16 ハフィントン侯爵邸へ
その晩、エウフェミアは胸の奥がじんわりと温まるような幸福感に包まれて、ベッドに横になった。
(とても楽しかった)
思い出すのはクラリッサと一緒の調理と、四人で囲んだ夕食だ。
屋敷の主人が料理をするというのは非常識かもしれない。
しかし、クラリッサは「皆さんに料理を振る舞いたいんです」というエウフェミアの希望を受け入れ、一緒に食事を作ってくれた。主菜はビーフシチューだ。
誰かに料理を振る舞うのは久しぶりだったが、皆喜んでくれた――と思う。面と向かって褒めてくれたのはトリスタンとシリルの二人。アーネストはいつも通り何も感想を言わなかったが、文句なく完食したあたり及第点ではあったはずだ。
「じゃあな」
帰り際、アーネストはそう言って馬車に乗った。
台所に戻るとクラリッサは「またご一緒に何か作りましょうか」と言ってくれた。今まで、彼女とあまり交流をしてこなかったことを申し訳なかったと反省しながら、エウフェミアは「はい」と頷いた。
翌日。
シリルとアーネストと共に、エウフェミアは上流貴族の令嬢に人気という仕立て屋へ出向いた。そこで採寸をし、いくつもの布を体に当てさせられた。
その足で今度は帽子屋、靴屋、宝飾店と巡る。どこでも採寸や試着を繰り返し、エウフェミアは次々と注文書に署名していく。
完成は二週間後。アーネストは「詳しいことが決まったらまた連絡する」と、宝飾店から直接ハーシェル商会へと帰って行った。
(……屋敷に寄ってくださればよかったのに)
そんなことを思ってしまうが、彼も忙しい身の上だ。あまり拘束するのもよくない。
それから、一週間後。シリルが「ハーシェル会長から連絡が来ました」と手紙を持って屋敷を訪れた。
「ハフィントン侯爵家の領地にあるお屋敷で面会の約束を取りつけたそうです。そこに向かう手筈を整えるように、だそうです」
その手紙はエウフェミアではなく、完全にシリルに当てたものだった。綺麗な筆跡で彼への指示が長々と書かれている。
そして、シリルはアーネストの指示通りに馬車と機関車の手配をした。出発はドレスの納品翌日。アーネストはドレスが届いた日に屋敷に寄り、セバスチャンに持っていくドレスや靴、装飾品を指示すると、またすぐに帰って行った。
そうして、迎えた出発当日。エウフェミアの屋敷に集まったのはシリルとアーネスト、そしてトリスタンだ。
ハフィントン侯爵家の領地近くの駅までシリルが同行し、それ以降は紹介者であるアーネストと二人で侯爵に会いに行く。レイランド公爵子息がハフィントン侯爵邸へ同行することをアーネストは拒んだ。
「自分の行動が、どう影響を及ぼすか考えろ」
彼は同行を申し出た官吏にその一言しか言わなかった。しかし、それだけで十分だったのだろう。シリルはそれ以上食い下がることはしなかった。
そのせいなのか、馬車の中でのシリルの表情が固いものだった。いつも以上に口数が少ない。そして、話さないのはアーネストも同じだった。
会長は無口というわけではないが、本人にその気がなければ話に加わらない。しかし、何を話しかけても短い返事しか帰ってこないのは珍しい。
「機関車に乗れるなんて! いやー、こんな経験一生に一回ッスよ! 楽しみだなあ」
一方のトリスタンはよっぽど機関車の旅が楽しみらしい。馬車の中でも雑誌や本で読んだという機関車に関する知識をたくさん教えてくれた。彼の興奮気味な解説に、エウフェミアは自然と頬を緩める。どこか張りつめていた心が、彼の屈託ない明るさに少しずつほぐれていくようだ。
そして、幸運なことに今回機関車に同乗する人間はおらず、貸切状態だった。そのため、車内を探検したいというトリスタンの要望は受け入れられ、エウフェミアも彼について回った。
精霊術師の依頼をこなすために、この一、二ヶ月で機関車には十数回乗った。しかし、その間に車内をこんな風に歩き回ったことはない。はじめての経験だった。
目的の駅――アスカム駅には夕方には着いた。駅にある宿泊施設に泊まり、翌日の出発だ。その夜、アーネストに呼び出され、彼の部屋で説明を聞く。
「エルマー・ハフィントン侯爵。年齢は四十五。妻のサヴァナは四十。子供は二人。長男のマシューと長女のミランダだ」
トリスタンが持参した地図を広げてくれる。帝国全土ではなく、南部の一部分を区切ったものだ。今いるアスカム駅を含めた、地図の半分がハフィントン侯爵家の領地だと云う。
「ハフィントン家は広大な領地を持つ。そのうちゴレッジってのが、火霊燃料の産出地だ。帝国内で流通する火霊燃料の約二割がここで生産されている」
その言葉に、エウフェミアは思わず息をのむ。想像以上の影響力を持つ家だ。
「その産出、管理のために、侯爵と息子は領地にいることが多い。社交界には年に数回顔を出すぐらいだ。代々精霊の恩恵を受けてることもあって、信仰深い。――まあ、付け入る隙があると云うことだ」
精霊術師の肩書を使えば、交渉の余地は十分ありそうだ。エウフェミアは考え込む。
(……問題はどこまで正直に打ち明けてもいいのか、よね)
例え相手が善良な信仰深い人物だったとしても、精霊術師の知識を教えるわけにはいかない。当然、先代ガラノス精霊爵やエウフェミアの事情もだ。
そして、それはアーネストに対してもそうだろう。彼にはウォルドロンで得た知識までは伝えてしまっているが、それ以降、キトゥリノ家で聞いたことまでは話していない。
皇宮のときのように、会長の知恵を借りたい。正直なところ、その気持ちは少なからずある。しかし、ここまでお膳立てをしてもらった上に、侯爵との交渉方法まで考えてもらうのは頼りすぎだろう。エウフェミアは明日までに何か方法を考えることに決める。
それから、明日の段取り、侯爵に会った時の作法など、最低限の打ち合わせをする。一通り話を終えてから、トリスタンが「そういえば」と口を開いた。
「ハフィントン侯爵夫人もお屋敷にいらっしゃるんですよね?」
「ああ。そう言ってたな」
その答えを聞き、トリスタンは一度口を閉ざす。それから神妙な面持ちでこちらを見た。
「エフィさん。仕事中の若様を見るのははじめてだと思うんですけど、……その、驚かないでほしいんスよ」
エウフェミアは首を傾げる。
「若様って、相手によって態度が変わる方なんです。特に上流貴族の方と会う時は……ちょっと別人みたいになるというか」
「接し方を相手に合わせるのは当たり前だろ」
歯切れの悪いトリスタンに、アーネストは当然のように言う。
「お上品な相手に同じように合わせてるだけだよ。それに、ハフィントン侯爵夫人への態度はそんなに変えてないほうだろ」
二人の話を聞きながら、エウフェミアは考える。
エウフェミアはアーネストが彼より身分の上の人間と接する姿をほとんど見たことがない。唯一、シリルくらいだろうか。最初だけだったとはいえ、敬語で話す姿は珍しかった。しかし、それほど驚くような変化はなかった。
そのことを伝えると、トリスタンは諦めたように言った。
「見れば分かるッスよ。ホント、びっくりしないでくださいね」




