第十六話 はじまりのクッションと、特別なニンゲン
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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「……よし!『飛びついて食べ物を奪わない』『興奮して風を起こさない』『お座りで待つ』……うん、完璧だぞ!」
世話役の少年レオンが、わたしの栗色の頭をぽんぽんと優しく撫でてくれた。横に立つ白銀の先輩魔犬・クゥ先輩も、重々しく頷いて「町ではより一層気を付けてくださいね」と、付け加えた。
魔女様と一緒に山に暮らす私たち魔犬が、人の町に降りるには、魔女様に世話役として任命されたレオンの面接と、クゥ先輩のスパルタな『人間社会マナー講座』受ける必要がある。それを無事に一発合格したわたしは、晴れてベイスの町へ降りる許可をもらったのだ。
山では出発前に、レオンが以前魔道具で映した町の様子が見られたけれど、一歩足を踏み入れた実際ベイスの町は、映像を遥かに超えて興味をそそる色彩と賑わいをみせていた。
まず、わたしが興味をもったのは、人間の毛皮。わたしたち魔犬も色んな毛色があるけれど、人間は比べ物にならないぐらい、色とりどりだった。
しかも、同じ場所で何日も見ていると、同じ人間でも次の日には違う色を着ていることもある。これに気づいたときにはとても驚いた。だから、その人間に勇気を出して聞いてみたんだ。
「ね、ねぇ。あのさ、あなたの毛皮の色って、なんで昨日と違うの?」
その人間はぽかんとした顔をしていたけれど、すぐに吹き出して、笑いながら教えてくれた。
「これは、毛皮じゃなくて『服』っていうんだ。僕たち人間は、君たちみたいに立派な毛皮を持っていないから、こういうもので体を覆うんだよ。」
毛皮がないなんて信じられなかったけど、その人間は「服」を一枚脱いで、実際に前足…人間は腕って言うんだった。腕を見せてくれた。たしかに生まれたての子犬みたいに毛がなくてびっくりした。それから、冬はもっと暖かい服を着るんだとか、「みぶんのおたかい」人は魔獣の毛皮を特注したりするとか色んなことを教えてもらった。
あと面白かったのは、人間が大切そうにやり取りしている金属の小さな丸いもの。あれを渡すと、焼きたてのパンや甘い果物に化けるのだから、きっとすごいお守りに違いない。凄く気になったわたしは、またドキドキしながら果物屋さんに聞いてみた。
「さっき果物と交換していた、丸いもの…見せてくれない?」
果物屋のおばちゃんは目をぱちくりさせながらその丸いものを見せてくれた。「お金」とか「コイン」というらしい。人間は頑張ったご褒美にこのコインが手に入って、それを欲しいものと交換するのだという。
でもそれってなんだか変。欲しいなら自分で獲ったり作ったりすればいいのに。わたしがそう疑問を口にだすと、おばちゃんは苦笑いしながら教えてくれた。
「人間は自分でご飯を獲ってこれないけど、もの作りが上手いやつとか、その逆とか、色々いるんだよ。それを、うまく補ってお互いの得意なことを交換できるようにしてるのが、この『コイン』なのさ」
「ま、あんたら山の魔犬には要らないものかもね」と言いながら、おばちゃんはわたしに艶々したリンゴを一つくれた。私はそれを頬張り、お礼を言ってその場を離れた。
わたしはそうやって、栗色の尻尾をブンブンと振りながら、見るもの全てに目を輝かせて町を歩き回った。
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しかし、日がしばらく過ぎる頃、わたしの心にはほんの少しだけ焦りが芽生えていた。
山から同じぐらいに降りてきた仲間たちは、器用な風魔法でパン窯の温度を調整したり、小さな人間と友達になってお家に入ったりと、次々と自分の居場所と「特別なニンゲン」を見つけて馴染んでいく。
対してわたしは、活気あふれる職人通りや市場の賑やかさに少し圧倒されてしまい、どんな人間と過ごせばいいのか分からなくなって、迷子のような気持ちになっていた。
魔犬をは群れを好むいきものだ。それが根なし草のように一人でフラフラとしているのは、とても居心地が悪い。
あてもなく足を進めるうちに、賑やかな喧騒が遠のき、町外れの静かな住宅街へと辿り着いた。
そこには、小さな平屋と、色鮮やかな花々が咲くお庭があった。
ぽかぽかと温かい日光が差し込む縁側で、一人の老婦人が静かに座り、手元で針と糸を動かしている。白髪を綺麗に結った、穏やかな空気を持つ人間。
(あのおばあさん、一人なのかな……)
わたしが垣根の隙間からそっと覗き込んでいた、その時だった。
ゴオッと、意地悪な突風が町外れの道を吹き抜けた。
彼女が膝の上に広げていた、白く繊細なレースの布がさらわれ、ひらひらと空中へ舞い上がってしまう。
「あっ……! いけない、あの布は……!」
焦って立ち上がろうとしたが、お膝やすねが痛むのか、すぐには動けない。
それを見たわたしの体は、考えるより先に動いていた。
(傷つけちゃダメ……絶対、地面に落としても汚れちゃう!)
疾風のごとく庭へ飛び出すと、得意の風魔法を小さく展開した。風の勢いをふわりと殺し、空中で優しく漂わせたレースの布を、傷つけないよう慎重に、鼻先で『とん』と受け止める。
「まあ……! お利巧な子……助けてくれたのね、ありがとう」
老婦人は胸を撫で下ろし、涙ぐんだ瞳でわたしを見つめた。その細くしわの刻まれた手が、わたしの栗色の頭をそっと撫でてくれる。その手はとても温かくて、ひだまりの匂いがした。
お礼にとごちそうになったのは、お手製の甘い甘いイチゴの焼き菓子だった。
「おいしいっ!こんな甘いもの初めて食べたよ!」
夢中で食べきってしまった私の口元を拭いながら、おばあさんは優しく微笑んでくれた。
「そう?よかったわ」
人間から美味しいものをもらったときはお礼を言うんだった。そう思い出した私は、おばあさんの目を見て、元気にお礼を言った。
「ありがとう!ーーえーっと、人間さん!」
「ふふっ、私は『マルタ』っていうの。よろしくね、可愛い魔犬さん」
マルターーなんだか柔らかい響きが、この優しい人間にはよく似合っている気がした。
「マルタさん!うんっ!よろしくね!」
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それから数日後。定期見回りにやってきたレオンとクゥ先輩が目にしたのは、マルタさんの家で、誇らしげに胸を張るわたしの姿だった。
わたしのお腹の下には、色とりどりの余り布とたっぷりの綿で作られた、大きな「特製ふかふかクッション」が敷かれている。
「へえ、マルタさんが作ってくれたのか! すごく似合ってるぞ!」
レオンが目を輝かせながら、『魔犬観察ノート』を開いてカリカリとペンを走らせる。
『栗色・小柄:風使い。他の魔法は苦手。【追記】縄張り:町外れのマルタさんの家。特製のふかふかクッションを貰い、家族として生活を開始。経過良好』
クゥ先輩も満足そうに尻尾を振り、「立派なクッションですね。マルタさんとなかよくしてくださいね」と念を押してくれた。
わたしは、「わん!」と元気よく返事をした。わたしの「特別なニンゲン」は、この優しくて温かいマルタさんに決まったのだ。
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マルタさんとの暮らしは、毎日が宝物のようだった。
わたしは「お手伝い犬」として大張り切りした。マルタさんがお買い物に行く時は、荷物袋を口でくわえて並んで歩いた。お庭の掃除の時は、風魔法で落ち葉を綺麗に一箇所に集めたり、部屋のすみの埃を風で掃い出したりした。
「マルタさん!次はなにをするの?わたし、なんでもお手伝い出来るんだから!」
「ありがとうねぇ、いつもとっても助かっちゃうわ。なにより、一緒に居てくれるのが嬉しいのよ」
「そうなの?ずっと一緒にいるよ!」
何をお手伝いしても、マルタさんはとても喜んでくれた。たまに失敗しちゃっても、優しく微笑んで、一緒に片付けたり、頭を撫でて慰めてくれた。
町の人々も「マルタさんの栗色ちゃん」と呼んで、通りかかるたびに甘い干し肉やパンの耳をくれた。
わたしは、マルタさんと並んでいることがとっても誇らしかった。
けれど、楽しい日々が過ぎる中で、わたしは楽しいばかりでないことに気づき始めていた。
マルタさんは若い頃に愛する旦那様を病気で亡くし、子どもも作らず、ずっと一人で裁縫をしながら静かに暮らしてきたこと。
あの風に飛ばされそうになったレースの布は、旦那様と祝言を挙げた時の大切な思い出の品だったこと。
そして――マルタさんみたいな、しわの多い人間の命は、もうそんなに長くないということ。
月日が流れるにつれ、マルタさんの背中は少しずつ小さくなり、歩く歩幅もゆっくりになっていった。横になって眠る時間が増え、わたしを撫でてくれる手も、少しずつ細くなっていく。
(マルタさんの時間が、減っていっている……?)
魔犬の寿命は、人間と同じか、少し長いぐらいだ。当然、命に終わりがあることはわかっている。まだ若犬に分類されるわたしと、マルタさんの残された時間が随分と違うことも。
それでも、わたしはその摂理に逆らいたかった。
(この温かい時間を失いたくない。マルタさんをもっと長生きさせたい!)
急激な寂しさと焦りに押しつぶされそうになったわたしは、マルタさんが眠っている間に家を飛び出し、一人で山の上の『大魔女の館』へと夢中で駆け登った。
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「……人間の寿命を延ばしたい、と」
館の黒檀の机で、十歳ほどの少女の姿をした大魔女・モルガナ様が、肘をついてわたしを見下ろした。その深遠な瞳には、人間の理を全て知る者の厳しさが宿っていた。
「命の巡りに軽々しく干渉していけないわ。」
冷たい色を滲ませて告げられた言葉に、わたしは耳を伏せ、くぅんと小さく鳴いた。けれど、引くわけにはいかない。わたしはマルタさんからもらった温かさを思い出し、まっすぐに魔女さまを見つめ返した。
わたしの真摯な眼差しを受け止めた魔女さまは、静かに溜め息をつき、わたしに歩みよりながら口を開いた。
「……けれど、知識として教えてはおくわ。人間が魔犬に『名』を与え、魂の回廊を深く繋ぐ……いわゆる『名付け』を行うそのときに貴女が強く望めば、貴女の生命力を人間に分け与え、寿命を延ばすことは可能かもしれない」
「ッ……!」わたしの尻尾がピクリと跳ねた。
「しかし、よく聞きなさい」
魔女様の声が、一層低く鋭くなった。
「それは人間の運命をねじ曲げる行為よ。必ずマルタ本人の意志を確認しなさい。」
「貴女の一方的な我儘や情だけでそれを行えば、たとえ貴女が満足しても、その人間に取り返しのつかない重荷と悔いを遺すことになるわよ」
わたしは深く首を下げ、固い誓いを胸に山を下りた。
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早朝、家に戻ったわたしは、マルタさんのベッドの傍らに寄り添った。
「おはよう、マルタさん……あ、あのね、ーー」
命を分ける方法があること、わたしの寿命をあげればもっと一緒にいられることを、鼻先を押し付け、震える声で一生懸命に伝えようとした。
マルタさんはゆっくりと目を開け、わたしの頭を優しく撫でてくれた。その瞳は、どこまでも澄んでいた。
「……ふふ、ありがとうね。優しい子」
マルタさんは静かに首を振った。
「でもね、そんなことはしなくていいのよ。私はね、あなたと出会えて、一緒に笑って過ごせて……もう十分すぎるほど幸せだから。これ以上を望んだら、天国のあの人に叱られちゃうわ」
「きゅぅん……」
「それにね……私には、あなたに渡したい大切なものがあるの」
マルタさんは細い手でわたしの頬を包み込み、愛おしそうに微笑んだ。
「これは、あなたが教えてくれた名付けの『本当の名前』じゃないけれど……『ルノ』って、呼んでもいいかしら?」
「ルノ……?」
「昔ね、もし私と旦那さんに子供が生まれたら……絶対に付けようって決めていた名前なの。ずっと呼ぶ相手がいなかったけれど……あなたに貰ってほしいの」
ルノ。
それは、寿命を伸ばすための絆なんかじゃない。
マルタさんが人生で一番大切に温めてきた、「愛する家族」に贈るための本当の愛の名前だった。
「ルノ……私の可愛い、自慢の子……」
わたしは「わんっ!」と声をあげ、マルタさんの胸に顔をうずめた。寿命を延ばす方法なんて、最初からいらなかったんだ。わたしたちはもう、種族も超えた、本当の親子になれたのだから。
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それから数年後。
うららかな光が降り注ぐ、小春日和の午後のことだった。
マルタさんは、わたしの前脚を握りしめたまま、安らかな笑顔を浮かべて、まるで眠るように静かに息を引き取った。苦しみも寂しさもない、感謝に満ちた旅立ちだった。
町の人々に見送られ、お葬式が終わった後。
わたしは静まり返った誰もいない家に入り、思い出の詰まったふかふかクッションを見つめた。
マルタさんが作ってくれた、世界で一番温かいクッション。
わたしはそのクッションを、風魔法でふわりと持ち上げた。
わたしよりずっと大きいクッションを浮かせ続けながら、わたしは家を出た。
町外れの道を抜け、坂道を登り、山道へと足を進める。
途中には、厄介な魔獣も沢山出てきた。わたしはクッションを守りながら戦った。時には自分の身を呈してクッションを守り、傷だらけになりながら。
一歩、また一歩。
途中で何度も足が止まりそうになったけれど、クッションから香るマルタさんのひだまりの匂いが、わたしの背中を押してくれた。
わたしは一度もクッションを汚さず、傷つけず、一生懸命に山を登り続けた。
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夕暮れ時。大魔女の館の大きな扉が開いた。
そこに立っていたのは、ボロボロになりながら大きなクッションを持って帰ってきたわたしを待っていた、魔女さま、レオン、そしてクゥ先輩と山の仲間たちだった。
レオンは涙をボロボロとこぼしながら駆け寄り、わたしとクッションをまとめてぎゅっと抱きしめてくれた。魔犬たちも静かに歩み寄り、わたしの頭を優しく舐めてくれた。
魔女さまは、わたしが連れてきたクッションと、わたしの目を静かに見つめ、優しく口元を緩めた。
「よく戻ったね……マルタの子ーールノ」
そう名前を呼ばれた瞬間、わたしの心に温かい波が押し寄せた。
わたしはクッションの上にちょこんと座り、胸を張って、山の空へと誇らしく「わん!」と鳴いた。
わたしの特別なニンゲンは、とっても温かい、世界で一番のクッションと、かけがえのない名前をわたしに残してくれたのだから。
自分で書いて自分で泣いた話です。自家発電が上手すぎる。
ーー閲覧いただき、ありがとうございます!ーー
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