第860話
遊廓、しだれ屋、風呂。
さりさりさり・・・
「ほおら、こんなに出ましたよお」
「ぎゃー! 嫌あー!」
クレールの声が響く。
湯女の手に、1寸程の垢の塊。
「全部取っちゃいましょうねえ」
「あり得ない! あり得ません! 私の身体に垢が!?」
「取らないと不潔ですよお」
「嘘です! 私の身体に!」
「本当ですよ。あ、背中では見えませんよね。お腹の方やってみます?
お腹の方でもたくさん出ますよ」
「嫌です!」
「でも、こんなに大きなのが取れるんですよ。
という事は、その分、体重が減るんです」
「はっ!? 体重が!?」
「やってみます?」
「やって下さい!」
「はーい」
すりすりすり・・・
「ほおら」
「いぎゃー!」
「お腹にもこんなに垢がありましたよ」
「ありえません! あってはならないんです!」
「うふふ。現実を受け入れて下さいませ」
「嫌です!」
「やめます? 体重減りますけど」
「やって下さい!」
いやー! またクレールの声が響く。
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2階、宴会場。
トモヤが酒をちびちび飲みながら、
「のう、あれはクレール殿の声か? 随分と賑やかじゃの?」
「ふふふ。お前も行ってみれば分かる」
「何じゃ? 痛いのか?」
「いや。ただの垢すりだ。だが凄かった。
アルマダさんも驚きましたよね?」
「勿論ですよ! あんなに取れるとは思いませんでした。
最高の風呂って、あの垢すりの事だったんですね。
驚きましたが、身体が軽くなりましたよね」
「ええ。少し柔らかくなったような気がしますよ」
「ほう! そんなに凄い垢すりなのか!」
「おお、そうだ。柚子湯も良かったぞ。
と言っても垢すり以外は、蒸し風呂も湯もどこが最高なのか良く分からん。
冒険者ギルドの湯と違いが分からんな」
「良いヒノキを使っているとかではありませんか?
そこより湯の水質なんかの方が大事だと思いますが」
「ですよね。胃腸が良くなるとか、筋肉痛が治るとか」
「温泉みたいですが・・・まあ、そうですね」
女性陣で1人だけ風呂に行かなかったカオルがマサヒデの前に座った。
徳利を持ち、
「さ、ご主人様」
「いやあ、酒はいりませんよ」
「もう少し、私の酔い止めを信用して欲しいのですが」
「それは信用してますけど・・・」
ちら、と小赤を見て、小声で、
「ここの酒、そこまでは・・・ねえ?」
アルマダとトモヤも頷く。
「ですね」
「ま、確かに美味いっちゃ美味いが、といった所かの」
「私達は三浦酒天と虎徹の味に慣れてますからね。
この町では、言う程の味ではないですよ。
こう言ってはなんですが、期待外れです」
「じゃな」
ふ、とカオルが笑って、徳利をアルマダに向ける。
「左様ですか」
「この歓楽街では一番なのかもしれませんね。狭い世界ですよね」
「全くです」
「あれ? でも、太夫さんと禿以外の人は、普通に町に出ますよね。
知らなかったんでしょうか?」
アルマダが注がれた酒を呑んで、
「ここでそこそこのタダ飯を食わせてもらえるのです。
他で食べようと思わないだけでは?」
「そうですかね。たまには他でもって考えないんでしょうか」
「さあ。そこは本人に聞いてみませんと、何とも」
もう一度、ちらと小赤の方を見る。
禿が三浦酒天の酒の徳利を抱えて、小赤の盃に注いでいた。
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少しして、さらりと襖が開き、店員が入って来て、マサヒデの前に座った。
「トミヤス様」
「何でしょう」
「ジョージ様がお目通りを願いたいと」
「ジョージ・・・ご店主の? ジンネマンさん、でしたっけ?」
「はい」
す、とカオルの目が細くなった。
「分かりました。ここで?」
「いえ。別室をご用意しております」
「そうですか。行きます」
マサヒデが立ち上がって、
「アルマダさん。戻って来るまで頼みます」
「はい」
ちらっとカオルの方を向くと、カオルが目で頷いた。
「それではご案内をお願いします」
「では、こちらへ」
大部屋を出て、襖を閉め、店員について階段を下りて行く。
1階の居酒屋のような所では、男達が酒を飲みながら細見を見ている。
その横を通り過ぎ、奥に入って行く。
ちらりと横を見ると、飯炊き場。
調理人達が忙しそうに駆け回っている。
さらに奥。
店の賑やかな声が遠ざかり、静かになってきた。
明かりが漏れている障子がある。
「こちらです」
マサヒデが障子の前で座ると、
「ジョージ様。トミヤス様をお連れしました」
「お入り頂いて下さい」
はて。この声は・・・少し違うが、間違いない。
すー、と店員が障子を開くと、行灯に照らされた覆面の男。
誰も顔を知らないという、18代目ジョージ=ジンネマン。
だが、マサヒデには分かった。
「お楽しみの所、申し訳ありません。
私がしだれ屋主人、ジョージ=ジンネマン。
トミヤス様、宜しくお願い致します」
「マサヒデ=トミヤスです。今夜はお招き感謝致します」
「どうぞ」
「失礼します」
マサヒデが部屋に入ると、障子が閉められた。
「・・・」
肩越しに廊下の方を見ると、店員が下がって行くのが分かった。
ジョージの方に向き直り、
「なるほど。あなたがジョージ=ジンネマンでしたか」
「お分かりで」
「声はもう少し変えた方が良いですよ。
勘の良い方には、すぐ分かってしまうと思います」
「これは参りました」
ジョージが覆面を取って、ぱさりと横に置く。
18代目ジョージ=ジンネマン。
それは、マサヒデ達を奢りに誘った下男であった。
「先日、魔術師協会に来られたそうですが、あれは別の方ですか」
「はい」
「ですよね。鬼族のシズクさんに分からないはずがない」
「そう思いまして、失礼ながら影武者をという訳です」
ジョージが徳利を差し出す。
マサヒデが手を出して止める。
「いえ、結構です」
「ご警戒されるのも、もっともですが」
「あ、そうではありません」
マサヒデが照れ臭そうに頭をかいて、
「酒って苦手というか、味がまだ分からなくて。
実は、今日も酔い止めを飲んで来ています」
「おや、そうでしたか」
「すみません」
「いえいえ。では、軽く茶でも」
ジョージが、すー、と引き出しを開けて茶碗を出す。
「うわあ、すみません。茶はもっと苦手です。
あ、でも茶菓子はもらえますか」
「ははは! ではこちらを」
ジョージが懐紙に大福を乗せて差し出す。
「いやあ、お恥ずかしい。頂きます」
もにっ。みよーん・・・
「む、む」
「ふふふ。如何です」
「にょいましゅね(伸びますね)」
「冷めてもそこまで伸びる餅は、中々珍しいでしょう」
「みゃい」
もちゃもちゃ・・・ごくん。
「うん、これは美味い! すごい大福ですね!」
「喜んで頂けて、恐縮です」
「これはどの店で」
「向かいの茶屋です。馴染になりませんと出してくれませんでな」
「ううむ、馴染ですか。次に食べるまで何度通えば良いでしょう」
「ふふふ。トミヤス様ご一家はいつでも買えるよう、計らっておきましょう」
「そういうのって、お店に無理言ったりする事になりませんか」
「大丈夫です。実はあの茶屋もうちの店です」
「それでは、お言葉に甘えます。クレールさんが喜びますよ」
「それはそれは。レイシクランからお墨付きが頂ければ、うちも鼻が高い。
で、料理の方は如何でしたでしょうか」
マサヒデは一瞬考えたが、
「正直に答えますが、この町で一番ではないです」
「ブリ=サンク」
「ううむ、確かにあそこは一番美味いと思います。
ですけど、肩ひじ張って行かなければならない店ですしね。
味は確かですけど、あんな固い店は私は好みません」
「では、他にも」
「魔術師協会のすぐ近く、居酒屋の三浦酒天。
職人街の船宿、虎徹。
私が知っている限り、この3店より下です」
「これは手厳しい」
「私よりもクレールさんに確かめてみては。
この店でレイシクランのお墨付きを頂ける料理があるか。
三浦酒天、虎徹にはいくつもあります。
お時間があれば、ご自身で食べてみると分かるでしょう」
「ううむ」
「ですが、風呂は最高でしたよ。鞠みたいな垢が取れて、驚きました」
厳しい顔をしていたジョージが顔を緩ませ、
「それを聞けて安心しました。ひとつも満足させられぬでは赤恥です」
「身体も軽くなって、柔らかくなったように感じます」
「でございましょう。肩こりなどは一度で治りますゆえ」
そこでマサヒデは腕を組んで、
「で、本題は別にありますよね。うちに人を送るくらいですから」
「はい」
「お聞かせ下さい」




