怪盗ジェット
今度は長いです
瞬き一つの間にそこに立っていたのは、細身で長身の若い男だった。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪に、女性と見紛うほどの美貌──しかし、その端正な口元には人を食ったような笑みが浮かんでおり、どうしようもなく胡散臭い。
ラズライトの魔法の光に照らされた瞳が、夕闇を閉じ込めた宝石のように怪しく煌めいた。
──ここ数日、逮捕指令書の中で誰よりも見た顔だった。間違いない。
「ジェット・アメトリンね?」
「あれ、知ってるのか。俺もしかして有名人?」
確信を込めて突きつけると、ジェットはあっさりと両手を挙げた。
「逮捕状が出ているの。正直、そっちから出向いてもらって助かったわ」
「ああ、なるほどね」
意識を刈り取る予定が崩れたというのに、ジェットからは微塵の焦りも感じられない。むしろ、このイレギュラーを楽しんでいるようだ。
(こいつ、実力者だわ)
ラズライトの背中を、冷たい汗が伝い落ちる。
戦闘に慣れると、相手の立ち振る舞いから魔力や実力がおおよそわかる。
ラズライトは魔法、剣術、体術をこなすオールラウンダーだ。
あらゆる戦闘スタイルを修めているため、体の運び方や魔力の練り方を見れば、おおよその実力は察することができる。
しかし、ジェット・アメトリンという男の場合は違う。
どんな戦い方であれ、魔法を使えば空気の揺らぎが生じるはずだが、ジェットの場合、それが全くない。
相当な実力者なら消すことも可能だが、簡単ではない。元帥であるフォスでさえ、ようやく到達できる領域だ。
それでも、指令が出た以上は対峙しなければいけない。
(なぜのこのこと現れたのか、わからないけど。かえって好都合)
さんざん情報を集めても尻尾すら掴めなかった相手である。ここで逮捕できれば、一気に解決へ近づく。
盗みを働いた者も、すべて元の場所へ戻る可能性が高まる。危険だが、絶好の機会でもあった。
「捕まえられると思ってる?」
「当然」
その瞬間、ラズライトは右手を伸ばし、手のひらから光の砲弾を放って床を蹴った。
同時に、もう一つの魔法を展開する。
ジェットはその場から動かず、魔力を練って空中にブラックホールを出現させ、光の砲弾を消滅させる。
だが、ラズライトはその隙に懐へ潜り込み、自身の体を極限まで軽量化していた。
弾丸のような速度へ跳ね上がった勢いのまま、ジェットの顎を狙って鋭い前蹴りを放つ。
直撃の瞬間、軽量化を解除。
ラズライトの体重の五倍に相当する質量となった衝撃が、ジェットを襲う。
しかし、ジェットはその速度を見切って的確に避けた。
(これ、避けられるの……!?)
あまりの勢いでラズライトの足は虚空を捉え、行き場を失った慣性が体を宙へと引きずり出す。
ラズライトはその速度を殺すことなく宙返りをし、今度はかかと落としを叩き込んだ。
ジェットは即座にそれも回避し、ラズライトの足首を右手で掴む。
容赦のない速度でそのまま床へ叩きつけようと腕を振るい、同時に空いた左手から極限まで圧縮した空気の塊を叩きつけた。
(しまっ──!)
激突の直前、ラズライトは力任せに体をねじって横へ飛んだ。
遠心力でジェットの手から足首が解放される。
ラズライトは床を滑るようにして、一度距離を取った。
「へー、君結構強いじゃん。執行官長レベル……いや、まだ上級執行官かな?」
「……あんたもね」
肩で激しく息をするラズライトに対し、ジェットの呼吸は一切乱れていない。
その瞳は、珍しい玩具でも見つけたかのように、ただ楽しげにラズライトを捉えていた。
その事実に、ラズライトは内心で舌打ちした。
(どこまで余裕なの……)
今の攻防でわかった。
ジェット・アメトリンは、想定よりも遥かに強い。
単純な魔力量の問題ではなかった。
反応速度、身体能力、判断力。どれを取っても一級品だ。
(……屋内って、本当にやりづらい)
屋外での戦闘なら、もっと多彩な戦い方ができる。
しかも、ここは廊下だ。横幅が狭く、動きは前後に制限される。
純粋な身体能力だけなら、ラズライトも常人離れしている。しかし、体格や筋力の差によるアドバンテージは無視できない。
──ならば。
(隙を突く!)
再びラズライトは床を蹴った。
今度は魔法で身体を強化し、一気に距離を詰める。
その拳が凄まじい速度でジェットへと突き出された。
ジェットは両腕を交差させて受け止める。鈍い衝突音が廊下に響いた。
次の瞬間、ジェットは交差させた腕を勢いよく押し出し、ラズライトの拳を弾き返す。
そのまま流れるように足払いを放った。
ラズライトの足が払われ、大きく体勢が崩れる。
「ねえ、捕まえるんでしょ? もっと頑張らないと逃げちゃうよ、俺」
「それは……どうかな!!」
(今だ!)
ラズライトは倒れ込む勢いをそのまま利用し、前方へ滑り込むように飛び込んだ。
同時に空間魔法を展開する。
掌に現れたのは、雷をまとった一振りの剣。
触れれば強烈な電撃が全身を駆け巡る代物だ。
「おっと」
追撃を仕掛けようとしていたジェットは、咄嗟に身体をバネのように弾ませて後方へ跳ぶ。
そして、楽しげに笑った。
「ふはっ、あっぶな。危うく闇の中じゃん」
(ほんっと、やりづらい)
しかもラズライトは今、戦闘以外にも魔法のリソースを割いていた。
建物を保護するための結界魔法だ。
まだ勤務中の警備員が残っている以上、戦闘による建物の損壊や被害を防ぐ必要があった。
通常、結界のような大魔術を維持し続けるには、膨大な魔力と極限の集中力が求められる。
少しでも制御が乱れれば霧散してしまうため、ラズライトは普段以上に体力と精神力を削られていた。
──だからこそ、気づくのが遅れた。
「!?」
ラズライトが床に着地した、その瞬間だった。
足元に不気味な文様が浮かび上がり、紫色の光を放つ。
途端に全身から力が抜け落ちた。
魔力までもが容赦なく吸い取られていく。
(……やられた)
膝の力が抜け、がくりと折れる。
踏みとどまろうと床に手を突いたが、抗うことはできない。
ラズライトはその場に倒れ込んだ。
「はー。やっと引っかかった」
ジェットは大きく息を吐いた。
「これじゃあ、どっちが捕まる側かわからないね?」
「……っ」
ジェットは文様を踏まないよう注意しながら近づくと、その場にしゃがみ込み、ラズライトの顔を覗き込んだ。
(悔しい……。私としたことが、まったく気づかなかったなんて)
普段なら、こんな初歩的な罠に引っかかるはずがないのに。
せめてもの抵抗に、ラズライトはジェットを睨みつけた。
「あんた、何者? ただの怪盗じゃないでしょ」
「うわあ、その目いいね。負けず嫌いなんだ?」
「質問に答えて!」
「さあて。どうでしょう?」
悔しさを滲ませるラズライトを見て、ジェットは嬉しそうに笑う。
その笑みは、思わず見惚れてしまいそうなほど美しかった。その時だった。
「ラズ!」
廊下に、ラズライトのよく知る声が響き渡る。
ジェットが素早く後方へ飛び退いた。
次の瞬間、ほんのわずかに遅れて、先ほどまでジェットが立っていた床へ鋭い魔力の刃が突き刺さる。
続いて、ラベンダーピンクの髪をなびかせながら、フォスが瞬間移動魔法で姿を現した。
「師匠……」
「あーあ。やられたねぇ。ラズの魔法の気配がしたから、もしかしてと思って来てみたけど……」
「……」
「はー、なるほどねぇ。見たことない魔法の使い方だねぇ。こりゃ、察知も難しいねぇ」
フォスはしゃがみ込むと、浮かび上がった魔法陣をしげしげと眺めた。
一方、ラズライトは立ち上がることすらできない。
これでもラズライトは上級執行官で、ただの執行官ではない。
強く気性の荒い凶悪犯たちと幾度も渡り合い、実績を積み重ねてきた。
それなのに、敵を前に無様に倒れ伏し、何もできないままでいるなど耐えられない。
もともとラズライトは負けず嫌いなのだ。
(情けない)
悔しさに涙を滲ませるラズライトを見やると、フォスはラズライトをジェットから庇うように、その前へ立った。
「フォシデ元帥。ちっともお変わりないようで」
「ジェット……」
ジェットは相変わらず飄々としていて、ニコニコしている。
それと対照的に、フォスは苦虫を噛み潰したような表情で対峙した。
お互い、警戒している様子が見て取れた。
まるで、互いの実力を知っているかのように。
(え、知り合いなの?)
だとしたら、なぜ極秘指令を出した時に情報をくれなかったのか。
思えば、その時はいつもと違って、どこか歯切れの悪い様子だったフォス。
昔はそれなりに親交があったのならば、今回の逮捕指令に対して乗り気ではなかったのも頷けるのだが。
フォスが、緊張を声に滲ませて問う。
「なにしに、来た」
「えー? フォシデ元帥なら見当がついてるんじゃない?」
ジェットのとぼけた返答に、会話の余地がないと判断したフォスから魔力を練る気配がした。
「おっと。ここであなたとやりあうのは分が悪い。残念だけど、退散するよ」
「待て!」
(逃がさない!)
横たわったまま、ラズライトはジェットへ向かって震える右手を掲げた。
残る魔力をすべて掌へ集中させる。
眩い光が弾け、放たれた光弾が一直線にジェットへと迫る。
同時に、ラズライトの足元に刻まれていた魔術式が音を立てて崩壊し始めた。
「……凄いね。それ、なかなか解除できないようにしたのに」
ジェットは一瞬だけ意外そうな顔を見せた。しかし、その表情はすぐに愉快そうな笑みへと変わる。
「でもタイムオーバーだよ、お嬢さん。また遊ぼうね」
黒い紋様がジェットの足元に浮かび上がり、その姿は闇へ溶けるように掻き消えた。
「ラズ? ラズ!!」
魔術は解けたものの、全魔力を使い果たした反動は大きかった。
急激に視界が霞み、意識が遠のいていく。
ぼやける意識の中、フォスとジェットのやり取りが脳裏をよぎる。
初対面とは思えない空気。
あの険しい表情。
どこか事情を知っているような振る舞い。
(師匠はなにか、隠してる)
その疑念を最後に、ラズライトは深い闇へと沈んだ。




