↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/30

## プロローグ 吸う前に、吐く


 その男は、門の前で倒れていた。


 夕方の風が、石造りの城壁にぶつかって、ひゅう、と細い音を立てている。


「回復術師を呼べ!」


「もう呼んでる! でも魔力切れだ!」


「くそっ、こんな日に魔物避けの結界まで――」


 人が集まっていた。


 荷車を引く商人。買い物帰りの女の人。鎧を着た門番さん。みんなが、倒れた男を見下ろしている。


 男の脇腹には、黒く濡れた布が巻かれていた。息が浅い。顔色が悪い。苦しいのを、歯を食いしばって隠そうとしている顔だった。


 ひよりは、人の輪のいちばん後ろで、そっと荷物を下ろした。


 この世界に来て、三日目だった。


 魔法もある。魔物もいる。パンはやたら硬い。水は貴重で、お風呂は三日に一度なら上等。


 そしてひよりには、治癒魔法はなかった。


 あるのは、前の世界で覚えたことだけだ。


 肩が上がっている人は、たいてい、頑張りすぎている。


 眠れない人は、身体のどこかを、ずっと見張らせている。


 痛い人に「大丈夫」と言いすぎると、その人は大丈夫なふりをしてしまう。


 それだけだった。


「……あの」


 ひよりが声を出すと、近くにいた門番が振り返った。


「なんだ、嬢ちゃん。危ないから下がって――」


「あの人、いま……吸おうとしてます」


「は?」


「でも、吐けてないです」


 自分でも、変な説明だと思った。


 けれど、倒れている男の胸は、小刻みに上下していた。息を入れよう、入れようとしているのに、出すほうが置いていかれている。


 痛みと恐怖で、身体がずっと、逃げる準備をしている。


「少しだけ。そばに行っても、いいですか」


「だが、傷が――」


「傷は治せません」


 ひよりは、はっきり言った。


「でも、息が少し整えば。痛みに耐える力は、残るかもしれません」


 門番は困ったように眉を寄せた。


 それでも、他にできることがなかったのだろう。小さく、うなずいた。


 ひよりは男のそばにしゃがんだ。


「こんにちは」


 返事はない。


「急に触りません。ここにいますね」


 そう言って、男の視界に入る場所へ手を置く。土の上に、手のひらをぺたりとつけた。


「痛いですよね」


 男のまぶたが、ほんの少し動いた。


「怖いですよね」


 唇が震えた。


「……し、ぬ……」


「うん」


 ひよりは否定しなかった。


「怖いですよね」


 男の目から、涙がひとつ、こぼれた。


 それだけで、肩がわずかに下がった。


「じゃあ、いまは吸わなくていいです」


 ひよりは、できるだけ小さな声で言った。


「まず、吐き切りましょうか」


 すう、と言いかけて、やめる。


「はぁーって。長くなくていいです。少しで」


 男の喉が鳴った。


 ひよりも隣で、ゆっくり息を吐く。


「はぁー……」


 風が通るみたいに。


 男の胸が、少しだけ沈んだ。


「そうです。上手」


 次の息は、勝手に入ってきた。


 大きくはない。苦しさがなくなったわけでもない。


 けれど、さっきまで身体じゅうで鳴っていた警報が、一つだけ止まったように見えた。


 ほどなくして、回復術師が駆けつけた。


 傷は治せた。男は助かった。


 人だかりが散ったあと、門番がひよりに言った。


「嬢ちゃん。あれは、何の魔法だ」


 ひよりは、ちょっと考えた。


「魔法じゃないです」


「じゃあ、何だ」


「……整体、です」


「せいたい?」


「身体は、ちゃんと戻ろうとしてるんです」


 ひよりは、夕焼けを見た。


 知らない世界の、知らない町だった。


 それでも今日、誰かの身体は、少しだけ戻ろうとした。


「そのお手伝いを、するだけです」


 後の日、町の外れに、小さな看板が立つ。


 植物の鉢と、手書きの施術メモと、なぜか育ちすぎたミニトマトのある場所。


 看板には、少し曲がった字で、こう書かれていた。


ととのひ整体所

――吸う前に、吐く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。