偏愛のヴァンパイア ③
ヴァンパイアの、それも人間でいう貴族に位置する気位もプライドも特に高い始祖種であるミレラアの嘆願に私は混乱していた。
使い魔でもメイドでもいいからとすがるように、誰かの支配下に入りたがること自体がそもそもおかしい。
ミレラアの重みを感じながら、どうしてこんな状態になったのかと思い返してみるも今の状況を説明できるものは思い当たらない。
思い悩んでいるとふと体にかかる重みが消えた。
「ちょっと離しなさい。せっかくの至福のひとときを」
ミレラアは服の首の後ろあたりをクライブにつままれ、吊り下げられていた。ミレラアは不機嫌そうな声をあげているが、口元は緩んでいてそのことで背筋が寒くなる感覚がした。
『シェリー。こいつ、このまま外に捨ててこようか?』
「悪くない提案だけど、まずは話を聞くのが先よ」
クライブは理解はするが納得はできないとばかりに目を一瞬細め、床にボトリとミレラアを落とした。ミレラアは服を整え、私の正面に座り直した。その後ろではクライブがミレラアを最大限警戒しながら見下ろしている。
「それでミレラア。あなたの目的はなに?」
「シェリア様にお仕えすることです」
ミレラアは大真面目に目を輝かせながらいうので、頭が痛くなってくる。
「それは今はどうでもいいわ。私が聞きたいのはここに来た理由よ」
「どうでもいいって……今の私にとってはそっちの方がもうどうでもいいんですけど。えっと……表向きは排他的な思想のもと、領土拡大を狙っている人類に対しての警告だったかな。そのための事前準備としての情報収集と偵察のための人員を各地に派遣したんです。ストベリク市を管理している魔法師は特に優秀だという情報は以前から漏れ聞こえていたので、威力偵察することも念頭に私がここに送られたというところでしょうか」
ミレラアは心底どうでもいいと感じで淡々と衝撃の内容を口にする。
「表向きと言ったわね。あなたたちヴァンパイアは何が本当の目的なの?」
「きっとヴァンパイア社会の権力闘争で不満を抱えている一部の始祖が支配領域の拡大を考えているんじゃないですか?」
「それって、条約違反よね?」
「そうですけど、今の人類相手に古の条約を守る必要があるのかということですよね」
人類とヴァンパイア――正確には、知性も力も高いヴァンパイアを中心とした異界から召喚された魔物の間で、領土保全と不侵略を明文化した不可侵条約を結んでいる。その不可侵条約を下地に友好的な関係と交易・通商をする講和条約が締結されていた。
その条約が結ばれた背景には、人類側の先兵として最前線にいた魔法師と魔導文明期に開発された兵器という強大な軍事力あってのものだったが、今の人類にはそれがない。
形骸化してしまった条約などひっくり返してしまっても問題はないということだろう。
「だけれどヴァンパイアは穏健的な種族だったはずよね?」
「はい。今も上位始祖の大部分は人類との間に築いた調和や均衡を崩すつもりはありませんよ。しかし、始祖の中にはそういうヴァンパイアの内外の均衡を含め、根底から壊したい勢力がいるということじゃないですかね」
内乱やクーデター、革命というのは人類の歴史の中で何度もあったことだ。それを私は書物の中の知識でしか知らない。それがヴァンパイアの国であるノーアニブルで起ころうとしていて、その発端にしようとしているのが人類に対しての攻勢だというのだ。人類からしてみれば、かなり危機的な状況が目前まで迫っていたということになる。
だけど、ミレラアの話からするとヴァンパイアの総意ではなく一部が勝手にやっているというのならまだ何とかなるのかもしれない。
私が管理しているストベリク市とミアトー村はたとえ戦力を集中されたとしても、私一人だけで守り切り、さらには返り討ちにすることは難しくない。しかし、問題は私が関わっていない他の都市がヴァンパイアの支配下になってしまい孤立させられることだ。ミアトー村は自給自足できるからいいが、ストベリク市は交易に頼っている部分も多く、疲弊し混乱し、最終的には滅んでいくだろう。
私と違って、何があっても死なないというわけでもないのだから。
「まったくもって面倒な話ね。それでミレラアはその勢力を拡大させたい急進派というわけなのね」
「いえ、ローシュは代々中立派の始祖です」
「それはおかしくないかしら? あなたは人間で言えば、貴族の中でも特に上流のエリート家系なのでしょう? あなたの行動は自分の家の名を汚していることにならないかしら?」
「そう見えるかもしれませんね。だけど、私の使命はローシュの名を汚さぬように与えられた仕事を完璧にこなすだけ」
「じゃあ、あなたに仕事を命じているのは誰なのかしら?」
ミレラアは先ほどまでの口の軽さとは打って変わり、険しい表情で言葉を飲み込みこんだ。それから一筋の汗を流し、重たくなった口をゆっくりと開いた。
「母の父にあたる上位始祖のフロウス様です」
そこでようやく話の筋が見えてきた。それからミレラアに無理をさせないように話を聞き、何が起こっているのか理解できた。
フロウスは長い歴史を持つ始祖の血筋で、かつては強大な魔法の力を背景に軍事に秀でた存在だった。しかし、異界からこちらに来てからは環境のせいで魔法の力は役に立たず、次第に力と影響力を失い、今では落ち目ということで下に見られがちな血筋なのだという。
ミレラアの母は政略的な理由でローシュに嫁ぎ、ようやくできた子供も男系男子への継承を慣例としている上位始祖の社会では役に立たない女の子だった。
ミレラアは幼いころから母とフロウスに厳しく育てられた。おそらくミレラアはその容姿の良さを含め、母と同様政治の道具として扱われるはずだったのだろう。しかし、上位始祖同士の良血であるがゆえに高い能力を持ってしまいフロウスはそれを利用することにしたのだろう。
ミレラアはフロウスに命じられ、今までもローシュの名のもとに反乱分子や侵入者の人間を制圧をしたりしたそうだ。だからこその名目上の侵略理由が成り立つわけだが、事実はどうなのかも怪しいところだ。
ここに来たのもローシュをはじめヴァンパイア、ひいては世界の平穏のためにミレラアにしかできない仕事なのだと言いくるめられたからだそうだ。
ミレラア本人はフロウスの言葉を妄信しているわけでないことは変わり身や口振りからは見て取れる。
「ねえ、そこまで冷静に状況が見えているのにフロウスに従うのはどうしてなのかしら?」
「きっと愛情に飢えているんです。私は父と親子として話したことがありません。だからこそ、名前や繋がりにこだわって……そのなかで私を見てくれたのは母とフロウス様だけでしたから」
ミレラアは寂しそうな笑顔を浮かべてみせる。その表情が今にも泣きだしそうな子供のように見えた。
「分かったわ。しばらくはここで好きにしていってもかまわないわ」
だから、つい同情から口を滑らせてしまった。口にしてからしまったと思うも一度発した言葉はなかったことにできない。また抱き着かれたりするのではと身構えたが、
「ありがとうございます。魔女シェリア様」
と、ミレラアは感謝を口にしながら涙を一筋、静かに流した。その表情は憑き物が落ちたかのようにどこかすっきりとしたものだった。




