問わず語らず
この前の秋くらいからかな。服がきついなぁと感じてはいたんだけど、ここ一年でかなり背が伸びたっぽい。
―――なんかこう、目線の高さがね?
グリフォンと会ったばかりの頃は目の位置がグリフォンの胸のあたりだったのに、最近並ぶと視線が肩の真下にくるんだもん。
目測だけど十五センチ近く伸びた感じ。
うぅーん。まぁ、両親に揃ってモデル並みの高伸長だったから、当然と言えば当然なんだけど。
…上着はともかく七分丈のサブリナパンツが…かなり厳しい。
で、どうしようかなって思ってたら、なんとグリフォンが服を買いに行こうって言い出した。
それで調子にのって色々と買って貰っちゃったんだけど、グリフォンの反応がいまいちなのはナンデ?
お目当ての服を着て出ていったら、両目をカッ開いて絶句した後、たっぷり二分は固まってたよ?
そんなに似合わなかったかなぁ…。
姿見とか無いから全身チェック出来ないのが物凄く残念。
すぐその後で「似合ってる」とは言ってくれたけど、明らかに付け足しっぽかった…。
おまけに私の年齢を聞いて“信じられない”っていうような顔してた!
どうせ子供っぽいですよー!!
―――でも私だってねえ、グリフォンが二十代だとは思わなかったよ!
どんだけ苦労をしたらあんな若者らしさの欠片も無い二十代が出来上がるの。
絶対三十代半ばのおじさまだと思ってたし!
………徹底的な会話不足だ。
そもそもグリフォンは音楽の話題以外になると途端に無口になる上、私的な事に踏み込むのを躊躇わせる雰囲気があって、あれこれと聞きにくい。
私自身も自分の事情についてどう話せば良いのかなんて解らない。
いっぺん死んで余所の世界から迷い込みましたー、って説明するの?
口からでまかせにしたってもっとこう、真実味のある身の上話になるでしょ。
……なにこの頭の悪そうな『作り話』
……はぁ……。
だから、後々になってグリフォンに「お前の話を聞かせてくれないか」って言われた時、どう答えたら良いのかわからなかった。
*
「――――お前は昼間、この春で十六になると言っていたが…」
冬の間ずっと寝泊まりしている下町の安宿の一部屋で、いつものように寝台の上でギタールの手入れをしていた男が、ふと思い出したように向かい側の少女に声を掛けた。
「うん。私の居た所とここは暦が違うから、日にちまでははっきりとしないけど。グリフォンと出逢う数日前が私の誕生日だったの。季節が一巡りしてまた春が来たから多分今頃だと思う」
実を言えば少女はこの一年、可能な限り事細かく日記を付け続けていた。
そしてそこに記録されている日数を数えると、ほぼ『あちら側』の一年に相当する月日が既に『こちら側』で経過している。
多少暦に差異があるにしても、感覚的にそれほど違和感は感じられない。
「そうか…。何か祝いをしてやりたいところだが……少しばかり懐が厳しくてな。すまない」
「え?服、買って貰ったし充分だよ」
「いや、そうは言っても十六の祝いは成人の節目。本来なら親い身内が祝うべきなんだが…」
「……そうなんだ」
親い身内、という言葉のあたりで少女の表情が一瞬曇った事に男は気付いたものの、敢えてそこに触れようとはしなかった。
「―――あ、じゃあ私グリフォンの歌が聴きたい!」
「毎日飽きるほど聞いているだろうが」
「ち~が~い~ま~す~ぅ。そーいうんじゃなくて、『私』に唄って欲しいの!」
「…なるほど。で、リクエストはあるのか?」
「えっとね、『永の光』―――」
「それは鎮魂歌だ。祝いにしては…」
「………それで良いんだよ」
グリフォンの歌ならこの世の果てまで届くかもしれないから―――――とは、少女は口には出さなかった。
『もう』一年と言うべきか。それとも『まだ』一年か。
―――――小さな少女の世界は呆れるくらいに狭く、目に見える風景とその手に触れる事が出来る家族や友達が世界の全てだった。
それを喪う事が『世界の終わり』と同義語である程度には。
今、あの場所を懐かしく思う事はあっても殊更帰りたいと思う事が無い自分はとんだ薄情者なのかもしれない、と少女は胸の内で密かに嘲笑った。
上辺だけを取り繕い、失って惜しむ程の絆を誰とも築いてこなかった。
あちらの世界で姿の消えた“遠野音彩”という少女を惜しんでくれた人間が、はたしてどれだけ居るだろうか。
不意に黙り込んだ少女の様子にも男は一言も発する事無く、ただ黙ってギタールを膝の上に抱え直し、リクエストの為の最初の一音をその指で拾い上げた。
奇しくもそれは男と少女の出逢いの瞬間に、奏でられた曲でもあった。
緩やかな前奏に続いて艶のあるテノールが男の唇から溢れ落ちると、部屋の中の空気がひたひたと魂を震わす音色で満たされてゆく。
けして大声を張り上げている訳では無いにも拘わらず、その歌声にはその場の全てを支配する力が宿っているかのよう。
(―――――ああ。天使の…歌声だ)
二つの琥珀からはらはらと慈雨の如く降り始めた透明な滴は、男の歌が終わってもしばらくの間止む事がなかった。
「――――先程の歌は…誰かに捧げる為のものなんだな」
凪いだ水面を滑る風のような声が耳を掠め、少女は伏せていた面をゆるりと持ち上げた。
「私の…、お父さんとお母さんに……。歌、ありがとうグリフ」
そうか、とだけ男は呟いた。
世間にはありふれた話だ。かくいう男も幼い頃に家族とは死に別れ、けして短くは無い年月を放浪に費やしている。
その長い旅暮らしの間には飢えや差別が常に付いて回り、けして綺麗事では済まされなかった事柄や、口に出すのも憚られるような後ろ暗い出来事が幾つも存在している。
――――それを、自ら好んで語る謂れも無い。
何にしろ相手が誰であれ、当人が敢えて語らずにいる過去を暴きたてるような行為が、男の趣味でないのは確かだった。




