第十四話 最期
部活帰りの午後、北神は自宅に戻った。
少し寄り道をしたせいで遅くなってしまったが、まだ時計は七時半を回った頃。
夕飯にはちょうど良い時間だ。今から料理をしたのではかなり遅くなってしまうだろうが、既に三人分のマックを購入済み。
これは北神の持論だが、マックが嫌いな人類などいない。
特に、人生の大半を殺し屋として生きてきた綺羅のような人にとっては、革命的なまでの美味であるはずだ。
(喜んでくれるかな)
マックの紙袋を片手に、北神は玄関の扉を開ける。
一歩、何気なく踏み入った。
二歩、立ち止まって後ろ手に扉を閉めた。
靴を脱いでから踏み出した三歩目、フローリングの木目に乗せた足。
そして四歩、玄関を超えた北神が廊下を歩き始めた瞬間、廊下の奥の扉が開いた。
北神が五歩目を踏み出すより早く、扉から飛び出した影が北神に襲いかかる。
刹那の襲撃に北神は反応できない。あっという間に押し倒され、木製の床で仰向けになる。
見上げれば、星のような碧眼と目が合った。
「綺羅……?」
仰向けに倒れた北神。そこに馬乗りになった七鉈綺羅が、両手で握りしめた短刀を振り上げている。
一秒後、彼女が刃を振り下ろすだけで北神は死ぬ、湾曲した短刀は寸分違わず、北神の喉元に突き刺さるだろう。
その一秒後がいつまで経っても来ないのは、綺羅が葛藤している証拠だった。
目には涙を浮かべて、歯を食い縛って、掌が破けそうなくらい強く短刀の柄を握りしめている。
彼女が置かれた現状の全容と、彼女の抱えた葛藤の全てを、北神は読み取ったわけではない。
ただ、何となく、少しだけ、綺羅の気持ちを想像した。
一秒間、目を瞑って息を整える。
そうして、一秒の間に整えた覚悟を告げるのだ。
「良いよ、殺して」
受容。
彼女の刃を受け入れることが、北神がほんの一秒の間に下した決断だった。
「おかしいとは思ってた。俺の絵は危険すぎるから。俺を生かそうって言うのは、とんでもない危険思想の持ち主だけ。――――綺羅は、そんな人じゃない」
すらすらと口をついて出る言葉。
清流のように流れる言の葉は、北神自身でも不思議なくらい、自然と口から零れ出た。
ただ、そうであるのが当然のように。何も偽らない本心を、虚飾も誇張も無く話しているような。
そんな、薄っぺらくて透明な感覚。
「綺羅、俺はね、ずっと絵を描いていたんだ。危険ならやめてしまえば良かったのに、ずっと描き続けていたんだよ。俺の絵は人を殺すと分かっていて、それでも描き続けたんだ」
北神望人の絵は、どう足掻いても洗導絵画になってしまう。
北神の画力がある一定を超えた時点で、彼は悪魔の絵しか描けなくなった。
それでも、描き続けた。
そのせいで父は思考能力を失い、母は車に轢かれて死に、三日月南視は記憶を喪った。
大切なものをいくつも失ったにも関わらず、未だに未練がましく絵を描き続けている。
そんな現世に残った呪いのような何かが、北神望人なのだから。
「だから殺して良いんだよ、綺羅」
だから、こうして終わっても良いのだ。
こんなにも綺麗な刃に刺されるならば、北神望人の最期には贅沢なくらいだ。
そうして乾いた瞼を閉じる北神とは対照的に、綺羅は今にも泣き出しそうだった。
けれど、その涙は零さずに、ただ握った短刀を振り下ろした。
別れの言葉は無く、ただ無慈悲な刃だけを餞に、七鉈綺羅は少年の胸に短刀を突き刺した。
とてもとても静かな、断末魔の悲鳴すら無い、北神望人の最期である。




