44.【ゆらゆら : 仮面道路】(後編)
前回の43.【ゆらゆら : チキンスーツ】(前編)の続き。
スーツの人を見送って、目の前に見える街並みをボーッと見つめながら思った。
ここは前に夢で見たことがある。
この場所がアッチノ世界なら、一番明るい空を目指して進んでいけば、我が家がある場所へ帰れるかもしれない。
なぜ夢が終わらない?
この夢の世界は何をアタシに見せたいんだろ。
そんなことをグルグルと考えてしまうけど……。
まだアタシはアッチノ世界の中にいる。
とにかく止まらずに先へ進んでみることにした。
外はパラパラと雨が降っている。
小さい交差点を渡ろうと歩き始めた時、誰かがアタシを追い抜こうとした。
凄く近くて、思わず顔を見たら兄だった。
「えっ、Tくん! なんでここに?」
慌てて声をかけると
「あれ? Aちゃんこそ。僕はお家に帰るんですよ」
兄の姿も受け答えも、いつもと変わらない感じだった。
現実の世界だと、兄の家は近くにある。
だけど、アッチノ世界だと兄の家があるはずの場所には、未来ビルがたくさん建っている。
そのことを伝えていいものか迷った。
でも、さっき兄は『家に帰る』と言っていたから、別の場所に兄の家があるのかもしれない。
とりあえず一緒に行ってみることにした。
歩きながら、スーツの人との出来事を兄に話してみた。
「そんなことがあったんだ? 大変だったね。じゃあここはAちゃんの夢の世界なのか」と兄は普通に話を聞いてくれた。
30.【巨大団地】の夢の時みたいに豹変されなくて良かったと、目が覚めた後に思った。
「この辺りは前に夢で見たことがあるけど、どうやって我が家へ戻ればいいのかがわからないの」
そう言うと
「そっか。とりあえず歩いてみようよ」と兄は楽しそうにずんずん進んでいく。
ビルの間を通り抜けると木造の建物が現れた。
そこだけタイムスリップしてしまったみたいに古びている。
「これって駅っぽいよね?」と兄は嬉しそうに言った。
「駅があるなら、知っている駅にも繋がっているかもしれない」
そう思ったらアタシも嬉しくなった。
切符が売っていそうな場所に行くと、そこには駅員さんではなく、昔のタバコ屋さんとか駄菓子屋さんにいそうなお婆ちゃんが座っていた。
「切符を買いたいんですけど……」と聞くと、お婆ちゃんは無言で目の前に何かを置いた。
手に取ってみると、江戸時代のお金やブレスレットみたいに、薄い石っぽい物が輪っか状に紐で結ばれている。
パーツをよく見たら、布、紙、石、鉄、ガラス、木など、一つ一つ違う素材のようだった。
兄と顔を見合わせていると……
「この中にお前さん達が持っているやつと同じ物があれば通れるぞ」とお婆ちゃんは呟いた。
一人一束ずつ渡されたけど、素材は薄い形状をしているから数も種類も結構多い。
それに『持っているやつと同じ物』と言われても、紙や木だって持っていると言えそうだし、何が正解なのかわからなかった。
それでも二人で黙々と探していたら
「Aちゃん、これ百円だよね? ほら!」と兄が興奮した様子で見せてくれた。
穴は開いているけど、確かに百円硬貨だった。
アタシも探してみると五十円硬貨を発見。
「アタシも見つけた! でも、五十円とか百円とか、そんな子供料金みたいな金額でいいのかな?」
アタシがそう言うと、兄は考えるような仕草をした。
「確かにそうだね。でも、行きたい場所の料金もわからないし、とりあえず持っている小銭を全部出していこう」と兄はすぐに財布からお金を取り出し始めた。
あっ、アタシもお金出さなきゃ。
でもお金なんて……
そう思っていたら、いつの間にか手にバッグを持っていた。
中には荷物がみっちり入っていて、財布を取り出したくても中々見つからない。
「そういえばさ、Aちゃんが助けたスーツの人ってどこに住んでる人だったの? 近ければ一緒に帰れたのにね」
兄は隣でアタシの様子を見ながら聞いてきた。
「うーん。ちょっと待ってね。小銭出したら貰った名刺を見てみるから……」
やっと財布を引っ張り出して、中に入っていた小銭をお婆ちゃんの前に置いた。
お婆ちゃんは無言のまま動かない。
兄も私も「これでいいのかな」と頷き合うと、改札口っぽい場所を恐る恐る通り抜けた。
ホームは二階にあるのか、通り抜けた先に階段があった。
財布をしまいながら階段を上ると、見えてきた景色に驚いてしまった。
駅のホームらしき通路や壁はちゃんとある。
でも、同じようにあると思い込んでいた線路が見当たらない。
線路が通っていそうな場所は、土でできた緩やかな坂道になっていた。
周りには草がたくさん生えている。
よく見てみると、そこはさっきまでいた駅ビルや交差点の辺りだった。
普段なら絶対に見えない距離だけど、アッチノ世界だと夢だからか、こういう時はいつも鮮明に見える。
たくさんの人が歩いていたはずなのに誰もいない。
ビルもお店も信号も、見える物全部の電気が消えて真っ暗になっていた。
真っ暗な方に戻るのも怖そうだから、そのまま坂道を登ることにした。
登り切った先は大きな道路に繋がっていた。
道路の周りには民家も並んでいて、普通に自動車もたくさん走っている。
こっちはまともな道かな。
このまま歩けば知っている場所に辿り着けそう。
そんな気がして、兄と話しながら歩いていたら……
二人乗りのバイクが通過。
通り過ぎる時、二人とも青緑色のお面のような物を付けているように見えた。
えっ。今のは……?
不安が頭をよぎる。
今回は夢であってもアタシ一人じゃなくて兄が一緒。
ちゃんと言わなきゃと思った。
「Tくん。今、通過したバイクの人達。ちょっと普通じゃなかったんだよね。何かおかしいかも……」と兄に声をかけるとーー
「うん。僕もそう思った。後ろ振り向いたら、今まで通り過ぎた車が全部停まってるんだよね」
それを聞いて振り返ると、確かに車が綺麗に並んで停まっていた。
言われるまで全然わからなかった。
近くの車を覗いてみると誰も乗っていない。
「Aちゃん。さっきのスーツの人、大丈夫かな? もしかすると、その人も帰れていないかもね」
そう言われて、スーツの人のことをアタシはすっかり忘れていたことに気がついた。
慌てて名刺を見てみると、かすれた様に文字が消えていて読めなくなっていた。
「Tくん。どうしよ……」
名刺を見せながらあたふたしているとーー
「僕らもやばいかもしれないから、早くここから離れよう」と言いながら兄は近くにある車のドアを開けようとした。
兄は免許は持っているけれど、全く運転できないペーパードライバーだった。
「Tくん。アタシの夢って変な所でリアルなんだよね。だから、運転は無理かも」
それを伝えると兄は苦笑いしながら歩き出した。
「ねぇ。Aちゃん。夢の中の僕だから気付けたことかもしれないけど……
さっきから〝アーエー〟って声みたいなのが聞こえるんだよね。Aちゃん、何か心当たりない?」
そう言われて耳を澄ますと、確かに聞こえてきて鳥肌が立った。
時々、アッチノ世界と現実が重なりすぎて、なかなか夢から目が覚めないことがある。
どう言ったらいいか悩むけど……。
朝起きて、仕度をして、出かけたはずなのに夢だった。
誰でも一回は経験したことがあるような夢。
それのもっとしつこいタイプかもしれない。
起きたいのに起きられない。
夢の中で夢を見て、起きる動作を十回以上繰り返す。
起きてから今が現実なのか、必死で確かめなきゃ気付けないぐらいリアルな夢を時々見る。
例えば――
今が現実なのか友達に電話をかけて確かめようとしたら、携帯電話がおもちゃの電話に変わっているとか。
こういうわかりやすいのだったら、夢だとすぐに気付く。
でも、それだけで終わらない。
おもちゃの電話の夢を見ている時に物音で起きる。
部屋の引き戸の磨りガラスから、廊下の電気が点いているのが見えて電気を消し忘れたのかと思ったら、父と母の話し声が聞こえてきた。
結婚して別の所に住んでいる姉の声も聞こえる。
その日、両親は旅行に行っていて家にはいないはずだった。
何かトラブルがあって途中で帰ってきたのかな?
この物音が聞こえなかったら夢から起きられなかった……。
そんなことを思いながらベッドから起き上がった。
「帰ってきたのー?」なんて言って部屋を出ると、廊下は真っ暗。
他の部屋にも誰もいないとわかった瞬間に目が覚めた。そのままベッドから起き上がると、廊下も暗いまま声も聞こえない。
夢の続き?
いや、夢から起きられたんだ。
安心していたら、どこからともなくあの民謡のような声が薄っすら聞こえてきた。
お経にも似ているその声を認識した途端に、部屋の中が陽炎のようにうねりだす。
まだ夢なんだ! と必死で自分の体を叩いていたら、また目が覚めた。
今度こそ起きなきゃ……
そう思っても、いつの間にか眠ってしまっているのか、同じようなことを数回繰り返す。
最後は友達からの電話でやっと現実に戻れて
「これ夢じゃない? 現実? 本当に夢じゃないよね?」なんて泣きながら確認したのを思い出す。
こんな感じで、民謡のような声と陽炎がセットになっている夢は自分でも上手いこと逃げたり、コントロールができない危険な夢だと思っている。
まるで夢が意思を持って、アタシをアッチノ世界に取り込もうとしているのでは……なんて思ってしまうぐらい自分にとって怖い夢。
殺人ロードの夢ともまた違う恐怖心を感じてしまう。
今回の夢もなかなか終わらないし、知らない場所ばかりでいつもと違っていた。
だから、身構えなきゃいけない夢だったのに、兄がいるから安心してしまって、アタシはあの声に全く気づくことができなかった。
「Tくん。もしかするとこの夢から出られないかも……」
そう言った途端に民謡のような声が大きくなった。
いつの間にか周りは陽炎だらけ。
どこからか〝ザリザリ〟と音がする。
周りを見渡すと、あちらこちらに見える陽炎の後ろから、全身に色取り取りのお面をつけた何かがたくさん立っていた。
こちらにゆっくりと近づいてくる。
異様な光景に怖さを感じていたら――
突然、物凄い叫び声が聞こえてきて目が覚めた。
飛び起きると、幼い姪がアタシの部屋にいた。
「Aちゃん! 遊びに来たんだから起きてよー」と耳元で大騒ぎしていて耳がジンジンする。
これは現実だな……と思えた瞬間だった。
恐ろしく長くて嫌な夢だった。
あのスーツの男の人はどうなったのか。
10年近く経った今でも時々思い出す。
そんな夢でした。