後悔と嫉妬のベルクワイア ⑧
血に濡れたナイフを握り、魔法師は勝利を確信した笑みを浮かべている。それでもまだ警戒心を解ききってないのは私が最期の抵抗をしてくることへの注意と、刺されたはずなのに痛がる気配も倒れる気配がないからだろう。
私が倒れない代わりに魔法師の背後でドサリと人が倒れる音がした。後ろに立つ魔法師が倒れたのだ。その物音に反応してナイフを手にした魔法師は振り返った。
その一瞬の隙を私は見逃さない。至近距離から硬質化させた魔力の弾を腹部に撃ち込んだ。その衝撃に魔法師はナイフを落とし、痛みに顔を歪ませると同時に後ろで倒れている魔法師の近くまで弾き飛んでいった。
「エレナ……大丈夫か?」
ナイフを持っていた魔法師は這いずるようにもう一人の魔法師に近づき、声を掛けながら心配そうに顔を覗き込む。そして、ゆっくりと抱きかかえるがその抱きかかえた手にはべったりと血がついていて、背中から染み出した血が地面にゆっくりと血だまりを作っていく。
「どうして、こんな……エレナ……」
絶望に打ちひしがれ、悲嘆のこもった声にならない声をあげる魔法師に近づきながら、
「もう困るのよね。この服、けっこう気に入ってたのに。穴が空いちゃってるじゃない」
そうあたかも服を木に引っ掛けて穴でも空いたかのような気軽な口調で口にする。そんな場違いとも思える口調と姿に、魔法師の顔はどんどん引きつっていった。
「お前はどうして平気でいられる? しかも、さっき俺に魔法を放ちやがった」
「だって、私は魔法師だもの。反撃するのに魔法を使うのは当然のことよね?」
「違う! そういうことじゃない! なんでお前には――」
その続きの言葉は私も一緒に口にしてみせる。
“毒が効かないのか?”
魔法師は私の顔を見上げながら驚きと動揺の表情を隠せないでいた。
「どうして……毒のことを?」
「何を驚いているのか知らないけど、あなたたちの行動には不自然なところが多すぎたのよ。まず魔法師同士の戦闘をするには距離が近すぎたのよね。だから、普通の魔法攻撃以外の攻撃に注意することにしたわ。そして、次に魔法師が武器を使用するということ。最初に警戒するのは魔道具かどうかだけど、あのナイフからは魔力は感じられなかったわ。そのうえで魔法師がわざわざ普通の武器を使うのだとしたら、警戒すべきは毒しかないでしょう?」
物分かりの悪い子供に教えるように順序立てて、解説をしながらゆっくりと近づいていく。そして、血を流しながら倒れている魔法師の顔を覗き込む。
呼吸が浅くなっていて、目の周りにはうっ血が出始めていた。さらには体内の魔力の流れを見て、使った毒の見当もすぐについた。
「そして、この目の周りのうっ血や、体内の魔力が汚染して広がっていくこの感じは、魔法師にしか効かない毒ね。たしか、南方地域の雨季のそれも短い間にしか咲かない花から抽出する毒だったかしら。あれって、毒を持った個体少ないし、魔法を行使しながら抽出する過程は難しいのよね。そもそも抽出前に煮る作業のときに出る煙で魔法師は涙が止まらなくなるし、煮出した汁に触れるだけでかゆみが出るしで苦痛なのよね。しかも、それだけ苦労して作った毒なのに、食べ物や飲み物に混ぜても効果はほとんどでないし、今みたいに刃物に塗ったりだとかして相手の体内に直接送り込まないといけないのよね。それもできれば、体の中心部の魔法師の魔力の根源に近い部分に。作る労力のわりに使う難易度とかが高すぎるせいで魔法師であの毒を作って、さらには使おうなんて考えるバカはそうそういないのよね」
そうやってすらすらと記憶と頭の中にあった知識を言葉にして並べたてる。私の話を聞きながら、魔法師は途中から奥歯をガタガタと震わせ始めていた。冷静になり事態を把握し、置かれている立場を理解し始めたのかもしれない。
レベルが違いすぎて、最初から万に一つも勝ち目なんてなかったこと。自分たちの能力を過信し過ぎるだけでなく相手の能力を過少に見過ぎていたこと。そのせいで大切な片割れの魔法師を今まさに死なせようとしていること。そういう後悔と目の前にある圧倒的な恐怖に言葉も出てこないのだろう。
そうやって苦悶に滲んだ表情を浮かべていたが、魔法師は喉の奥から絞り出すように言葉を発した。
「なんでそこまでこの毒に詳しい? 俺たちだって、あの文献をみつけたのはたまたまで周りにこの毒のことを知っている魔法師はいなかった」
その疑問に対しては思わず深いため息が漏れてしまう。
「それはきっと同じ文献を読んだことがあるからよ。そもそも、その毒が発見されたときは魔法師界隈では衝撃が走ったからね。魔法師だけに効く毒だからじゃなく、自分で見つけた毒で自分を殺して、その過程を助手に記録させて発表するなんていう、とんでもないバカがいたんだもの。私の師匠もここまでのバカはできないって、大笑いしてたっけ。その後に他の魔法師が研究した文献やレポートも全て読んでるわ」
「お前は何を言っている……この毒が見つかったのは魔導文明時代で……今から七百年は前のはずだ。魔法師が長生きとはいえ、そんなに長く生きれるわけ……」
「だって、私はそのころから生きている死ねなくなった魔法師だもの。だから、自分が死ねるかもしれないその毒を作って、自分に使ったことがあるのよ」
私の言葉に重たい沈黙が下りてくる。目の前の魔法師からすればありえないことを言っているようにしか聞こえなかっただろう。
「だけど、私はそれでも死ねなかったのだけどね」
つい自嘲してしまうほどに情けない話だと思った。
話していたら自分に毒を使ったときのことを思い出した。呼吸困難に意識の昏倒、発熱からくる倦怠感と体が動かせないほどの関節痛。毛穴の一つ一つから血が噴き出しているのではないかと錯覚するほどに空気の流れにさえ痛みに感じるほどの痛覚の鋭敏化。
そして、一番の特徴は魔法が使えなくなり、魔法を使おうとすればするほどに魔力の流れを通じて全身に素早く毒が回ってしまうのだ。その魔力の流れを伝って、身体に広がる性質のせいで魔法師以外に使っても効果が全くないのだ。
そうやって、毒が回りきってしまえば、待っているのは衰弱と緩やかな死。いやらしいのは、即効性の死ではなく、ひと月からふた月かけてゆっくりと確実に殺していく毒ということ。
その経過を全て経験し、数年経っても死ねないと分かってから一緒に作っておいた解毒剤を飲み、魔力の循環を調整し、毒を体から完全に浄化するまでに半年かかった。尽きない魔力と毒に関する正しい知識、それらを操る術を覚えたうえでそれくらいの時間が掛かったのだ。
普通の魔法師には解毒剤があっても治すことは難しい。
だからこその、魔法師を殺す毒というわけだった。




