026.クルトとヴォルフ(1)
ヴェンディスへ行くまでには、約二日かかるんだそうだ。港に船はつけられないけど、代わりに近くの陸に下ろしてくれると、ヴォルフは約束してくれた。
私はその間すごくたいくつだった。だってやることが何もないんだもの。だから、船を探検することにしたんだ。
船には中にも外にもいろんなものがあった。一番面白かった場所はしょうろうという、マストのてっぺんにある見張り台だった。とっても高いところにあって、どこまでも続く海が見渡せて、空飛ぶ鳥に挨拶もできる。
けれどもすぐにヴォルフに、「危ないから上るな!」って怒られて、下りるしかなかったんだにゃあ……。
ウォルフはいつも私を追いかけて、「あれをやるな、これをやるな」とうるさかったけども、他の皆はとっても優しくて親切だった。
ご飯やお酒を食べたり飲んだりしているのを、羨ましくて見つめていると、「食べますかい?」「どうぞ一口……」とわけてくれる。甲板でのんびり日向ぼっこをしていると、「暑くはありゃせんか」と扇いでくれたり、お水を持ってきて飲ませてくれた。
その日の午後、私はだんだん気持ちよくなってきて、ごろんと寝転がってお腹を見せた。慌てて敷く布をくれたお兄さんに、「ねえねえ、撫でて」とおねだりをする。お兄さんは「えっ」とかちんと固まった。
「あっ、あごの下でもいいよ」
私が顔を早く早くと差し出すと、お兄さんはなぜか真っ赤になって、両手を振りながら後ずさった。
「い、い、い、いや、いけませんって! ダメですって!! 俺、まだ船長に殺されたくないっス!」
にゃにゃ? どうしたんだにゃ? 猫の姿の時には皆撫でてくれるのに。人間だと撫でちゃいけないんだろうか?
「……だめ?」
私がしゅんとしていると、お兄さんは「うっ」とその場に立ち尽くした。そこにヴォルフが「おい、お前、何やってるんだ!」と駆けつけてくる。
「げっ、船長」
お兄さんはぴんと背を伸ばすと、その場にかちんと固まって、「も、申し訳ございません」と謝った。
「ま、まだ何もしていないっス。指一本触れていないっス! ですからお許しをおおおお!!」
「俺が叱りつけたいのはお前じゃねえ! その女だ!!」
ヴォルフはわんわん吠える犬みたいに怒鳴った。「おい、お前なあ!」と寝っ転がる私を抱き起すと、「いいか!!」と肩を掴んで言い聞かせる。
「この船での営業はいっさい、いっさい禁止だ。わかったな!?」
「……えいぎょう?」
営業って宿屋をけいえいしたり、酒場でご飯を出したりすることだよね?
「私、営業なんてしていないよ?」
「~~~っっっ!!」
ヴォルフは頭を抱えていぶし銀の髪をかき回した。周りにいる皆がざわざわとしている。
「船長が……船長が振り回されているぞ」
「あんな船長初めて見たぞ」
私はなんだか申し訳なくなってしまって、「あ、あの、ごめんね」とヴォルフに謝った。
「私、撫でてもらうのが好きなの。だってクルトはいつも夜眠る前に、いっぱいマッサージしてくれるんだもん。私の気持ちがいいところを全部知っているの。あっ、クマ男はそんなクルトをゲボクって言ってた!」
「……あ、そ。お前がやってもらうほうか」
ヴォルフはがっくりと肩を落とすと、「このナリで女王様かよ……」とうなった。「いいか」ともう一度肩を掴む。
「二度と俺の部下を誘うんじゃねえ。そんなに撫でてほしいなら俺に言え!」
「……!!」
私はさっそく顎をぐいと差し出して、「撫でて♪」とヴォルフにねだった。
「ちょっとツメを立てて、カリカリってかいてほしいの!」
ヴォルフは「なんなんだよ……」と溜め息を吐いたけど、ちゃんと私が言ったとおりに顎を撫でてくれた。
「うーん、気持ちいいにゃー♪」
私が目を細めて喜んでいるのを見て、ヴォルフは「変な女……」と苦笑いをしていた。
◇◆◇◆◇
それから一日が過ぎた夕暮れどきのこと――私はこっそりヴォルフのベッドにもぐりこんでいた。お部屋はちゃんともらっていたんだけれども、ひとりぼっちで眠るのは寂しかったからだ。だっていつも夜はクルトと一緒だったんだもの。
ヴォルフはきっとびっくりするだろうな。驚いた顔を想像すると、なんだかおかしくなっちゃうにゃ!!
私はシーツの中で丸まると、ほうとため息を吐いてまぶたを閉じた。明日にはヴェンディスに帰れる。今ごろ宿屋のお姉さんが心配しているだろう。クルトにも報告されるだろうから、きっといっぱい怒られるだろうな。でも、クルトにまた会えるのならなんでもいいの。
そうして私がうとうととしていると、いきなり船が左右に大きく揺れた。
「にゃっ、にゃにっ……!?」
もう一度揺れが襲ってくる。今度は何かが突き当たったようで、ドンと中と外から大きな音がした。船が一気に傾いて私はベッドから放り出される。
「きゃあっ……」
私は斜めになった部屋の床を転がっていった。
「にゃんなの!?」
船がゆっくりともとの位置に戻っていく。それと同時に廊下からいくつもの足音が聞こえた。
「船長!! どういたしますか!! どうやら貿易船が海路を変更したようですね」
「すぐに武器、防具を装備の上、全員配置につけ。どうせ襲う予定だったんだ。早いか遅いかの違いだろう」
「……!?」
なにがなんだかさっぱりわからなかった。
「ヴぉっ、ヴォルフ……」
慌てて扉から外に出るころには、もう辺りには誰もいない。私は何が起きているのかを知ろうとして、耳を澄まして目を閉じた。
これは……剣と剣が重なり合う音? それと海賊たちの歓声。知らない人たちの怒声。きっと戦いの真っただ中ななんだろう。
「ど、どうしよう……」
私は揺れる船の廊下をなんとか歩いて行った。ああ、人間の足って不便だにゃあ。猫の身体ならどんな道でも走っていけるのに、ちょっと傾いただけですぐに転んじゃうよ。
それでもどうにか甲板に続く階段と、その向こうにある開きかけの扉を見つけた。ああ、やっと外に出られる。これで何があったのかわか――。
私がようやくほっと胸を撫で下ろして、取っ手に手を掛けた次の瞬間だった。扉が不意にぐいと引かれたのだ。
「誰か――民間人はいないか!? 俺は貿易船の用心棒だ!! あなた方の保護に来た!!」
「……!?」
この声はまさか――。
私はその姿を確かめる前に、また船が揺れた勢いで、誰かの胸に飛び込んでしまった。突然の出来事だったから、よけきれなかったんだろう。その人は私を受け止めたまま、どっと後ろに倒れ込んでしまった。
「ごっ……ごめん! ごめんね!!」
私は広い胸に手をついて、揺れをこらえて顔を上げた。やっと会えたと言う思いに、目に涙が滲むのを感じる。お日様のように眩しい、ひとつに結んだ真っ直ぐの金の髪。澄み渡った晴れた空の青の瞳――クルトだった。
「クルト……」
いっぽう、クルトは目をまん丸にして私を見上げている。
「どうして、君が……?」
そして、私の身体がぴったりくっついているのに気づいて、きれいな顔が一気に真っ赤になってしまった。
うん? 顔がラズベリージャムみたいな色なっているにゃ? いったいクルトはどうしちゃったんだんだにゃ?




