12 会いたくない相手
「使えるものは使う。変に遠慮をしていては、目的を果たせませんよ」
シリルはそう言ってエウフェミアを家まで送り届けると、そのままハーシェル商会のある商業区域へと馬車で向かってしまった。
アーネストに迷惑をかけたくないと主張したものの、エウフェミアはシリルを止めることはできなかった。強い意見を持つ彼を引き止められるほど、エウフェミアの意思は強くなかった。
(……本当は、シリルさんが正しいのよね)
自室のベッドに座りながら、エウフェミアはぼんやりとそんなことを思う。
エウフェミアの目的は八年前に何があったのかを知ること。それが簡単なことではないのはキトゥリノ家の一件で分かっていることだ。ならば、なりふりなどかまってられない。
――そう、分かっているのに。
なのに、元雇用主のことを思うと心が騒ぐ。シリルには迷惑をかけたくないと言ったが、それだけではない。胸の奥に、小さな棘のような感情が刺さる。
(…………私、会長に会いたくないんだ)
そのことに気づくのは少し時間がかかった。
アーネストに頼ることになれば、顔を合わせることになる。その理由はまだうまく説明できないが、それは嫌だ。
(会長はシリルさんの頼みを聞くのかしら)
皇宮での二人は相性が悪いように見えた。シリルはアーネストに好意を抱いていないだろうし、逆もまた同様なのではないだろうか。少なくとも、元雇用主がシリルに手を差し伸べる姿は想像できない。
エウフェミアは祈るように、両手を握る。
(――会長が断ってくれれば)
それはシリルが交渉に失敗することを意味する。他人の失敗を祈ることは良くない。それでも、エウフェミアはそうなることを祈らずにはいられなかった。
シリルの馬車が戻ってきたのはそれから一時間ほどしてのことだ。
思ったより早い。不安と期待を抱いたまま、知らせを聞いたエウフェミアは玄関へと向かった。
「おかえりなさいませ」
「……戻りました」
ちょうど扉を開けて姿を現したシリルはひどく苦々しい顔をしていた。
――もしかして。
彼の望み通りに事は運ばなかったのではないか。不快そうな表情の理由をそう推測し、エウフェミアは少し緊張がほぐれるのを感じた。
「どうでしたか? 会長はなんて――」
おっしゃっていたのか、と言葉は続かなかった。シリルの後ろに、その当の本人がいたからだ。
「よぉ。一月ぶりだな」
その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。体が強張る。
アーネストは最後に別れたときから何一つ変わっていなかった。ぶっきらぼうな喋り方から、その心情は窺えない。
困惑しながらも、エウフェミアは言葉を絞り出す。
「どうして」
会長がここにいるのか。
エウフェミアの疑問に答えてくれたのはシリルだった。
「……エフィさんに会わないと結論は出せないとのことだったので、連れてきました」
エウフェミアの屋敷にアーネストを連れてきたのは不本意だったのだろう。その説明さえも嫌々そうだ。
全体を把握してから結論を出す。彼らしいと言えば彼らしい。しかし、同時に違和感も覚えてしまう。
(なぜ、お話しにいらっしゃったのかしら)
わざわざ会いに来たというのは、エウフェミアに手を貸してもいいと思っているということだ。そのつもりがまったくなければ、そもそも最初から断ってるはず。
しかし、エウフェミアの手助けをして、アーネストに――ハーシェル商会に利があるとは思えない。
エウフェミアは元雇用主を見つめる。先ほどの挨拶以降、アーネストは口を開かない。ただ黙って、彼もこちらを見ている。
「あのー、若様。僕のこと忘れてません? そこに突っ立ってられちゃ、いつまで経っても中には入れないんですけど」
そこに割り込んできたのは、アーネストの後ろからひょっこり顔を覗かせたトリスタンだった。元同僚の顔を見て、エウフェミアは顔を輝かせる。
「トリスタンさん!」
「エフィさん、お久しぶりッスね。元気にしてましたか? いやー、さすが貴族の居住区域のお屋敷はすごいですね。エフィさんの新しいお家も素敵っスよ」
会長補佐の登場で、エウフェミアは緊張がほぐれるのを感じる。
「エフィさん。詳しい話は応接間でよろしいですか?」
「は、はい」
シリルに言われ、客人を玄関で立たせたままであることに気づく。
「すみません。こんなところでお構いもせずに」
三人を応接間に案内し、ソファに促す。クラリッサが紅茶を運び、それぞれの前に置く。その間も、誰も口を開くことはなかった。
(……どうすればいいのかしら)
シリルはアーネストにどこまで話したのだろうか。会いに来たということは、ハフィントン侯爵夫人の伝手が必要なのがエウフェミアであることは既に知っているのだろう。
本来なら、エウフェミアが自分で話をする場面だ。しかし、未だ彼を頼る気になれないのは確かだ。――その理由である彼に会いたくない、という願いは打ち破られてしまってはいるが。
アーネストはクラリッサが部屋を退出するのを見送ると、どこか気だるげに大きなため息を吐いた。それから、向かいに座るシリルを指差す。
「シリル」
エウフェミアは捻くれ者の会長がシリルを名前で呼ぶのをはじめて聞いた。シリルもどこか驚いたように目を瞠る。しかし、続いた言葉に官吏の青年の表情はすぐに崩れた。
「お前、部屋から出てろ」
「…………はい?」
「お前抜きで話をしたいと言ってんだよ。さっさと出てけよ」
アーネストの無礼な物言いは今にはじまったことではないが――シリルは明らかにひきつった笑みを浮かべる。
「私抜きで何を話すと言うんですか? あなたに話を持ちかけたのは私ですよ」
「俺はお前に手を貸すつもりはねえよ」
食い下がってきたシリルを、アーネストは一刀両断した。その言葉は冷たく、慈悲もない。
「お前の持つレイランド公爵家との繋ぎってのはまあ、悪くないカードだが……そんな大した価値はねえだろ? レイランド公爵は俺みたいなのがいくら売り込んだところで相手にしてくれねえだろうし、夫人も愛人の子供の紹介する商人なんて信用しねえだろう。夫人に取り入るなら、他のルートを当たったほうがよっぽどマシだ」
シリルは馬の合わないハーシェル商会会長に自分の事情までは話していないだろう。それでも、アーネストがレイランド侯爵と夫人の人となりを分かったように話すのは、それほど彼が上流階級に詳しいからだろう。
アーネストの目がエウフェミアに向く。
「本気でエリュトロス精霊爵に接触したいなら、自分で交渉に出ろ」
その言葉は力強く、真っすぐ向けられた鋭い黒い眼差しは真剣なものだった。その声を聞いて、その目を見て、エウフェミアは不思議と身体の奥から闘志がみなぎっていくのを感じた。
悔しげに歯を食いしばるシリルに、エウフェミアは声をかける。
「シリルさん。申し訳ありませんが、別のお部屋でお待ちいただけますか?」
「……ですが」
「大丈夫です」
エウフェミアは安心させるように微笑む。
「会長とは、私がお話しします」




