ヒヨコと長靴
―――なんか物凄い告白を聞かされた気がする、というのが男の感想だった。
そもそもただの知り合いにしか過ぎない流民の少女の身元引き受け人になろうという申し出は、野に置くには惜しい人材を出来れば囲っておきたいという、あくまで商人としての打算が絡んだ上での提案だ。
多少育ったとはいえ去年までの少女のやせっぽちの姿を覚えている男にとって、目の前の少女は今の今まで“子供”のはずだったのだが。
―――どうしたことか。
当人の言動に色恋を語る響きが微塵も含まれていないにも拘わらず、その強烈な告白まがいの発言の後、レジオには少女がまるきり別人の女のようにも見え始めて仕方がなかった。
(………ハテ?)
首を捻る男をよそに少女は甘味をどうにか完食すると礼を言って席を立ち、笑顔でヒラヒラと手を振りながらスッキリしない気分の男を店に残して街中にて消えて行った。
*
『うぅ…。当分甘いものは要らないよ…』
最近首都で人気だというその甘味は、日本人の味覚を持つ少女にとって最終破壊兵器並みの破壊力を誇る糖度の代物だった。
元の世界でも甘味が貴重な地域では、菓子類は甘ければ甘いほど高級品として持て囃される風潮があると聞いた事があったが、正にそれ。
これでもかと砂糖をふんだんに使用して焼き上げた極甘のパイに、パイ生地がしっとりと濡れるほど蜜がかけられ、尚且つ同じ皿の上には甘く煮た果物が添えられるという究極の3コンボ。
「箸休めに梅干しか塩昆布下さい!」と喉元まで言葉が出かけるも、奢られた側のマナーとして何とか気力で食べきった少女の口から漏れたのが先程の台詞だ。
『…お昼ご飯はパス。グリフの分だけ何か買って帰ろう』
昼過ぎと宵の口の一日二回“営業”をした翌日は大抵朝が遅くなる。
酒席での仕事の場合、客の勧めを無下に断れず酒を過ごしてしまう事が多いからだ。
グリフォンはいつも涼しい顔で酒杯を干しているが、実を言えば表情に出にくいだけでそれなりに酔いは回っているらしい。
今朝などは二日酔いでいつもの不機嫌面に更に眉間の縦皺がプラスされた分、凶悪さ五割増しの顔に仕上がっていた。
そしてよりにもよってそのままの顔で過保護モードを発動し、外出に同行しようとしたため少女は速攻で部屋の扉を閉めてピンポンダッシュの勢いで街に飛び出して来たのだった。
『えーと…、布地に糸、二日酔いに効くハーブ。それから…乾燥果実と岩塩―――グリフのお昼ご飯はいつもの屋台のメニューでいいかな』
飲食店でひとしきりレジオと話し込んだ後、少女は当初の目的通り下町方面の市場へと足を向け、不足していた日用品を補充するべく露店の間を歩き回った。
時計の無い生活では全てにおいて陽の運びが基準であるため、時折空を見上げて時間を確認するのも忘れない。
現在は正午にまだ少し早い時間帯―――少女の感覚だと午前十一時辺りだろうか。
ネイロはチラチラと辺りを見回して通りの片隅に何度も足を運んだ事のある軽食の屋台を見つけると、小走りに駆け寄って行儀良く順番待ちの列の後ろに並んだ。
わりと人気のある屋台なので昼時はいつも混み合うが、その代わり味の方は保証付きなのだ。
「おじさん、モフルに山鳥の燻製挟んだのを一人分!玉葱のマリネを多目にしてね」
「おう、毎度あり!今日は嬢ちゃん一人か、珍しいな」
「もー!小さな子供じゃないんだから、屋台の買い物くらい一人で来るよ」
「はっはっは!そーかそーか偉いぞー?」
濃ゆいヒゲの店主は可々と笑いながら注文の品を少女に手渡した。
――――完全に『初めてのお使い』扱い。
原因は極めてはっきりしている。
ネイロがいつでもどこでも四六時中グリフォンと一緒にいたからだ。
昨年の秋の終わり頃、二人がガムランに住み着いた当初ネイロはまだ少年のような衣服を身に付け、舌っ足らずな口調で片言混じりの共通語を話していた。
くっきりとした濃い目鼻立ちの人種に囲まれて、どちらかと言えばちんまり控え目な造作の顔の少女は、さぞかし幼く見えた事だろう
隣にいる男が無駄にデカイだけあって尚更に。
おまけにその大男が雛を守る親鳥の如く周囲に目を光らせて辺り一帯の男共を威嚇していたため、完全に『保護者とその子供』の構図が出来上がっていた。
その頃、ネイロがグリフォンの子供だと思っていた人間は少なくない。
――――ところが。少女の見た目が急激に大人びて来るのとは逆に男の一種独特な老成した雰囲気の外面は徐々に剥がれ、感情が読み取り難かった面にはっきりとした表情が浮かぶようになった事で、この頃は十も若返ったようだとよく他人に指摘されるようになった。
つまりは見た目の年齢差が縮まり、当然ながら『アレ?親子じゃなくね?』という流れに。
実際は血の繋がりどころか縁もゆかりも無い赤の他人同士、同じ部屋で寝起きしていれば実状を知らない他人が二人を“そういう”関係だと見るのは至極当たり前とも言える。
レジオのように面と向かって聞く者はごく少数でも、遠回しに関係を探られる事は珍しくも無い。
流民の芸人であれば“色”の売り買いがあって当然と、少女におかしな愁波を向けてくる客達の多いこと多いこと。
基本的に来る者は拒まずのグリフォンのスタンスが客の勘違いに拍車を掛けているのは否めないが、そこに金銭のやり取りは一切含まれていない。
お互い純粋に(?)肉体目当てだ。
それはまあ、いい。自由恋愛という事にしておけば。
ただそれと同じ事を自分に求められても困る、とネイロは歩きながら地面に向かって心底ウンザリとした溜め息を落とした。
きゃっきゃウフフの清く正しい恋愛経験さえまだの乙女が、何故いきなり裸の付き合いを強要されにゃならんのか。
――――フザけんな、である。
既に二度襲われかけているネイロはその手の下衆い空気に敏感で、周囲にケダモノの気配を感じただけで全身鳥肌が立つようになってしまった。
後ろ楯が無い流民の立場はとても弱く、犯罪の被害者になりやすい。
レジオが定住を勧めてくれたのはその辺の事情も考えての事なのだろう。しがない流民の小娘に対して破格の申し出だったと思う。
それでも不思議と迷いは起きなかった。
もしかしたら刷り込みのようなものかもしれないと、ネイロ自身思わないでもない。
生まれたてのヒヨコが最初に見たものを親と勘違いして付いて回るような。
こちらの世界で初めて出会った相手を絶対の保護者と思い込み、依存して。
だが“子供”はいつか独り立ちを求められるものだ。
―――それこそどんな生き物でも。
だからこそ少女は一日も早く一人前の大人になりたいと願う。
親鳥の翼の下に庇護されるばかりの“子供”ではなく、隣に並び立てる存在になりたいと。
先ず手始めとして、身の回りの事くらいは一人で何でもこなせるようにならなくては。
気分を切り替えるために「よし!」と小さく呟いた少女は、買い集めた品を両手にきちんと抱え直してから、人混みの中を塒に向けて早足で歩き出した。




