蜘蛛と、骸骨と、元人間
頭の上に僅かな重みを感じ、私はハッと目を覚ましたような感覚を覚えた。
何事もなかったかのように異常な熱も耳鳴りも頭痛も消える。必死に息を吸い込むと、コーヒーとタバコの匂いが混じる空気が肺に取り込まれた。
「悪いなイエティ。これニンゲンじゃなくてミモザが開発した『ニンゲン型ロボット』なんだよ。驚かせちまったな」
蹲る私のすぐ傍に、誰かが立った気配がした。顔を上げた私の頭からするりと白い布が滑り落ちる。
どうやら私の視界を遮っていた白い布は白衣だったようだ。白衣の持ち主は私の視線に気が付くと、パチリと悪戯っ子のようにウィンクをした。
「ロ、ロイド?いや、でもそいつ……」
「参ったよ。ま~たミモザの奴やらかしてさ。『美少女戦乙女ジュエルリーナ』?だかを作るって言って実際作ったはいいものの、留守の間に逃げ出しちゃったんだ。そんでたまたま手が空いてた俺が代わりに探しに来たってわけ。俺はインドア派だっつーのにさ~外を走り回ってあっちこっち探しまわされたんだぜ?かわいそうだろ?」
大変だったんだぜ、と肩をすくめる茶髪の少年。その周りには初めて見た時と同じように頭蓋骨が侍っており、カタカタと愉快そうに顎を揺らしていた。
いつの間にか紫の火の玉は消えている。幻だったのかと視線を落としたが、しかし地面の雪は私を中心に円を描くように不自然に溶けていた。
イエティは少年と未だ蹲る私をオロオロと見比べていたが、やがて大きなため息をついて立ち上がった。
「ロイドが言うならそうなんだろうな……。あーびっくりした。ちゃんと発明品は管理しといてくれよ」
「悪かったって。まあ怪我がなくてよかったよ。これまだ試作品だから搭載されてるミサイルやら手榴弾やらが暴走する可能性があるんだ」
「はああああああ!?」
「イヤァアァァ!?」
私とイエティの驚愕の叫びに、少年は「いやぁ~へへへ」とのんきに笑った。
何わろてんねん!この体にミサイル!?手榴弾!?どこに!?
ぺたぺたぺたと自分の体を必死に検分する私からさらに距離をとったイエティは「そんなヤベェ兵器野放しにしないでくれる!?」と至極全うな捨て台詞を吐きながら逃げ帰るようにドスドスと仲間たちの元へ帰って行った。
その背が見えなくなるまで見送った少年は、くるりと振り返り雪の上に座ったままの私に「ん」と手を差し出してきた。
人間と同じように見える何の変哲もない手だ。咄嗟に私はその手を取ってしまった。
想像よりも強い力で引っ張り上げられた私は、ストンと両足でしっかり立ち上がる。
「よかったよ、あんまり遠くに行ってなくて。街の方まで行かれてたら大騒ぎになってただろうからなぁ」
「…………………」
なんて答えればいいか分からず、震える体を必死に抑え込みながら少年の顔をじっと見つめる。
ズボンのポケットからスマートフォンのような物を取り出した少年は慣れた手つきで画面をスイスイと操作していたが、私の視線に気づいたのかふと顔を上げる。
「ん、どうした?あ、もしかして足でも挫いてたか?」
「いやちが、あの、………さっきの話、なんですけど」
「ん?」
首を傾げる少年。真っ直ぐ見上げられ思わずしどろもどろとしてしまう。
しかし少年は見た目にそぐわない大人びた目で私の言葉を静かに待ってくれていた。すう、はあ、と落ち着くように数度深呼吸した私は、意を決して目下一番聞かなくてはいけない事を口にした。
「私の体に、みみみミサイルって本当なんですか!?どこに入ってるの!?」
「ブフォッッッ」
私の必死の問いかけに盛大に吹き出した少年はその場に崩れ落ち、四つん這いになり雪の積もった地面をドンドン叩いて爆笑し始めた。
しばらくぽかんと口を開けて呆けていたが、少年の態度に次第に事態が飲み込めてきた私は腹の底から羞恥心と怒りが沸き起こるのを感じた。
……なるほど。きっとミサイル云々は私からイエティを離すための方便か。
いや恐らく彼は助けてくれたのだ。彼が間に入ってくれたお陰でイエティから攻撃されず、謎の炎に焼かれることも無かった。うんうん感謝しなければ。
だが無駄に慌てさせられた挙句に大爆笑とは。
これ怒っていいよね?いやごめんもう怒ってる。
この足元で揺れる茶髪をどうしてくれようかと見下ろしていると、私の怒気を感じ取ったのか少年の周りを飛んでいた頭蓋骨の一つがビクゥッ!と空中で飛び跳ねるような動きをし、少年のパーカーのフードをぐいぐいと引っ張り始めた。
ようやく立ち上がった少年は、目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら「ごめんごめん」と謝った。
「ミサイルは嘘だよ。手榴弾もな。我ながら適当なこと言ったなって思ってさ……まあでも全部が全部まるっきり嘘って訳じゃないけど」
「え!?嘘じゃないの!?」
「まあ暴発って点ではそうかな。とりあえず、今お前さんがどういう状況なのかちゃんとイチから説明するよ。その為にも研究所に戻ろう」
「……っ、」
「大丈夫、取って食いやしない」
再び差し出された手に、今度はしばし逡巡する。
戻るということはつまり、あの得体のしれないマッドサイエンティストのような蜘蛛男のところに行くということだ。
間違いなくこの少年は蜘蛛男の仲間だし、何をされるかわからないから怖いというのが正直な気持ちだ。
しかし無理にこの先に進んだとて、またあのイエティや別の謎生命体に遭遇しないとも限らない。たまたまイエティは何故か私に怯えて襲ってこなかっただけで今度は襲われる可能性だってあるのだ。
外も安全じゃないと分かった以上、逃げ続けるのは得策ではない。
何やら事情を知っているらしい彼について行きそれから判断するべきだろう。
虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うし、と腹を決めた私は改めて彼の手を取った。
骸骨たちが地面に落ちた白衣を咥えて私の肩にそっと羽織らせる。
それを確認した少年はニヤリと笑った。
その笑みに早速判断を誤ったかと身を固くし咄嗟に手を引きかけたが、しかしそういう意味での笑みではなかったらしい。
「驚いて舌噛まないようにな」
「え?」
聞き返すと同時に、突然床が抜けて宙に放り出されたような浮遊感を感じた。
しかしそれは叫ぶ暇もないほど一瞬。次の瞬間にはパッと音がしそうなほど呆気なく、景色が切り替わった。
白い床、白い壁、白いベッド。電子モニターに謎の機材。
そこは間違いなく、最初に私が目を覚ました病室のような部屋であった。
「はっ、え!?なんで!?」
「博士、連れ戻してきたぜ。はぁ……はしゃぎすぎて目を離すとかマジで信じられないんだけど」
驚愕混乱する私を置いてツカツカとベッドまで迷いなく近寄った少年は、ベッド脇に置かれた黒と白の物体をゲシゲシ蹴りつけた。
「うっうっうっ、ロイドくんありがとう~~~無事に戻ってきたんだね~~~よかったよぉ~~」
少年が蹴り付けた物体は、ベッドに縋り付いて泣くあの蜘蛛男だった。そんなところに居たのかとギョッと目を剥く。
おいおい涙を流す蜘蛛男は自分を蹴る少年にがばっと抱きついた。
「うわああ!離せ!汚い!」とかなんとか言いながら蜘蛛男に拳骨を喰らわせる少年。
あまりに容赦のない威力に少しハラハラするが、しかし蜘蛛男は「あーよかったよかった」と全く気にした様子もなく立ち上がった。
代わりにベッドに座るよう誘導され(涙とかで濡れていそうで嫌だったが)、涙を拭いキャスター付きの椅子に座る蜘蛛男に向かい合うように腰を下ろした。
「悪かったね。まさか目覚めるとは……いやきっといつかは目覚めるとは思っていたけど、前触れもなく目覚めるとは思っていなくてね。少し喜びが溢れてしまったようだ」
「少し……?」
「ああ、少しだとも」
蜘蛛男の後ろで距離をとって立つ茶髪の少年が蜘蛛男の後頭部をジトッとした目で見ていたが、気付いているのかいないのか、涙の跡が残る涼しい顔で彼は足を組んだ。
今でこそ柔和そうな笑みを浮かべ落ち着いている様子だが、先程のマッドサイエンティストな狂喜乱舞ぶりがしっかりと脳に刻まれてしまった私も「少し……?」と湿度を多分に含んだ目を向けてしまった。
とりあえず今は話が通じるくらいには落ち着いた様子の蜘蛛男にほっとしながらも、でもやっぱり怖いからあまり近寄らないようにしようと内心で誓う。
軽く咳ばらいをして気まずい空気をごまか......切り替えた蜘蛛男は、改まって私へ面を向けた。
「さて。まず初めに自己紹介から始めようか。私の名前はフリント。王国認定研究機関リライヴェッジ研究所の科学者兼責任者だ。君の名前を聞いていいかな?」
「ええっと。篠原 優です」
蜘蛛男───フリントから尋ねられた私は、慌てて名乗った。
ここは研究所だったらしい。
だがしかし、リライヴェッジという言葉に心当たりはない。少なくとも私の国にそんな名前の研究所はなかったと思う。
加えて『王国認定』ということはつまりここが王国と名の付く国だということを指している。
私が暮らしていた国は王政を取っていない。やはりここは異国だと言うことか。
一気に泣き出したい気持ちになった私だが、しかしフリントの次の言葉で感傷はすべて吹っ飛んだ。
「シノハラ ユウね。よろしく。ここリライヴェッジ研究所ならびに、モンスターが暮らす『魔法界』は君のことを歓迎するよ」
「………………………………は?」
モンスターが暮らす......?モンスター?魔法?魔法界?
何を言われているのか分からず、頭の中で単語を何度も繰り返した。
それでも理解できずに大量の疑問符を躍らす私に、フリントは追い打ちとばかりにニッコリ笑顔で言い放った。
「君は私の研究によってこの度目出度くニンゲンからモンスター変質した稀有な実験体だ。この偉大なるフリントの元、魔法界のこれからのためにその新しい体で貢献してくれたまえ」
ぽかんと口を開けた私は、いい笑顔で頷くフリントを見、次いで気まずげな顔をする茶髪の少年を見、そして自分の体を見下ろした。
───君は私の研究によって、この度目出度くモンスターと変質した。
────君は目出度くモンスターと変質した。
─────モンスターと、なった......?
「は、はあああああああああああああ!!!???」
あんまりにもあんまりな事実に、私は絶叫と共に意識を飛ばしかけたのだった。