指令と帰還
僕の日常は退屈で、空虚だった。
掃いては捨ててを繰り返す日々に希望なんてものは存在しない。
誰かを信じれば裏切られるし、泣き叫んでも助けなど来ない。
結局、信じられるものは自分だけだ。
だから、僕は弱者が嫌いだった。
生き残った強者がすべてだと本気で思っていた。
そんな、汚れ切っていた僕のことを、あの子は「勇者」だという。
「げんきでいてね!」
無垢な笑顔とともに差し出された白いマリーゴールドが妙に目に焼きつく。
まるで、真っ暗だった世界に、小さな光が落ちたみたいに。
*****
”親愛なるお弟子ちゃん ラズたんへ
やあ元気かい?
ボクのほうは最近少し飲みすぎてしまって寝坊しちゃってさ。
かな~りしっかりとボスに絞られたよ。ひどいよねぇ。
食いしん坊で無類の酒好きのボクに、お仕置きだ~って仕事増やされて飲まず食わずで仕事させられたよ。
とりあえずなんとか3日で終わらせて、今君に手紙を書いてるってわけ。弟子思いだよねボク。
そうそう。君に謝らないといけないことがあるんだ。
うちのヒゲ、ボクが仕事に追われている間に君のマグカップを割っちゃったみたい。
流石に粉々すぎてボクの魔法でも修復できなかった。ごめんね。
クリスマスにボクが君にあげたやつだからなるべく直してあげたかったんだけどねぇ。
上手にできなかったわぁ。またマグカップ買ってあげるから許してぇ。
エリートで天才のボクにも、できないことがあるって痛感したよ。
ってなわけでこちらはさ。
トラブル続きだけど、まあ元気にやってる、つもりだよぉ。
相変わらず君がいないと部屋が散らかりっぱなしになっちゃうけどね。
面倒なんだよねえ部屋の片づけ。帰ってきたら手伝ってぇ。
とにかく。君が元気にしていることを祈るよ。
立派になって帰ってきたら昇格も検討してるってボスも言ってたよ。
んじゃあな、気を付けて帰っておいで。
PS:区切りがついたら、お土産もよろしくねぇ!
天才で頼れるオシショ―のボクより”
「まったく、師匠ったら相変わらずなんだから。」
現在出張中のラズライト・ジルコンが滞在中の宿屋に戻ると、師匠から手紙が届いていた。
ラズライトが王都から出張に出てから早3ヶ月が経とうとしている。
ラズライトの師匠は、仕事については人の数倍もこなすことが出来る。しかしその反面、私生活はてんでだめで、弟子であるラズライトが住み込みで身の回りの世話を焼いていた。
これまでにも一、二週間ほどの出張はあったが、帰ってみれば酒の空き瓶が散乱しているのは当然として、仕事の書類で寝床が埋まり、猫のヒゲに家中の物を棚から床に落とされ、足の踏み場もない状態になっていることが多かった。
(前は床にキノコが生えていたっけ…)
かつての惨状を思い出し、ラズライトの目が遠くなる。
師匠が片付けや掃除をしようとすると、必ずといっていいほど窓ガラスが割れたり壁に穴が開いたりするのだ。
ガラス汚れを落とそうとして、魔法で水を出したらその水に滑って転んで壁に頭突きをするなんてこともあった。
雑巾を濡らして拭けばいいだけなのだが、その発想がないらしい。家事能力が根本的に欠如しているのだ。
「仕事面では本当に頼りになるのになあ…」
ラズライトはそう独りごちて、火の魔法で静かに手紙を燃やした。
── 一週間後、夜。
「そういえば、こっちはもう春だったっけ」
王都に降りたったラズライトは、思い出したかのように呟いた。
3か月前には石畳の上に雪が積もっていたのに、今ではすっかり溶けている。
行き交う人々の服装も、薄手のものへと変わっていた。
王都を離れるときは、厚手の外套を羽織る人であふれていたのに。
王都の気候は3か月ごとに季節が巡るが、それは王都だけの話だ。
東西南北で気候は大きく異なり、ラズライトの出張先である南方は常夏に近い。
出張先は冬でも春のように穏やかで暖かかったので、四季の感覚が少し狂ったようだ。
「聞いたか、この前できた診療所。すっごい評判いいらしいぞ。俺の家族もさ──」
「あそこのお菓子の最新作、食べた?もう、すっごいのよ!」
街を歩いている人たちの話題も心なしか明るい。春の訪れは、人の心まで解かしてしまうらしい。
行き交う人々の足取りは軽く、街にはどこか浮き立った空気が満ちていた。
(師匠、元気かな)
今日、ラズライトが帰ることは誰にも伝えていない。
(驚くかな。でもあの師匠のことだし予測済みかも)
師匠の反応を予測しながら、ラズライトは家路を急ぐ。
「ししょー!」
帰宅早々、ラズライトがバーン!と家のドアを開けると、まず目に入ったのは酒瓶。その隣にも酒瓶。奥にも酒瓶、珍味パックのゴミ、酒瓶──。
「あらぁ、ラズ。帰ってきたんだ。」
──と、酒瓶に埋もれたダイニングテーブルに座って突っ伏しているフォス・フォシデだった。
ラズライトの師匠である。
「そりゃあ帰ってきますよ。だって指令貰ったじゃないですか。」
「ああ、あれねぇ。」
フォスは気だるそうに体を起こしながら、右手で顔にかかったラベンダーピンクの髪をかき上げた。
実は、出張先でラズライトが受け取ったフォスからの手紙は暗号になっていた。疑問符から始まる手紙は、下の行から縦読みをするというルールを設けた、ごく簡単なものだったが。
フォスからラズライトに送られた手紙の頭文字をとると、『捕獲と捜索 ジェットアメトリン』とメッセージが浮かび上がる。
業務の指令は大抵極秘であることが多く、このようになんでもない手紙に紛れて指令されることが多い。今回もその類だった。
このジェットアメトリンという人物を捜索・捕獲するために情報収集をするべく、ラズライトは王都へ戻ってきたのだ。
「あれねって……師匠が送ってきたんじゃ。」
「んまあ、そうなんだけどねぇ。」
寝起きだからか、二日酔いなのか。フォスの返答はパッとしない。
フォスは気怠そうに頭を押さえ、顔を顰めた。
(こりゃあ、明日ちゃんと起きてから師匠から聞いたほうがいいかも)
明日フォスが素面になっていることを祈って、ラズライトはとりあえず、テーブルと床に散らかっているゴミを片付けることにした。
リビングを通り過ぎキッチンに向かい、酒瓶とゴミで埋もれた床を漁る。
(ほんと、私が来るまでどうやって暮らしてたのやら……)
ラズライトがフォスと暮らし始めたのは、14年前。
ラズライトが10歳の時からだった。
それ以前はどうやら一人暮らしをしていたようだが、ラズライトがフォスに昔の様子を聞こうとすると、「勝手に片付いてた」だの「ゴーレム召喚してた」だのマシな回答を得ることはなかった。
フォスが昔話を好まないのもあって、次第にラズライトはこの話題をふることをやめた。
床を漁りだして数秒後、ラズライトは床底から大きな麻袋を引っ張り出すことに成功した。そのまま、瓶をまとめて麻袋に突っ込んでいく。
この麻袋には軽量化の魔法がかかっていて、どんなに詰めても重くならないから構わずガンガン入れていく。
フォスはにへらっと笑って「悪いねぇ」といって手伝おうとしたが、ラズライトは丁重に断った。フォスが手を出したら、魔法で瓶が粉々になりかねない。掃除の手間が増えるのはごめんだ。
ある程度床にスペースができたので、さっと軽く埃を払ってからラズライトは床を指さした。ズズズ…と影が割けるように床に黒い穴が開き、大き目なボストンバックが2つ出てくる。空間魔法で出張の荷物を収納していたのだ。
「そうだ、ボクのお土産のつまみは?」
手伝いを却下されてリビングのソファで不貞腐れていたフォスが、のっそりとダイニングに戻ってきた。空間魔法の気配を感じたのだろう。
もちろん、リビングのソファも衣類や書類で埋もれている。
「ありますよ、ちゃんと買ってきました」
南地方の特産品、南アパトサーモンの燻製の缶詰をはい、と渡す。アパトはこの国の名前だ。
「ふぉああああ!?」と大好物の燻製を片手に狂喜乱舞しているフォスをしり目に、ラズライトはボストンバックを漁ってあるものを取り出す。あった。
「師匠、ヒゲは?」
「たぶんあっちの部屋かなあ、寂しがってたし」
フォスはリビングの奥の部屋を指さす。ラズライトの寝室だった。
ヒゲはラズライトが2年前に町で拾ってきたツンデレ野良猫だ。アメリカンショートヘアの黒猫で、すらりとした体に満月のような黄金の目が美しい。
体の割に髭が異様に長かったので、ヒゲと名付けた。
「ヒゲちゅわああああん!ラズが帰ってきたよぉ!!」
ラズライトはお土産の特性またたびと猫じゃらし、猫のおやつを手に寝室へ突進した。
今日こそあのツンデレ猫をデレさせるのだ。
鼻息荒く寝室へ向かったラズライトを、フォスは複雑な表情を浮かべて見つめ。
「そっかあ、帰ってきちゃったかぁ……」
思わずぽつりとこぼした言葉は、ラズライトの歓声にかき消された。




