13 声が届かない理由
二人は居間の応接ソファに向かい合わせに座る。
「色々試してもらったが、最後の一回を除けば全部成功だ。祈りは声に出す必要はない。目を閉じる必要もない。ある程度複雑な指示も通る。一時間半程度なら継続して精霊術を維持することができる。一度精霊術が発動すれば、その間注意が逸れても精霊術が解除されるわけではない。また、視覚に頼ってるわけでもない。対象のある方向を向いている必要もない。障害物の有無も関係ない。後はどれくらいの距離までが有効範囲なのか、だが……今回は割愛する。実験するにはこの部屋は狭すぎるからな」
アーネストがつらつらと語り出したのは、先ほどまでの実験のまとめだ。何をして、どういう結果だったのかはエウフェミアも覚えているが、こうしてまとめられた内容を暗記するのは難しい。それを察したのか、アーネストが口を開く。
「色々言ったが、……一番大事なのは、お前が“ちゃんと”精霊術を使えるってことだ」
「はい」
「次に、お前が精霊術を発動できないケースを作れた。これは重要だ。なんせ、お前は水の大精霊を鎮めるための精霊術が上手く扱えなくて困ってるからな。この二つのケースが同じ要因で起きている可能性がある。断定するのは危険だが、なんせ情報が足りない。一度、要因が同一のものか、関連性があると仮定して話を進めるぞ。さて、主寝室の水を浮かせられなかったのはなぜか。その原因を確定させたい」
そう言ってアーネストはテーブルに置いてあったコップを手に取る。
「主寝室にあるのはコレと同じものだ。ベッドサイドのテーブルの上に置いた。もう一度精霊術をかけてみろ」
確認のためアーネストは主寝室に入る。精霊石に祈るが、やはり手応えがない。戻ってきたアーネストにそのことを伝える。
「なら、次はこのコップを窓際に置く。部屋にある全てのコップの水を浮かせろ」
そう言って居間に置いてあったコップを手に、主寝室に姿を消す。再び祈る。すると、不思議なことに今度は手応えを感じた。
「おい、こっち来い」
アーネストに呼ばれ、エウフェミアも主寝室に入る。すると、水の球体が三つ浮かんでいることに気づく。
(…………あれ?)
室内を見ると、窓際、サイドテーブル、そして椅子の上にもコップが置いてある。エウフェミアが困惑していると、「解除しろ」と命令される。
「そういうことか」
アーネストは一人納得した様子だが、エウフェミアには未ださっぱりだ。居間のソファに戻ると、アーネストは説明をしてくれた。
「主寝室にあるコップは他の物と相違点が一つある。あれは使用人に持ってこさせたものだ」
その説明に腑に落ちる。エウフェミアは部屋中からコップを集めてバスルームに持って行った。どこにコップがあったのか不思議だったが、客室の外から持ってきた物だったのか。
「ええと、どうして使用人の方が持ってきた物だと駄目だったのでしょうか? 条件は他の物と一緒ですよね? あの水が精霊術の聞かない特別な物——なんてことはありませんよね。そういう話は聞いたことありませんし」
「そうだな。別の客室の水道から汲んできてもらったものだ。中身はバスルームにあるお前が入れた物と変わらねえよ。そもそも、水自体が特別な物っていうなら、最後の実験では浮いた辻褄が合わなくなるだろ」
「そう、ですよね」
では、何が違うのか。エウフェミアも自分なりに考えてみるが、それらしい理由が思いつかない。こういった思考を巡らせるのはそれほど得意ではない。それでも必死に頭を働かせていると、その様子を黙って眺めていたアーネストが口を開いた。
「こういう思考は俺よりお前の方が得意だと思ったんだがな」
エウフェミアは首を傾げる。
「水を浮かせているのはお前じゃない。精霊石を通して、お前の祈りを聞いた精霊だろ? だからこそ、お前が部屋にコップが二つしかないと誤認しているにも関わらず、部屋の中にいる精霊は『すべてのコップの水を浮かせろ』という指示を忠実にこなしたんだ」
エウフェミアは当たり前のことを失念していたことに気づく。
今はもう精霊達の姿は見えない。それでも、精霊術が使えているということは今も周囲には水の精霊達がいて、あの実験中もずっと力を貸してくれていたのだ。そんな当然のことを忘れていた。
幼い頃、一緒に遊んだ水の精霊たちの姿を思い出す。彼女たちはいつでも優しく、困ったときには助けになってくれた。それは今も変わらないのだ。
(——みんな)
目頭が熱くなるのを感じる。しかし、精霊の存在を指摘したアーネストは妙に冷たい表情を浮かべたまま話し出す。
「俺は目に見えるものしか信じないタチだ。この世界を大精霊が創ったと言われてもピンと来ねえ。お前とはさんざん精霊の話をしてきたが、俺自身は精霊はいないものと一緒だと思ってる」
それは今のエウフェミアには冷水をかけられるような発言だった。
アーネストの性格を考えればある意味当然の発言だ。しかし、エウフェミアにとって大好きな精霊を否定されたようで少しだけ悲しい。その感情が表情に出ていたのか、苦々しい表情でアーネストは付け加えた。
「言っとくが精霊自体の存在を否定したわけじゃねえぜ。今だって精霊がいなきゃ成り立たない光景を見せられたし、居る前提でこの国は回ってる。ただ、俺は精霊の恩寵とやらと無関係だ。その姿を見ることも、聞くことも出来ない。そんな存在は、俺の人生には無関係なものなんだよ。下層階級の人間が生きている中で一生皇帝に会うことがないのと一緒さ。確かにソイツは存在して、自分の人生に影響を与えているが、直接的な関わりはないって意味だ」
確かにフィランダーの家に行ったとき、彼はエウフェミアの精霊にまつわる悩みを『どうでもいい』と断じていた。確かに帝都で暮らすエウフェミアにとっても、皇帝というのは遠い存在だ。それに近いと言われれば、理解もできる。
「だから、こういう考えはあまり好きじゃねえんだが、『この世界には精霊が実在し、人間と同じように意思を持ってる』っていう一般的な通説が事実であるという前提で、精霊側の視点で、仮説を立てる。精霊術を発動する上で、主体は精霊だ。精霊術師側を軸に考えても、真因を明らかにはできねえ」
今、彼はエウフェミアと同じ立ち位置で思考をしようとしてくれている。そのことはよく分かった。エウフェミアも、今の自分ではなく、精霊たちを感じられていた頃を思い出しながら考え始める。
「……精霊たちはみんな、私に優しくしてくれました。私の声が届いていたら、絶対助けてくれるはずです」
「なら、その前提で考えようじゃねえか」
ニヤリと彼は笑う。先ほどまでと打って変わって上機嫌に質問をしてくる。
「じゃあ、なんで最初主寝室にいた水の精霊たちはお前の助けをしてくれなかったんだろうな。なぜ、お前の声が届かなかったと思う?」
「……そうですね」
エウフェミアは昔の記憶を思い返す。
幼い頃、湖に落とした帽子を水の精霊が浜に戻してくれたことがあった。母はそうしてくれた理由をエフィのことを友達だと思っていたからと言った。本当なら助けてはくれなかったとも。
「今まで会った精霊たちには届いていましたけど、……もしかしたら、会ったことがない精霊には私の声が届かないのかもしれません」
「いい考えだな。俺もあそこの水はお前と接触していないのが理由だと考えてる。なら、居間のコップを移動させた後、全ての水が浮いた理由は?」
「元々ここにいた子が浮かせてくれた、ってことですよね。もしかしたら、その子が他の精霊たちにも呼びかけて——いえ、それはありませんね。母は昔、精霊同士は協力しないと言っていましたから」
「じゃあ、この問題を水の大精霊に当てはめてみるか。なぜ、大精霊はお前の声に応えないと思う?」
エウフェミアは考える。
先ほどのように会ったことがない、というのは理由にはならない。彼女には昔会ったことがある。だが、水の精霊の主人たる水の大精霊はエウフェミアの友達ではない。彼女と会ったときのことを思い出す。
「水の大精霊様は気位の高い方です。以前お会いしたとき、私と会ってくださったのは父が頼んだからだとおっしゃってました。あの方はおそらく、父以外の願いを聞いてはくださらないのではないでしょうか?」
水の精霊たちに呼びかけるように、普通に祈るだけでは駄目なのだ。エウフェミアがいくら『心を鎮めてください』と声をかけ続けても、彼女の心には届かない。しかし、そうなると、また結論は振り出しに戻る。
エウフェミアは弱音を吐く。
「でも、そうするとやはり私では——」
「お前は他人に自分の言うことを聞かせる方法が『どうぞお願いします』と頼むことだけだと思ってるのか?」
だが、それを言い終える前に、そう問われた。
「説得。言いくるめ。取引。脅迫。手段はいくらでもある」
「水の大精霊様にそんなことは」
「今言ったのは俺のやり方だ。同じことをしろとは言わねえよ。いや、むしろお前はお前なりのやり方をとるべきだ」
アーネストのやり方を真似ても彼と同じことは出来ない。そのことは既に分かっている。
(私なりのやり方)
その方法は未だ具体的には思いつかないが、それを見つけるのがきっとエウフェミアの仕事だ。
「もう、いい時間だな」
エウフェミアが考え込んでいると、置き時計を見上げたアーネストが言った。既に時刻は五時過ぎ。昨日一昨日なら祭壇の間を出ている時間帯だ。
「飯食ったらさっさと寝ろ。レイランドの坊っちゃんには休みと説明したが、実際休めてねえからな。明日、疲れた顔で会わせたら俺が何言われるか分からねえ」
言われた通り、エウフェミアは夕食を済ませ、お風呂に入ると早々に主寝室に戻った。
ベッドの中ウトウトとしていると、外から何やら話し声が聞こえた気がした。気になって体を起こしたが、その時には音は聞こえなくなる。不思議に思いながらも、再び横になる。疲労を感じてはいなかったが、実際は疲れていたのだろう。睡魔はすぐに訪れ、朝まで目を覚ますことはなかった。




