13 アーネストとの交渉
シリルが席を外し、部屋にはエウフェミア以外にアーネストとトリスタンの二人が残る。
エウフェミアがした説明はアーネストに向けてのものだ。皇宮やウォルドロンでの話を知らないトリスタンには、分からない部分も多かっただろう。しかし、会長補佐は何一つ口を出さず、傍観者に徹してくれた。
「そういうわけで、エリュトロス精霊爵にお会いしたいのです」
元々シリルがどこまで説明していたかは分からない。エウフェミアの話は重複する部分もあっただろう。それでも、最低限の誠意として自分の口で経緯を説明したかった。それから、改めて質問を投げかけた。
「会長はハフィントン侯爵夫人とお知り合いなのですよね?」
「まあ、贔屓にしてもらってる客の一人だな。頼めばハフィントン侯爵を紹介ぐらいはしてくれるだろうな。あの侯爵も人がいいからな。お前の境遇をある程度話せば、協力させるのは難しくねえと思うぜ」
彼を頼ればエリュトロス精霊爵へ近づけることが分かり、エウフェミアは安堵の息をもらす。しかし、同時に困り果ててしまった。悩んだ末、自分でもおかしいと分かる質問をしてしまう。
「あの、……その、会長は何か欲しいものはございませんか?」
「――はぁ?」
案の定、アーネストは冷たい目線をこちらに向ける。それに耐えかね、エウフェミアは言い訳を口にする。
「ええと、可能であればハフィントン侯爵をご紹介いただきたいんです。けれど、私には交渉材料がなくて。シリルさんのような伝手は持ち合わせておりませんし、あるとしたらもうお金ぐらいで……。この一ヶ月、たくさんお仕事を引き受けて、それはもう使いきれないぐらい報酬をいただいたのです。だから、そのお金で会長の必要なものを用意できれば、交渉材料にできるかと思ったのですが――でも、会長もお金はお持ちですよね。私に買えるものなら、とっくに手に入れていらっしゃいます――よね?」
「安心しろ。今のお前の資産は俺の個人資産より多いだろうよ。中流階級の人間が、上流階級の人間ほど稼げるわけねえだろ」
エウフェミアは少し前まで下層階級の労働者だった。経営者のアーネストのほうが階級が高かった。しかし、それはこの一ヶ月で逆転したのだ。――そのことを思い知り、また、少しだけ悲しくなる。
「欲しいもの。欲しいもの、ねぇ」
アーネストは腕を組み、しょげこむエウフェミアに気づかぬまま考え込む。しばらくして、彼は真面目な顔で答えた。
「ねーな」
思いもよらぬ回答に、エウフェミアは「ない」と思わず呟く。
「これでもあまり物欲はねえんだ。高いもので着飾っちゃいるが、コレはただの武装だよ。俺みてえな立場の人間が安モンを着てちゃ、馬鹿にされるからな」
アーネストは当たり前のように答える。エウフェミアは混乱しながらも、以前彼から聞いたお金の使い方を思い出す。
「ええと、会長は煙草以外にお酒を嗜まれるんですよね? いいお酒をご用意するというのはどうでしょう」
「別にいい酒が飲みたいわけじゃねえよ。いい酒ならある程度のランクまでならもう味を覚えてる。酒の味の違いが分かる人間を気に入るヤツはいるが、分相応以上の酒の味を知ってるヤツはやっかまれるだけだよ。自分一人で飲むなら安酒で十分だ」
「で、では、賭博は」
「人からもらった金で賭けをする趣味はねえ」
そうなると、残るは『女性』。アーネストが『歓楽街で美女と過ごすことが出来る』と言っていた。
エウフェミアはぐるぐると考える。
(私も性別は女ですけれど、会長がおっしゃってたのは『美女と過ごせるのが男性は楽しい』ということでしたよね。私は特に美人でもなんでもありませんし、そういった女性を紹介もできません。――いえ、もしかしたらシリルさんに頼めばなんとかなるものでしょうか。歓楽街ならお金を払えばいいのですよね。お金なら私が出せますし、そのための手配だけシリルさんに頼めれば……)
しかし、そこまで考えて、エウフェミアはなんとなく気分が落ち込むのを感じた。その理由が何なのか。その答えを見つける前にアーネストが釘を刺してきた。
「言っとくが、女を用意しようとか考えるなよ。若い娘に金を出させて女と遊ぶような屑にまで落ちぶれたつもりはねえし、そもそも遊ぶ相手も間に合ってるよ」
女性を用意しなくていい。そのことに安堵していいはずなのに、やはり何だかもやもやする。
エウフェミアは曖昧な笑みを浮かべていると、突然アーネストが怒りだした。
「本当に、お前はろくな交渉ができねえな! 皇宮ではレイランドの坊ちゃん相手に上手く立ち回ったと見直してやってたのに、結局コレか! まだ、ガキのお使いの方が上手く値切るぞ!」
いや、突然ではなかったのだろう。最初にエウフェミアが欲しいものがあると聞いたところから、彼は苛々していたのだろう。
「で、でも、私、本当に何も思いつかなくて」
「そりゃそうだな。お前じゃ、俺と取引するための対価は用意できねえよ」
――そんな。
ある意味分かり切っていたことだが、ハッキリと言い切られてしまい、エウフェミアは項垂れた。
また、エリュトロス精霊爵へ近づく道が閉ざされてしまうのか。
しかし、アーネストは続けて意外な言葉を口にした。
「まあ、でも、手を貸してやってもいいぜ」
「――本当ですか?」
思わず、エウフェミアは身を乗り出す。アーネストは苦笑してから、真面目な顔に戻る。
「こんなときに嘘はつかねえよ。ハフィントン侯爵に会わせてやる。そこから先、侯爵に直談判するのはお前の仕事だ」
「分かりました。――本当はありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいのか」
エウフェミアは立ち上がり、深々と頭を下げる。
アーネストに頼りたくないと思っていたのに、結局彼に協力してもらうことになった。そして、約束を取りつけた今はそのことに嫌悪感も罪悪感も抱いていない。自分のことなのに、不思議でしかたない。
だが、それ以上に気になることがある。
頭を上げ、その疑問をアーネストにぶつける。
「でも、どうして会長は協力してくださるんてすか? ……何も対価は払えないのに」
それは以前、ブロウズの街で深夜の面談をしたときに聞いた質問に似ていた。
なぜエウフェミアを雇ってくれたのか。あのとき、アーネストは答えてくれなかった。
「俺だって元従業員への情くらいはあるさ」
しかし、今回はさらりと答えてくれた。
確かにアーネストは合理的な考えの持ち主だ。だが、冷徹な人間ではないことはエウフェミアも知っている。以前、『優しい』と評したときに嫌そうな顔をした会長が、『情がある』と素直な答えをくれたことがとても嬉しかった。
エウフェミアは「ありがとうございます」と再度お礼を伝える。アーネストは肩をすくめ、トリスタンは満足そうに笑ってくれた。




