑った。
「トルテは?」
「お義母さんとジゼルが見てくれてるよ。レビと一緒に遊んでる」
まだ小さい息子のトルテは、2つ年上の叔父のレビといつも一緒だ。おかしな家庭環境になってしまったことは、申し訳ないとは思う。
「兄弟みたいにそっくりだよな、あの二人」
遺伝的に似てしまうのはしょうがない。レビは私とジークの弟なのだから。
「ついでに言うなら、ジークの御父上にもよく似ている」
「あの頼りなさだけは、似てもらっちゃ困る」
ジークは実の父の文句を言いつつ、ため息をついた。
誰かがやってくる気配がして、屋敷のほうを振り返った。
「二人…いや、三人か」
この時間、屋敷から出てくる人間は珍しい。一人はエルフがいるようで、ウキクラゲの光球がふよふよとその3人の足元を照らしている。
「ん…?東屋じゃない、こちらに向かってないか?」
ジークも振り返りつつ、不思議そうな声を上げた。
3人は、東屋を通り過ぎてまっすぐこちらへ向かっているようだった。
「…まさか…」
オーラの違う人物が、その中にいた。
「リューリ様…」
「えっ?」
私が出した名前に、ジークはひどく驚いたようだった。しかし、驚いているのは私も一緒だ。
10日ほど前、高齢を理由にその座を退きこの屋敷に戻ってこられた、前アステリア様。先代の巫女だ。
新しい巫女様がその座に就いたことにより、首都アリアだけでなく、星中の居住地で数日間近くお祭り騒ぎが続いていたそうだ。
逆にこの屋敷に戻られた先代のリューリは体調が思わしくない日も多く、身内でささやかなご勇退祝いのパーティを開けたのもつい3日前だった。
エルフは成人したら、800歳くらいまで見た目がほとんど変わらない。しかしそれ以降はひとたび衰えると、一気に老化が進む。人間の70代くらいの見た目になると、そこからの寿命は非常に短い。1年くらいで亡くなる人もいれば、長くても50年くらいで寿命が尽きてしまうのだ。見た目年齢がそうなってしまうと、そこからの残り時間は普通の人間と大差ない。
リューリは、現グラーティア家の当主クラウスの妹君だ。そのクラウスは、ジークのひいひいおじいさんに当たる。
しかし、そのパーティの時に見た元巫女の姿は、900歳を過ぎた兄のクラウスがまだ若々しく見えるのに対して、余命いくばくもないと思えるくらいに衰弱した姿に見えた。
パーティの後、部屋に戻ったジークが
「なぜ、あんな状態になるまで巫女を続けたんだ…イリスという後継者がいたのに」
と不思議がっていたのだ。
「イリス様…ジークの従姉なのだろう?」
幼い頃、学校で何度も見かけた同い年の少女を思い出した。
私は学校に入るのがエルフの中では早くも遅くもないくらいだったのだが、イリスは早かった。通常の人間並みの年で入学していたので、学年は私の2つ上だった。彼女はいつも一人で寂しそうに見えたが、次期アステリア様だと分かっている人に近づく猛者など誰もいなかった。
その寂しそうな姿が引っ掛かり、何度か声をかけようと思ったが、当時マイペースで自由人だった私にも出来なかったのだ。
ただ、時々ジークとイリスが話している姿を見かけて、当時とてももやっとしたのを覚えている。
あの頃、ジークに
「なんでイリス様に話しかけれんの?怒らせたら龍に焼かれちゃうよ?」
と、子供らしい謎の訳知り顔で忠告をしてくるヤツがいたのも記憶にある。
「遠い親戚なんだ」
少し困った顔でジークはそう答えていた。
思い返せば、ジークなりにいろいろ考えてそんな嘘をついたのだろう。
従姉などと言ってしまうと、特別な目で見られそうで嫌だったのかも知れない。
両親の再婚話が出た時でさえ、自分が丘の上の屋敷の人間だということなどおくびにも出さなかった男だ。幸いイリスは当時「アリアの町中で生まれた巫女」として知られていたので、親戚を名乗っても屋敷との関係性には気づかれなかったというのもある。
「イリスの母親のユリアナと、その母親のシモーネがすっごく仲が悪くてね…」
ジークはソファに座ると、困ったようにため息をついた。
「僕が生きている間に仲直りすることはないんじゃないかな。あと300年くらい経って、おばあさまが少しでも丸くなったなら仲直りできるかもね…」
「じゃあ、私が見届けておくよ」
その時の私はジークの隣に座り、その肩にもたれ掛かりながらそう返した。理解していても信じたくない寿命の問題を、なんとか冗談めかして受け流しながら。
「なぜここにリューリ様が…」
彼女の手を引いて連れてきたのは、リューリ様の一人娘のアメリだ。元医者でもある彼女が、今はリューリ様に付きっきりでサポートしていると聞いている。
後ろからもう一人ついて来たのは、そのアメリの娘のアーヤだ。光球を操作しているのはどうやら彼女らしい。
普通、この程度の暗闇ならばエルフは難なく歩ける。そこにわざわざ光球を用意したということは、もうリューリ様の視力がかなり落ちているということに他ならない。
暗闇に浮かぶ『星の塔樹』を見に来たのだろうか。
一瞬そんなことを考えたが、すぐにその考えを打ち消した。
「私たちに…用なのかな」
「その通りです、ジーク、クレア」
私の小さな呟きに答えたのは、命の期限を感じる力のない声だった。
でも、聞き覚えのある「巫女様」の声が自分たちに向いていると思うと、えも言われぬ緊張と感動が同時に押し寄せてきて、肌があわ立った。
「母は、立っての話が難しい状態です。申し訳ないけれど、ガゼボに移動をお願いできる?」
アメリも、もう決して若くはないはずだ。長期間離れて暮らしていた母の傍にいるために、病院を辞めたと聞いている。
私は頷くと、夜目の利かないジークの手を引きながら、一緒にガゼボまで移動した。
「二人の時間を邪魔してごめんなさい。あなたたちにお願いがあって、失礼とは思いましたがこのような方法をとらせていただきました」
申し訳なさそうにリューリが謝ったが、そもそも私一人の時間だったのだ。そこは今更気にならない。
リューリをガゼボの椅子に座らせると、アメリとアーヤはその場から離れて屋敷の方へ戻っていった。
「クレアさん。そのお腹の子に、少しの間、イリスの代わりをお願いしたいのです」
「え?」
驚いて思考が止まってしまった。
「お腹の…子?」
何を言われたのか一瞬呑み込めず、そっと手を腹に添えてみる。私は、妊娠していると言うのか。
そして私よりもジークのほうが早く反応した。
「待ってください、イリスは巫女になったばかりではありませんか。それなのに代わりとは一体どういうことですか!?しかも、まだクレア本人も気付いていないような状態の子に…!」
「そうね、話を急ぎすぎたわ。…まず、こちらを見てもらおうかしら」
そう言ってリューリがぱっと手を開くと、スクリーンが現れた。
中等教育学校を卒業したイリスが、人間の父親に森の奥深くまで引っ張って行かれている映像だった。まだ、卒業式の時に着る短いマントのようなケープを羽織ったままの姿だ。
「彼らが向かっているのは、人が入っていい森と人が入ってはいけない森の境目にある、大木よ」
まるで星の塔樹のように大きな洞の空いたその木に、巫女候補のイリスが連れられて行く様子が映し出されていた。
『いいかいイリス、ここを出てはいけないよ?巫女様のお迎えが来るまで、なるべく人と会わないようにして過ごしなさい。毎朝一日分の食事をお父さんが運んでくるから』
『ええ?でも、ここは人が住んではいけない場所じゃないの?』
『お前ならば許される。何せ次のアステリア様なんだから』
そう言い残すと、父親はさっさとその森から出て一人自宅へ帰っていった。
家で待っていた銀髪のエルフは、シモーネによく似ている。
『もう少しの辛抱だ、あの子が巫女になれば多額の報奨金が入る。生活が…楽になる』
父親はそう言いながら、美しいがどこか幸薄そうに見えるエルフを抱きしめた。
『…そうね、もう少しの…辛抱よね』
生活が苦しいのだろうか。シモーネに似ているのに、覇気も生気も感じられないその目に違和感を覚えた。
「ユリアナおばさまは…どうしたんだ」
ジークが、伯母の顔を見て心配そうに声を上げた。
「彼女の話は、また今度。とにかく、この父親は報奨金が手に入らなくなる事をとても恐れていました」
悲しげな顔で目を伏せると、リューリは手を動かして画面を切り替えた。
木の洞に捨てられたような、巫女候補の孤独な生活が映し出された。
誰も来ない森の奥で一人で過ごす姿を見て、学生時代からずっと一人だった彼女を思い出した。胸の奥にイヤな後悔と罪悪感が沸き上がってきて、自己嫌悪で体温が上がる。
なぜ私は、寂しそうな彼女に声もかけなかったのだろう。この人は昔からずっとずっと孤独なままではないか。
「それもこれも、星様がイリスの生誕時に大声で叫んだせいなのですけれどね。咄嗟のことで、止められなかった私にも非があります」
私の心を読んだように、リューリが後悔を口にした。
「巫女になるはずの女性が、好きな人ができたからと巫女候補を辞退する物語がありました。…その話は実際にはフィクションなんですけどね。イリスの父は、彼女がそうなることを恐れました。だから誰の目にも触れぬよう、森の奥に隠したのです。この時私が早めに引退することも考えましたが、巫女候補が他にいない状況を、星様がとても憂いて…出来れば、イリスにも子孫を残して欲しいと言いました」
場面が切り替わった。森と町の境目あたりで遊ぶ子供たちの前に、小さな光球が漂っている。しかし、子供たちは誰もその昼間の光球には気づかない。
「星様の意見はともかく。私も、イリスが孤独なまま巫女になってしまうのがイヤだった。あの父親のした仕打ちが許せなかった」
森に近づく子供たちに、光球を飛ばし続けていたのはリューリとこの星だ。なんとかイリスの存在を気付かせようと地道で気の長い作戦を続けていたようだ。
「あっ」
思わず声が出てしまった。
一体この時までに何年かかっていたのだろう、一人の少年がやっと光球に気づいた。光球に導かれるように、その子供は友達から離れて一人ふらふらと森の奥に進んでいく。
何故だろう、この少年に見覚えがある気がする。どこで見たのだろう。
大木に開いた穴に気づいた少年は、好奇心でその洞に登ってみたくなったらしく、木の周りを探し始めた。そしてすぐにイリスの父によってその近くに隠されていた梯子を見つけると、木にかけ登って行った。
当然、木に近づく父ではない存在に、イリスは気づいていた。
木の穴に一人住んでいた見知らぬエルフ、でもとても美しい女性を見て、少年は一瞬息をのんだ。
『お姉さん、何でこんなところにいるんだよ?…住んでるの?』
きょろきょろと洞の中を見回し、不躾な質問をする少年に、イリスは久々に「話す」と言うことを思い出したようだった。
『あ…う…え…っと』
『え?なに?お姉さん話せないの?』
『…ご…めんなさい。誰かと話すのが久しぶりだったから、声が出なかったの』
すとんと、少年は床に座り込んだ。
『え?話すの嫌い?人が嫌いでこんなとこに一人で住んでんの?』
『違う…人は好きよ。でも、私はここを出てはダメなの…』
ああ、これは父親からの強力な呪いだ。
イリスは人と接する機会が少なすぎた。父の言うことに逆らえはしないだろう。
父親が許せないといったリューリの言葉の意味が分かって、私はちらりとその元巫女の顔を見た。少年と話すイリスを見る彼女の目は、とても柔らかくて優しかった。
『あなたも、もうここにきてはダメ。この後ろはもう人が入ってはいけない森だから』
『でも、ここまではいいんだろ?お姉さんだって住んでるし。…あれ?ここって人が住んでもいいんだっけ?』
そう言いつつ、少年は耳元のラムダに手を掛けた。
『住んじゃだめだよ。私は…何だろうね。逆にここから出てはダメなの』
『罪人みたいだな…うあっ、ごめん!』
少年は慌てて立ち上がった。悲しそうな顔になったイリスに謝ると、いそいそと洞の出口に向かった。
『お姉さん、甘いもの好き?お菓子とか』
『うん、好きだよ?』
『わかった、明日持ってくるよ。あ、俺の名前はチェニェク。またね!』
そう言うと、少年は元気よく洞を飛び出していった。
『だから、もうここへきてはダメだって…ああ…もう聞いてない…』
困ったようにそう言いながら、でもイリスはとても嬉しそうだった。
その翌日、チェニェクは焼き菓子を持って現れた。その手に握られていた袋に見覚えがある。
「…あれは…うちの店の袋」
見覚えがあったはずだ。少年は、私たちの店で時々焼き菓子を買っていたのだ。
「あれは全部、イリス様に届けていたのか…」
「そう、お小遣いを貰ったら、あなたのお店で少しづつお菓子を買っては届けていたのよ。とても可愛らしいでしょう?」
リューリはくすくすと楽しそうに笑った。
記憶にあるあの少年は、最後に見たときはもう大人になっていたと思う。あれはいつの事だっただろう。
それから、毎日のようにチェニェクはやってきた。
自分の友人の事や学校であった出来事を面白おかしく話す少年は、イリスには救いだったようだ。彼が生まれて初めての彼女の友人で、唯一の友人だったのだ。
当然毎日来れるはずもなく、来ない日のイリスの寂しそうな顔は見ていて辛いくらいだった。
そしてこの少年は友人にも家族にも、木の洞に住むエルフの事を話さなかった。
子供ながら恋心なのか、独占欲があったらしい。誰にもイリスを渡したくなかったようだ。
何年経過したのだろう、チェニェクは背も伸びて大人と言っても過言ではないくらいの見た目に成長していた。
「この子はね、偉くなって、もしイリスが罪人だったら自分の力でここから連れ出そうって思ってたみたい。とても勉強して、中央星の高等教育学校へ移籍して、星団管理局に入ったの」
しかし、その間チェニェクは来ない。イリスは毎日洞の入り口を見ながら彼が来るのを心待ちにしていた。
『今日も…来なかった』
イリスは、夕方になると寂しそうにそう呟いては涙を流していた。
「チェニェクは、何も言わずに消えていたのですか?イリスの前から何年も」
ジークは眉間にしわを寄せて、少し怒っているような声でそう言った。
「あら?それをあなたが言うのはおかしいわね。ねえ、クレア?」
リューリ様にそう言われて、ジークは途端にばつの悪そうな顔になった。
「ふふっ」
私も思わず笑ってしまった。
ジークは亡くなった母の誕生日、しかも10の倍数の年齢の時にだけケーキを買いに来ていたのだ。10年毎にしか私の前に現れなかったジークに、チェニェクを責める資格はない。
巫女様は何でも知っているのだな、と思うと変な居心地の悪さを感じてむずむずする。それとは別に、昔から巫女様に見守られていたという嬉しさと気恥ずかしさで、自分の感情が分からなくなった。
「この子は…口に出してしまって、なりたかった者になれなかったらカッコ悪いって思ってたみたいね。そして、立派になって驚かせたかったのもあるのでしょうけど…その間の彼女の孤独なんて、この子には分からなかったみたい。普通のエルフには短い時間だけど、その数年はイリスにはとても長かった。…そして、私にも」
そして、また画面が切り替わった。イリスの見た目はほとんど変わらないが、明らかに生きる気力をなくしているように見える。
「そしてあの子は、お給料が上がって生活ができると判断した時、アステリアへの転勤を申し出た。そして…」
イリスの銀の髪によく似た淡い水色の花束を抱えて、青年になったチェニェクが現れた。
「久しぶり。俺がいない間に誰かに攫われていないか、ドキドキしながら来たんだ。居てくれてよかった」
遠くから花の香りとともに近づく彼の気配は分かっていた。イリスはもう泣いていた。
「会いたかった…寂しかったよう…」
ああ、父親以外誰とも会っていなかった彼女に、チェニェクがいて良かった。そう思った直後、嫌な予感が頭をかすめた。
―――これは一体、いつの話だ?
私はハッとしてリューリの方を振り返った。元巫女は、とても悲しそうな顔で私の目を見つめ返してきた。
「そう、この時もう私は体力の限界だった。それでも、イリスの幸せを邪魔したくなかった。それは星様も同じ思いだったのよ。でも、星様が私に言ったの。もう無理だ、代われ、と…」
また、画面が切り替わった。
倒れているリューリが見える。
これは、星の塔樹の洞の中だろうか。巫女様のお住まいで、星様と会話をする場所を私が見てもいいのだろうか。
少し変わった形のメイド服を着た女性たちが、床に倒れ込んだリューリを取り囲んでいる。全員がエルフだが、彼女を一番近くで抱きかかえている女性のみが高齢のエルフだ。リューリと近い年齢に見えた。
『いやです、このままではイリスが…』
倒れたまま、リューリがかすれた声を絞り出した。
『わたくし達も、このような結末は嫌です。でも、星様の言葉は…絶対です…』
半泣きの顔で、若いエルフがリューリを説得していた。
『このままだと、リューリ様が死んじゃいますよぉ…』
もう一人、さらに若いエルフが泣きながら床に座り込んでしまった。
少し年嵩と思われるエルフは、泣き顔を見られたくないのだろうか、後ろを向いたまま
『イリス様をお迎えする準備をします。あなたたち、泣いている場合じゃないでしょ。既に護衛のものがゲートを設置しに行きました。私たちはイリス様の衣装の用意と、入浴の準備を!』
と他のメイドたちに檄を飛ばした。
『分かりました、例のプランですね。分かりました…ええ、私からあの二人にお話をします』
映像からは、リューリ様が誰と話しているのかは聞こえてこない。恐らく星様なのだろう。
『あなたたちにもお願い。イリスには、この計画の事は伝えないで。うまくいく保証はない…から…』
そのまま。リューリ様は意識を失ったようだった。
今、隣にいるから無事だということは分かっているが、何とも心配になる絵だ。
『あなたたち、行くわよ』
年嵩のエルフが、頭巾のようなものを被って顔を隠した。それに倣い、ほかのメイドたちも顔を隠していく。
『リューリ様、お別れです。長い間、お勤めご苦労様でした』
リューリと年老いたメイドを残して、全員が順に倒れているリューリの手を握っては立ち去っていく。彼女たちの向かう先には、木々の生い茂る森が見えるゲートがあった。
「ああ…」
また、場面が切り替わった。
『ここを出て一緒に暮らそう。ここから星の塔樹の反対側、海の近くに家を借りたんだ。ここを出られないなら、その原因を俺が解決するから』
『嬉しい…嬉しい、ありがとう。私もそうしたい、チェニェクと一緒に行きたい。でも、ダメなの…』
イリス様は泣き崩れ、洞の外に目をやった。
『今日は人生で最良の日。そして、最悪で最後の日…ああ、来てしまった…』
梯子を上り、顔を隠したメイドたちが次々に洞に入ってきた。
異様な姿の集団に、チェニェクは後ずさりした。
『外してもらおうか。イリス様は、たった今よりアステリア様となる』
顔を隠しているが、あの年嵩のメイドの声で間違いない。彼女が冷たく青年を突き放し、ここから去るよう告げた。
『彼女が…アステリア様?』
すべてを理解したらしいその青年は、その場に立ち尽くしていた。手から、花束がばさりと落ちた。
『チェニェク…黙っててごめんなさい。どうか、幸せになって。私はずっと…』
何か言いかけて、イリスは言葉を飲み込んだ。
『どうか、元気で…』
『アステリア様も、どうかお元気で…』
震える手を固く握りしめながら、チェニェクは震える声で定型の挨拶を口にすると、おぼつかない足元で、転がるように洞を出て行った。
映像は、そこまでだった。
「あなたたち夫婦には何の非もない。ただ、あなたのお腹にいる子は、星様に近しい波長を持ってる。だからこれはお願いなのです。一時的に、あの星の塔樹に住んで欲しいのです」
「他にはいないのですか?他の人ではダメなのですか?」
ジークが目を伏せたままリューリに問いかけた。
「イリスの代わりが出来る人間は、今この星には一人もおりません。あなたたちの子も、代わりにはならない。星様が干渉しすぎてしまった。しかし力不足です。星様に近すぎて、恐らく自己と星との意志の両立をするのは不可能でしょう。ああ、何を言っているかわからないわよね?うまく説明できないわ。
…ともかく、一時的に星様に成り代わることはできます」
「一時的、なのですね?」
私の心は、かなり前から決まっていた。
「そう、可能であれば、最短で中等教育まで終えさせてください。その後、チェニェクとイリスが別れるまでの短い間です」
「別れる…とは、彼の寿命まで、ということですか」
リューリの言葉の真意を、ジークが慎重に確認した。
「ええ、その解釈で合っています」
「どちらも、中途半端な血筋ですよ?そんな二人の子で大丈夫なのですか?」
ジークはまだ納得出来ないようで、あの手この手で話をなかったことにしようとしているらしい。
「何を言っているの、あなたは私と同じ、ブリナ様の子孫でしょう?クレアもルーナ様の血を引いてるじゃない。みんな、アステリア様の子孫」
「んん?」
急に知らない情報を流し込まれて、私は変な声を出してしまった。
「え…?ちょっと待ってください、そんなの聞いたこともないです、知らないです…」
「あなたのお母様も知らないかもしれませんね。何でしょうね、アステリア様の血筋には時々出るんですよ、旅人になってしまう人が。あなたのお母様もブリナの地から流れてきたではないですか」
確かにそうだ、母は北方のブリナの生まれだったが、中等教育を終えるとさっさと家を出て放浪を始めたと言っていた。そして首都アリアにたどり着き、父の作る菓子にいたく感動して、こちらに居ついたと聞いている。
「ああ、確かに家にも二人いたな、旅人が。一人はもう戻ってきているけど」
困ったように笑いながら、ジークは私の方を見た。
「そうなのか?」
「パトリシアだよ。パンのために旅に出た」
「…ちょっと、何を言っているのかわからない」
私から見たパトリシアという女性は、いつ寝ているのか分からないくらい、ずっとパンの仕込みをしては焼いているのだ。
「旅先で面白い菌を見つけたといって帰ってきて、そこからずっとパン作りだよ。それまではずっと各地を旅してたんだ。また酵母菌を求めて出ていくかもしれないと本人は言ってたけど…」
彼女の部屋は酵母菌であふれていて、メイドたちもあの部屋だけは面倒なので掃除に入らない。
「もう一人、マティアスの子のマルギットは、今は南方のルーナにいます。元気にしていますよ。日焼けして別人みたいになってますけど…それはともかく」
リューリ様は少し微笑んだ後、真剣な目つきで私たちを見た。
「星様も、その子が代理を引き受けるなら、イリスがあの場所を離れることを許すとおっしゃっています。イリスを助けることができるのは、その子だけなのです」
「でも…中等教育を終えるまで、最短でも16年はかかります。人間であるチェニェクが待てるとは思えません」
「ええ、ですから、これは賭けでもあります。もしその子が生まれて16年後、彼が待っていたときだけに発動する計画なのです」
ジークの問いに、最初から聞かれることが分かっていたかのようにリューリは答えた。
「そもそも…それを、あなたが言いますか?」
クスクスと元巫女に笑われ、ジークはあきらめたようにため息をついた。
「僕だって、イリスが一人でいるのをずっと見てきたんだ。なんとかできるものなら、してあげたいよ…」
「アステリア様がそうおっしゃったのなら、もう私たちに反対などできるはずもないだろう?」
未だに拒否の姿勢を見せるジークに、私は諦めるよう勧めた。
なんとなく、あの二人が自分たちに重なって見える。逃げ続けていた私たちと違い、まっすぐで羨ましくもある。
「分かりました。でも…生まれてくる子の意思も尊重したい。それと…僕はきっとその後、死ぬまでその子に会えないのでしょうね」
「あ…」
考えが足りなかった。チェニェクより年上のジークは、この子が星の塔樹へ行ってしまったら二度と会えないかもしれないのだ。
「そうですね、ではこうしましょう。私は残された時間、自分が巫女だった時の話をその子に伝えることにします。イリスの話も。そこで彼女が『イリスを助けたい』と思ったならば、イリスの代理をお願いしましょう」
彼女。もう、ここにいるという子供は、女の子で決定しているのだな、と思うとなんだか力が抜けてしまった。
何でも知っている元巫女様に私たちが敵うはずもない。だって、彼女は私やジークの生まれた時から今まで、ずっと見てきたのだから。
「ジーク、もういいだろう。この星では、アステリア様の言葉は絶対だ」
「…出ていこうかな。クレアを連れて」
50歳を過ぎたジークがそんなことを言い出すなんて予想外すぎて、私は思わず目を見開いて固まってしまった。その後、急に可笑しくなって笑いだしてしまった。
「あらあら反抗期?自分を慕う患者さんを置いてなどいけないくせに」
また、何でもお見通しの元巫女に心を読まれてジークはイヤそうな顔をすると、彼女から子供のような態度で目をそらした。
「それと、一つだけ条件を。代理の巫女の名前は、彼女が生涯を終えるまで表に出しません。これは慣例的にそうなっているのですけど、代理の場合はいつか『普通の生活』に戻るでしょう?その時の生活に支障が出ないようにするための配慮です。代理の巫女になった場合、その間は彼女の名は口にしないようにしてください。間違っても、元の名で呼ぶ事のないように」
「…ますます、ここを出ていきたくなったな」
ジークがずっと不機嫌だ。こんな彼を見るのは珍しくて、私はそちらの方が面白くて仕方なくなっていた。
きっと腹の子が生まれてきて16歳になるころ、恐らくチェニェクは今のジークに近い年になっているだろう。そこからの人間の寿命を考えれば、この『娘』が代理でいる間なんて、エルフの感覚で言うなら「わずか」なのだ。
そこまで考えて、この娘が16になる頃のジークの年齢を思い、腹の奥がずうんと重くなった。
「巫女が代理になると、黙っていても人々には見られてしまうからそこも考えないとね。なぜ代理になったか、世間に理由の説明が必要になるもの。…ここは、兄さんに任せるわ」
「クラウスおじい様に?」
ジークの目線が、リューリの方に戻った。
「巫女と直接話ができるのはグラーティア家の当主だけ。これはみんなが知っている話だけど、グラーティア家の当主のお仕事はまだあって、巫女に関する情報操作も大事なお役目なの。巫女の正史を書き残すことと、代理が立つような通常と違うことが起こったら、巫女を守るためのプロパガンダ、世間に受け入れやすいようなストーリーを仕立て上げるのもお仕事よ」
今のリューリは3日前のパーティで見た時より、そして先ほどこのガゼボに来た時よりもはるかに顔色が良くなったように見える。
「あの父親は、思いっきり悪人に書いてもらおうかしら」
楽しそうに一人、クスクスと笑い始めた。
「生きがいを見つけて元気になるのであれば、結構なことです」
医者の意見なのか皮肉なのか分からない。ジークは疲れたようにため息をついた。
「そうね、そのお腹の子が星の塔樹に行くまでは見守らなくてはね」
そう言うとリューリは屋敷の方を振り返った。どうやらアメリとアーヤが彼女を迎えに来たようだった。
「忘れないでね、イリスもジークも、そしてそのお腹の子も、私にとっては孫みたいなものなの。誰も不幸になって欲しくないのよ。そしてクレア、あなたは星様もずっと見ているから。星様は、気に入った人はずっと見ているのよ」
アーヤが駆け寄り、立ち上がろうした祖母の椅子を引く。
「クレアに断られたらどうしようかと思っていたわ。これで一つ肩の荷が下りた」
テーブルに手をつきつつ、ゆるりと立ち上がる元巫女の体を、娘のアメリが支えた。
「まだ、子供本人がやると言ったわけではありませんからね」
「分かってますよ、そこは、私が16年かけて説得します」
食い下がるジークに、リューリは強気の笑顔で答えた。
3人が去っていく姿をぼんやりと見送っていると、ジークが勢いよく立ち上がった。
「さ、僕たちも戻ろう」
「…もうちょっと、ここにいたいんだが…」
引かれた手を、こちらも逆らうように引っ張り返した。
「ダメだ、帰るぞ。クレアは今後、夜の外の散歩は禁止!冷えは妊婦に良くない」
怒ったような目で顔を覗き込まれ、改めて自分が妊婦かもしれないことを思い出した。
「ええー?やだぁ。寒くないって言ってるのに!」
私はそのまま、ずるずると引きずられる。
抱っこしてくれてもいいのに、一瞬そう思ったが、暗闇で何度もつまずくジークを見ていると、それは無理だと悟った。50過ぎた人間の彼にそれを言うのも酷だろう。
「…仕方ないな」
7歳の弟ほどうまく作れないが、私もウキクラゲを呼び寄せる。なんとか光球を作り出してジークの足元を照らした。
「…小さいな。レビよりヘタクソじゃない?」
「うるさい!私は街育ちなんだ、ウキクラゲなんて実際見たのはここに来てからなんだ!文句があるなら消すぞ?」
「ごめんごめん。それ、ちゃんとキープしといてよ」
そう言うと、ジークは私を抱きかかえた。
嬉しくて、一瞬光球の事を忘れそうになる。
「集中!」
「はいぃ!」
ジークに活を入れられ、私は光球に意識を戻した。
「腰、大丈夫?」
「年寄扱いするなら下すよ?」
「ごめんて」
ジークの腕の中で、私は女の子の名前を考えていた。
それはとても幸せで、少しだけ悲しい時間だった。
遅ればせながら2000PVの記念に。




