二話目 壊された文化祭
教室の中が、ざわついている。
「ここもダメだ……」
「こっちも作り直さないと……」
あちこちから聞こえてくるのは、呆れとも怒りともつかない声ばかりだった。
――トラブル?
一昨日、コースケがうちの教室に来たときは、そんな様子はなかったはずだ。
『順調に進んでる』
そう言っていたのに。
……まさか。
タイムリープの“歪み”のせいじゃないわよね。
胸の奥に、嫌な予感が広がる。
「コースケ!」
不安を押し殺すように、わたしは彼の名前を呼んだ。
振り向いたコースケは、どこか不機嫌そうな顔で、苦笑いを浮かべている。
「どうしたの? なんかトラブル?」
そう問いかけると、返ってきたのは――思いもよらない言葉だった。
「壊されたんだ。誰かに。」
「……えっ?」
思わず声が漏れる。
隣で結依も目を見開き、わたしは達は顔を見合わせた。
「壊されたって……どういうこと?」
さらに問いかけると、コースケは小さく息を吐いてから話し始めた。
――昨日のこと。
作業が終わったあと、教室に置けない大きな展示物を、同じ階にある空き教室へ運んだらしい。 そのときは、もちろん何の異常もなかった。
そして次の日の放課後。
続きをやろうと空き教室に向かったら――
人だかりができていた。
「最初は、“泥棒が入った”って話でさ。」
コースケは眉をひそめる。
「慌てて中を覗いたら、展示物がめちゃくちゃにされてた。」
「泥棒……なの?」
結依が慎重に問いかける。
けれどコースケは、渋い顔のまま首を横に振った。
「いや、多分違う。イタズラだと思う。」
「イタズラ……?」
「あの教室、主に使ってたの、俺らのクラスと一年A組、それと新聞部なんだけどさ。」
少し言いづらそうに続ける。
「うちの被害もひどいけど……新聞部のほう、かなりやられてて、冊子もなくなってるって言ってた。」
「それって……嫌がらせじゃないの。」
結依の声が低くなる。
「ねえ、それで間に合うの文化祭?」
わたしも思わず口を挟んだ。
本番まで、あと三日しかない。
「まあ、今日頑張ればなんとかなるとは思うけど……」
コースケは肩をすくめる。
「新聞部のやつらは、青い顔してたな。
破かれてるのも多くて、泣いてるやつもいたぜ。」
その言葉を聞いた瞬間――
胸の奥で、何かが強く弾けた。
許せない。
――本気で、そう思った。
文化祭は、みんなが楽しみにしている学校行事だ。 それぞれが時間をかけて準備して、少しでも良いものにしようとしている。
……まあ、わたしは壁になる予定だけど。
それでも。
そんな努力を踏みにじるようなことをするなんて。
許せるわけがない。
気づけば、わたしはプクッと頬を膨らませていた。
「ちょ、ちょっと明穂、落ち着いて。」
「だって!」
声を荒げ、プンプンと怒りが込み上げるわたしの肩を、結依が軽く叩く。
「それで……先生たちは?」
結依はすぐに表情を引き締め、コースケに問いかけた。
「あー……」
コースケは苛立つように頭をかく。
「荒立てるな、だってさ。」
「えっ?」
わたし達の声が、きれいに重なった。
「文化祭も近いし、他の生徒に影響出るから、黙ってろって。」
吐き捨てるように言うコースケの声には、はっきりと苛立ちが滲んでいた。
「……やってられねぇよ。」
その気持ちは、痛いほどわかる。
もしわたしだったら――たぶん、とっくにキレてる。
「じゃあ、俺もう戻るわ。やることあるし。」
「うん、ありがとう。ごめんね、忙しいのに。」
結依がそう言って、軽く手を振る。
コースケの背中が遠ざかっていく。
わたしもそれを見送りながら、踵を返そうとした――そのとき。
ズキン、と。
頭の奥に、鋭い痛みが走った。
次の瞬間。
視界の奥で、光が弾ける。
――きた。
久しぶりの、この感覚。
脳裏に、断片的な映像が流れ込んでくる。
これは――
予知。
どうして、今……?
「明穂、どうしたの? 大丈夫?」
不意に足を止め、頭を押さえたわたしに、結依が心配そうに声をかけてくる。
「……大丈夫。ちょっと偏頭痛。」
そう言って誤魔化すけれど、その間にも――
同じ映像が、何度も何度も頭の中で再生される。
止まらない。
こうなると、わたしにもどうする事は出来ない。
ズキズキと脈打つ痛みに耐えながら、わたしはその映像を必死に焼き付けていく。
暗い廊下に、一つだけ灯る明かり。
足音も、紙の擦れる音も――何もない。
ただ、映像だけが流れていく。
――緑色の冊子。
細い手がページを捲り、
乱暴に、破り捨てる。
音は、ない。
なのに――
なぜか“音だけが”頭の奥で想像される。
――そして。
薄い暗い教室で顔を上げる、ひとりの、人物の顔。
……見たことがある。
特徴的な、前髪。
この子――
誰だったか、思い出しかけたその瞬間。
ぷつり、と。
映像は途切れた。
「……っ」
わたしはこめかみを押さえ、ゆっくりと息を吐く。
視界が、ようやく現実に戻ってくる。
すぐ隣で、結依が不安そうにこちらを覗き込んでいた。
「本当に大丈夫? この前もあったよね。
そんなに頻繁に起きるの?」
「ううん……違うよ。
たまに。本当に、たまにだけ。」
――予知だなんて、言えるはずもない。
「頻繁に起こるなら、ちゃんと病院行ったほうがいいよ。 頭の病気って怖いし。」
「う、うん。ありがとう。」
……まあ、仮に行ったとしても。
“予知が見えるんですけど、それとタイムリープもします”なんて言ったら、別の意味で入院コースだろうけど。
思わず苦笑がこぼれる。
軽く頭を振って、わたしは結依に声をかけた。
「結依、ちょっと待ってて」
「え?」
きょとんとする結依をその場に残して、わたしはもう一度、コースケたちの教室を覗き込んだ。
――いた。
やっぱり、あの子だ。
教室の隅。
誰とも話さず、ただ黙々と手を動かしている。
周りがざわついているのに、
その子の周囲だけ、妙に静かだった。
不自然なくらい長い前髪。
その奥で、一瞬だけ。
目が――こちらを見た気がして、胸が跳ねる。
たぶん、間違いない。
さっきの映像で見たのは――あの子だ。
どうして。
なんで、あの子が――
気づけばわたしは、はっきりとした疑いの目を、その背中に向けていた。
「明穂?」
「……うん」
結依に声をかけられて、はっと我に返る。
さっきまでのことを振り払うように、もう一度ルートの確認に意識を戻した。
……そのはずだったのに。
「あれ?」
気づけば、結依は渡された地図とは違う方向へ歩き出している。
「ちょっと、そっちじゃなくない?」
慌てて声をかけると、結依は振り返りもせず、さらりと言った。
「新聞部に行くのよ。」
「……は?」
その横顔を見た瞬間、ぞくりとした。
あの目。
ただの好奇心じゃない。
何か“面白いこと”を見つけたときの――子どもみたいに輝く目。
……嫌な予感しかしない。
「私が謎を解いてあげるわ。」
ああ……やっぱり。
始まったわね病気が。
思わず、深いため息がこぼれる。
止めたところで、どうせ聞かない。
それはもう、これまでの経験で嫌というほど分かっている。
「……はいはい」
結局わたしは、観念したように呟いて――
先を行く結依の背中を追いかけた。
結依は、完璧だ。
可愛いし、メイクも上手い。
お菓子だって作れるし――胸だって大きい。
……正直、ちょっとずるい。
そんな彼女にも、ひとつだけ欠点がある。
――男の趣味だ。
以前、何気なく聞いたことがある。
「理想の男性って、どんな人?」
すると結依は、迷いなく即答した。
「金田一耕助」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「誰よそれ?」
「横溝正史よ、横溝正史! 知らないの?」
「え、俳優?」
「違うわよ、小説家! ミステリー界の大御所でしょ!」
ぐいぐい詰め寄られて、わたしは思わず一歩引いた。
どうやら『金田一耕助』というのは、その人の小説に出てくる探偵らしい。
「探偵なら、コナンくんがいるじゃない。」
一応、現代っ子らしく反論してみる。
けれど結依は、ぴしゃりと言い放った。
「子どもでしょ。」
「いや、まあ……そうだけど。」
でも、そんなに変わらなくない?
と、内心では思う。
ともかく。
結依はその“金田一耕助”という人物が好みらしい。
知的で、それでいてどこかミステリアス。
そして、モジャモジャ頭を掻くシーン。
そのギャップがたまらないのだとか。
――要するに。
重度のミステリーオタクである。
たぶん今も、わくわくしているに違いない。
「着いたわよ。」
結依が足を止める。
頭をぽりぽりとかきながら、どこか楽しそうに――
「さあ、謎解きよ。」
そう言って、迷いなく新聞部のドアを開けた。




