第1話「とりあえず殴れ。話はそれからだ」
来矢吹 殴は困っていた。
十七歳。
現在、フリーター。
高校は退学になり、バイトは長続きしない。
いや、長続きしないどころか、すぐにクビになる。
原因は分かっている。
来矢吹家に代々伝わる、妙な家訓。
『とりあえず殴れ。話はそれからだ』
来矢吹家の男は、この家訓を守らなければならない。
殴の父親も、そのせいで若い頃はかなり苦労したらしい。
それでも今では土建屋の社長だ。
一代で会社を築き上げた。
もっとも、交渉事は全て殴の母親が担当している。
そうでなければ、会社はとっくに潰れていただろう。
父親からは常々、
「会社を継げ!」
と言われている。
だが、その度に親子で殴り合いになる。
だから殴にとって会社を継ぐことは、人生最後の選択肢だった。
そして今日も。
初出勤したコンビニで、絡まれていた女子バイトを助けるために客を殴った。
結果。
即日解雇。
「はぁ……」
まだ昼過ぎだ。
この時間に帰れば、バイトをクビになったことが父親にバレる。
なので。
殴は困っていた。
「ちくしょう、家訓のせいで俺の人生はロクな事がねぇよ」
そう呟いた時だった。
「来矢吹ー! お前、またバイトクビになったのかー?」
聞き慣れた声。
地元の不良三人組だった。
殴は面倒そうに振り返る。
「うるせぇよ。なんか文句あんのか?」
三人が殴を囲む。
「文句しかねぇに決まってんだ……がふっ!」
最後まで言わせなかった。
拳が先だった。
三人まとめて殴り飛ばす。
殴は拳を軽く払う。
「よし、言いたい事があるなら聞いてやる。言ってみろ?」
顔を押さえながら後退る三人。
「いや、勘違いでした! 何もないです!」
「そうか」
ふん、と鼻を鳴らす。
「んじゃ、俺は行くぞ」
殴は背を向けて歩き出した。
去っていく姿を見送りながら、不良達は悔しそうに歯を食いしばる。
「くっそー、仲間集めてやっちまうか?」
「いや、ああ見えて人望あるから、声かけても集まらねぇぞ」
「だったらよ」
一人が思い出したように口を開く。
「俺の知り合いに軍人崩れの外人がいるんだけど、金次第であいつくらいならぶん殴ってくれるぜ?」
リーダー格の男が顔を輝かせた。
「いいじゃねえか! 金はボコボコにした来矢吹から取ってやろうぜ!」
◇
その日の夜。
殴は不良達に呼び出され、埠頭へ来ていた。
「なんだ? 言いたいこと思い出したのか?」
面倒そうに尋ねる。
「お前の相手は俺らじゃねえよ! デビッドさん、頼んます!」
不良達は震えながら一人の大男の後ろへ隠れた。
身長二メートル近い巨体。
腕は丸太のように太く、全身から歴戦の空気を漂わせている。
デビッドは面倒そうに前へ出た。
「ボーイ、お前に恨みはないが……ぐはっ!?」
最後まで言わせなかった。
殴の拳が顔面にめり込む。
吹き飛ばされたデビッドが地面を転がる。
殴は何事もなかったように言う。
「悪ぃな。話の前にまず殴れってのが、うちの家訓でな」
デビッドはゆっくり立ち上がる。
額に青筋を浮かべた。
「ウガーーッ!!」
怒号と共に突っ込んでくる。
重い拳。
鋭い蹴り。
軍人らしい無駄のない攻撃。
しかし。
一発も当たらない。
殴は全てを紙一重で躱し、その度に拳を叩き込んでいく。
腹。
顎。
脇腹。
鳩尾。
連続で殴られたデビッドが、ついに膝をついた。
「よっしゃ、そろそろ話をしようか?」
殴はしゃがみ込み、目線を合わせる。
「ノ、ノー……」
「なんだよ、お前も言う事忘れたのか?」
興味を失った殴は立ち上がり、背中を向けた。
その瞬間。
デビッドは無言で懐から拳銃を抜く。
「ガッデム!」
乾いた銃声。
殴の背中を弾丸が貫いた。
「……おいおい、マジか」
背中に視線を落とす。
赤く染まる服。
身体から力が抜ける。
そのまま海へ落ちていった。
目の前の光景に、不良達は青ざめる。
「に、逃げろっ!!」
三人は一目散に走り去った。
撃ったデビッドはというと。
殴られた痛みに耐えきれず、その場で気絶していた。
◇
冷たい海の中。
意識はゆっくりと沈んでいく。
(まいったな、あんなもんより早くぶん殴れてれば、こんな目に会わずに済んだのによ)
どこからともなく、声が響く。
『聞き届けました。特性神速付与します』
(……とりあえず殴れ。話はそれからだ。って、どんな家訓だっての)
再び声が響く。
『聞き届けました。特性殴打交渉権付与します』
(なんか声が聞こえるけど、空耳か?)
その疑問に答える者はいない。
来矢吹殴は、深い海の底へと沈みながら、静かに意識を失った。




