最終話 エピローグ・セブンスター
「よし、完成」
そう言った北神は、パレットに筆を置いた。
キャンバスに一枚の絵を描いた北神。彼は絵の完成を告げると、座っていた椅子から立ち上がり、ぐっと伸びをした。
「もう完成か。筆が速いな」
モデルをしていた男もまた、座っていた椅子から立ち上がる。
派手な緑色の髪をした彼は、正確には性別の概念すら無いキメラヒューム。
北神がネトゥリエムの絵を描いているのは、他ならぬ彼自身の願いだった。
「よし、見せろ」
「馬鹿言うんじゃないわな」
早速完成した絵を見ようとしたネトゥリエムに、ノルニルが鋭いツッコミを入れる。
群青色の髪をした幼子が、ジトっとした目で長身の男を睨んでいた。
「俺の脳構造は人間のそれとは根本から異なる。洗導絵画を直視しても、精神に影響は無いだろう」
「キタガミの絵が誰にどれだけ影響を及ぼすか。そこら辺はまだブラックボックスだわな。お前みたいなのが発狂でもしたら、迷惑するのはこっちだわな」
洗導絵画はその原理からして精神への依存度が高い。
それ故、誰にどれだけ効くかが分かりにくく、効果の内容や度合いも個人差が大きい。
現状で分かっているのは、大抵の人間には影響を及ぼすこと。北神自身と精霊であるノルニルには効果が無いこと。ノルニルに効かないのも、北神と契約していることが理由である可能性も高い。
脳構造が人間と異なれば効果は無いのか。感性が人間に近ければ同様に効力を発揮するのか。それとも、知性も感性も無くとも、脳を有しているというだけで対象となるのか。
それは、試してみなければ分からない。
「多分、大丈夫だよ」
だが、北神はそう言い切った。
洗導絵画が見る者に及ぼす影響は、北神自身にも制御できない。
ただ、ある程度の方向性を持たせたり、重度な精神障害を起こさないようにリミッターをかけるやり方を、北神は模索している最中だった。
北神がそれを意識したのはつい最近のことだが、三日月南視の記憶喪失以来、彼が無意識に探し続けてきたものである。
彼が大丈夫だと言うのなら、試してみる価値はあるだろう。
「精霊擬き、俺に精神防御をかけておけ。念のためだ」
「指図してんじゃないわな」
口では反抗しつつも、ノルニルはネトゥリエムに精神防御をかける。
魔力を介さない洗導絵画にノルニルの加護が有効かどうかは不明だが、かけておいて損は無いだろうというネトゥリエムの判断だ。
ネトゥリエムはキャンバスの裏側に回り込み、完成した絵を覗き込む。
そこには、椅子に座った彼自身が描かれていた。
派手な緑の髪。化粧をしたように白い肌。研究者じみた白衣。すらりと伸びる長身。
かつて、一人の女が作ったキメラヒュームの姿形が、そこには描かれていた。
「なるほど。……こんなカタチをしていたのだな」
今では製造の禁止された人型合成獣。
千年前から禁忌であった被造物は、他者の目にはこのように映っていたのか。
「お前、鏡とか見たことないわな?」
「少し黙っていろ、精霊擬き」
空気の読めない発言をするノルニルに、ネトゥリエムは静かにキレる。
自分の母親代わりであった研究者を思い出して感傷に浸っている所に、文脈を無視した正論を聞かされるのは、彼にとっても腹立たしかったらしい。
そんな人外同士のやり取りを聞き流しつつ、北神は一つの悩みに直面していた。
「どうしようかな、タイトル」
それは、作品名について。
北神は基本的に描いた絵に作品名を付けるタイプである。
いつもは良い感じのタイトルが頭に浮かぶのだが、今回はネトゥリエムの依頼で描いたということもあり、少し行き詰っていた。
「『ジャフーリアの被造物』」
首を傾げて唸る北神に、ネトゥリエムがポツリと零した。
不意に与えられた作品名に、北神はキョトンとした顔でネトゥリエムを見上げた。
「俺を造った女の名だ。名前くらい、遺してやらねば不憫だろう」
それは、ネトゥリエムなりの恩返し。
自らを生み出し、歪ながらも愛情を持って育ててくれた、母親のような人間への手向けだった。
生きた証が欲しかったと。そう願った彼女に対する、親孝行のようなものだ。
「絵、これで良かった?」
北神はネトゥリエムに絵の感想を聞く。
依頼された絵を満足いく形で提供できたかどうかは、北神も気になる所だった。
「ああ、満足だ。因子を三つ潰した甲斐があったな」
ネトゥリエムはあっけらかんと言ってのけるが、キメラヒュームが因子を三つ失うというのは、尋常なことではない。
千年間保持し続けたものを、たった一人の剣士に三つも破壊されたのだから、ネトゥリエムにとっては大きなショックのはずだ。
それでも、北神の絵が十分な対価だと、ネトゥリエムは言ったのだ。
「お前……変わったやつだわな。あそこまで大それたことをやったくせに、結果が絵画一枚で満足するもんだわな?」
「他にも用意はあったのだがな、悉くあの剣士に破壊された。……それに、今は良い。案外、こっちの方が、ジャフーリアの好みだったかもしれない」
実の所、ジャフーリアの望みを果たすために、ネトゥリエムはかなり危険な計画を立てていた。
北神の洗導絵画を利用した計画であり、それが実行されれば多数の死傷者が出ていたことは間違い無い。
その悉くが三日月南視によって頓挫させられたが、逆にそれがネトゥリエムの心境を穏やか方向に変化させていた。
南視という圧倒的強者に綺羅達と力を合わせて立ち向かう経験が、ネトゥリエムジャフーリアの望みと向き合わせたとも言える。
「それより、綺羅はどうした? 今日はいないのか?」
「多分まだ寝てる。そろそろ起こしに行くよ」
元いた国とは遠く離れた島国に逃れて来た北神と綺羅は、ネトゥリエムが買った住居に滞在していた。北神達を連れて転移したその日に、ネトゥリエムが一括払いで購入した家だ。
そこまで広い家ではないが、窓から海の見える立地の良い家だ。
一階は北神がアトリエに改造し、二階にはリビングと寝室、ベランダまで付いている。
一階でネトゥリエムの絵を描いていた北神達とは異なり、綺羅はまだ二階の寝室で寝ているようだ。
時刻は既に十二時過ぎ。
起こしに行くという北神の判断も、少し遅いのではと思われる時間帯だった。
「キタガミ」
階段を上ろうとした北神に、ふとノルニルが声をかけた。
呼び止められた北神は足を止め、ノルニルの方を振り返る。
「お前は、これで良かったわな?」
それは、色々なことを包括した問いだった。
故郷を遠く離れてこの島国まで逃亡してきた北神。仕方の無いことだったとはいえ、失ったものは少なくない。
もう、父親の見舞いには行けない。乙井達のような友達とも会えなくなる。母親の墓参りに行く機会も失われた。
何より、かつて憧れの先輩と共に過ごした部室には、もう二度と戻れない。
三日月南視に会うことは愚か、あの場所で思い出に浸ることすらできなくなった。
そんな結果を、失いすぎた結末を、北神自身は良しと言えるのか。
「良かったよ。確かに色々失くしたけど、一番見たいものは見られそうだから。今はそれだけで十分な気がしてるんだ」
答えは是。
多くを失った。取り戻せないものは数え切れない。こんな結末を、理想のハッピーエンドとは言えないのかもしれない。
それでもたった一つ、叶いそうな願いがある。手の届きそうな未来がある。
「ノルニル、俺はね――――」
それはいつかの月曜日、あの部室で語った時と同じ答え。
北神望人が欲したもの。夜空の星に託すような、たった一つの願い事。
「綺羅の笑った顔が見たいんだ」
星に願いを。君に笑顔を。
夜空に託した願い事は、七等星が叶えてくれる。




