皇泉院のきょうだい
新学期前日までは、主に学習に時間をあてた。
もちろん皇泉院関係の情報把握がメインである。
自分は『えすぷり』の大ファンであり、設定資料集も読み込んでいる。
花園会のインタビュー記事も可能な限りチェックしている。
けれど、そこに皇泉院のすべてがまとめられているわけではない。
皇泉院絢人として振る舞うために、必要な知識はできるだけ詰め込んでおく。
数日は、そんな風に過ごしていた。
(それにしても……なんというか、まだ〝金持ち酔い〟をしてしまうなぁ……)
金持ち最高っ――って意味では、ない。
むしろ、逆。
(ぼくにはもっと庶民的な生活の方が、合ってる気がするんだよな……こんな広い自分の部屋もいらないし、飲食物も、もっとこう……チェーン店のとか……)
というか中の人は、チェーン店が大好きである。
(ただ、絢人がたまに飲み食いする分にはともかく……玲雄奈さんも付き合わせちゃうと悪いかなぁ、とか思っちゃうんだよなぁ。きっと〝絢人様のお食べになるものでしたら、わたくしも!〟とか言って、一緒に食べてくれちゃうだろうし……)
普段、槇嶋玲雄奈が口にしているものを見ていると。
ジャンクの道に誘うのが、大罪な気もしてくる。
彼の美しさは、あるいは食事内容もひと役かっているのかもしれない。
いや、金持ち酔いは――飲食物以外もだ。
何もかもが高級感バリバリであり、時々〝酔って〟しまう。
これは人酔いとか車酔いとかの、悪い方の酔いのイメージである。
意外といえば、意外でもあった。
生活水準が上がれば単純に、
〝やったー!〟
となる人間ばかりではないのだな、と。
少なくとも、泉アヤトはかつての自分の部屋が恋しくなる。
どこにでもある一般的な6畳くらいの洋室。
でもあそこには――ある意味、すべてがあった。
何より、落ち着くし……。
(まあ……いまだにこのお屋敷で生活してて〝他人の家にお邪魔してる感〟が強いのも、大きいのかも……)
年に一回親戚の家に泊まるだけでも、気疲れする時がある。
そして今は、それがずっと続いているような状態でもあるのだ。
なので単に金持ち酔い……ってだけでは、ないのかもしれない。
「…………」
さて、明日からはいよいよ新学期初日――
つまり時間軸としては『えすぷり』本編、シーズン1に突入となる。
さすがに中の人的には、心の中でそわそわしだしていた。
だってあのキャラやあのキャラにもリアル(?)で会えるかもしれないのだ。
すでにこの世界で会った冷帝や善帝とまた会えるのも嬉しいけれど……。
まだ接触していない他の五帝――暴帝や壊帝。
さらには〝白鐘カルテット〟の、他の面々にも……。
そしてもちろん『えすぷり』の主人公――矢満田すみれにも。
(すみれちゃんの入学初日のシーンは、できれば生で見たいなぁ……)
あと入学といえば――
明日は虎葉も、白鐘生としての登校初日となる。
ただ……
(最近、虎ちゃんちょっと元気がない気がするんだよな。最初は、気のせいかとも思ったんだけど……)
以前のように絢人に対し、ビクついた感じはない。
一緒に食事をとったりもしている。
まあ普通、高校生活への移行は誰しも緊張するものだ。
不安に感じるのも当然ではある。
絢人も……最初は、そう思っていた。
が――ちょっと違うかもと、昨日くらいから思い始めた。
なので……
絢人は虎葉をメッセージで、中庭に呼び出した。
日は、暮れかけている。
虎葉にこの件を切り出すか、夕食後まで絢人は迷っていた。
変にプレッシャーをかけてしまうだけなのではないか――と。
悩みがあっても、誰かに言いたくない悩みだってある。
しかし絢人が〝言え〟といえば、応じざるをえないわけで。
で、決心がついたのが夕食後のこの時間だったのである。
中庭にはなんか池とか橋とかがあって、日本庭園っぽさもある。
庭の一角に和風のベンチが設置してあり――
絢人は今、虎葉と並んでそのベンチに座っていた。
ちなみに虎葉は、白鐘学園の制服姿だった。
なんでも登校前日にもう一度、最終チェックがてら袖を通してみたのだそうだ。
そこに絢人から、呼び出しのメッセージがきた。
絢人を待たせるわけにはいかない。
普段の着物に着替えるのを諦め、そのまま来たのだという。
タイミング悪くてごめんね虎ちゃんと内心謝罪しつつ、絢人は言った。
「――けどまあ、似合ってなくもねぇんじゃねーか」
綺麗に揃えた膝に両手を置き、
「ぁ――、……ありがとう、ございます」
湯気でも出そうなほど顔を赤くして、俯きがちに礼を言う虎葉。
「あの、ところで絢人様……私にお話、というのは……」
長い脚を組んで座る絢人は背もたれに片腕をのせ、
「おまえ最近、何を悩んでる?」
思い切って、聞いてみた。
自分に解決できることなら――してあげたい。
これは、変わらない。
「あ……気づかれてしまって、いたのですね……申し訳――」
「謝罪はいい。自分の所有物の状態を見ておくのは、皇泉院として当然のことだ。で……どうした?」
「じ、実は……」
罪でも告白するみたいに、虎葉は言った。
「このお屋敷に戻ってきてから……改めて皇泉院という家の格式と言いますか、歴史と言いますか……積み上げてきたもののすごさと、それを引き受けている今の方々のすごさを……実感、しまして……」
(あーなるほど……旅行先だと一時的に緩和されてたのが、いざ皇泉院の屋敷に戻ってきたらぶり返してきたって感じかぁ……分かるよー虎ちゃん。ぼくも似た感じだったから。やっぱこのお屋敷の雰囲気、働いている人も含めてなんか圧あるよね……)
「……続けろ」
「は、はい……それで、その……少々、元々ちっぽけだった自信が……萎みかけて、しまいまして……私などが本当に、皇泉院の娘として……絢人様の通われる学び舎に、登校してよいものなのか――と……」
(今どき、学び舎……古風な子だ……)
「皇泉院として通うのに、自分じゃふさわしくねぇと?」
「……かもしれない、と」
あるいは。
前日に制服を着ていたのも。
制服姿の自分が〝皇泉院〟として見劣りしないか――と。
それを、確認していたのかもしれない。
虎葉は「……それだけでは、ございません」と続ける。
「私なりに、皇泉院として恥じぬよう今後もより一層……努力を続けたく、思っております。で、ですが……絢人様や黒薔薇様を見ていますと……私など、その……足もとにも……そもそもの、出自が――」
「虎葉」
ビクッ、と。
虎葉の肩が軽く、反射的に跳ねた。
彼女は震える唇で「も……」と口を開き、
「申し訳、ございま――せ……このような弱音……皇泉院の……者、として……」
「こっちを向け」
「え? あ……は、はい……」
虎葉は上品に――まるで着物姿の時の所作のように――体を、絢人の方に向ける。
「アホか――――テメェは」
絢人の手が虎葉に、のびる。
虎葉は震え、覚悟を決めたように目をきつく閉じた。
そして彼女が「本当に、申し訳あ――」と言いかけた時――
ピトッ、と。
絢人の中指が、虎葉のおでこを弾いた。
弾いた、というより――指先を、くっつけた。
音が示すようにそれは、威力のまるでないデコピンだった。
ゆっくりと、手を離す絢人。
目を開き現状を認識したらしい虎葉は、目を丸くし、両手で額をおさえる。
「絢人、様……?」
「勘違いすんな。おまえは〝皇泉院虎葉〟であって、皇泉院絢人でも皇泉院黒薔薇でもねぇだろーが。オレや黒薔薇になろうと――追いつこうとする必要なんて、ねーんだよ。んなもん、オレも望んじゃいねぇ」
「あ……」
「当然、自己研鑽の努力は必要だ。が、おまえはおまえの強みを活かせばいい。おまえなりの〝皇泉院〟を体現できりゃあ、それでいいんだよ……それを見つける努力は、必要だがな」
「私、なりの……」
「おまえ、軽イ沢で変なアホどもに絡まれただろ」
「へ、変なア――ぁ……は、はい……」
虎葉は表現が気になったようだが、あえて一旦そこは流して応じたようだ。
「直前の状況を少しだけ見たが……あの時、おまえは泣き喚いて助けを呼んだり、情けなく取り乱したりしてなかった。毅然と、あいつらに食い下がってただろ――少なくともオレには、そう見えた」
「――ぁ……」
「皇泉院として恥ずかしい振る舞いはできない――おまえはあの時、そう思ってああしたんじゃねぇのか?」
そこだよ、と絢人は続ける。
「その心根こそが……このオレがおまえを皇泉院と認めるに至った、決め手でもある。要するに、つまらねぇ雑音なんざ気にしなくてもな――もうおまえには十分、皇泉院の資格はあるんだよ」
時間差があって……ジワリ、と。
額に両手をやったまま停止していた虎葉の目に、涙が滲んできた。
「絢人、様……そんな、ところまで……見てて、くださっ――」
「どう振る舞えばおまえらしい〝皇泉院〟になれるか……今後は、それを見つける努力をしろ。このオレのために」
ぽろぽろと、落涙する虎葉。
けれど――すぐに彼女は、袖で涙を拭った(あぁ、新品の制服がッ!)。
虎葉は座り位置を整え、頭を下げる。
「……ありがとうございます。そんな風におっしゃっていただけて……この皇泉院虎葉……今後も絢人様のために……身を粉にし、精進いたします」
(粉にまではしなくても大丈夫だよ、虎ちゃん……ッ! 頑張りすぎて粉塵爆発されても困るし!)
絢人は心の中でそう思いながら、こちらは虎葉と対照的に少し姿勢を崩す。
「殊勝な心がけだな。なら早速……そんなおまえに一つ、優先してやってもらいたいことがある。他のヤツには、ちょっと頼みにくい話でな」
「? 他の方には、ですか……? ど、どのようなことでございましょう……?」
「クッキーだ」
「……、――え? ク……クッキーと、申しますと……? ――ぁ」
「この前のも別に悪くはなかったが……そうだな……食べたらこのオレが一日のやる気が出るとか、食べたらその日の疲れやだるさがどうでもいいと思えるくらいになるとか――そんな美味いクッキーを、まずは作れ」
虎葉は困惑を減じながら言葉を選んだあと、
「……よろしいの、でしょうか? 優先するのが、そ、そのような……」
「あ? オレの要求に、逆らうのか?」
「い――いえ! そんなことは、決して……、――決して」
「別に、すぐ作れるようになれとは言わねぇよ。ま……経過報告として、たまに試作品くらいは食わせろ」
背もたれに深く寄りかかる絢人。
そして左腕を、再びベンチの背もたれの上にかける。
「オレが要求したレベルには、いずれ辿り着けばいい――このオレのためにな。返事は?」
確かに承りました、とでも言うように。
虎葉が左手を、己の胸に添える。
「は、はい……がんばり、ますっ……絢人様……ッ」
「それとな、もう一つ」
「な、なんなりと……ッ」
「どいつもこいつもオレを絢人様、絢人様と……似たり寄ったりで呼びやがる。まあ〝お坊ちゃま〟とか呼ばれても、それはそれで困るわけだが……」
虎葉は、まだいまいち要領を掴めていない様子である。
「は、はぁ……」
絢人様は首を傾け気味に「だから……」と言う。
企みをのせた〝悪帝〟の目で、義妹を見据えて。
「今後、おまえはオレのことを〝お義兄様〟と呼べ」
「――――、……ぁ」
旅行の時もだけれど。
ちょくちょく絢人に声をかける時、
〝お義兄様〟
そう呼びかけていた。
呼びかけては、慌てて〝絢人様〟に修正していた。
(虎ちゃん……本当は絢人のこと、そう呼びたいんだよね?)
アニメを見ていた自分は、知っているから。
虎葉の気持ちを。
すると虎葉は俯きがちに、ぽつりと切り出す。
「……時々……不安に、なるのです」
「何がだ」
「私のような人間が……絢人様から……槇嶋様から……こんな風に、よくしていただいて……よいのか、と……」
「虎葉」
「……はい」
「おまえはもう――――諦めることを、諦めろ」
「――――――――」
「おまえはもう、このオレが〝皇泉院〟と認めてやった人間だ。だからこそ――いけるとこまで、おまえなりに走ってみろ。気が乗ればオレも下支えはしてやる……だが、くだらねぇ諦観や卑屈はもうナシだ。いいか? 諦観や卑屈なんてものはな、オレたち皇泉院には似合わねーんだよ」
虎葉は湧き上がるものを堪えるように口をへの字にし、震わせる。
「絢人、様……どうして、あなたは……あなたは、そんなにも――」
お優しいのですか――――と。
声にならないほどのそんな小さな声が、聞こえた気がした。
……聞き間違いだったら、最高に恥ずかしいけれど。
「つーか虎葉……おまえ、なんも変わってねぇじゃねーか」
「え? あの……」
「誰が〝絢人様〟だ。テメェはオレの、義妹だろうが」
「あ――」
ハッとなり、反射的にその白い手を口もとに添える虎葉。
彼女はそれからやっぱり「申し訳ございません……」と謝罪した。
絢人はやれやれと息をつき、
「もう二度と、間違えんじゃねぇぞ」
虎葉はかすかに光るものを目尻に溜め、
「はい」
どこか呪いでも解けたような微笑みを浮かべ、言い直した。
「お義兄様」
■
翌日――
皇泉院絢人は、姿見の前に立っていた。
白鐘学園の制服姿。
やはり絢人のこの制服姿、ファンとしてはしっくりくる。
(さて――いよいよ今日は、3年生になった絢人の一学期初日……)
今日から、
(『エスケェプ、リミックス』本編――)
スタートだ。
というわけで『悪帝の楽園』第1章でございました(内容としては前日譚的な序章に近いかもしれませんが)。
異世界ファンタジーではなく現代に近い世界が舞台なのであまり今のトレンドではないのかもしれませんが(作風も前作と少し違うかもしれませんが)、個人的には楽しく、それなりに気軽に書けた第1章でございました。
なかなか別作品の作業との兼ね合いで更新ペースが安定しませんでしたが、その中でもブックマーク、評価ポイント、リアクションなどありがとうございました。気楽に書きつつと言いながらも、やはりこういった応援的なリアクションは(『ハズレ枠』同様)書く上での強い励みになります。
第2章はいよいよ時間軸的に『エスケェプ、リミックス』本編に突入ということで(予定通り、ちゃんと続きが書ければ)名前だけ登場しているあのキャラやあのキャラにも登場してもらいつつ、引き続き、第1章で登場したキャラクターたちも温かく見守っていただけましたら嬉しく思います。前話のあとがきでも書きましたが、小説情報欄にあった通りひと区切りということで、感想欄の方も一定期間開放いたします。よろしければ、こちらにもご感想や好きなキャラクターなどお書きいただけましたら嬉しく存じます。
しばらくは別作業の方に集中することになりそうですので、第2章開始は少し先になるかもしれません(状況次第ですが、もしかしたら間隔が空きつつもちょこちょこ進めるパターンもあるかもしれませんが)。第2章の開始日が決まりましたら、その際は活動報告の方で告知いたします。
ともあれ、ここまでお読みくださりありがとうございました。
また第2章でお会いできましたらと思います。それでは。




