再会
グリフォンと二人でガムランで春を迎えてからは、昼間は人通りの多い街角や広場で歌を唄い、夜は繁華街で適当な店を渡り歩く、という営業スタイルがこのところすっかり定着している。
なるべく稼げる時に稼いでおかなきゃいざという場合に困るというシビアな現実は、この一年の間に何度か食うや食わずの時期を体験して骨身に染みた。
だから『働く事』自体に否応は有り得ない。
『働かざる者食うべからず』は基本の常識。
甘ったれた日本の子供の常識なんて、とっくの昔に打ち砕かれてる。
グリフォンと会話が出来るようになって少しだけ解ったのは、この旅にはきっと終りが無いという事。
『流民』と呼ばれる私達のような流れ者がこの世界には大勢いて、一生を旅の空で費える者がほとんどらしい。
望めば定住する事も不可能ではないけれど、面倒な手続きが必要だったり掛かる費用が半端無いせいで、実現出来る人はほんの一握りなんだとか。
―――まあ、当然だけど私達には縁がない話。
*
この晩、いつものように二人が連れ立ってとある酒場の扉を潜ると、店の奥から突然大きな声で呼び止められた。
「うおぉーい、旦那!楽士の兄さんよぅ。やっぱりあんたか!久しぶりじゃねえか~」
旧知の間柄でもあるかのような気安い台詞に少しばかり驚いて振り返ると、どことなく見覚えのある男がこちらに向かってブンブンと大きく腕を振っている。
商売柄不特定多数の客と接する機会が多い楽士は、やや考えてから一応は『顔見知り』程度の知り合いではあるのだろうと結論付けた。
どこでどう知り合ったのか最早覚えてはいない上に、名前の方もトンと思い出せはしなかったが。
「いやぁー、ここで会えるとは幸運だ!あんたとおチビの嬢ちゃんにはもう一遍会いたいと思ってたんだ。最近この界隈にオセロで一人勝ちしてる流れの楽士二人連れが出没するって聞いてなぁ。あちこち出向いてたんだが、やっと見つけたぜ。で、おチビはどこだ?んー」
その男は一息に喋り終えるとからりと笑って目を細め、楽士の後ろ側にチラチラと視線を送った。
「……」
「なんだ、相変わらず無口な兄さんだな…、お、おお?!」
やがて楽士のすぐ後ろに連れらしき者の姿を見付けた男は驚愕したように目を見開き、
「あんた!いつの間に別の女に鞍替えしたんだ!!おチビのネイロはどうしたんだよ!」
―――吼えた。
一方、男同士の会話に口を挟まず後ろで二人の様子を観察していた少女は、相手の男が自分の名前を口にした事で記憶の片隅にある人物像がモヤモヤと浮かび上がって来るのを感じていた。
赤みの強い赤銅色の髪に無精髭、薄荷の香りの葉巻をいつも燻らせていた人。
大抵三人組で、いい年齢した大人の癖にオセロに負ける度に子供みたいにむきになってリベンジを挑んでた――――。
「……リンカのお宿で会った、おにーさん…?」
「へ?」
「私、ネイロだよ。えーと…おひさしぶり…?」
「ぬわにいいいィ――――!!」
叫んだ後でカパッと顎が落ちる音がした。
「おチビ…ほんとにおチビのネイロか?……って、育ち過ぎだろ!!薄いまな板がちょっと見ない間にすっかり化けやがって…っ!美人じゃねえかっ!」
「……残念にも程があるよ」
「ハハハ!まあ、そう言うなって――、っと、そういや随分流暢に話せるようになったな」
「うん。頑張ったよ」
「そうかー?偉いぞおチビ。ヨシヨシお兄さんが飯を奢ってやろう」
「やったぁ!」
話がここまで進んでようやく楽士は、目の前の男が昨年の雨季に同じ宿で顔を合わせていた商人だということに気が付いた。
弟子の考案した遊びにいち早く食いついて商品化を狙っていたうちの一人だ。
「……『レジオ・アレグロ』…?」
「おう、覚えてんじゃねーか。首都は俺の地元なんだが、しょっちゅうあちこち飛び回ってるせいであんたらの噂を耳に入れるのが遅れたぜ」
一年近くも経ってからの、思わぬ再会だった。
改めて自らレジオ・アレグロと名乗った男は、自分がとある商家の跡取りで、主に買い付け等の交渉事や目新しい商品の開発を担う役職に就いていると説明してから、再会祝いと称して二人を自分のテーブル席に引き摺り込んだ。
「まぁ、なんだな。二人とも元気そうで安心したぜ…」
慌ただしく席に着いてから一呼吸置いて後、レジオは染々と呟いた。
この一年ですっかり大人びて驚きの変貌を果たした少女に向ける視線には、純粋な感嘆と戸惑いの色が複雑に入り混じっている。
(わりと小綺麗な子供だと思っちゃいたが…、こいつはまた…たまげたね、オイ)
まず背丈が伸びた。
一年前は確実に十二、三の子供にしか見えなかった上に、衣服もそこいらの少年の物と大差ない格好だったせいで、かなり幼いものと思っていたが。
―――――それがどうだ。
隣に並ぶ楽士の上背が極端に有り過ぎて小柄に見えてしまうが、細身ながらかなり発育は良い。
十六、十七の年頃の娘といっても通用するだろう。
おまけにその容貌ときたら女衒が涎を垂らして飛び付きそうな器量をしている。
傭兵崩れのクサレ外道が起こしたあの事件の後、お互い別れの挨拶すら無くそれきりになって、ただの行きずりの仲とはいえ、何となくあれからずっと気に掛かっていた。
あの時『金の麦穂亭』に居合わせた者の多くが、怪我を負った幼げな竪琴弾きの少女の容態を心から気遣ったものだ。
「…少し物を訊ねるが、例の御隠居二人も首都にお住まいなのか?」
「あの爺さん達は第四藩国の商人だ。現役は退いたが年中そこらをフラフラして色んなもんに首を突っ込んでんだよ。なんだ?あんた爺さん達に用でもあるのか?」
「…あのお二方には随分と世話になったものでな。礼を言う機会が有ればと思ったまでだ」
「ほぅ、“世話に”ねぇ…。あんた達あの気難しい爺ぃ共にまたえらく気に入られたようだな」
「―――気に入られたのは弟子の方で、俺はついでだ」
「ハハハ、あんた男受け悪そうだしな!」
身も蓋もない言われようだが、その辺りは本人も充分自覚しているだけに今更反論はしない。
「おチビもおチビだが、あんたも色男っぷりが増したんじゃないか?見た目の派手さ加減が三割増しだぜ。さっきから女の視線があんたに集中してやがる。―――まぁ、その仏頂面で半分台無しになってるがな」
「……」
再会してから愛想笑いひとつ見せるでもない楽士をレジオがからかう。
実際近くの席の女性客達はしきりとチラチラこちらに視線を向けていて、男連れでさえなければまず間違いなく行動に出ているものと思われた。
「おにーさん、グリフはこれで良いんだよ。今の時点でさえ何かと女柄みの厄介事が多いのに、見境無く笑顔の叩き売りされると後が面倒臭い」
モグモグと料理を頬張りながら語る少女の表情は心底うんざりしている。
「ははぁ…、かなり苦労させられてそうだな?」
それはもう、と少女が頷いた。
基本的に面倒臭がりで来る女は拒まずの相方のお陰で、要らぬ痴話喧嘩に巻き込まれたり人情沙汰に発展した件は最早数知れず。
何故もう少し器用に立ち回れないのか、と何度思ったか知れないが、グリフォンの場合女癖が悪いのでは無く、単に女をあしらう手間暇が億劫なだけときているからどうしようもない。
連れがいる現在でさえこれなのだから、単独時代がどういう状態だったのかは推して知るべしだろう。
(日毎夜毎に情婦の間をフラフラ行ったり来たりとか…、完全にヒモだし―――)
「あー…まあ、そっちの旦那はともかくだ。おチビの方こそ気を付けろ?そんだけ色気付いてりゃあ男供が放っちゃおかねえだろうがよ」
「んー。なんか最近鼻息の荒い人が多いかも」
「そらみろ!」
「でも仕事中は保護者同伴だから大丈夫だよ。大抵の人はグリフと目が合うとアッサリ引き下がるから」
「あー…まぁな…」
レジオはその『保護者』の方をチラリと向いてから、何とも言えない表情で目を泳がせた。
なまじ端正な顔立ちなだけに、その鋭い三白眼が意図して放つ威圧感は殺人的なまでに凶悪―――楽士どころか一般人にも見えない、というか楽器の代わりに刃物を持たせといたら確実にどこかの暴力組織の幹部にしか見えない佇まいだ。
「…いーか、おチビ。夜に酒場で『営業』する場合は、絶対ツレの旦那とはぐれんじゃねえぞ?旦那もおチビから目ぇ離してくれるなよ」
「――…言われるまでもない」
薄く細められた深緑の目に剣呑な光が灯った。




