18 準備と仮装
帰りの馬車の中。アーネストはどこか苦々しそうに呟いた。
「仮装舞踏会ねぇ」
エウフェミアは初めて聞く言葉だったが、社交界に詳しいアーネストはそうではないのだろう。
「会長は参加されたことがありますか?」
「ねえよ。そもそも商人風情じゃ客から社交界の話は聞けても、実際に社交場に参加なんてできねえ」
「…………私も参加するのは難しいでしょうか?」
ハフィントン侯爵夫人から仮装舞踏会の開催を教わったとはいえ、実際参加するとなるとそれなりの手順は必要なはずだ。当日会場へ行ってそのまま参加できるものでもないだろう。
「いや。招待状ぐらいなら手に入れられる」
しかし、彼はあっさりと言った。
「お硬い集まりじゃねえからな。仮装舞踏会に興味のある若者なら誰でも大歓迎だろうよ。ありがたいことに参加時は仮装がドレスコードだ。パッと見ただけじゃ、お前の素性を不審がるヤツもいねえ」
確かに素顔のまま参加すれば、エウフェミアが貴族令嬢や夫人でないことはすぐ気づかれるだろう。仮装舞踏会というのはこちらにとって都合の良い催し物かもしれない。
「それなら、むしろ都合がいいのではありませんか?」
なぜアーネストが難しい顔をしているのかが分からない。元雇用主は表情を変えないまま答えた。
「仮装舞踏会に参加するってなったら問題がある。安全性だ」
「ええと、危ないということでしょうか?」
貴族が集まる社交界に危険性があるとは思えない。しかし、アーネストは「ああ」と肯定した。
「社交界ってのはお知り合いばかりだ。直接的な接点はなくても、情報通のヤツに聞きゃあ、どこの誰かは大体分かる。参加者の身元がハッキリしてるんだ。だが、仮装舞踏会は一見して、相手が誰か分かんねえ。自分はいつもの自分ではなく、一緒に踊る相手も知らねえヤツだ。そういう匿名性に新鮮さや魅力を感じて、刺激を求める若者が参加するんだが――同時に参加者の素性が分からねえのはリスクだよ。相手に何をされても、後で相手を糾弾できない。場合によっては『自分は参加してない。それは別人だ』としらばっくれられる」
「……なるほど」
確かに素性を知られていれば悪いことはできない。その抑止力が仮装舞踏会では働かないわけだ。
「ええと、つまり、何かを盗まれたり、暴力を振るわれるかもしれないということですか?」
「いや、暴力ってより」
「確かに精霊石が盗られてしまったら困りますね。乱暴なことも苦手です」
「……まあ、そうだな」
アーネストにしては珍しく、妙に歯切れが悪い。
不思議に思ったが、彼はため息を吐くと「ともかく」と話を続けた。
「上流階級の集まりだからって安心はできねえって話だ。――それともう一つ。参加したからといって、必ずリーヴィス公爵子息と接触できるとは限らない。向こうも仮装しているはずだ」
言われて気づく。
「確かにそうですよね。そもそも、ケント様のお顔も存じ上げませんし……」
仮装舞踏会に参加できたとしても、ケントに会えるとは限らない。
――だが。
アーネストがじっとこちらを見たあと、口を開いた。
「それでも、お前は参加しないって選択肢はとらねえだろ?」
エウフェミアはきょとんと彼を見つめる。それから、「はい」とはにかんだ。
どんな話を聞いても、仮装舞踏会への参加をやめようとは思わない。問題があるなら、それを解決できる方法を考えるだけだ。
エウフェミアが口に出さなくても、アーネストはこちらの考えを理解してくれている。そのことがこれ以上なく、嬉しかった。
アーネストは表情を緩める。しかし、それは一瞬のことだった。それから、窓の外を見上げる。
「まあ、そもそも。精霊庁経由でビオン・エリュトロスに接触できれば、仮装舞踏会へ参加する必要はなくなるがな」
「駅に戻りましたら、シリルさんに聞いてみましょう」
そうして、二人――と馬車を操っていたトリスタン――はアスカム駅に戻る。
客室でシリルにハフィントン侯爵夫妻の話を報告する。そして、ビオンに手紙を送ることは可能か訊ねてみた。
「いえ、難しいですね。ビオン様にご連絡するとなると、エリュトロス精霊爵を介する必要がありますから」
ビオン宛てに手紙を書いても、エリュトロス精霊爵に突き返されてしまうわけか。
エウフェミアは肩を落とす。
「では、やはり仮装舞踏会へ参加してケント様にお会いしたほうがよさそうですね」
すると、彼はこう言い出した。
「招待状の手配はこちらでしましょう。仮装舞踏会には私も同行します」
「いや。招待状はこっちで用意する」
しかし、即座にアーネストは反論する。
「アンタが仮装舞踏会に参加しようとしてるって噂が立ったら、どんな尾ひれがつくか分からねえからだよ。アンタと万象の精霊術師を結びつけるのは簡単だ。別の入手ルートがあるのにわざわざリスクがある方法は選べない。大人しくそのおキレイな顔を誤魔化せる仮装を考えとけ」
シリルはどこか疑うような眼差しをアーネストに向ける。
「……仮装舞踏会の参加自体は、反対しないんですか?」
「あんな集まり。実際に何があったかなんて分かんねえだろ?」
アーネストは皮肉げな笑みを浮かべる。
「もし、参加者にアンタの正体がバレたって、否定をすりゃいいだけだ。『そんな怪しげで俗物的な集まりに私が参加するわけありません』ってな。――参加したいなら反対はしない。アンタの分の招待状も用意してやるよ」
「…………ありがとうございます」
シリルは感謝を口にするものの、不服そうではあった。
それからエウフェミアたちはすぐさま帝都へと戻る。アーネストが招待状とエウフェミアの分の仮装も用意してくれるということで、こちらがやることはほとんどなかった。
そうして迎えた仮装舞踏会当日。
会場は皇宮にある迎賓館を貸し切って行われるそうだ。主催が公爵子息だからこそできる技だろう。参加者は身元が分からないよう皇宮で使われている馬車に乗って迎賓館に向かう。
その馬車の手配もアーネストが引き受けてくれた。彼はエウフェミアの仮装の手伝いのため、少し早めにやって来る予定だ。
そして、昼過ぎに化粧師だという女性を連れて来たアーネストを見て、エウフェミアは驚愕した。
「もしかして、会長も仮装舞踏会に行かれるのですか?」
彼が着ているのは黒の正装だ。仮装はしていなかったが、明らかに夜会のための装いだった。
「俺は保護者役だよ。社交界に慣れてないガキを二人もほっぽりだすわけにもいかないだろ。顔を隠せば中流階層の人間でも潜りこめるからな」
その言葉にエウフェミアは苦笑する。
シリルがいたら苦々しい顔をしそうな発言だ。エウフェミアも自分を子供だという歳ではないと思っているが、二十四歳のアーネストに子供扱いされるのも無理はないだろう。実際、社交界の知識があまりないのは事実だ。
そうしてエウフェミアは仮装舞踏会の準備に入る。
アーネストに着るよう指示されたのは真紅のイブニングドレスだ。赤い巻き髪のウィッグを被り、それに合わせた華やかな化粧をされる。
そうして、鏡に映る自分はまさに別人のようだった。仮装舞踏会では更に金箔が施された仮面で目元を隠す。
しかし、顔を隠さずとも、もはや誰も自分だとは気づかないかもしれない。それほどの変身だ。
支度を終え、エウフェミアはアーネストが待つ応接間に向かう。
扉を開けると、新聞に目を通していたアーネストが「終わったか」と立ち上がる。それから、頭の上から足の先まで観察される。
「まあ、上出来か」
アーネストは満足したように呟く。その反応にエウフェミアは安堵し、笑みをこぼす。それから、テーブルの上に置かれたものに気づいた。
「こちらが会長の仮面ですか?」
「そうだよ」
エウフェミアは思わずそれを手に取る。
真っ白な面は顔全体を覆い隠すものだ。そのうえ、後頭部を覆うような黒い布もついており、顔だけでなく頭全体を隠すようなデザインになっている。その横には黒い帽子もあった。
「まあ、俺の顔なんて知られてねえだろうが、念のためだな」
そんな会話をしているとセバスチャンがシリルの来訪を告げる。エウフェミアたちは出迎えのため、玄関へと向かった。




