レーネと鈴音 6
《…………》
《…………》
何も言わない二人の反応を見るのが怖くて、テレビを消して逃げ出してしまいたくなる。
いくら元々の交流がほとんどなかったとしても、家族の中身が別人になっていて、普通に一緒に暮らしていたという事実はホラーそのものだろう。
けれど数秒の後、テレビを通して私の耳に聞こえてきたのは、静かなユリウスの声だった。
《そうなんだ。それで?》
こんな荒唐無稽な話を信じておらず、適当な相槌を打っているわけではなく。全て理解した上で何の疑問も抱いていないような、そんな反応だった。
予想外のユリウスの返事に、私だけでなくレーネやルカも戸惑いの表情を浮かべている。
《いや、それで? じゃないだろ! 入れ替わるってどういうこと? 私とレーネちゃんって何なわけ? 全然わけわかんないんだけど》
ルカは完全に混乱している様子で、これが当然の反応だった。だからこそ、ユリウスがなぜそんなに落ち着いていられるのか分からない。
《少しだけ、複雑な話になるんですが……》
それからレーネは自分と「鈴音」という2人の人物が存在すること、この身体において二人の人格の入れ替わりが起きていること、入れ替わっている間の記憶はないことなどを説明していく。
けれど彼女はなぜか現在は異世界で別人として暮らしていることなど、鈴音という人間の情報を何ひとつ明かさないまま。
とにかく今現在、レーネ・ウェインライトの身体の中にいるのは昨日までとは別人だというのを分かってくれるだけでいいと、彼女は話した。
《マッジで訳わかんないんだけど……ありえないって》
レーネの話を聞き終えたルカは桃色の髪をくしゃりと掴み、溜め息混じりに深く息を吐く。
アンナさんの恋人の王子様が辿り着いた古代魔法の話を除けば、人と人が入れ替わるなんて魔法は存在しないということになっている。
何よりそんなものが存在してしまえば、何も信じられなくなるだろう。
《……でも、明らかに昨日までの姉さんとは別人だし、昔の姉さんのような感じもするから、本当なんだとも思う》
ルカも別人格を目の前にしている以上、信じざるを得ない状況のようだった。こんな嘘や冗談を言うメリットがないことも、理解しているのだろう。
《他には? 何か知ってること、他にもあるんじゃない?》
一方、ユリウスは淡々と質問を口にする。けれどレーネは悲痛な表情で目を伏せ、小さくかぶりを振った。
《何もかもに確証はないですし、私の口から勝手に話すことは避けたいと思っています。きっと鈴音ちゃんも、大切なお二人には自分でお話をしたいと思うので》
そこでようやく、レーネが頑なに私に関する話をしなかった理由を理解した。
彼女は私のために口を噤んでくれているのだ。私が二人に何も話していないことを察した上で、何か事情があるのかもしれないと考えてのことだろう。
「い、良い子すぎない……?」
自身だってパニックになったり、怖くて不安な思いをしているはずなのに。
圧のあるユリウスを前にしても私を守ろうとしてくれるレーネに、いたく胸を打たれていた。
それに私のことを「鈴音ちゃん」と呼んでくれたことも、無性に嬉しかった。
《とにかく、もうひとりのレーネは無事なんだよね?》
《はい。別の場所にいるだけかと》
ユリウスは安堵したように息を吐くと、ソファの背に体重を預けた。そんな様子からも心配してくれているのが伝わってきて、また心が痛む。
《ていうかユリウスはなんでそんな平然としてるわけ?》
《頭を打って性格が変わったんじゃなくて別人だって言われた方が、納得がいくなって》
《まあ、確かに……?》
《それに去年も一度、こういうことがあったよね?》
一気にトーンが低くなったユリウスの声に、レーネの肩がびくりと跳ねる。去年の学園祭時期に私が死にかけ、入れ替わってしまった時のことを言っているのだろう。
その時はまだルカとは出会っていなかったため、ルカは驚きを隠せずにいるようだった。
《でもそれなら、元に戻る方法ってないの? 前回も入れ替わって元に戻ったんだよね?》
ルカの問いに対し、レーネは悲痛な表情を浮かべる。
そして二人から目を逸らし、深く俯きながら口を開いた。
《……「レーネ・ウェインライトが死にかける」がトリガーだと、私は思っています》
レーネの言葉に、ルカの口からは「は?」という声が漏れる。一方、ユリウスは察していたかのような、納得した様子だった。
《だから前回、階段から飛び降りたんだ?》
《……あんなことをして、本当にごめんなさい。自分のことしか考えていませんでした》
長い睫毛を震わせ、レーネは膝の上の両手を握りしめる。
《……鈴音ちゃんは私の代わりにたくさん頑張ってくれて、大勢の人に愛されているのに……その全てを奪うかもしれないような、ことをして……》
彼女だって追い詰められていただろうに、心から悔やんでいる様子に胸が痛む。そもそも前回も今回も、私のせいで入れ替わってしまったのだから。
同時にレーネが私をそんなふうに思ってくれていることに、内心驚いていた。
《でも、ようやく前回のことにも納得がいったよ。学園祭の準備中に爆発に巻き込まれて死にかけたことがきっかけで、中身がお前になったんだ》
《その話もやばいけど、それなら昨日も姉さんは死にかけたってこと?》
《……医者も保険医も身体自体に何の異常もないって言っていたけど、世の中には調べても反応が出にくい薬なんていくらでもあるからね》
確かにしたたかなジェニーがあんなにも堂々と行動に出て、証拠を残すわけがない。
大方、ユリウスの言うように調べても分からないような薬だったのだろう。
《倒れる直前、ジェニーと会っていたのは分かってる》
《そんなの、絶対にあの女が姉さんに何かしたんだろ!》
立ち上がって声を荒げるルカは私のために、とても怒ってくれているようだった。
もちろん気持ちは嬉しいものの、証拠もないままジェニーを追求してはルカの立場が悪くなる。
ルカは今にもウェインライト伯爵家に乗り込みそうで、ハラハラしながら落ち着いてほしいと思っていた時だった。
《あんな奴、いつでも殺せるから。まずはレーネを取り戻さないと》
ユリウスは冷え切った声で、とんでもないことを当然のように言ってのける。
いつものように「物騒なんだから」と笑い飛ばせそうにない凄みに、場の空気は凍りついた。
《……そうだね》
ルカも直前までの勢いは完全に消えており、すっと再び着席した。自分よりも怒っている人を見ると急に冷静になる、あの現象だろう。
《とにかく前回は無事に戻れたかもしれないけど、毎回上手く死にかけるなんて不可能だよ。打ちどころが悪ければ即死だろうし、二度と馬鹿な真似はしないでくれるかな》
静かに話すユリウスの声は、普段私に向けられる甘くて穏やかなものとはまるで違う。
《お前だけの問題じゃないんだ》
とても怒っているのだと、はっきり伝わってくる。それほど私のことを心配してくれているのだろう。
レーネもそれを察したのか、びくりと肩を震わせた。
《……本当にごめんなさい。二度とあんなことはしません》
怯えきっているレーネが可哀想だけれど、死んでしまっては本当に取り返しがつかなくなる。
今回ユリウスが釘どころか杭を刺してくれたことで、死にかけ法はどうか封印してほしい。
《きっと鈴音ちゃんもあちらの世界で頑張ってくれているはずです。元に戻るための他の方法を探そうと思います》
まっすぐにユリウスを見つめるレーネの姿からは、確かな強さが感じられた。
やっぱり、以前ローザから聞いた「落ちこぼれで内気で暗くて、何を言っているのか分からないような子」なんて、きっともうどこにもいない。
私もあちらの世界でたくさんのことを経験して成長したけれど、彼女も同じだったのだろう。
死亡フラグはないとはいえ、当時十五歳だった箱入りのお嬢様が家族もいない天涯孤独の二十過ぎの会社員になって生きていくなんて、かなり過酷だったはず。
いつ知り合ったのかは謎だけれど、本物の吉田が側にいてくれたのもとても心強い。
《元に戻る方法については、俺の方でも調べてみるよ》
《そうだね。学園の教師とかもたまにすごい奴いるし、何か知ってるかもしれない》
《お兄様もルカーシュも、ありがとうございます……》
ユリウスもルカも協力してくれるそうで、ほっと微笑むレーネを見て、私も胸を撫で下ろす。
《ただ、お前もそれでいいの?》
《はい。私も心から元に戻りたいと思っているので》
何よりレーネも同じ気持ちでいるという確信を得られたことにも、安堵していた。
最初に三人が顔を合わせた時にはどうなるかと思ったけれど、みんなが和解して同じ方向を向くことができたようで本当に良かった。
「……どうか一日でも早く、戻れますように」
学園祭までもう時間がないし、長期間元に戻れなければ、お互いの生活に差し障りが出てくる。
祈ることしかできないのが心苦しいものの、私は胸の前できつく両手を握りしめた。




