明るい母
この時の私はきっともう鬱だったように思う。
食欲なくて、夜は眠れない。
こんな状況だから、
すこぶる元気だったらおかしいか・・・
それでも眠れないといっても2日も起きていたら、
ねむくなって寝てしまう。
健康な時のような、毎日きまった時間に寝るとはいかなくなっただけで、
まったく寝ないなんて事はない。
疲れ果てたら寝る。
食事もそうだった。
あんまりにもお腹が減れば食べるって感じだった。
食べたくなった時に食べる。
健康な時のような毎日きまった時間に食べるとはいかなくなっただけで、
まったく食べないなんて事はない。
それでもこれでは、
社会人としては成り立たなかった。
身体にケガをしたから、
私はケガをして休んでいるって理由ができてよかった。
理由があると家にいれる。
家でいる時はそんな理由があると家にいれる。
私は怠けているわけじゃないわ。
ケガをしているから、
家で布団で寝てるんだ。
そう自分に言い訳しては、
上手に動けない、
いいえ生きれない事をせめていた。
自分を自分でせめる事をしていた。
どうして普通に生きる事が出来なかったんだ。
何回もその事を布団の中で考えては考えては自分を沢山せめた。
幸せな家庭にどうしてできなかったんだ。
どうして、あの人はあんな人だったのか。
私のどこがいけなかったの・・・・
何度も考えては仕方のない事を考えては泣いていた。
1人で考えても答えは出るはずはなく、
自分を責める事をしていたようなきがする。
子供が家にいる間は、明るいお母さんを演じて、
子供が学校に行けば家で泣いている生活をほぼ一カ月続けた。
それでも体は回復する事ができた。
全治2か月のお尻のヒビも1カ月で立ち上がれるほどに迄、
回復する事が出来た。
人間の体はすごい。
生きるようにできているんだ。
立ち上がらないで生活していたのが、
少し痛みはあるが、一日に数回は立ち上がれるようになっていた。
家の布団で自分を責める事を続けていたけど、
家でもやらなければならない事はしていた。
家事はもちろんだけれども、
引っ越しの為に必要なものといらないものとの仕分けはしていた。
新しい家には本当に生活に必要なものだけをもっていく。
そうしないと新しい部屋は家族3人で住むのが精一杯の部屋なので、
余計なものはもっていけそうにもないからだ。
それでも捨てられないものは実家にもっていくことにした。
後は廃棄するか、とも思ったが「その他」の物は元夫に任せる事にした。
色んな物を仕分けする事、
きっと、健康な脳の状態なら簡単に仕分けも出来たような気がするけど、
私は心が疲れていたので、それすら大変だった。
ノートに書かないと考えてる事がわからない。
自分の考えている事がまとまらない。
いいえ、仕分けをしようと思っているのに、
何をしているのかがわからなくなる日がおおかった。
引っ越しするまでは、いつ借金取りが来るのかが不安だった。
それが輪をかけて私の精神的なストレスは大きくなっていた。
人間てあまりに大きなストレスがかかると髪が抜けるらしい。
なんだか抜け毛が酷いなって思った時にはごっそり抜けてハゲていた。
それでも精神的に疲れたおかげもあって、
いやおかげというか、
もうハゲていても他の事が気になっていたから、
頭がハゲはあまりきにならなかった。
変な自分だったと今でも思う。
女性なのにハゲが気にならないって。
元気になりだした頃に髪は気になるから不思議。
身体が元気になりだした頃に、
自分のハゲた頭が恥ずかしい事に気が付く事になるんだけど。
不幸なときはいろんな事が重なる。
家で引きこもっていると、
とうとう仕事もクビになった。
会社に出勤できない社員はいらないらしい。
きっとこれは不当解雇にあたるんだろうけど、
精神状態のおかしい私は、ただただ受け入れるしかなかった。
これで何もかもなくなった。
私は不要な人間なんだとおもっていた時だから、
やっぱりと思って受け入れた。
他人は私を必要とはしてくれない。
と悲しい事を考えては部屋で腐っていた。
腐って腐って家でおかしなほど腐っていた。
それでも子供たちがかえってきたら、
「明るい母をえんじる」
ほんとうは苦しくて苦しくて頭がおかしくなりそうだったけど、
子供たちにだけは少しでも悲しい気持ちを増やしたくないって思っていた。
母である私が家でおかしくなっているとわかれば、
間違いなく子供が悲しむ事はわかっていた。
私だけじゃない。
私と同じに子供たちも悲しい気持ちを抱えて今を生きているんだから。
子供たちが家にいる時はよき母をしないと。
神様、もうお願いします。
私たち家族に悪い事がおきませんように。
3人でこれからも生きていけますようにと。
あたらしい部屋にいけばもう新しい生活で楽しい日々がまっていますように・・・・




