第二十三話 魔犬調停官レオンと、「魔犬役場」
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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ベイスの街並みには、今や人と魔犬が当たり前のように肩を並べ、賑やかに行き交う日常が定着していた。
職人通りでは、魔犬たちが器用に道具を運び、親方たちの鎚の音に混じって誇らしげに鼻を鳴らす「職犬ギルド」が活気に満ちていた。
郊外の広大な田畑では、農家の人々と共に土を耕し、害獣から作物を守る「農犬ギルド」が頼もしい相棒として家族同然に暮らしている。
さらにハルコ屋の四兄弟や小利口な町魔犬たちがソロバンを弾き、たくましく商売を広げる「商犬ギルド」に、領地全体を縦横無尽に疾走する「コードリア魔犬郵便」、その姿に憧れた小さな町魔犬たちが可愛い鞄を揺らして町中を走る「町魔犬郵便」に至るまで――町では魔犬たちが主導する多種多様な組織が、次々と産声を上げていたのだった。
しかし、その目覚ましい発展と賑わいの裏側で、文字通り悲鳴を上げている人物がいた。
魔犬たちの世話役を務めるレオンと、その相棒である白銀の魔犬クゥである。
「『第6号支店の建設許可申請』に『南の農家と農犬ギルドの契約内容の確認』さらには『町魔犬郵便の配達ミスについての意見書』……! もう駄目だ、クゥ! 机の上の羊皮紙が僕の背丈を超えて天井に届きそうだ!」
「くっ……レオン、情けない声を上げないでください……と言いたいところですが、さすがにこの書類の山は限度を超えています……っ!」
積み上がった羊皮紙の山に埋もれ、レオンは頭を抱えて机に突っ伏していた。膨れ上がる一方の申請書類、人間側の住民との細かな意見調整、そして不意に発生する小さなトラブルの補填作業。
かつては手帳一冊を片手に町を駆け回っていれば済んでいた業務は、いまや一過領の行政水準にまで膨れ上がっていたのだ。
「もう限界だ……! このままじゃ魔犬たちの顔を見に行く時間すらないよ!」
「同感です……。これ以上は私たちの処理能力を超えています。行きましょう、レオン!」
限界を迎えた二人と一頭は、抱えきれないほどの羊皮紙の束を山のように担ぎ上げ、悲鳴のような声を上げながら領主館のドアを叩いたのだった。
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「――まあ、これはお見事と言っていいのか、惨状と言うべきか……酷い状態ですわね」
書類の山に隠れて顔も見えないレオンとクゥを迎え入れた領主エレアノーリエは、深く溜息をつきつつも、その瞳には呆れと同時に迅速な行政改革への強い決意を宿していた。
彼女は机の上にドサリと置かれた書類の山を検分すると、即座に羽ペンを走らせた。
「レオン、クゥ。あなた方にこれほどの膨大な事務処理まで背負わせていたのは、領主である私の不徳の致すところですわ。本日より、あなた方を領主直轄の行政官『魔犬調停官』に任命します!」
エレアノーリエの宣言により、正式な公的行政機関として「魔犬役場」が立ち上げられた。ベイス=アルカの行政庁舎の一角に新しい看板が掲げられ、そこには領主の手によって選りすぐられた、事務処理と手続きのプロフェッショナルである人間の部下たちが多数派遣されてきたのである。
着任した人間の部下たちの手際は、驚くほど鮮やかだった。
彼らはまず、人間側の住民から寄せられる複雑な依頼や多種多様な意見を丁寧に聞き取り、分かりやすい書式へと文書化した。さらに、かつてレオンとクゥが血と汗を滲ませて書き溜めてきた一冊の『魔犬観察ノート』を開き、そこに記された一頭一頭の「性格」「魔法の癖」「得意分野」「人間に対する態度」といった膨大なデータを、誰でも即座に検索できる分類システムへとデータベース化していったのである。
「調停官、この黒毛の風魔法を使う子ですが、過去の観察ノートによれば興奮すると暴走しやすい傾向がありますね。職犬ギルドへの紹介の前に、一度マナーの再確認を実施しましょう」
「レオン様、こちらの子魔犬さんと町の子供の間で起きた小競り合いですが、壊してしまった物品の過失割合に応じた補填手続きの報告書を作成しました。確認をお願いします」
部下たちが重い事務作業や契約処理、損害補填の手続きを迅速かつ正確にこなしてくれるおかげで、レオンの肩の荷は劇的に軽くなった。
書類の山から解放されたレオンは、胸に輝く調停官の証を付け、魔犬たちの元へ直接足を運ぶ本来の仕事に専念できるようになったのだ。魔犬たちの小さな変化に気づき、彼らの声に耳を傾け、人間と魔犬の間に立って優しく対話する――それこそが、レオンにしかできない一番大切な役割だった。
「やっぱり、みんなの顔を見て話すのが一番だな!」
「ええ。レオンが生き生きとしていて何よりです。……まあ、書類作業から逃げ出せただけという気もしますが」
「クゥ、それは言わない約束だろ!」
晴れやかな笑顔を取り戻したレオンの元で、仕事の環境は劇的な改善を見せたのだった。
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やがて、魔犬たちの住処がベイス=アルカの町から近隣の町々、さらには遠方の領地へと広がっていくと、「魔犬役場」の重要性はさらに増していった。
各地に「魔犬役場・支局」が次々と開設され、その全組織の総責任者となったレオンは、名実ともに人間と魔犬を繋ぐ唯一無二の「架け橋」として、領民や魔犬たちから絶大な信頼と尊敬を集める存在となっていた。
そんな多忙ながらも充実した日々の中で、レオンに思いがけない運命の出会いが訪れるーー
組織が巨大化するにつれて膨れ上がる確認書類の山と面会依頼、各地の調整業務に、レオンはまたもや、頭を抱える日が増えていた。
「ええっと、午前は魔犬役場の本庁で他領の視察団体と面会…げぇ、俺貴族様って苦手なんだよなぁ…。それから農犬ギルドに子犬たちを連れて行って、午後からは山で生まれた子のノートをつけに行けるかな」
「レオン、昨日のハルコ屋四兄弟の面会を、突発の調停現場で今日にずらして貰ったのをわすれていませんか?」
「あっ、やべ、そうだった。はぁ~~また魔犬と直接会う時間が減ってきちまったなぁ」
魔犬役場の代表として、唯一の魔犬調停官として、レオンは各地からひっぱりだこであった。もちろん、これらは部下が厳選してレオンの負担を減らした上ではあるが、いかにせん、レオン一人の身では対応しきれないことが多くなっていた。
「うぅーーん。事務仕事がバッチリで、犬に好かれるやつがもう一人いればなぁ」
「側近というか、傍に一人着いていただきたいですね。そんな素晴らしい人材がいるかはわかりませんが、また領主様に要望してみましょう」
「そうだな!……まてよ、そんなやついたら、俺よりも『魔犬調停官』に向いてるんじゃねぇか?!」
「…レオン、『言わぬが華』という言葉があるんですよ」
こうしてエレアノーリエへ出された要望は、ベイス領だけでなく王都にまでとどく求人票となったが、応募者の多くは「辺境伯直轄の幹部候補」という地位や高い報酬につられた者ばかりで、なかなかレオンの心に響く人材は見つからずにいた。
そんな中、面接の部屋にやってきたのが、顔の半分ほどもある大きな丸メガネをかけた一人の若い女性——ミルカだった。
「初めまして、レオン様。ミルカと申します」
深く頭を下げた彼女の経歴書を見て、レオンは目を見張った。彼女は王都の文官として優秀な実績を残していたのだ。
ミルカは豊かな酪農村の出身だった。幼少期からずば抜けて聡明だった彼女の才能を見抜いた両親や村人たちは、貧しいながらもお金を出し合い、彼女を王都の高等文官学校へと進学させてくれたのだという。
「私は、村のみんなに恩を返したくて必死に勉強し、王都の下級文官になりました。ですが……書類だけと向き合う毎日に、どこか心がすり減っていたのです。そんな時、動物ーー『魔犬と触れ合い、その架け橋となる文官』を募集するベイスの求人を見つけました。高い報酬で村に送金もできますし、何より大好きな動物たちのためにこの頭を使える……これ以上の仕事はないと、思い切って職を辞して参りました」
丸メガネの奥にある彼女の瞳には、一切の飾りのない温かな情熱と、誠実な知性が宿っていた。
そして何より、面接の最中、傍らで静かに佇んでいた白銀の魔犬クゥを見る彼女の目が、溢れんばかりの愛おしさに満ちていたのだ。
「——採用だ!です…ミルカさん。ぜひ、俺に力を貸してください!」
なかなか決められずにいたレオンだったが、彼女の経歴と何よりの「動物好き」である姿勢に確信を持ち、その場で専属の補助官としてスカウトしたのだった。
こうして「魔犬役場」に配属されたミルカの働きぶりは、実に目覚ましいものだった。
王都で鍛え抜かれた確かな事務処理能力でレオンの負担をさらに劇的に減らしたばかりか、彼女にはもう一つ、誰も真似できない「恐るべき特技」があった。
それは、「犬を撫でる技術」である。
「まあ、綺麗で力強い毛並みですね! 今日もお仕事ご苦労様。耳の後ろ、ここを撫でられるのが好きでしょう?」
「くぅ〜ん……」
気性が荒く、初対面の人間には警戒心を剥き出しにするような大型魔犬であっても、ミルカの迷いのない愛と、魔法の指先のような絶妙な撫で方にかかればイチコロだった。
そして、その犠牲となった最たる存在が、ほかでもないクゥであった。
ある日の執務室。長年の相棒であるレオンにすら滅多にお腹を見せず、常に白銀の威厳を保っている誇り高きクゥが、ミルカの膝の前に座り込んでいた。
「クゥさん、いつもレオン様を支えてくれてありがとうございます。……ここですか?」
ミルカが大きな丸メガネの位置をちょっと直し、絶妙な力加減でクゥのアゴの下から首筋、そして肩甲骨の裏へと指先を滑らせた、次の瞬間——。
「くぅ〜〜ん……っ」
『あ、あぁ~~。そこです…!』
ドサリ、と音を立ててクゥが横倒しになり、あろうことか四肢を天に向け、無防備きわまりない「ヘソ天」状態で行くむすびの溜め息を漏らしたのだ。完全に一発で陥落していた。
「ク、クゥ……!? お前、俺にすら滅多にお腹を見せないのに……!?」
ショックを受けるレオンの横で、ミルカは「ふふっ、ここが気持ちいいのですよね」とクゥのお腹を優しく撫でまわし、クゥは幸せそうに目を細めて尻尾を床にバタバタと打ち付けていた。
それからの日々、レオンとミルカ、そしてクゥの「二人と一匹」で行動することが一気に増えていった。
各地の支局への視察、新しく町に降りてくる魔犬たちの面談、現場で起こる人間と魔犬の間での小さな揉め事の仲裁——。
どんなに複雑なトラブルであっても、レオンが言葉を紡いで心の溝を埋め、ミルカが聡明な法令知識と至高の「なでなで」で双方の緊張を解きほぐす。そして傍らには、ミルカにすっかり心を掴まれたクゥが頼もしく控えている。
「レオン様、次の支局の資料、まとめておきました。……あ、少しお疲れではありませんか? 温かいハーブティーを淹れますね」
「ありがとう、ミルカ。本当に助かってるぜ」
「ふふ、私の方こそ。レオン様と一緒に仕事ができる毎日が、楽しくてたまらないのです」
丸メガネの奥で、花が咲くようにパッと弾けるミルカの笑顔。それを見るたび、レオンの胸の奥がキュッと熱くなった。
魔犬一色の人生だったレオンが、人生を共に歩みたいと思えるかけがえのないパートナーと巡り会えた瞬間だった。
「……あ、あの、ミルカ…」
レオンは意を決したように、ガタッと椅子から立ち上がり、ミルカの前に跪いた。そして、顔をトマトのように真っ赤にしながら、人生ではじめての求愛の言葉を捧げたのだった。
その勝敗はーーミルカのメガネ越しに見える、驚きの歓喜の瞳を見れば、明らかなのであった。
時は経ち――レオンの想いが実を結ぶ日がやってきた。
領主エレアノーリエや兄のノラン、相棒のクゥ、そして町中の人間と魔犬たちが大集結する中で、二人の結婚式が盛大執り行われたのである。満開の花々と魔犬たちが放つ祝福の光粒が舞う中、祝福の歓声が街中に響き渡った。
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それから長い月日が流れ、時代が移り変わっても、「魔犬役場」の窓辺にはいつも人と魔犬のあたたかな笑顔と笑い声があふれていた。
かつてひとりの少年が、小さな一冊の手帳と情熱だけを胸に駆け回っていた世話役の仕事。それは領主エレアノーリエの手によって「魔犬調停官」という格式高くも親しみやすい役職として確立され、人と魔犬が織りなす深い信頼と絆の証として、彼と彼女の間に生まれた子供たち、そして孫たちへと受け継がれていった。
レオンの子孫代々が継承する「魔犬調停官」の家系は、のちに世界中から優秀な魔法使いが集う魔法都市となったベイス=アルカにおいて、歴史にその名を深く刻む名誉ある存在となっていく。
だが、どれほど時代が変わり、組織が大きくなろうとも、その根底にあるものは何も変わらない。
今日もベイスの街角では、レオンの面影を残す若き調停官が、相棒の魔犬と共に、温かな笑顔で人と魔犬の元へ駆け出していくのだった。
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