偏愛のヴァンパイア ⑤
初めてこの森に足を踏み入れたときは独特の魔力の濃さや方向感覚を狂わされる景色のせいか道に迷い、最終的に目を回してしまったが、今は道に迷うどころかどこに何があり、どこを通れば森を抜ける最短の道筋なのかもはっきり分かる。
「シェリア様もお節介というかなんというか……」
そう小声で漏らしながらも口元は自然と笑みが浮かんでしまう。私がシェリア様にお仕えするための試験として与えられた仕事は、シェリア様の使者としてノーアニブルに出向くことだった。
使者として私が受け取ったものは、シェリア様に魔法で作っていただいたクラシカルなメイド服とゴシック調の日傘、ノーアニブルの政治中枢を担う上位始祖院宛の書状だった。上位始祖院には私の父のローシュも祖父のフロウスも属している。使者としてだけでなく一人の娘としても話してきなさいという意図を込めているのかもしれない。
シェリア様に正式に認められているわけではないが、使い魔になったことで様々な変化があった。一番大きいところはヴァンパイアの弱点が消えたことだろう。
ヴァンパイアは太陽の下では単純に弱くなる。それでも普通の人間よりは圧倒的に強い。それが今の私は太陽を克服したのか、太陽の下でも変わらぬ力を行使することができた。今も日中にもかかわらず、なんら問題なく活動できているし、移動速度もここにやって来た夜よりも断然速い。
あと推測だけれど、シェリア様の口ぶりだと私も不死の運命にとらわれている。もしそうだとすれば、ヴァンパイアを効率よく殺すことができる銀製の武器で心臓を貫かれたとしても死ぬことはないのだろう。だけど、せっかくいただいたメイド服に穴をあけたり、痛い思いをする事態はできれば避けたいところだ。
こういう全てを含めて、シェリア様は簡単な仕事だと形容したのかもしれない。
私はシェリア様の思いに報い、少しでも役に立ちたい。それは私が入れ込んでいるからだけでなく、私の愛を否定せずに受け入れてくれたことへの感謝の気持ちでもあるのだ。
「仕事をやり遂げたら、褒めてくださるかな? もしかして、褒美に血をくれたりして。でも、一番は認められたいな」
シェリア様の顔を思い浮かべながら、私はノーアニブルへの道を急いだ。
「この雲に覆われた空も久しぶりね」
半月ぶりに戻ってきたノーアニブルで空を見上げながら、つい言葉が漏れる。曇ってはいるが空の暗さからもう少しで陽が沈み夜がやってくることが分かる。ヴァンパイアにとってはこれからが活動する時間だ。
ただでさえ日照時間が少ない地域なのに、天気も今みたいな曇りの日が多い。また、遠くに見える高い山々の中腹以上には解けることのない雪で白く染まっている。
ヴァンパイアにとっては都合のいい条件の整った楽園のような場所。同時に私にとっては牢獄のような息苦しい場所だったと、今になってようやく実感している。
正面から堂々と都市に入ると、フロウス様の部下のヴァンパイアの私兵が忍び寄ってきた。歩く私に歩調を合わせつつもしっかりと包囲された。はたから見れば、最初から同行していたとでもいう感じを装いながら話しかけてくる。
「お帰りなさいませ、ミレラア様。フロウス様が自室にてお待ちになっております」
「分かったわ。だけど、そちらには行かないわ」
「では、どちらへ?」
「上位始祖院よ。フロウス様にもそのように伝えてもらえるかしら?」
「分かりました」
その言葉を残し、音もなく周囲から消えた。それでもおそらく監視はされているのだろう。
上位始祖院の建物を前にすると緊張してきた。定期会合が行われていなくても、何かしらの懸案事項や政治の話などをするために、上位始祖は時間がある限りここに詰めている。それは国をより良くしようという義務感や責務からの行動で、それゆえに一般のヴァンパイアやここで暮らしている人間からも尊敬され信頼されている。
敷地内に足を踏み入れると、警備をしていた衛兵たちに剣の切っ先を首元に突き付けられながら制止を求められた。
「何者だ? ここは一般の立ち入りは禁止されている」
そんな当然ともいえる対応を前にどう説明しようかと考えていると、私の肩にそっと後ろから手が置かれた。
「彼女は私の孫娘だよ。私がここに来るように呼んだのだけれど、何か問題があったかな?」
優しく聞こえるしわがれた声に衛兵たちは背筋を伸ばし、声の主に対して敬意を示した。私はその声を聞くまでもなく肩に触られた瞬間に誰だか気付いていた。正確には私に触れる少し前から隠していても漏れる不機嫌な気配で気付いていた。
「そうでしたか、フロウス様。そういうことなら、なんとご無礼を」
「いやいや、いいんだ。この娘がこんな紛らわしい格好で一人で来る方が悪いんだ。許してやってくれるかな?」
「はっ! もちろんであります。では、中へどうぞ」
私はそのやり取りを冷や汗を流しながら聞いていた。それはおそらく染み付いてしまった恐怖から来るものだろう。それからフロウスは私の背中に触れエスコートするように建物中へと連れていく。
建物の中に入るやいなや、周囲に誰もいないことを確認し、背中越しに耳元で話しかけてきた。
「ずいぶんと勝手なことをしているようだね。これはあとでお仕置きが必要かな?」
私が黙っていると、フロウスは私の反応など無視して言葉を続ける。
「それで例の件はどうなった? 今回もちゃんとこなしたのだろうな? そうでないとフロウス、いや、ローシュの娘としては名折れだろう」
私はその言葉に、フロウスによって根底に叩きこまれた私の存在意義というものを揺さぶられる。私の指先はさっきからずっと震えている。
しかし、震えてシェリア様から頂いた日傘を床に落とすという失態はしたくない。そう思うとふいにあの家でシェリア様とグリフォンのクライブとの生活を思い出した。今の姿を見るとシェリア様はがっかりするだろうか。いや、あの人のことだ。きっとため息交じりに「あなたに任せるには早かったかしら」と自分の判断を責めるだろう。
そして、クライブはきっと「自分なら上手くやれた」と勝ち誇った顔をシェリア様の隣で浮かべるのだろう。それは無性に腹が立つ。
だけど、今はおかげで震えは止まったし、何をすべきか頭の中がすっきりとしている。
「もちろん成果は上々ですわ、フロウス様。それでその件につきまして重大な報告があり、他の上位始祖様にも伝えるべきことがあります」
私が真面目な表情でフロウスに向き直ると、怪訝そうな視線を向けられる。フロウスは嘘を見抜く力というか感性が異様に鋭い。だからこそ、落ち目とはいえ上位始祖の中で対等に渡り合っていて、交渉ごとを任されることが多い。
「先に私に報告しろ。話はそれからだ」
「申し訳ありません、フロウス様。私は当該魔女により自分の命の生殺与奪の権利を握られ、メッセンジャーとしての役目を与えられたにすぎません」
言い方を変えただけで、私は事実しか口にしていない。だから、フロウスには私の真意が分からず、苛立ちを顔に滲ませる。
「なおさら他の始祖に会わせるわけにはいかないではないか! 何を考えている?」
フロウスからしてみれば、外部に自分たち急進派の計画が漏れてしまったと疑うだろう。そして、私の口を強引にでも塞ごうと行動する。だけど、ここはすでに政治の中枢の上位始祖院の建物の中だ。血なまぐさいことや荒事を起こせば、すぐに上位始祖をはじめ衛兵が駆けつけてくる。
だから、穏便に進めるなら外に連れ出すために私を無力化し拉致することくらいしかない。しかし、そんな気配りすらせず強硬手段に出るという可能性もある。
選択に悩んでいるであろう一瞬の隙を付き、フロウスの制止しようとする手を振り払い、議場に向かって走った。
フロウスは追いつけないと判断したのか、手で私兵に合図送りながら、
「賊が侵入したぞ! 取り押さえろ!」
と、大声で叫んだ。その声と合図に反応して四方八方からヴァンパイ兵が私に襲い掛かってきた。
「シェリア様。私はやりますよ」
そう呟き、私は足を止め戦闘態勢へと移行した。




