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珍種?稀少種?

朝というには幾分遅く、どちらかといえば既に昼寄りの時間帯。


窓から差し込む春の陽射しがゆるゆると室内を移動し、安宿の古ぼけた寝台の上に身体を投げ出すようにして寝転がっていた男の顔をそろりと撫で上げると、さすがに眩しさを感じたのか男はのろのろと重い瞼を持ち上げた。


組紐がほどけてざんばらになった灰色の髪を鬱陶し気に手でかき上げると、深い森の色をした二つの眼がそこに現れたが、その視線の凶悪さはいつもの比では無い。


――――原因は昨晩の酒にある。


夜に酒場で唄う場合、酒抜きの仕事など有り得ない。

男はかなり酒が強い方だがある程度の量を呑むと一気に眠気に襲われる体質で、普段はきっちり加減を心得ている。

単独で“営業”をする人間が不注意にそこいらで泥酔なんぞした日には、あっという間に身ぐるみ剥がれて終わりになるからだ。


昨晩は酔いが顔に出にくいせいで強引な客の一人にしつこく酒を勧められ、断りきれず飲み干した最後の杯がかなり酒精のきつい代物だったため、弟子に脇を支えられてどうにか塒にたどり着いたものの、そのまま寝床に撃沈する羽目に。


(……………危ないところだった)


お陰で何年振りかの二日酔いを絶賛体験中の男の視線が凶悪犯罪者並みの極悪さに変貌を遂げてしまい、外出する弟子に「その顔で表を歩くと警ら隊に捕まる」と言われて置き去りにされた次第だ。


実際のところ起き上がるのも億劫で半身を起こすだけで精一杯なのだが、ネイロが一人で外を歩き回ると思ったら何となく気に掛かり、同行すると口にした途端本人には「え、ヤダ」の一言で軽く切り捨てられてしまった。


――――過保護なのは自分でも解っている、と男は二日酔いでふらつく頭を抱えながら、呑み過ぎからくる痛みに呻き声を漏らした。


ただあの兎の自分の見た目がどれだけか狙われ易いものなのか、これっぽちも自覚していないところが問題なのだ。


どこもかしこもふわふわと柔らかでどこにも刺など隠し持っていなさそうな外見と、常日頃標準装備してしている鉄板の営業スマイルから繰り出される舌足らずな口調は、見る者に強い保護欲を抱かせると同時に嗜虐心も誘ってしまう。

実際は見た目ほど大人しくも従順でも無いとしても、荒事に対して非力な娘であることには変わりがない。


だというのに。


あの兎はホイホイホイホイ一人で気軽にそこら辺を飛び回り、有象無象の輩の興味丸出しの視線を集めまくって帰って来るのだ。―――仕事でも日常でも。


こめかみを押さえてフラフラ立ち上がった男が窓辺に近付くと、チュン、と気の抜けるような鳴き声を立てて数羽の小鳥が飛び立ったかと思うと、その中の一羽が何をどうしたのか男の頭の天辺にポスンと着地。


「……お前…、俺の頭を巣か何かとでも……」


それは地獄の底から響くような声音だったが小鳥はどこ吹く風で灰色の頭に居座り続け、遂にはピルピルとさえずり始める。

二日酔いからくる倦怠感で頭上の珍客を手で振り払うのも億劫な男は、それきり何も言わず窓の縁にもたれて外の景色をボンヤリと眺めにかかった。


三階にある部屋の通りに面した窓からは、下町の活気に溢れた生活感漂う空気が流れ込み、雑多な音や匂いが同時にいくつも混じり合ってえもいわれぬ生活臭を漂わせている。


―――赤ん坊の泣き声やパタパタと走り回る子供の

軽い足音。

女達がカマドで煮炊きする炊事の煙の匂い。

石畳の上をガラガラと鳴らして走る荷馬車の響きと馬の蹄の小気味良いリズム。


こうした街中の雑多な雰囲気は旅暮らしの男にとって馴染み深いものだが、残念な事にいまひとつ溶け込みきれないよそよそしさを感じるものでもある。

――――所詮は仮初めの宿りということか。


薄ボンヤリとした頭でしばらくの間見るとはなしに通りを見下ろしていた男の目に、ふとそれは鮮明に映り込んできた。


両手に沢山の荷物を抱えぴょんぴょんと跳ねるような足取りで近付いて来る茶色い兎。

あちらこちらから声を掛けられる度気前良く愛想笑いを振り撒きながら、それでも足は止めずに真っ直ぐに駆けて。

何気無く上を見上げた大きな茶色い目が男の姿を捉え嬉しそうな満面の笑みを浮かべるのを見て、男も自然と口の端が上がる。


(―――――帰って来たか)


放し飼いにする方はいつ野良犬に食われるのではないかと気が気では無いのだが、飼い主の心配もよそにあの兎は澄ました顔で跳ね回ってばかりいる。


やがて扉越しにトコトコと足音が聴こえ、形ばかりのノックと共にそれは勢いよく開かれる。


「グリフ、ただいま――――!」


「……お帰り、ネイロ」


「―――――っ、…それっ!………ぷっ、アハハハ!」


何故か弟子ネイロは男を見るなり身体を二つ折りにして笑い出した。


チュン。


何かが男の頭の上で鳴いた。


チュンチュン。


「………………そういえば…まだいたのか」


死神も地獄送りにしそうな面構えの男の頭の上に、もっふりとした小鳥が一羽チョンと乗っている様子は、何ともいえぬ脱力感に襲われる絵面。


「くふっ、くくく…、そ…その子、どうしたのグリフ」


「……知らん。勝手に頭の上に居座られた」


「へぇ、―――あ。もしかして毎朝窓のとこにパン屑食べに来てる子?中に一羽だけうまく飛べない子がいて気になってたんだけど…」


男の頭に向けてネイロがそろりと手を伸ばすと、小鳥は怯えて飛び立ったものの直ぐにポトリと床に落下。

どうやら予想通りであるらしかった。

小さな体は憐れなほどに震えて縮こまっている。


「あ…そうだよね…。人間大きいし…怖いよね、ゴメンね」


この様子からすると先程は逃げ遅れて何故かついウッカリ男の頭に乗っかってしまったという事のようだ。

大方男の髪が足に絡まりでもして逃げられなかったのだろう。

どしうたものかと狼狽える弟子をよそに、男は無造作に小鳥をむんずとわしづかみすると窓際にぺいっと放り出した。


「グ…グリフ――――!もうちょっと優しく扱って!」


「………握り潰したりはしていない」


「あ…、飛んでった…。大丈夫かな…」


「…なるようにしかならん。野生の小鳥も――人間も。籠に囲われれば危険は無くなるだろうが、翼が死ぬ。鳥に生まれて飛べぬなら、それは生きながらにして半分死んでいるのと同じだ」


「――、そう、だね…」


神妙な表情で小鳥の飛び去った方角を見送ったネイロは、くるりと向きを変えて男と向かい合った。


「……今日は仕事休まないとダメだね。そんな地獄の閻魔様も裸足で逃げ出しそうな凶悪面で客引きなんてしても誰も寄り付かないよ」


「………………そんなに酷いか」


「うん、恐いよ」


「………………………………………………………………………………わかった」


その“凶悪面”をものともしないこの兎は、よほどの稀少種に違いなかった。


ぴょんぴょん好き勝手に跳び跳ねていても、いつも男の傍らに戻って来る。

歌う大鷲グリフォンの翼の下に。












































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