四話目 シフォンは逃げた
矢が的に当たった瞬間――
世界が歪んだ。
音が消え、わたしの周囲は映画のリールを巻き戻すように光景が移り変わる。
きた!
あの時と一緒、始めてタイムリープした時と同じ光景。
足元が揺らぎフワリと、わたしは宙へと浮き始めた。
始めて体験した時のような恐怖心はもうない。
巻き戻っていく周囲の光景を眺めながら、改めて不思議な体験をしているのだと気付く。
そして巻き戻る世界の先にあの光の玉が現れ、わたしの周りをユラユラと飛び始めた。
前はこれに触れて元の世界へと戻った。
ゆっくりと手を伸ばし、触れようとした瞬間、手が止まる。
もう後戻りは出来ない。
AIが言っていたあの一文が頭を過るが、おおきく息をして――
その光の玉に触れた。
★☆
「うっ、ううん……」
夢から覚めたように少し頭が重い。
わたしはソッと目を開ける。
「あれ……ここどこ?」
周囲を見渡しながら手元に視線を移し、二回、手を握り直す。
感覚はしっかりと感じられる。
ちょっとだけお腹が膨れている感覚もある。
わたしは改めて周囲を見渡した。
「ここ……
わたしの部屋だよね。」
わたしは学校の弓道場にいたはず。
服装を見ると、いつものグレーのスエットの家着を着ている。
見慣れた天井。机の上の消しかけの落書き。
部屋の隅に脱ぎっぱなしにした靴下まで、全部そのままだ。
「嘘……
タイムリープ出来たんだ。」
わたしはすぐにスマホを探し、机に置いてあるスマホを手に取った。
「今は何時なの?」
スマホの横のボタンを押し、画面が明るくなる。
『19時45分』
さらに日付を見る。
「えっ……土曜日!
いつの?
あれ、この日付。
前日の土曜日だよね。」
わたしが戻って来たのは結依とケーキを食べに行く日の前の日。
時間はちょうど夕飯を食べて満足して、部屋でゴロンとしていた時間だった。
ちょうど良い時間。
昨日から続くの出来事が全てリセット出来た。
「神様ありがとう!」
都合良く感謝を述べながら、わたしはそのまま結依に連絡をとった。
耳元で呼び出し音が聞こえる。
「モシモシ!結依。ちょっと相談があるの……」
「えっ!なに……また変な事でしょ。」
高鳴る胸を押さえながら結依と話し始めた。
★☆
そして次の日。
わたしは、いつもの駄菓子屋のある交差点で結依を待っていた。
「はぁぁぁぁ……おはよう、明穂……」
大きなあくびをしながら、結依が力なく手を上げる。
「おっはよー!」
わたしは対照的に、元気よく手を振り返した。
「もう早いって……なんでこんな朝からテンション高いのよ。ふぁぁぁ……」
結依はもう一度、大きなあくびをする。
それも無理はない。
今日は前回より、電車を三本も早めている。
待ち合わせは、なんと一時間以上も前倒しだ。
昨日の夜、この作戦を提案したとき、結依は全力で抵抗した。
『そんなに早く行かなくても大丈夫だって。シフォンは逃げたりしないでしょ。』
……甘いわよ、結依。
逃げたのよ、シフォンは。
わたしたちの数十メートル先を――駆け足で。
あの絶望を、わたしは忘れていない。
結依が朝に弱いのは知っている。
それに、わたしと違ってちゃんとメイクを整える結依は、わたしより早く起きなきゃいけないのも分かっている。
それでも。
激しく抵抗する結依を、どうにかこうにか説得した。
――逃がさないわよ。
わたしのシフォン。
今日こそ、お腹の中に収めてやるんだから。
気合いは十分。
「さ、行こっ」
わたしはまだ半分眠っている結依の背中を軽く押して、駅へ向かって歩き出した。
結依はふらふらとついてくる。
「……明穂、元気ね。」
「当たり前じゃない。わたしはいつもの全力よ。」
「それを勉強にもいかせたら良いのに……」
「うっ」
そんなやり取りをしながら、わたしたちは駅へ向かった。
――この時のわたしは、まだ思っていた。
これで、未来は変わるはずだって。
駅の階段を、わたしはスキップまじりに駆け上がる。
軽い足取りのまま、そのままホームへと降り立った。
――今日も、わたしの勝ちね。
誰に聞かせるでもなく、心の中で小さく呟く。
電光掲示板を見上げた。
電車の到着まで、あと十分。
ホームの端に立ち、今か今かと線路の先を覗き込む。
まるで遠足前の子どもみたいに落ち着かないわたしに、後ろから結依の呆れた声が飛んできた。
「明穂、危ないわよ。」
「大丈夫だって」
その瞬間だった。
ふいに、胸の奥がざわりと揺れる。
――見たことがある。
思わず、息が止まった。
これ……あの映像だ。
わたしが立っている、この場所。
昨日見たあの光景と、ほとんど同じだ。
人気のないホーム。
差し込む朝の日差しの角度。
すべてが、ぴたりと重なる。
まるでパズルの最後のピースがはまるみたいに、記憶の中の映像がカチッと音を立てて重なった。
そのときだった。
ホームにアナウンスが流れる。
『ただいま車両の安全確認のため、運行を一時見合わせております。お客様には――』
「嘘でしょ!」
思わず声が漏れた。
わたしは呆然とホームを見上げる。
なに?
どうして?
頭の中が真っ白になる。
そして、ふいに一つの言葉が浮かんだ。
――時間の自浄作用。
まるで、未来が自分で形を戻そうとしているみたいに。
まさか。
ここまでするの?
肩を落として立ち尽くす、わたしの横に、結依がため息まじりに近づいてきた。
「私を早起きさせた罰ね。」
ぽん、と肩を叩かれる。
わたしは口を開けたまま、ゆっくり振り向いた。
「えっ……?」
結局、わたしたちは一時間近くホームで足止めを食らった。
……意味ないじゃん。
ベンチに座るわたしの横で、結依の小言が延々と続く。
「だから言ったでしょ。そんな早く行かなくてもって。これはきっと神様がね――」
「うん……うん……」
生返事を返しながらも、頭の中では別の計算が回り続けていた。
まだよ。
まだ負けてない。
電車がホームに滑り込む。
ドアが開くやいなや、わたしは素早く乗り込んだ。
確か、前は……。
わたしたちの前に並んでいたのは五人。
駅から走れば、まだ間に合う。
道は覚えているんだから。
――逃がすもんですか。
まだ諦めていない。
駅に着いた瞬間、わたしは駆け出した。
「結依、早く!」
「ちょっと明穂!」
呼び止める声を背中で振り払いながら、階段を駆け上がる。
改札を抜け、そのまま通りへ飛び出した。
後ろから、結依が息を切らして追いかけてくる。
「明穂、待ってよ! ここまで来たらシフォン逃げないわよ!」
「逃げるのよ!」
自分でも意味の分からないことを叫びながら、走り続けた。
そして――。
店の角を曲がった瞬間。
わたしの目の前に、絶望が広がった。
「……えっ?」
思わず足が止まる。
人の列。
長い。
この前より……多くない?
慌ててスマホを見る。
時間は、前より五分早い。
それなのに――。
追いついた結依が、息を切らしながら言った。
「やだ、並んでるじゃない。」
その言葉の横で、わたしは小さく人数を数えていた。
「……五十五、五十六、五十七……」
声が、だんだん小さくなる。
う、嘘でしょ
「六十……六十一……」
一昨日より、十人近く多い。
目の前が真っ暗になった。
「とりあえず並ぼうか。店内無理でも、テイクアウトあるみたいだし。」
結依が気楽に言う。
それは、この前――わたしが言った台詞だった。
わたしは静かに首を横に振る。
無理なの。
わたし、知ってるの。
食べられないのよ、結依……。
もちろん、そんなこと言えるはずもない。
結局、わたしたちは列に並んだ。
そして。
しばらくして現れた店員が、淡々と告げる。
「本日のシフォンケーキは、こちらの四十五名様までとなります。」
その瞬間。
わたしは、がくりと肩を落とした。
――そこは、変わらないのね。
こうしてわたしと結依は、結局あの時と同じように近くのファーストフード店に落ち着いた。
紙袋の中からポテトをつまむ。
口に入れると、少しだけ塩が強く感じた。
「あーあ……」
わたしは小さく呟く。
「しょっぱい。」




