FILE.30 小さな目撃者
「じゃあな、明」
友達に言われた初馬明は、手を振って別れた。
彼は、近くの小学校に通う、三年生の男の子である。見た目はメガネをかけた普通の小学生だが、実は天才プログラマーだ。最近人気に火が付いたゲームのプログラミングや、機械の発明などをしている。彼は、まさに天才児であった。
別れてから、そのまま道をまっすぐに歩いていく。家に帰ったら、今開発中である高性能ウソ発見器の作製をしようかしら。そんなことを考えながら、狭い路地とのT字路に差し掛かった時だ。
ふと左をみた彼の視界に、黒ずくめの人物が小柄な中年男性を棒状のもので殴っているところが映りこんだ。
「あ、ああ、ああああああああ!」
思わず口を押さえて叫び声をあげた。そのまま、その場に尻餅をついてしまう。逃げようにも、足がすくんで動けない。このまま、証拠隠滅のために自分もやられてしまうかもしれない。そんなのは絶対に嫌だ。嫌なのに、体は言うことを聞かず、小刻みに手を震わせることがやっとだった。
だが、そんな彼の心配とは裏腹に、黒ずくめの犯人は慌てて路地の向こう側の通りに出ると、道を左に曲がってしまった。そして、犯人が見えなくなってすぐに自分の肩を誰かが叩いた感触がした。
「どうしたんだ? なにかあったのかい?」
彼は、高校生っぽい制服を着ている。どこにでもいそうな顔だが、彼の目は異様に鋭そうだった。
「い、いま、ひ、人が殴られて……。犯人が向こうの通りに慌てて逃げて……」
明がそう言うのを聞いた相手は、後ろを振り返り(彼のほかにも女子高生らしき人がいた)、
「美月、救急車と警察を呼んで!」
と叫ぶと、路地を駆け抜けて向こう側の通りに出ていった。
◇
「あぢー、もうだめだあー、焼け死ぬー」
棒読みで言いながら茣蓙の上に寝そべるのは高校一年生の木島柚希だ。
「焼けるってことはないでしょ。焼死体になるには、こんな温度じゃ足りないよ?」
「いや、まじで焼けたいわけじゃなくてさ。その、なんというか、言葉の綾だよ」
Yシャツの袖口を肘くらいのところまで上げている青野は、本を読みながら、柚希の発言に正論で返した。それに呆れながらも、柚希は釈明をする。
「でも、しょうがないですよね。部室のエアコンが壊れてるんですから」
高堂が手で顔を扇いだ。そんな彼を見ながら、美月が口を開く。
「来週には工事の人が来るらしいから、それまでの辛抱だね」
「え゛ー、耐えられないよ~」
彼女は怠そうに突っ伏した。
「来週の日曜まで部活来るのやめようかな……」
小説部は基本、一週間の間いつでも活動をしている。そのため、普通の部活よりも断トツで活動日数が多い。ちなみに、この日は日曜日で、午前9時頃からずっと読書をしていた。
「勝手にすれば? じゃあ、僕はコンビニでお昼ご飯を買ってくるよ」
財布と携帯電話を持って立ち上がった青野は、そのまま部室を出ていく。
「じゃあ、私も買いに行って来ようっと」
後を追うようにして、美月も部室を出た。出る際、柚希が美月に、
「あー、アイス買ってきてー。暑くて動きたくないー」
と妙に間延びした口調で頼んでいた。
*
「……確かに、少し暑いね。部室の中にいるとわからないけど、外に出て歩くともろに感じるよ」
河川敷の上にある道を歩きながら、青野がつぶやいた。道の脇に生えている雑草は、既に彼の腰のあたりまで伸びており、夏の訪れを感じさせている。
「そろそろ夏服に移行した方がいいかも。長袖だとかなり蒸し暑いわ」
「うん。にしても、この暑いのによくやるよねえ」
彼が指さした先では、河川敷にあるグラウンドで地域の少年野球チームが練習をしていた。
「自主練かな。大人の人がいないし」
「そうみたいだね。そういえば、前に美月が通ってた塾、この辺にあったよね?」
青野に聞かれて、美月は頷いて答えた。
「そうよ。そこのコンビニがある通りに面している、個別指導塾だったかな」
「個別指導か……。他の塾と何が違うの? 塾とか生まれてこの方行ったことないからさ、全然わからないんだよ」
「はあ。うらやましいなあ。青野君は頭がよくていいですね」
最後の方が丁寧語だったのは、嫌味が少し含まれていたからだろう。ただ、言われた方の青野は全く気に留めていないようであった。
「そういえば……今日は月刊のミステリ雑誌の発売日だったな。買い物ついでに立ち読みしていくか」
「ちょっと、いつも立ち読みとかしてんの!?」
「うん。さすがに買うほどの物でもないけど、少し気になるし……」
「それなら学校の図書館とか使えばいいのに。あそこならいろんな雑誌が置いてあるわよ」
「考えとくよ」ポケットに手を突っ込んで彼がそう答えた時、どこからか叫び声が聞こえてきた。
「い、今のなんだろ……」
美月が足を止める。
「あ、あそこだ! 小学生くらいの男の子がしゃがみ込んでる!」
言いながら走り出す青野。
「どうしたんだ? なにかあったのかい?」
男の子の肩に触れて、彼は尋ねた。
「い、いま、ひ、人が殴られて……。犯人が向こうの通りに慌てて逃げて……」
恐怖心からか、ところどころ噛みながらも男の子は答えた。見ると、路地の真ん中でスーツを着込んだ男が頭から血を流して倒れていた。
「美月、救急車と警察を呼んで!」
そう言うと、急いで通りの向こう側に出る。
「動くな!」
彼は鋭く言い放った。その言葉に、道にいた三人の人がこちらを振り返る。一人は、ゴルフクラブを入れるケースのような物を担いだ金髪の若い男。一人は、少し太り気味で、先ほどまで小走りしていた女。もう一人は、側溝の横でしゃがみ込んで靴紐を結んでいた男。
それぞれが、困惑した面持ちで青野のことを見つめていた。
「あなた方に、お話を伺わせていただきます。いいですね?」
◇
「えー、被害者は布袋池男さん、45歳。北羽開発の副社長を務めているそうです。鈍器のようなもので頭を殴られて意識不明ですが、命に別状はないそうです」
小西が手帳を見ながら述べる。
「なるほど。傷害事件ということだな」
小西の口述に頷いた権田は、続きを促した。
「ええ。ちなみに、財布などは盗られていません。怨念か何かが動機かと思われます」
「だがなあ。流石にそれだけで決めつけるのも……」
「まあ、そうなんですけどね。それで、容疑者がそちらの三人です」
小西が向いた先には、三人の男女が怪訝そうにこちらを窺っていた。
「なんでも犯人が逃げた先にいたそうで……。一人目は、赤沼羽慧さん、20歳。現在は無職だそうです」
“無職”という単語に顔をしかめる赤沼。小西は、手帳を捲って次に進む。
「二人目が斗条浮世さん、42歳。専業主婦のようです」
斗条は訝しげな表情はそのままに頷いた。
「そして三人目が、板橋船飛さん、37歳。近くで活動している少年野球チームの監督だそうです」
口の端を不自然に吊り上げて、板橋はお辞儀をした。少し無理をしている感じが漂っている。
「で、今回の事件には目撃者がいるそうで……ええっと、遠田第二小学校に通う、小学三年生の初馬明くんがその目撃者のようですね」
黒縁のメガネをかけた明が、緊張した様子で礼をした。
「え、初馬明ってあのプログラマーの!?」
赤沼がそう叫ぶと、まじまじと明の顔を覗きこんだ。明は「ええ、まあ」と曖昧な返事をする。
「まじかよ~。俺、お前のゲームのファンでさ、家にソフト全部そろえてるんだぜ。まじかー! こんなところで会えるなんてな」
一人で盛り上がる赤沼に向けて権田はコホンと咳払いをすると、今度は初馬の方を見た。
「で、君は犯人を見たのかい?」
「う、うん。あのおじさんを殴ってるところも、逃げるところもばっちり見ました」
落ち着きを取り戻してきたのか、しっかりと証言している。
「で、犯人の顔は見えたかな?」
「いいえ。そいつ、ちらってこっちを見たけど、直ぐに逃げていっちゃったからわかりません」
「そうか……」すぐに事件が解決するのではないかと淡い期待を寄せていた権田は、ため息をついた。
「でも、そいつの“手がかり”ならいくつか覚えています」
「じゃあ、教えてくれる?」
左手に手帳を、右手にペンを持った小西は、初馬に促した。
「うん。犯人の性別は分からなかったけど、少し大柄で、細めで、全身黒ずくめのやつだった」
その場にいる全員が唾を飲んで彼の言葉を聞いている。初馬は、少し思い出すようにしながら話を続ける。
「で、そいつは一メートルくらいの棒を持っておじさんを三回くらい殴ってたんだ!」
自然と語尾が強めになる。
「なるほどね」
不意に、権田と小西の背後から聞きなれた声が聞こえた。
「こ、この声は……」
「まさか……」
二人は恐る恐る振り返る。
「今の証言で、今回の犯行が怨念であることがはっきりしましたよ。ね、そうでしょ?」
そこには、ズボンのポケットに手を突っ込んだ青野が笑みを浮かべて立っていた。
FILE.31 中くらいの信憑性
Next hint
・コンビニの商品
改稿の記録
2/24(金) 次回のタイトルを改題しました




