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町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬  作者: あづみ


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第四話 銀の絆と、お守りのはじまり

 その山で、生まれたばかりの彼が最初に目焼き付けたのは、陽だまりのような蜂蜜色の毛皮を持つ兄犬の姿だった。


 兄犬のブランは、いつも人間の少年――ノランと共にいた。深い信頼と親愛を築く一匹と一人の姿。何より、兄犬が誇らしげに響かせる「ブラン」という名の響き。


 物心ついた瞬間に胸を焦がしたのは、強い羨望だった。彼らだけが共有する魂の結びつきが、羨ましくて仕方がなかったのだ。


 それは、他の若犬たちも同じだった。人間と絆を紡ぐ存在への憧れは、静かに、しかし確実に山の住人たちの間で伝播していた。


 だからこそ、麓の街のノランの家に新しい命――「弟」が誕生したという報せが届いた時、山頂の館は色めき立った。誰もが我先にと名乗りを上げようとしたが、ノランから慌てた懇願が届く。



『生まれたばかりの赤ん坊がびっくりして泣いてしまわないように、同じくらい小さくて、まだ生まれたばかりの若い子一匹だけにしてほしいんだ』



 犬たちのなかで、その条件に合致する若犬たちが集められ、麓へ下りる唯一の権利をかけた試練が始まった。


 結果は、圧倒的だった。


 彼は生まれながらにして、周囲の空気に溶け合う魔力の密度が違った。兄弟たちが必死に毛皮を震わせて魔力を練り上げる中、彼は呼吸をするように魔法術式を編み上げ、その幼さでは考えられない精度で制御してみせたのだ。牙を剥くことも、声を荒らげることもなく、ただずば抜けた才覚だけで兄弟たちを完璧に退けた。



「……お前ほどの器があれば、人間のもとへ降りても問題はあるまい」



 かつてブランの旅立ちを厳しく引き止めた厳格な親犬たちも、彼の並外れた優秀さの前には、ただ静かに首を縦に振ってその背中を送り出すしかなかった。


 また、犬たちの騒ぎを間近で見守っていた魔女は、子犬の意思を尊重し、否を唱えることはなかった。しかし、一つ彼におまじないを渡した。



「どうしても私が必要になったなら、この回廊を辿って、助けを叫びなさい」



 そう言って、かつて迷子の子犬ーーブランに届けた精神感応を旅立つ子犬に教え、送り出した。


 そうして彼は、灰色のはやる短い四肢を一生懸命に動かし、山の境界線を越えてノランの家へとたどり着いた。


 はち切れんばかりの期待を胸に、揺り籠を覗き込み、ノランの弟、「レオン」を見つめる。


 その瞬間――灰色の小さな胸の奥で、運命の歯車がパチンと音を立てて噛み合ったようだった。


 世界からすべての雑音が消え去り、目の前の赤ん坊だけが、眩いほどの純白の光を放って世界に存在しているかのように見えた。これまで感じたことのない、魂が激しく震えるほどの強烈な直感。



(――ああ、この子だ。ぼくが一生をかけて、隣で守り抜くべきなのは)



 はち切れんばかりの歓喜に四肢を震わせ、子犬は愛らしい高音で「わんっ」と声をあげた。寝息を立てていた赤ん坊が驚いたように小さな手を伸ばすと、待ってましたと言わんばかりに、その小さな掌へと濡れた鼻先をそっと押し付ける。


 自らの微かな精霊魔法の波動を、レオンの命の波へ優しく、どこまでも深く寄り添わせながら、子犬は千切れんばかりに短い尻尾を振り、この上ない幸福をその瞳に宿してレオンを見つめ返した。


------------------------------


 揺り籠の中で寝息を立てていた赤ん坊は、月日を重ねるごとに少しずつ知恵をつけ、そろそろ言葉を話そうかという頃だった。


 ノランが、レオンの足元で丸くなっている灰色の相棒を抱き上げ、穏やかに語りかけた。



「レオン、この子の種類はね、魔犬の『クーシー』って言うんだよ」



 大好きな相棒の、本当の名前。それを知った小さなレオンは、嬉しそうに目を輝かせ、精一杯に胸を張ってその名を呼ぼうとした。



「く、く一……し、……くう!」



 まだ幼い舌は上手く回らず、最後は可愛らしい、短い響きになって弾けた。


 しかし、その拙い二文字が彼の耳に届いた瞬間、彼の魂は震えた。他でもない、自らが選んだ半身が、初めて自分に向けて放ったおと。彼はその名前を、至上の誇りとして自らの意思で受け入れた。


 刹那、二人のからだのなかでなにかが変質した。これが後の、奇跡を起こすきっかけになった。


 ーーー後になって、レオンの最初の言葉が「パパ」でも「ママ」でも「にいに」でもなかったことに、家族はうなだれるが、そんなことはお構いなしに、子犬は「クゥ」という名前を誇らしげに自慢するのだった。


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 それから数年の歳月が流れ、レオンは少年期へと差し掛かっていた。


 二人は寝食を共にし、背が伸びるのも、体躯が大きくなるのも、不思議なほどにぴったりと重なっていた。


 しかし、この一匹と一人の組み合わせは、両親や兄のノランをいつも頭を抱えさせるほどに、賑やかで型破りなものとなっていた。


 レオンは細かいことを気にせず、常に豪快に笑っているような少年だった。対するクゥは、魔犬としての知性を色濃く受け継ぎ、常にレオンの一挙手一投足を見逃さないよう、横で背筋をピンと伸ばして座るような気質だった。


 そんな対照的な二人だったが、たった一つ、恐ろしいほどの共通点があった。食卓の上のあらゆるものを瞬時に消し去る、底なしの胃袋である。


 ノランの家の食卓は、日に日に夕食のスープ鍋が大きくなり、消費される肉の量が跳ね上がっていった。とにかく二人はよく食べる。



「おいクゥ! 今日のおかず、俺の肉の方が小せえぞ!ちょっとくれ! 」



 今日も食卓では、成長したレオンが大皿の肉へと勢いよくフォークを突き出していた。


 対するクゥは、椅子の上できちんと前足を揃えてお座りをしたまま、行儀よく食事を飲み込み、「ゥオン」と小さく唸った。そして、涼しげな少年の声で、はっきりと否を伝えた。



『却下です、レオン。あなたは先ほど私の分のパンをつまみ食いしていました。よって、その肉の右半分は私のものです』



「ケチくさいこと言うなよ~! クゥ~!!」



 レオンは情けない声を発しながら、クゥの背を撫でる。



「…俺、本当はもっとレオとか、レオンジュニアとかさ、俺と似たかっこいい名前つけたかったのにさ、ちっせぇころの俺のせいで『クゥ』になっちまって…つけ直さねぇか?」



「何度も言っていますが、私はレオンの最初の言葉であるこの二文字が、世界で一番大好きなのです。それに、がさつなあなたの隣では、なかなか似合った名前ではないですか?」



「なんだとぉ~??!」



 口の端を少し上げ、レオンの反応を少し意地悪に楽しみながらも、クゥの灰色の短い尻尾は、嬉しそうにパタパタと椅子を叩いていた。可愛らしい言い合いはあるものの、二人の間にある絆が本物であることは、その視線の交錯だけで容易に伝わってきた。



 しかし、そんな大食いバディの凄まじい食欲は、ある日、ノランの家に未曾有の危機をもたらした。



「……二人とも、しばらくご飯はお肉抜きよ。お野菜とお豆のスープだけだからね」



 母親から重々しい口調で放たれた宣告に、クゥとレオンは同時にガタガタと膝を突き、床へと崩れ落ちた。一匹と一人が慌てて確認しにいった家の食糧庫は、彼らの底なしの胃袋の前に、ついに空っぽになってしまっていたのだ。


 その宣言通り、しばらく食卓に並んだのは野菜や豆、かろうじて堅焼きのパンのみだった。


 父親や兄ノランは苦笑しながらも、仕方がないと食事に納得していたが、大食い二人は目の前の食器をジト目で見つめ、大きなため息をつきながらモソモソと食事につく日々が続いた。


 しかし、やはり恐るべき胃袋モンスターたちには耐え難いものだったようで、



「肉ーー!!肉ーーー!!!食いてぇーー!!!……!そうだ…!肉がないなら、自分たちで狩ってくるまでだ!」



「……?!確かに!それはいい考えです!」



 夜の帳が下りる前、10才にも満たない少年と、まだまだ子犬の様相が抜けていない魔犬は、共に家族の目を盗んで町の外の森へと足を向けた。


 町の外というのは、教会による精霊魔法の結界のない、野獣や魔獣などの危険がつきまとう場所で、決して出てはならないと教えられているのだが、そんな忠告など、食欲の前にはあってないようなものだったようだった。


 深い緑に覆われた森の中、レオンは持ち前の身体能力で、バリバリと躊躇なく藪をかき分けて突き進んでいく。その一歩先を、クゥは音もなく、風のように俊敏な身のこなしで駆け抜けていた。


「ゥウオンッ!」

『レオン、風下に大型の野生猪の気配を感知しました。光の線を追ってください!』



「おうよ、任せろ!」



 クゥが鋭い瞳で森の奥を睨むと、彼の足元から淡い光の術式が展開され、レオンの足元へと伸びていく。それは、ぬかるんだ土の床を硬質化させ、レオンの踏み込みを何倍にも加速させる魔法の足場だった。


 本来なら子供の足では追いつけない速度の獲物に対し、レオンはクゥの編み出す光の導線を迷いなく蹴りつけ、爆発的な推進力で跳躍する。



「そこだぁぁッ!」



 力任せに振り下ろされたレオンの木刀の軌道に合わせ、クゥは空中に瞬時に衝撃波の術式を構築し、その威力を何倍も跳ね上げた。



 ドン、と森の空気を震わせる重低音と共に、巨大な猪がその場に崩れ落ちる。



「やったぜクゥ! 特大の肉だ!」



 仕留めた獲物を前に、レオンは満面の笑みを浮かべてクゥの頭をガシガシと乱暴に撫で回した。クゥは「毛流れが乱れます」と冷ややかに返し、毛繕いをしつつも、その体をレオンの足元へぴったりと寄せ、嬉しそうに喉を鳴らした。


 天才的な魔力制御を持つ魔犬と、躊躇なくその身を相棒に任せる少年。彼らの凸凹でありながらもぴたりと嵌まった連携は、すでに兄たちとは異なる、もう一つの完璧な「半身」の形を成し始めていた。


 一匹と一人は大喜びで家の食糧庫に猪を運び、明日の食事に思いを馳せながら眠りについた。


 だが、翌朝、食糧庫へ野菜を取りに向かった母親の悲鳴で叩き起こされ、大目玉を食らうのであった。


 危険な森へ勝手にでていった上、大物を持ち帰ってそのまま処理もせず食料庫へ置き去りとは何事かと、母親の延々とした説教と、父親のゲンコツが飛んだ。


 しかし、大食いバディも負けずに、「このままではひもじくて仕方がない、自分で獲れる獲物は見誤らない」と食いついた。実際に目の前で狩りをさせたところ、その実力は本物だった。また、今までの実入りでは賄い切れないのも事実だと、両親は頭を捻らせながらも、渋々、狩りへ赴くのを許可したのだった。


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 一方、その頃町では、結界杭の定期修繕を行う司祭の一団が宿屋の室に詰めていた。


 その一室、司祭はほくそ笑みながら手元の魔導具を眺めていた。



「……ぐっふふ、これがあれば、こんな辺鄙な町の連中などいくらでも騙せるわ。」



 その魔道具は、じわじわと結界に歪みを生じさせ、一部の魔獣を中へ引き込むものだった。


 司祭はこの手を使い、今までいくつもの町や村を魔獣に襲わせ、結界の更なる強化や「魔よけの護符」なる紙切れ、法外な治療費の請求によって大金を巻き上げていた。


 結界の修繕には数日を要するが、その最終日に魔道具を仕込み、そのまま司祭は一団と町を出発、魔獣に襲われた被害を受けたところに恩着せがましく舞い戻るというのがいつもの手口で、今回もそれを使う目論見だった。


 しかし、実際に町に来てみれば、ノランとかいう犬を連れた魔道魔法の使い手が、防衛隊員として町の守護にあたり、なおかつ町に協力的な魔女とやらの存在まで耳に挟んだ。


 教会に防衛を頼りきった町村でこそ通用する手口であったため、司祭としては金をつかむ機会を不意にされたような、腹立たしい思いであった。そこで、一計を案じることにした。


 この町を含めた一帯の地域を統括し魔獣の間引き、魔獣素材の斡旋などを行う、「冒険者ギルド」という自衛団体に、依頼を出したのだ。


 曰く、「西の峠にメタルゲイターの出没情報あり、討伐を求む」という内容で、このメタルゲイターというのが、頑丈な鉄の鱗に覆われ、魔法の攻撃しか有効打がない魔獣として有名であるため、ノランが魔法使いであることを理由に、指名して依頼をだしたのである。


 勿論、出没情報などは全くの偽りであり、魔法の使用が前提の討伐も、領地を守護する貴族に、お抱えの魔道士を派遣してもらうのが通例であるところ、わざわざ田舎の防衛隊員を指名しての依頼と、本来ギルドも首を縦に振るわけのない内容だった。


 しかし、司祭の権威と金で職員の一人を抱き込み、無理矢理通させたのであった。これで、ノランは一週間ほどの遠征を強いられ、町には戻れない。


 また、魔女や魔女の犬の存在も厄介であったため、ノラン以外に魔女に通じると思わしきレオンにも目を付けた。


 教会の従事者の一人に、「連れているあの犬は本来魔獣であり、それを操るレオンには悪しき気配がないか注意が必要である」と、さも真面目な司祭然として、レオンの監視を命じたのである。


 すると、一定の期間を空けてレオンが魔犬を連れて森に行き、1日がかりで野獣や魔獣を狩っているという情報が得られた。つまり、その日を狙えば邪魔物はいなくなるということであった。


 邪魔者を遠ざける算段を組んだ司祭は、結界杭の開帳作業の最終盤、周囲の目を盗んで杭の根元へ小さな鉄の楔の形をした魔道具を埋め込んだ。



(よいぞ…。よいよい…!あとは適度に町が荒らされるのを待つだけよ!)



 そして司祭は乱雑に十字を切り、作業の終了を知らせると、早朝、一団と共に町を出ていった。そしてその数時間後、企み通り、結界の歪みから魔獣が町に続々と侵入してきた。



ーーグモォオオオ!!


 町に獰猛な声が響き、住民は逃げ惑った。



「魔獣だ! 防衛隊、住民を死守しろ!」



「いやぁああ!!助けて…!!」



「結界は!!結界を直していただいたばかりだろう!!なぜなのだ!!」



 防衛隊は悲鳴を上げる街の人々を、必死に誘導し、猛威に立ち向かった。しかし、何体も雪崩れ込んでくる魔獣に押され、また、逃げ送れた住民もおり、多数の怪我人がでた。



「くそ!ノランたちさえいれば!!」



 防衛隊の隊長は、この有事に頼れる魔法使いの不在を嘆いた。不自然な依頼に連れ出され、嫌な予感はしていたが、まさかこんなことになるとは。


 次々に住民が、隊員が魔獣に襲われていく、目の前の惨状に挫けそうになりながらも、自身も何度も牙や爪に傷つけられ血だらけになりながらも、戦い続けた。


 そして、真昼に始まった戦いは、日が傾く頃、瀕死の防衛隊十数名、住民二十数名という犠牲と魔獣の全滅という結果で幕を閉じた。


 このとき、魔獣の牙で即座に食い殺されたものがいなかったのが唯一救いであったが、怪我をおった者たちは虫の息であり、傷口から絶えず暖かな血液は流れ落ち、手のひらが冷たくなっていくのにそう時間はかからなかった。


 動ける住民や防衛隊たちは、治療に駆けずり回りながら、ひしひしと迫る絶望と戦い続けていた。


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 巨大な熊の肉を担いだレオンとクゥは町近くの街道まで戻ってきていた。上機嫌に足取りは軽かったが、突如、風に乗って漂ってきた異臭に、クゥの灰色の耳が鋭く跳ね上がる。



「レオン!町から酷い血と魔獣の匂いがします…!」



「なんだって…!? クゥ、急ぐぞ! 肉はここに置いとく!」



 クゥは俊敏な動きで町のへと疾駆し、レオンがその背を必死に追った。


 町にもどったとき、彼らが目にしたのは凄惨な光景だった。


 魔獣の残骸と壊された家々、辺り一面に広がる血飛沫。



「な、なんだよこれ…!」



 レオンは驚愕し、後ずさった。その横で、険しい表情をしたクゥは、その鋭い嗅覚から、最も血の匂いの濃い場所を特定していた。



「レオン…!こちらです!こっちのほうにとても沢山の血が…!」



 クゥが方向を指し示すと、レオンは我を取り戻し、共に全速で向かった。


 たどり着いたのは、教会だった。教会に備蓄している、精霊魔法が封じ込められた貴重な魔道具、それを使用するために傷ついた住民が集められていた。


 しかし、その使用は全く間に合っておらず、ただ死にゆく人々が床一面に横たえられていような様相だった。


 レオンは近くに倒れていた住民にかけより、その状態を間近でみてしまった。大きく抉れた傷口からは大量の血が流れ続け、ヒューっ…ヒューっという細く断続的な呼吸が、その生の終わりが近いことを示していた。



「く、クゥ…!!助けてくれ!!」



 はち切れんばかりの大声で呼び掛ける相棒に、クゥは即座にかけより、精霊魔法を行使した。毛皮を奮い立たせ、精一杯の意思を込めて願うが、クゥもこれほど重傷の治療はしたことがなかった。


 クゥから強い光が放たれ、倒れた住民を包む。しかし、傷口は縮まれど血を止められるほどではなかった。



「ウゥ、グルルウゥ…レ、レオン…!ごめんなさい…っ!私では治しきれません!」



 全身を使って荒い息を繰り返しながら、クゥは無念を伝えた。それに激しく動揺しながら、レオンは教会の状態を見渡した。


 横たわっているのは皆知っている顔だった。兄ノランと頭をワシャワシャと撫でまわしていた、防衛隊の隊長も、凄惨な傷口をそのままに、教会の床で冷たくなっていく。


 どうすればいい、どうしたら皆を助けられる。レオンがぐるぐると出口のない苛まれているなか、入り口から新たな怪我人が運ばれてきた。


 それは、レオンの両親であった。


 レオンは弾かれたように駆け寄り、搬送してきた防衛隊員からひったくるようにその容態を確かめた。


 二人とも全身に大きな傷を負い、父は胸部から、母は腹部からの出血が止まらない。その顔色はすでに青白く、呼吸も微かな音が聞こえるかどうかというところだった。


 クゥが駆け寄り、無謀は承知で再度、精霊魔法を全身全霊で使用していたが、やはり傷口は塞がらない。


 レオンは狂乱のさなかにあった。少年は、教会の高い天井にその慟哭を響かせ、両親とクゥをまとめて抱き込むように、強く祈った。



 どうか生きて。全てが元通りになって。どうか、どうか…。



 強い感情の波動と、祈りのちからは相棒の魔犬にも流れ込み、その濁流を受け入れるままに、クゥは長い遠吠えをあげた。


 その瞬間、クゥの灰色の毛並みは目映い白銀に輝き、一匹と一人を中心にして町を覆うほどの大きな光の円が地表から吹き出した。


 地表から吹き出した銀白の光は、教会の高い天井を突き破るかのように立ち上り、一瞬にして町全体を昼間のような輝きで満たした。それは息をのむほどに美しく、神聖な光の雨となってしんしんと降り注ぐ。


 光の粒子が触れた瞬間、衣服にこびりついた血痕が、時間を巻き戻すかのように生々しい赤から消え去り、肉体の傷口がみるみるうちに塞がっていく。



「――っ、がはっ、げほっ……!」




 最初に息を吹き返したのは、レオンの腕の中にいた父親だった。深く抉られていた胸元は完全に塞がり、力強い心臓の鼓動がレオンの手のひらに伝わってくる。続いて母親が、そして教会の床に並べられていた防衛隊長たちが、まるで酷い悪夢から跳ね起きたかのように一斉に上半身を起こした。



「う……あ……? 俺は、何を……」



「あなた? なぜ私たちは教会の床なんかで眠って……」



 起き上がった人々は、互いの顔を見合わせながらきょとんとしている。彼らの瞳には、魔獣の牙に裂かれた恐怖も、死の間際を彷徨う苦痛も、何一つ残っていなかった。ただ、なぜ自分がここにいるのかが分からず、困惑しているだけだった。



「父さん……? 母さん……? 本当に、生きて……え?」



 ガタガタと小刻みに震えながら、レオンは自分の両手を見つめた。


 奇跡を願った。すべてを元通りにしてくれと、狂わんばかりに祈った。しかし、まさか本当にあれほどの容態が、目の前で綺麗さっぱり良くなるなど、誰が信じられるだろうか。あまりの現実味のなさに、歓喜よりも先に、総毛立つような戦慄がレオンの背中を駆け抜けた。


 隣に立つクゥもまた、その灰色の耳を限界まで直立させたまま、完全に硬直していた。

自身と相棒の内から溢れ出た、あまりにも理外で強大な精霊魔法の波動。そして、銀色に輝く己の毛皮。


 クゥは己の四肢を見つめ、声も出せずに何度も深い呼吸を繰り返すことしかできなかった。



「隊長! 隊長ォッ!!」



「生きてる……みんな、生きてるぞ……!」



 一方で、物陰で息を潜め、地獄のような惨劇を最初から最後まで見届けていた数少ない防衛隊員たちだけが、涙と鼻水にまみれながら、起き上がった仲間たちにすがりついていた。


 状況が分からず困惑する者と、奇跡に号泣する者。その混沌とした喧騒の中心で、レオンとクゥは、自分たちが犯してしまった『理外の奇跡』の大きさに、ただただ圧倒されていた。 


------------------------------


「しかし、結界があったのになんで魔獣なんかが…」


「そうだよな、しかも司祭様たちが修繕してくださったばかりだぞ」


 両親を搬送してきた防衛隊員たちが、歓喜の熱狂と目から溢れた涙をぬぐい、改めて疑問を口にした。

 それを聞いたクゥは何かを考えるような視線で数回、瞬きをした。



「レオン、皆さん、ついてきてください」



 クゥは鼻をひくつかせ、短い尻尾を上げながらそう言うと、突然駆け出した。



「えっ…?!待てよ!ちょっと…!」



 レオンは困惑する両親を置いて、防衛隊員たちと慌ててその後を追いかけた。


 たどり着いたのは、一本の結界杭の前だった。



「レオン、この杭の真下、私の前足分ぐらいの深さに何かがあります。掘り起こしてくださいれ



「え…?お、おう、任せろッ! このあたりだな!」


 レオンは疑問を全て置いて、爪に泥を噛ませながら強引に土を撥ね退けた。相棒が言うのだからこうするのに間違いはないだろうと思ったのだ。



「……あったぞ、これか?なんだこの不気味な楔は?」



「これは…精霊魔法を妨害する魔道具のようです。さらに魔獣を呼び寄せる効果も付いています。もう魔力が切れているようですが。」



 クゥの見解に防衛隊員たちがざわつく。まさか司祭が、いやそんな、など懐疑の声があがり、再度楔へと皆の視線が集中する。


 そんな中、司祭一団が旅立ったはずの方角から、ガラガラと馬車が道を踏む音が聞こえてくるのを、灰色の耳は聞き逃さなかった。



「教会へ戻りましょう。きっとそこでわかります。」



 クゥ、レオン、防衛隊員が教会へ戻ると、そこはまだ、状況がわからず戸惑っている者と、目撃した奇跡に感激している者が混沌としている状態だった。

 

 まずはこの混乱を納めなければと、一同が口を開きかけたその時――タイミングを見計らったかのように、教会の開け放たれた扉から、大袈裟な足音が響き渡った。



「ああ、なんということだ! 哀れな信徒たちよ……!」



 戻ってきたのだ。司祭の一団が。


 司祭はわざとらしく胸の前で十字を切り、悲痛極まりない表情を作り物のように浮かべながら、教会の奥へと進み出てくる。しかも、声を拡声魔法で大きくしながらこう演説した。



「町の危機であると、偉大なる神からの天啓を受け、急ぎ戻ってみれば……まさか、これほどの魔獣の襲撃に見舞われていようとは! おお、神よ、私の不在を狙われるとは、なんと卑劣な魔獣どもか……!」


「さぁ!私の聖なる魔法により今すぐ治癒してしんぜよう…!神経衰弱した者は『魔よけの護符』にてその魔に侵された心を癒してやろう…!」


 のうのうと、さも今知ったかのように語る司祭。その背後には、高額な『魔よけの護符』や、法外な治療費を請求するための帳簿を抱えた従事者たちが控えている。司祭は、教会の中が凄惨な死屍累々であり、絶望に咽び泣いている光景を確信して疑っていなかった。


 しかし、教会の空気は、司祭の予想とは完全に乖離していた。



「……? 司祭様、一体何のお話をされているのですか?」



「魔獣の襲撃……? 町が襲われたのですか?」



 おぞましい記憶を消されて完全に治癒された住民たちは、首を傾げて司祭を見つめる。彼らにとって、自分たちは「なぜか教会の床で集団居眠りをしていただけ」なのだ。衣服にわずかに残る泥の汚れには違和感を覚えているが、魔獣に襲われた記憶など微塵もない。



「な、何……? お前たち、何を惚けたことを……」



 司祭の顔に、初めて戸惑いの色が混じる。見渡せば、悲惨な状態であるはずの住民たちは、皆傷ひとつない様子で、魔獣の脅威などに怯えている様子もなかった。

 ただ、一部の防衛隊員たちの目は、鬼のような形相で司祭を射抜いていた。



「おい、クソ司祭」



 地を這うような野太い声と共に、レオンが群衆を割って前に出た。その手には、先ほど掘り起こしたばかりの『鉄の楔』が握られている。



「てめぇ、どの面下げて戻ってきやがった」



「な、なんだお前は! 礼儀を弁えぬか! 私はこの町の結界を修繕し、維持してやっている司祭だぞ!?私がいなければこんな町などとうに魔獣の餌なのだ!!」



「結界を維持だと? 笑わせんじゃねえよ」



 レオンは司祭の目の前の床に、ガンッ! と凄まじい音を立てて鉄の楔を投げ捨てた。



「おいみんな! この不気味な鉄の塊を見てくれ! こいつはな、教会の結界を内側から狂わせ、魔獣を呼び寄せるための最低最悪な魔道具だ! こいつがどこに埋まってたか分かるか!? さっきこの司祭が『修繕した』とか抜かしていた、結界杭の真下だよ!!」



 教会の空気が一変した。


 記憶のない住民たちは「えっ、魔道具……?」とざわつき、生き残り、激戦の記憶がそのままである隊員たちは一斉に腰の剣の柄に手をかけた。



「ば、馬鹿なことを言うな! そんな泥塗れの鉄屑が何だというのだ! 言いがかりも甚だしい! そもそも、私を誰だと思っている、教会の高潔な司祭であるぞ! 貴様のような無学な子供の妄言を――」



「妄言ではありません、司祭様」



 凛とした、涼しげな少年の声が教会の高い天井に響いた。レオンの隣で、銀色の魔犬――クゥが冷徹な琥珀色の瞳で司祭を見据える。 



「その魔道具に残る魔力の波長は、あなたが今、無駄に声を垂れ流すために使用されている魔力と、寸分の狂いもなく一致しています。」



「解析魔法の構築に長けた者が調べれば、術者のがあなたであったことはすぐに証明されるでしょう」



「な、ななな……何を言っておる、その犬は……! 」



 予期せぬ魔犬の理知的な追及に、司祭の額から滝のような冷汗が流れ落ちる。


 司祭の計算は、ここですべて狂っていた。田舎の防衛隊など、魔獣の群れの前にはなす術もないはずだった。唯一のイレギュラーである魔道使いのノランは、偽の出没情報で一週間の遠征に追いやった。邪魔者は誰もいないはずだったのだ。



(なぜだ!なぜ誰も重傷を負っておらぬ…?!それどころかかすり傷も様子もないではないか…!外の町の荒れかたでは、成功したと思っておったのに!)



 そしてまさか、そのただの田舎の少年が、これほどの知恵を持つ魔犬を従え、証拠を暴くほどの才覚を持っているなど、夢にも思っていなかった。


 「さらに言えば」と、クゥは司祭の背後に控える従者たちの手元を指さした。



「あなたが今お持ちのその帳簿、そして大量の護符。町が魔獣に襲われたことを「今初めて知った」はずのあなたが、なぜ、事前の準備なしには用意できないほどの物量を、この短時間で完璧に揃えて持ち込んでいるのですか? まるで、最初から町が蹂躙されることを知っていたかのようだ」



「あ、違……これは、その、備えとして……!」



「言い訳すんじゃねえ!!」



 レオンの怒号が爆発した。一歩、また一歩と司祭に詰め寄るレオンの身体から、怒りの感情に任せた凄まじい威圧感が放たれる。



「俺たちの命を、この町の連中の命を、てめぇの金儲けのために弄びやがったな……! 防衛隊の先達や、俺の父さんや母さんが、どんな目に遭ったか……てめぇ、タダで済むと思うなよ!!」



 記憶のある防衛隊員たちも、怒りの声を上げて司祭の一団を取り囲む。


 記憶のない住民たちも、クゥの論理的な指摘と司祭のあまりの狼狽ぶりに、「まさか本当に、あの司祭様が……?」「私たちを騙していたの?」と、疑惑の目を向け始めていた。



「ひ、ひぃっ……!」



 聖者の仮面を完全に引き剥がされ、のうのうと金をせしめるはずだった司祭は、顔を土気色に変えて後退りした。足をもつれさせ、教会の冷たい床に無様に尻餅をつく。


 周囲を見渡しても、味方は一人もいない。ただ、自分を睨みつける怒号の嵐と、冷徹な魔犬の視線、そして絶対に言い逃れのできない『不浄の楔』が、そこに転がっているだけだった。

司祭はただガタガタと震えながら、己の破滅を悟り、絶望の声を漏らすことしかできなかった。


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 後日、事件の後処理のために、教会の上層部からさらに高位の関係者たちが町へ派遣されてやってきた。


 彼らの仕事は、事件の全容把握、結界杭の再確認と修繕、町の代表との損害賠償の整理、謝罪による信頼回復に勤めることだった。また、他の村や町についても同様の事件があったと目されるため、それらも順に訪ねて行くらしい。


 ただし、一人の高位司祭とその従者数名が、事件の聞き取り調査の際、クゥとレオンの精霊魔法の話を耳にし、傲慢な考えを抱いてしまった。


 精霊魔法を扱うのは教会であり、聖なる神の教えを学んでいない犬や子供などが扱うべきではないと。もしくは、それらは全て教会に帰属すべきで、こんな辺鄙な町にいるべきでないと。


 実は教会内部、特に高位司祭のなかではこのような考えに至るのは至って自然であった。教会は精霊魔法を民に施すことによってその権威を保っている。


 それから司祭たちは、町の人々に権威を振りかざしながら詰めよった。



「これほど強力な精霊魔法を操る犬は、教会の聖堂で奉られるべきである! 全てを教会へ寄進させなさい。それが世界のさらなる平穏を約束するのだ!」



「レオンという子供も教会に身を寄せるべきである!その才覚を聖者として発揮する、十分な機会と、神の庇護を与えよう!」



「従えぬというのならば、教会からの離反とみなし、結界を取り去るぞ!」



 折の悪いことに、騒ぎ立てている司祭は連れたってきた一団のなかでも最高位の地位にあり、なおかつ現状の教会が行っている、精霊魔法の使用者の確保と目的は一致しており、脅迫じみたやり方も珍しいものではなかった。他の司祭たちが、ここで身を挺してその司祭を諌めても、かえって立場を悪くする恐れがあったのだ。


 ついには正式な書面での要請が行われた。


「結界の権利を持ち出されては逆らえない…。街の安全のためにも、山から魔犬を差し出してもらうべきでは……」


「レオンはどうするのだ!まだ幼い子供だぞ!」


「しかし、正式に引き取りの通知がされては…」


 小さな町は抗う術もなく、教会の脅しに屈しかけていた。


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 あの悪夢のような事件がひとまずの終息を迎えてからというもの、レオンはクゥを片時も離さないまま、自室のベッドの上で膝を抱え続けていた。部屋の木戸は締め切られ、わずかな隙間から差し込む陽光だけが、灰色の毛並みと少年の青白い顔を照らしている。



「……クゥ」



「はい、レオン。私はここにいますよ」



 呼びかける声は掠れ、いつも快活さは見る影もない。十歳にも満たない幼い身で、一度は完全に失われかけた両親の冷たい身体を抱きしめたのだ。その後に訪れた、己の身体を焼き尽くすような理外の力の奔流。そして、神の代弁者を名乗る司祭との、醜い言葉の応酬――それらすべてが、少年の柔らかい心を容赦なく擦り切らせていた。


 クゥはそっとレオンの胸元に濡れた鼻先を寄せ、微かな精霊魔法の温もりを分け与える。だが、レオンの瞳に宿った深い怯えと疲弊の影を、その温もりだけで消し去ることはできなかった。


 数日後、静まり返った家に、不躾にドアを叩く音が響き渡った。重々しい足音と共に、教会の使者たちがドカドカと上がり込んでくる。



「……レオンを、あの奇跡を起こしたという子供を教会へ引き渡しなさい! あれは神の所有物だ!」



「お断りします! あの子は私たちの息子です!」



 階下から聞こえる、父親の張り裂けそうな怒声と、母親の怯える悲鳴。両親は必死になって教会関係者の前に立ちはだかり、決してレオンを会わせようとはしなかった。


 固く閉ざされた自室の扉に耳を当て、その怒号を聞いていたレオンは、ガタガタと小さな身体を震わせた。



(俺のせいだ……。俺が、あのとき変な力なんか使ったから、父さんも母さんも、また怖い目に遭ってるんだ。俺がこの街に、みんなに迷惑をかけてるんだ……)



 涙が床にポタポタと落ちる。己の存在そのものが、愛する家族と街を壊していくような錯覚に囚われ、レオンは暗闇のなかでさらに深く心を閉ざしていった。


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 相棒の魂が絶望の淵へと沈んでいくのを、クゥはただ黙って見てはいられなかった。琥珀色の瞳を鋭く光らせ、部屋の隅で四肢を踏ん張る。



(――魔女様。大魔女モルガナ様、どうか、私の声を聞いてください)



 それは、山頂の館を旅立って以来、初めて自らの意志で繋ぐ精神の回廊だった。クゥの脳裏から発せられた思念の波紋は、街の境界線を越え、地脈を伝わり、遥か山の上の黒檀の机へと一瞬で届く。



(レオンが、私の半身が、人間の身勝手な欲望と恐怖に押し潰されようとしています。私たちは、ただ、大切な人を守りたかっただけなのです。どうか……どうか、私たちにお力を貸してください!)



 空間が、ガラスが割れるような音を立てて歪んだ。次の瞬間、レオンとクゥの身体は自室の暗闇から消え去り、春の柔らかな光が差し込む山の館へと佇んでいた。黒檀の机の向こう側から、十歳ほどの少女の姿をした大魔女モルガナが、鈴を転がすような声で静かに語りかける。



「久しぶりですね、クゥ。そしてはじめまして、レオン」



「魔女、様……?」



 呆然としてへたり込んでいるレオンの横に、クゥは背筋を正して寄り添っていた。魔女は静かに彼らに近づき、小さな手でクゥの頭を一度優しく撫でた。さらに反対の手をレオンの肩に置き、二人の魂に根付くちからの解析を始めた。


 魔女の背後に小さな幾何学的の魔方陣が二つ現れ、一匹と一人の体に浸透していく。



「…なるほどね。」



 魔女は一人で何か納得したようだった。おもむろに指を鳴らすと、クゥとレオンの後ろにどこからか重厚なソファーが現れた。魔女に促され、それに腰かける。



「…まず、君たちが膨大な精霊魔法を行使できてしまった理由を説明しましょう」


 魔女はまず、魔犬の成り立ちから語り始めた。山に暮らしていた魔狼が、魔犬になる過程で魔女の精霊魔法の残滓を浴び続けたことで、魔女と魔犬の間に特殊な回廊が生まれたこと。そして精霊魔法とは、何よりも「祈りと願い」に呼応する性質を持つこと。



「クゥが、レオンーー(きみ)と生涯を共にしたいと強く願った。そして呼び名を与えられたことで、ちからの回廊を繋ぐきっかけが生まれたのよ。」



 その後、レオンはクゥの精霊魔法の残滓をずっと浴びながら育ち、いつしか、ちからの回廊が完成していたという。それにより、レオンは物心つく頃にはクゥの話す「犬の言葉」も理解できていたのだった。本人は、兄たちがそうだからと特に気にしていなかったようだが。



「そして、君の極限の祈りに、クゥが同調し、回廊の扉を開いた。それが私にまで届き、この三者のちからが合わさり、奇跡を成した。」



 そう言い終えると、魔女は「ごめんなさい」と謝罪を添えた。魔女につながる回廊まで願いが届いたとき、ちからの流出を止めることもできたという。しかし、魔犬のーークゥの願いであれば助けたいと思い、魔女はそれを止めなかった。



 自分達の身に起こっていた事実に、声もでずに聞き入っていたところに、魔女からの謝罪の言葉を受け、レオンは慌てて立ち上がってそれを止めた。



「魔女様が謝ることじゃねぇよ…!そのおかげで俺は、俺たちは家族や大事な人たちを救えた!!ほんとうに…っ、ほんとうにあり、ありがとうございます…」



 途中、涙が込み上げて言葉に詰まりながらも、レオンは必死に感謝を伝えた。そして、ボスンッとソファーに座りなおすと、クゥがその涙を一生懸命舐めて拭い、相棒を慰めた。


 魔女はその瞳に僅かに慈愛の色を見せたが、すぐに冷陰なものへと変え、教会と精霊魔法の関係を語りだした。



「だけど、人間社会というものは、その純粋な奇跡を放ってはおかないわ」



 彼女は、かつて自身が精霊魔法を発現させた際、教会に「聖女」として囲い込まれそうになった過去を淡々と語った。



「精霊魔法の才能は血筋にも継承される。教会は、その強力な力を民への『奇跡』として見せることで権威を保っているわ。だからこそ、発現した者を囲い、教会内で番わせ、その子孫の行使すらも管理して保護という名の籠に閉じ込めるのよ。それが彼らのやり方」



 魔女はレオンを真っ直ぐに見据え、小さな唇を開いた。



「私が、君たちにしてあげられる手段は二つ。一つ目は、町の住民やレオンから、クゥの記憶を消し、レオンから精霊魔法を取り上げる。そうすれば、教会は君に手をだす理由がなくなる。二つ目は、私が町の結界を維持する。ただし、これには相応の対価をもらいます。」



「対価、……」



 レオンがごくりと唾を飲み込み、クゥは琥珀色の瞳を小さく揺らした。あまりに重い二つの選択肢を前に、部屋の空気が張り詰める。


 モルガナは黒檀の机に戻り、淡々と告げた。



「すぐに答えを出す必要はないわ。数日、この館で過ごしてゆっくり決めるといい。……もっとも、どちらを選んでも相応の覚悟は必要だけどね」



 その夜、館の一室で、クゥはレオンの足元にそっと寄り添いながら、静かに頭を垂れた。



「……レオン。私は、一つ目の手段を選ぶべきだと思います」



「クゥ? 何言ってんだよ」



「私の存在が、あなたやご両親を危険に晒すというのなら、私の記憶など消えてしまっても構いません。私は山へ帰ります。それが、あなたの平穏のためです」



 涼しげな少年の声に、滲むような切なさが混じる。それを聞いた瞬間、レオンの目から大粒の涙が溢れ出した。レオンは床に膝をつき、灰色の小さな体を壊れ物のようにきつく抱きしめる。



「ふざけるなよ……! 離れるなんて考えられるわけねぇだろ! 記憶を消すなんて絶対に嫌だ! 俺の半分はクゥなんだ。お前がいない平穏なんて、俺は欲しくない!」



 少年のひたむきな、けれど悲痛な叫びが静かな部屋に響く。


 うなだれる一匹と一人を慰めるように、部屋の扉が音もなく開いた。


 入ってきたのは、かつてクゥを送り出した親兄弟である山の魔犬たちだった。彼らは言葉を発することはなく、ただ静かに、大きな体をレオンたちの周りに丸めた。


 ふわりと押し寄せる、夜の雪山を忘れさせるような圧倒的な体温。大きな長がそっとレオンの背中に厚い前足を置き、母犬がクゥの涙を拭うように優しく鼻先を寄せて濡れた毛並みを整える。


 クゥは微かに声を震わせ、兄犬たちの豊かな毛並みに顔を埋めた。


 レオンもまた、自分たちを優しく包み込む魔犬たちの毛並みの暖かさに包まれながら、涙を拭った。


 今や麓の町の人々にとって、魔犬は恐ろしい怪物などではない。兄ノランやブランが積み重ねてくれた絆があり、自分たちを危機から救ってくれた、かけがえのない街の守り手なのだ。


 町の人々が彼らへ向ける信頼の眼差し、そして今自分を包み込んでくれている魔犬たちのどこまでも深く優しい情。


 この温かな繋がりを、クゥの記憶を消すことで無かったことになんてしたくない。


 彼らと共に歩みたい。大魔女に街を守ってもらい、自分がその責任をすべて背負うのだと、レオンの胸の奥で確固たる決意が固まっていった。


 数日後、再び黒檀の机の前に立ったレオンは、モルガナを真っ直ぐに見据えて言い放った。



「魔女様。俺、二つ目の選択肢にする。街の結界を維持してくれ。その代わり、俺がその対価を払う!」



「そう、わかったわ。魔女との取引は常に等価交換よ。私が、あの街をまるごと覆うほどの強固な結界を張り続けてあげる。……その代わり、君は私に何を差し出せるかしら?」



 レオンはしばしの間、小さな頭をひねって悩んだ。そんな大きなものと、代償として払える同じ価値のものは持っているはずがない。


 しばらく唸ったあと、悪戯っぽく笑い、あっけらかんと言い放った。



「じゃあ、俺のすべてを魔女様にやるよ! 俺の命も、これからの人生も!それが俺に出せる全部だ!」



 その躊躇のない答えに、モルガナは一瞬目を見開き――次の瞬間、何百年ぶりかに、声を大きく上げて、愉快そうに大笑いした。



「いいでしょう。その取引、成立よ」



 だが、それに待ったをかけたのはクゥだった。



「レオン?!何を言っているのですか…!命も全部だなんて!」



「良いんだよクゥ!俺はお前といれて町が守れたらそれで満足なんだ!それに、魔女様が取引してくれなきゃ、教会に命も人生も持ってかれるようなもんじゃねぇか!」



「それなら、俺は魔女様に全部預けてぇ!」



 レオンは、そうにっかりと笑って魔女を見る。魔女は相変わらず愉快そうに、クゥは諦めたように笑顔を浮かべるのであった。


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 街へと戻ったレオンとクゥは、両親、街の代表、そして防衛隊の面々を集め、魔女との会話と取引の全てを告げた。


 「教会か、魔女か、どちらかにレオンたちを生け贄として捧げることでしか町の安全は保てない」という冷酷な現実に、大人たちは深く頭を抱え、沈黙する。


 その重苦しい空気を破ったのは、レオンの真っ直ぐな声だった。



「みんな、教会なんかもう信じられるかよ! この数年、街の結界が綺麗だったのも、あの山の本当の脅威から俺たちが守られていたのも、全部教会の力なんかじゃない、山の魔女様のおかげだったんだ!」



 そこへ、偽の遠征から息を切らせて駆け戻ってきた兄のノランが、手を固く握りしめて割って入った。



「僕からもお願いします、みんな!僕の師である魔女様を信じてください!」



 幼いレオンの決意、日頃から街のために泥をすすって戦ってきた巡回兵ノランの必死の訴え。兄弟の言葉が大人たちの心を動かし、住民たちは満場一致で、教会から離反する道を選んだ。


 翌日、正式な対話の場を設け、街の代表とレオンは高位司祭に向けて明確な拒絶の宣言を突きつけた。



「我が街は、これより教会の庇護を離れる。レオンも、魔犬も、一切引き渡すつもりはない。」



「な、何だと……!? 正気か、この無学な民どもが! ならば無理矢理にでも連れて行く!」



 激昂した司祭が、従者たちに命じてレオンの腕を掴もうとしたその瞬間――。



『――私の所有物に、手を触れるな』



 鈴を転がすような少女の声ーーしかし、聞くものを震撼させるような迫力を感じさせる声が街中に響いた。そのとき、全天から、空間を圧殺するほどの巨大な重力圧が叩きつけられた。司祭一団は教会の冷たい床へと叩きつけられ、指一本動かすこともできない。



 ズガガガガ、と凄まじい轟音を立てて、教会が設置していった結界杭が次々と粉砕されていく。そして古い結界が完全に崩壊した刹那、街全体を包み込むように、比べ物にならないほど強固で美しい、純白の半円状の結界が展開された。



「ひ、ひいぃぃ!」



 大魔女の圧倒的な威容の前に、司祭たちは這う這うの体で街から逃げ帰った。


 嵐が去ったあときは、ただ静かで、比べ物にならないほど強固で美しい、純白の半円状の結界だけが、町全体を優しく包み込むように展開されていた。住民や防衛隊員たちは、呆然と、しかしどこか温かいその光の結界を見上げた。


 そして、誰からともなく、感謝を込めてぽつぽつと、その温かい結界を指して言葉が紡がれていく。――ああ、私たちの街の、お守りの魔女様だ。教会の脅しに屈しかけていた小さな町は、この日を境に、本当の意味で教会の庇護を離れ、山の魔女への深い信頼へと舵を切ったのだった。


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 緊張した面持ちで、レオンは再び山の館へと向かい、黒檀の机の前に立った。

自らを売り渡したのだ。これからどんな恐ろしい過酷な要求が待っているのかと、小さな肩をすくめている。



「ま、魔女様!約束通り、俺の全部を魔女様にあげる!」



 だが、黒檀の机に向かっていた大魔女は、その様子に微笑しながら言い放った。



「君のような人間の子供を、この館で住まわせる必要もないのよ。だから、代わりに君の一生分の時間をいただくわ。」



「一生分の…時間?」



 レオンの呆けた様子に、魔女は笑みを深くして続けた。



「そう。館の魔犬たちが、ブランとクゥの話を聞いて、人間に会いたいってうるさいの。これから街に降りたいって言う犬がどんどん増えるわ。……だからレオン、君の生涯の任務を命じます。」


 モルガナはレオンの鼻先を小さく指さした。



「君は、町に降りる魔犬たちの世話役、そして人間との調整役をなさい。それを生涯、義務として続けること。以上よ。」



「……え? それだけ?」



 ポカンとするレオンの横で、クゥは嬉しそうに銀色の短い尻尾をパタパタと振った。それは等価交換という名の、魔女の純粋な慈悲だった。


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 これ以降、レオンは生涯をこの町で暮らした。


 魔女との取引通り、山からは毎月のように「人間に会いたい」という子魔犬たちが、短い四肢を一生懸命に動かして街へと降りてくるようになった。



「こら、そこ! 台所のべ物を勝手に食べない! 友達になりたければ、まずは人間のルールを覚えるんだ!」



「……きゅ〜ん」



 青年になり、やがておじさんと呼ばれる年齢になっても、レオンの周りにはいつも、もこもことした小さな影が溢れていた。町へ降りてきた子魔犬たちは、まずレオンの家に挨拶に行き、人間と仲良くなるための知恵を教わる。それがこの町の、新しいルールになっていったのだ。


 ある時は、クゥに手伝ってもらいながら、不器用な魔犬たちが起こした小さないたずらの後始末に追われ、またある時は、魔犬が山から運んできた薬草で街の病人を癒す。


 子魔犬たちからは親愛を込めて「町のおじさん」と呼ばれ、レオンが白髪交じりの歳になっても、その豪快な笑い声が絶えることはなかった。


 ――そして、レオンが魔女から与えられたその「任務」は、自然とその子供へ、さらにその孫へと受け継がれていく。


 魔犬と友人になった人間には、彼らの精霊魔法の残滓によって、必ず何かしらの恩恵が与えられた。特に魔法が得意になる者が増え、かつて教会に脅かされていた辺鄙な田舎町は、いつしか世界中から優秀な魔法使いが集う「魔法都市」として知られるようになっていく。



 レオンから始まった、大魔女と魔犬、そして人間を繋ぐその家系は、のちに魔法都市の代表格として歴史に名を残すことになるのだが――――それは、まだ少し先のお話。今はただ、暖かな家の中で、大きなお皿の肉を巡って可愛らしい言い合いを続ける、元気な大食いバディが二つの影を並べている。


 銀色の短い尻尾が、嬉しそうにパタパタと床を叩く音が、静かな夜に響いていた。


まだ人間ばっかでてくるーーーーはやく犬ばっかり書きたい!

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