マリーン・アリアネスの真実
それまで、私は、そこそこに幸せだった。
優しいお父様とお母様。
よく躾けられた侍女達。
何でも言う事を聞いてくれる彼らに甘えて、私はお洒落と美容と甘いものと噂話の大好きな、どこにでもいる貴族令嬢として育った。
私の魔力は、土魔法を庭いじり程度に使えるような程度で、私がもう10年、現在よりも前か後に生まれていれば、学園に通う事もなかった程度だった。
土魔法の最上位は、ラング花をも咲かせる事が出来ると言われる緑の手と呼ばれるのに対して、私の力では植物も育たない、精々、畑を耕す時に土の中にある小石や小枝などを取り除く位が精一杯で、学園に通う意味はほぼない。
10年前なら学園に行ったとしても、腰かけ程度で高貴な方たちとの出会いの場として利用する程度がせいぜいだろうが、私を溺愛してくれている父母がわざわざ私自身に結婚相手を探させるような事をするとも思えない。
自分でも、殿方を見る目があるかと聞かれれば疑問に思うのだから、優しい父母ならそんなものより家できちんと淑女教育を受けさせて、我が家と釣り合いのとれる方へ不自由ないように嫁がせてくれるはずだ。
でも、私は、運が良い事にここヴィケルカール王国の王太子様や、5公爵家の御子息様、御息女様達と同学年になる。
貴族は優しいだけでは勤まらないもの・・・
お父様だって貴族だったという事よね。
普段は優しい父が、入寮の前日夜に、私を書斎に呼び珍しく厳しい顔でこう仰った。
「マリーン。お前は聡い子だ。
私達の最愛。そして、気高く美しい。
お前なら、王太子殿下の御心を射止める事も容易いだろう。
だが、ヴァイオレット家の御息女であられる聖女様の邪魔をしてはいけないよ?
出来る事ならば、彼女と良き友人関係を築き…まぁ、無二の友になれれば最上ではあるが、どなたか公爵家の御子息様と結婚出来れば、我がアリアネス侯爵家も安泰だ。」
「はい、お父様。」
「いいかい?
何かあった時にはお父様に連絡鳥を飛ばしなさい。
何があろうとも相談に乗ろう。
さぁ、今日はもう寝なさい。明日は一日中馬車で移動だろう?」
「わかりましたわ。おやすみなさいませ。」
そうして、私は翌日、屋敷中の者たちに見送られて、馬車で学園を目指した。
そう、お父様からの指示は、エミリア・ヴァイオレットの友人の位置に納まり、公爵子息のどなたかに気に入られる事。
その指示が、頭の片隅からも抜け落ちてしまったのは、入学式のアノ瞬間だった。
よくパーティや、お茶会などで顔を合わせていた、スフィア・エレイン伯爵令嬢とイオニーナ・クラウド伯爵令嬢と、示し合わせたように顔を合わせた所から、違和感は感じていたの。
彼女達は、いつも彼女らの瞳に合わせてスフィア様は薄暗い青いドレスを、イオニーナ様はくすんだ黄色いドレスを着ている。
そういう私も、普段は、黒に近い暗い赤を着る事が多いのだが、今日は特別だった。
初めて、王太子殿下や公爵家の方々にお目通りが叶うのだから、皆考える事は同じだったらしい。
今日は、スフィア様は鮮やかな青色の光沢眩しいドレスを、イオニーナ様は鮮やかな黄色に至る所に付けられた宝石の輝きも美しいドレスを、私はこれぞ赤と言うべき直視も難しい程の、布そのものが光を反射しているかのような最高級の生地で、この日のために誂えたドレスを身に纏った。
早速、ヴァイオレット公爵子息に挨拶をして、レッドハーツ公爵子息に祝辞を貰い、ライトブルー公爵子息の笑顔に蕩けて、ブルーラング公爵子息に紫の花を貰う。
その花を各々手に持って、心地よい高揚感と共に、いよいよ講堂に足を踏み入れた。
一瞬、明るい外の世界から切り離されたように目が効かなくなるが、徐々に講堂のオレンジの明かりに目が慣れて周りが見えるようになってくる。
最初に目に入ったのは、シャンパンゴールドのドレスを身に纏った華奢な背中。
ドレスの身丈が合っていないのか、若干ブカブカで不格好、化粧気も無く、髪も自分で束ねただけの様な貧相な髪形。
うわぁ!関わりたくありませんわ…と私が思ったとしても、致し方ない事だと思う!
しかし、関わらないでいるには、彼女の位置は悪過ぎた。
どう避けようにも彼女が邪魔だった。
だから、本当に致し方なく、彼女に声をかけたのよ。
振り向いた彼女は、目にいっぱいの涙を湛えていたの。
その顔を見た瞬間、私の頭に走馬灯のように様々な場面が通り過ぎた。
そうだ。
ここは、ゲームの世界だ…そして、私は名も無きモブ…
エミリア・ヴァイオレットの取り巻きとして、ヒロインに対してエミリアの代わりに、しょーもない嫌がらせをちょこちょことこなすモブ…
そうだった…前世の私も、とりあえず、可もなく不可も無い、平々凡々とした人間だった。
穏やかな父と母がいて、妹が二人いた。
私と5つ離れて真ん中と一番下が年子だったから、いつも私は仲間外れだったし、父と母も仲が良い夫婦だったから、大事にされていない訳ではなかったが、何故か私はいつも疎外感を感じていた。
そんな感じで私はいつも誰かを求めていた気がする。
そのまま大人になり、何となく結婚も出来ないまま下の妹にも先を越されてしまった。
実家でブラブラしていたある日、「私も結婚したいなぁ」って、何気なく呟いた言葉を聞いていた真ん中の妹に、緊急姉妹会議を開かれてしまった。
そして妹達に、何故お姉ちゃんは結婚できないのか?という、超失礼な議題で議論され、「お姉ちゃんは何にも執着出来ないんじゃない?」とまで言われ、「恋愛ゲームでもして女性ホルモンを活性化してみたら?」と、さらに失礼な事を言われながら貸し出されたのが、“虹の蜜は秘密の香り”だった。
悔しさ半分で、投げやりに始めたのだが、ドハマりした。
何度もやり込むと、ついに隠しルートと言われるヘイアン様ルートが開いた。
それまでは、スチルを集める為に頑張っていたのだが、ヘイアン様の顔を一目見た瞬間に、恋に落ちてしまった。
彼の寂しさや苦しさを思うと、涙が止まらない。
エミリアが、彼の心の弱さに付け込み、後宮に側室として入り、彼の側室をいじめたおして、一人また一人と追い出してしまうの。
最終的に、彼の癒しである側妃の存在を奪った彼女のせいで、ヴィケルカール国とイルッターナ国との戦争フラグが立ったときには、もう本当に、エミリアを刺殺してやろうか!とすら思った。
どうしてここに彼が居ないのか。
彼が魔族を産みだしてしまう程苦しんでいるのに、私は何もしてあげる事が出来ない悔しさに、何度涙を流し、この世に私を産みだした親を恨んだか…
私もあの世界に行きたい。
彼の側で、彼に寄り添って生きたい…と、切望して、自ら命を絶ってしまった。
その思い出した内容に茫然としながらも、スフィア様とイオニーナ様に助けられて気が付いたら、式も終わり、教室に移動していた。
そう、彼女が…エミリア・ヴァイオレットが、私の愛したただ一人のヘイアン様を苦しめたのよ…
その後は彼女をひたすら憎んだ。
見てみると、彼女はフラグの存在に気が付いていない…?いや、アレは、わざとフラグを避けている行動の様にも見えた。
もしかして、彼女もこのゲームを知っている?
ならば、フラグを避けるのも納得がいく。
彼女は、最終的にはどのルートに行っても、封印か修道院への幽閉か、良くて島流しだから、それを避けようと躍起になっているのなら、彼女の行動にも合点がいく。
リリアーナ・イェローラングがこのゲームを知っている事には気がついていた。
彼女の行動はあまりにも不自然であからさまだったから。
貴族社会に身を置いていれば、ゲームとこの世界のいくつかの違いを知る事は容易かった。
ブルーラング、ライトブルー、グリーン家の公爵子息の婚約者が現在空位である事。
エミリアの側にいるのが、子猫で魔獣ではない事、侍従が暗部の頭になったはずの男で、ファルは普通にエミリアと接触する事も無く、彼女を見ても嫌悪に顔を歪める事も無く、学生生活を過ごしている事。
だから、彼女の逆ハーレムも阻止しつつ、エミリアのフラグを折る為に私は必死になった。
テストでも、魔法学でも、私が彼女に勝るものなんて何もなかったけれど、それでもエミリアのフラグだけは叩き折ってきた。
だって、例えどれほどリリアーナがシナリオを進めたくても、エミリアが起点を作らない事には、心の傷が発生しないから。
NTRと呼ばれるゲーム故に、基本はエミリアが婚約者を奪う所から端を発するのだから…
リリアーナがイルッターナ高原で、ヒルデ嬢のストーキングをしていた頃、私はココではイベントは無いなと確信していたから、落ち着いて旅行を楽しむ事が出来た。
初めての魔法学の授業後、負けず嫌いの王太子殿下にエミリアが接触して、彼の直向さにエミリアが惚れてしまえば、なし崩し的にヘイアン様ルートは閉ざされる。
だから、彼女には悪いけれど、彼女が放課後、間違ってもこの魔法学練習場に戻って来ないように、魔法の練習なんてしなくても貴女は、殿下より魔法が出来ますわよ~と遠回しに伝える事に成功したの!
そして翌週、何故かエミリアが自分でレッドハーツ公爵子息ルートのフラグを叩き折ってきた時には、どんな天の采配か!と大喜びしてしまった。
そう、レッドハーツ公爵子息の婚約者だけは、川で溺死してしまい、その後釜にエミリアが据えられて、そこからゴタゴタが始まるので、ルーナ様に溺死されてしまうと元も子も無い所だった。
レッドハーツはもともと眼中になかったため、すっかり忘れていてルーナ様救出を考えることはしなかったが、結果オーライで助かった。
そんな事があり、気がつけば、エミリアが誰ともフラグを立てることなく、勿論、リリアーナも誰ともくっつく事も無く、無事にヘイアン様ルートに入る事に成功した。
私は自分の運の良さに心底感激してしまった。
そんな事ないのに…
私は、所詮平々凡々。
人生テンションをバロメータで表すと、前世でも中の下をフラフラと漂っていたのだから。
良い事があればそれ以上の悪い事で、舞い上がっていた心は冷たい地面に叩きつけられる。
そんな簡単な事も私は忘れていた。
前世の私はそれを恐れて、なるべく浮つかないように、いつ落ち目に入っても落ち込まないように心構えが出来る人間だったのに…
生まれ変わって少し甘やかされて、その基本を忘れていた。
ヘイアン様が留学してきて、リリアーナの妨害はあったものの、彼女に、私が後宮に入らないと貴女が正妃として迎え入れられるルートは潰えるのよ~?と、遠回しに脅してみた。
彼女も救いようのないバカではなかったのか、私の邪魔をする事は、それ以降は無かった。
二度目の旅行から帰り、学園生活を過ごしながら、私は精一杯ヘイアン様に愛を伝えた。
と、同時に、父に連絡鳥を送り、ヘイアン様の後宮に入りたい旨を伝えた。
最初は、父は渋っていた。
けれど、最終的には私の幸せを思って引いてくれた。
私は晴れて、ヘイアン様の元へ飛んでいった。
「ヘイアン様!」
「あぁ、マリーン嬢。どうした?」
「あの…私を側妃にして頂けませんか?」
「側妃に?」
「はい。私はヘイアン様をお慕いしております。
貴方様の心には、何か私には知り得ない暗闇が広がっている事には気が付いております。」
私に出来る事は、ゲームのリリアーナの真似事だけれども…それでも、ヘイアン様を思う気持ちはリリアーナなんぞに引けを取らない!
「ほぉ?」
面白そうに眉を上げる貴方は、何もかもをお見通しなのかもしれませんね…
それでも、私の気持ちに嘘はありません。
どうか、この気持ちが通じますように…
「少しでも、貴方の癒しのお手伝いが出来るのなら…私にとって、それ程幸せな事は御座いません。」
「アリアネス侯爵の許可を得ねばな?」
「問題ありませんわ。父は私の幸せを御存知です。
そして、その為の助力は惜しまないと仰ってくださっておりますわ。」
「お前の幸せとは…?」
「ヘイアン様、貴方の心の平穏ですわ。」
「フッ、一生掛っても俺の心に平穏は訪れないかもしれないぞ?」
「それでも!それでも…お慕い申し上げております、ヘイアン様。」
「分かった。手続きをしよう。」
「ありがとうございます。嬉しゅうございます。」
側にいた、真っ黒な侍従と思われる人影に指示を出し、私の父に話を通してくれると約束してくれたその姿に感激して、思わず立ちつくしてしまった。
やっと、ここまで来れたという思いで溢れ出る私の涙を、ヘイアン様はその硬く長い指で優しく拭いとってくださり、厚い胸に抱き寄せて思う存分抱きしめてくれた。
それだけで私には十分だった。
その後、何が起こったのか、私には分からなかった。
イルッターナの後宮で私は側妃さま方ととても上手くいっていたし、彼女らは一人として後宮から出るなんて事をしなかった。
なのに森の方で戦火が上がり、いつの間にかヘイアン様の御姿を見なくなり、短い期間だったが留まっていたヘイアン様の後宮が開かれ、先輩の側妃さま方に見送られて家に戻る事になってしまった。
ヘイアン様の後宮は、そのまま名前をヘイアン修道院に変更し、彼女達はそのままそこに留まる事になるらしい。
いつでも彼が戻って来れるように、いつでも誰かが彼を癒せるように…
彼女達は私にも、いつか俗世を離れたくなったらまたいらっしゃい、と最後まで優しい言葉をかけてくれた。
もし、出来るならば、再びこの門を潜りたい…そう望みながら、私はイルッターナを後にした。




