寝起きチュー違法
毎日規則正しい時間に寝て起きて、きちんと三食しっかり食事を摂る生活をしていたら、身体の調子が大分良くなってきた。
正直言うと首の傷はまだかなり痛むんだけど、この傷半分は自分でつけたようなものだしね…。
必死だったとはいえ、かなり際どかった。
一歩間違えたら頸動脈ザックリいってたよ。
刃先がブツリと肌に食い込む感覚に、ザァッと一気に血の気が引いて―――――そのままプツリと記憶が途絶えた。
多分ショックで気を失ったんだと思う。
気がついたらグリフォンが枕元で死にそうな顔色をして項垂れてた。
あれ以来私の『保護者』は目に見えて過保護になって、標準装備だった余裕綽々の無表情はどこへやら。
おまけにやたらとスキンシップが増えたような気もするし(当社比)。
朝晩人の額に手を当てて熱を測り、私が少しでもふらつこうものなら直ぐ様抱え上げて運ぼうとする。
あんまり甘やかされると癖になっちゃうんだけどなー…。
その保護者は、只今現在目の前で絶賛爆睡中。
連日辺りの酒場に出向いて深夜まで営業してきてるみたいで、毎日午近くまで熟睡してる。
多少つついたくらいで目を覚まさないのは、既に色々と実験済み。
―――野宿の時はどんな小さな物音でもすぐに起きるのにね。
『うーん…。寝顔だとちょい若く見える、かも…???』
相手が眠っているのを良いことに、至近距離から瞼の閉じた彫像のような横顔をじっくりと眺める。
――――鼻筋、高っ!彫り深ぁ!
なんというデッサン向きの顔立ち!!
万人受けする美形じゃないかもだけど充分鑑賞に耐え得る造作だよ。
あの、獲物を狙う猛禽類みたいな鋭い眼。
威圧感が半端ないんだけど、こうやって瞼を伏せているとほんの少しだけ雰囲気が柔らかくなって、近寄り難さが半減する。
……これで愛想が良かったら女の人にモテまくりなんだろうけど、今のところのお相手は百戦錬磨の姐さん限定っぽい。
「………ネイロ……?」
『あ、やっと起きた。もうお日様が高いよグリフ~。お腹すいたから食堂に行こ?」
寝台の横にしゃがみ込んで寝顔をガン見してたら、ぼんやり目を開けたグリフォンとバッチリ目が合った。
もつれてボサボサの灰色の髪の奥で深緑の双眸が柔らかく細められ、伸びてきた手にクシャリと頭をかき混ぜられる。
長い指が何度も頭の上を往復してサラサラと私の髪を梳けずり、留めに色気駄々漏らしの声で「『おはよう』」と朝の挨拶。
………うーん。寝惚けてる。
完全に一夜のお相手のポンキュッポンの姐さんと勘違いしてるよ。
日本女子ならここで『キャッ!』と可愛らしく狼狽えるべきなんだろうけど、うちはハグとチューが日常的に多用される家庭だったから幾らか耐性がある。
両親年中ラブラブで、子供が目のやり場に困るほどだったしね!
『Darling wake up!』
『Hi honey~』
なんてやり取りがアメリカンなホームドラマの如く毎朝繰り広げられるんだよ。
万年新婚夫婦め。
天国の風習はまだよく分からないけど、風俗全般が欧米寄りでいわゆる中世ヨーロッパの文化に近いみたい。
まあ、私の自前の知識なんてRPGゲームの世界観程度でしかないけど、そんなにかけ離れてはいないと思う。
――――だからつい、悪戯心が湧いたというか。
『はぁいー、おはよーグリフ~』
で、チュッと。
ほっぺにチューくらい、身内(?)なら普通の挨拶のつもりでね?
――――で、なんで固まる。グリフォン。
しかも、瞳孔が開いてんじゃないかってくらい目ん玉ひん剥いてフリーズ。
なんだかよく分からないけど、とりあえず勝った!(………何に?)
*
「―――お客さん、なんか疲れてるっすね。連日の酒場営業がきついんじゃ?無理は禁物っすよ」
二人がテーブル席に着くとほぼ同時に昼食を運んできた宿の長男は、男の顔を見て眉を寄せた。
いつも涼しげな無表情を貼り付けている楽士が、今日はやけにぐったりと草臥れた様子で行儀悪くテーブルに肘を着いている。
薄手のシャツを着崩して楽な格好をしているにも拘わらず、複雑に編み込まれた手の込んだ髪型を見れば、朝から弟子に遊ばれたのは一目瞭然。
「……今日はまた、前衛的な髪型っすね。や、似合ってるっすけど」
「……気にしたら敗けだ」
「何の勝負っすか」
先刻ふと眠りから覚めかけた男がうっすらと瞼を持ち上げると、そこには――――クリクリした大きな目でこちらを見詰める茶色い頭の生き物がいた。
いつも見下ろしているその顔が同じ目線上にあるのは、相手がしゃがみ込んで寝台に顎を乗せているためだ。
何がそんなに面白いのか、瞬きもせずにまじまじとひとの顔を観察しておいてから、その小動物はくふり、と小さく笑う。
――――ああ。やっと笑った。
久し振りに見せたその笑顔につられて、男の表情も自然とゆるむ。
手を伸ばして柔らかな茶色い髪を撫でれば、目を細めてくすぐったそうにしながらもされるがままになっている。
何となく野良猫の餌付けに成功したような気分で満足感に浸っていると、ふと悪戯そうな笑みを浮かべた生き物の顔がすいと近付いて、男の頬に柔らかなものが押し当てられた。
チュッ。
男は一瞬呆けて間抜け面を晒した。
起き上がってからも妙な動悸に襲われ、謎の症状に固まっている隙に小動物に髪を好きなように弄ばれて、結果的に他の追随を許さない斬新な髪型に仕立てあげられてしまった訳だが、他人の反応からして概ね好評なようなので、まあ良しとする。
「大分顔色が良くなりましたね、ネイロちゃん」
「うちのお父さんが作ったご飯、ちゃんと食べてるからだよ!」
「…ああ、そのようだ」
二人が運ばれてきた料理をつついていると、今度は宿の娘達が席に顔を出した。
この姉妹は何かとネイロの事を気にかけてくれていて、日に何度となく言葉を交わしている。
《金の麦穂亭》の食堂は基本的に宿泊客だけを相手にしているため昼食時でも満席になる事は少なく、この時間帯は比較的自由がきくようだ。
観光地と異なり人の出入りが激しい宿場街では長期滞在の宿泊客はわりと珍しい。
雨季で足留めされていた者達も天候が回復するとすぐに出立して泊まり客はとうに入れ替わり、二人が宿に駆け込んだ当時の顔見知りは一人も居なくなっていた。
男自身も弟子の体調が万全になりさえすれば、いつでも次の目的地に出立する心づもりでいる。
元々流民の旅芸人に予定などあって無いようなものだが、ひとつところに留まり続けるのはやはり無理がある。
―――娯楽の類いは飽きられればそれまでだ。
そろそろ頃合いかも知れないと、男はそう思った。




