第九章:第二次人森戦争・後編-15
プチスランプに陥っていましたが、私は無事です。
お待たせして申し訳ありません。
──進化。
本来この言葉は、何世代にも渡って生物としての形質が変化していく現象を指すものだ。
だがこの世界に於ける進化には、その何世代に及ぶ時間を僅か一世代で完了させる方法が存在している。
勿論、簡単な事ではない。
何せ本当ならば何世代をも経なければならない変化を一世代で完了させるのだ。その為には数世代分の進化に必要なエネルギーと、どんな進化を果たすのか明確な「設計図」が必要となる。
以前進化を遂げたシセラの場合、進化に必要なエネルギーは以前溜め込んでいた盗賊団や魔物の魂を。設計図にはユニークスキル《魍魎》を用いる事で発現させる事が出来た。
ならば人族もシセラの様に魂とスキルが必要なのかと問われれば、少し違う。
エネルギーとして魂を使うのは間違っていない。私の中にある二万にも及ぶ魂を材料にすれば、進化に問題無いエネルギーは確保出来る。
しかし「設計図」となるものは《魍魎》のようなスキルでは不可能だと、強欲と暴食は言う。
『世界の支配種族たる私達の場合、そもそも〝魂の形〟が魔物や魔獣、魔蟲とは違う。彼の者達は魔力によって肉体と魂が変質して生じた存在故にスキル程度の構成物でも可能だが、私達は違う』
『支配種族の魂は、その身が魔力に染まり切らぬ程に複雑で高密度だ。故に魔力の影響で魔物化せんのだが、反面進化に必要な「設計図」もそれに合わせた精密で重厚な情報量のものを用意しなければならない』
『加えてクラウンの魂は転生神により直接手が加えられた特別性だ。様々な面で異質であり、前世から持ち越した自我と記憶も影響し更に複雑怪奇。最早書物で見る様な方法ですら足らぬだろう』
『もっと特別で凄まじい情報量と精密な設計図がいる。それを手に入れるのだ』
……。
……何やら色々と捲し立てられたが、要はスキルなどとは比べ物にならない程の代物を手に入れなければならないという事だろう。
普通ならここで軽く絶望でもする所だが、先に強欲と暴食はそれが近々手に入ると宣っていた。何とも都合の良い話であるが……。
『因みにそのお目当ての代物とは何処にあるんだ? まあ、大体予想は出来るが』
『ふふふ。それでこそ私だ。そう。件の物はアールヴ──それも霊樹トールキンにのみ、存在する。彼の霊樹が実らすものこそが、私達が求めるに「設計図」に能う代物だ』
『霊樹トールキンの……果実?』
──霊樹トールキン。
アールヴ森精皇国の中央に聳える世界最大の樹木であり、その大きさは内部に皇城や街を築いても余りある程に壮大で巨大な大樹だ。
また、霊樹という名に相応しく、その外皮から枝、葉の一枚一枚に至るまで全てに魔力が通っており、地中から吸い上げた魔力を死後エルフ族から放たれる魂と結合させる事で〝霊力〟へと変換。
霊力は再び霊樹を通って根へと向かい、地中深くにある地脈へと霊力を送り込み、世界に点在する精霊のコロニーへと届けている。
要は霊樹トールキンとは、地中に沈んだ魔力を浄化して霊力へと還元し、世界中で魔力の安定を測る精霊達にエネルギーを供給する為の世界規模の濾過装置というわけである。
『トールキンの内部にエルフ達の居住が許されているのも、トールキンがより効率良くエルフ族の魂を回収する為……。そしてエルフ族は代わりにトールキンの葉から常時発せられている黄金の光を浴びる事で光合成を遥かに凌ぐエネルギーと恩寵を享受する。所謂共生関係という奴だな』
そう。私もアールヴに侵入した際にそれについては理解している。
だが。だがだ。霊樹トールキンの果実など、そんな記載は一切目にしていないぞ。
『当然だ。ここ数千年、アレは一度も実を付けていない』
『……何?』
数千年、実を付けていない? いや、そんなものをどう手に入れろというんだ?
『そう焦るな私よ。──トールキンが実を付けるには条件がある。内容としては然して難しくはないのだが、その機会がその数千年間訪れていなかった、という話だ』
……機会が無いからと、数千年も姿を現さなかった事には変わりないと思うんだがな。
『そう言われてもな。事実そうなのだから仕方あるまい』
──で? つまりは私にその機会をものにし、トールキンの果実を掠め取れという事なのだろう?
どうせユーリは降伏勧告を跳ね除けるだろう。ならば必ず霊樹トールキンにも乗り込む事になる。
少々行き当たりばったりで臨機応変に動かねばならんがものはついでだ。私の将来が掛かっている事だし、それくらいはやってやろう。それに──
『それに?』
……進化。何とも甘美な響きじゃないか、ええ? 強欲と暴食よ。
『ああ』
『そうだな』
人族という垣根を突破し、本来目指す事が出来ない高みへと一つ、手を伸ばして掴み取る事が叶う……。
恐らくその高みでしか届かないスキルが山程にあるだろう。更に言うならばその先にもっ!!
そしていつかは彼等の高みに……。
『……』
『……』
……まあ、いい。
そんな事よりもトールキンの果実の出現方法だ。余りに無理難題では無いんだろうな?
『ああそうだとも。先に言ったように難しくはない』
それで? 何なんだ?
『……エルフの皇族──それも皇帝を絶望に叩き落とす事だ』
「……ふぅ」
強欲と暴食との話し合いが終わり一段落と私は息を吐く。
スキルの運用について少々面倒事が増えてしまった感じではあるが、一度に併用するスキルを取捨選択して絞り込み、都度入れ替える方式で対応すれば多少マシにはなるようだ。
余計なものにリソースを割く事にはなってしまうが、その苦労を被って余りある結果に辿り着けると考えると思わず垂涎してしまいそうだな。
明日から数日はいくつか定型化したスキル群のパターンを試しながら済ませたい事を済ませていくとしよう。
ああそれと──
私はポケットディメンションを発動し、その中に手を入れてある物を探す。
そして少しして指先に何やら若干背筋に嫌な感覚が走る物が当たり、思わず眉が顰むのを感じながらそれを取り出した。
「まったく。自分で自分の腕を手に取るのは、存外不気味なものだな」
私の手に握られているのは、数時間前にエルダールの災害級の矢により抉り飛ばされた私の〝右腕〟。
今私の右肩からは貪欲の右腕が生えているが、つい昨日までこの手の中にある腕が生えていたと客観的に見ると、なんだか得も言われぬ感覚を覚えるな……。
「と、それよりも──」
私は右腕に付いたままであった外套の夜翡翠と、装着されたままだった朔翡翠を外す。
「朔翡翠は良いとして、夜翡翠は袖口から逝ってしまったな……」
作戦上の都合とはいえ、ノーマンとメリーに仕立てて貰った逸品を傷付けてしまったのは中々に悔やまれるな。明日にでもノーマンの元へ出向いて仕立て直して貰うとしよう。
それで残った右腕だが……。
……いや、捨てられんよ流石に。
長年連れ添った体の一部だ。この手で様々なものに触れたし、散々やりたい事を卒無く熟してくれた。それをおいそれと処分する気にはなれん。
だがだからといってポケットディメンションに仕舞ったままというのは気が引ける……。いっその事食べ──いや、正気じゃないな。幾ら何でもそこまで道徳は失っていない。
まあ、怪人化していたとはいえエルフを《暴食》で食べはしたが……。アレと私の右腕を一緒にするのは違うだろう。
ならば結局どうするか……。ふむ……。──ん?
右腕の処理の事を考えている最中、私の帷幄の入り口から板を木槌で軽く叩く音が鳴る。
扉でなく垂れ幕状になっている入り口での所謂ドアノッカーのような役割のそれは、この帷幄に訪問者が来た事を意味していた。
私は右腕を改めてポケットディメンションに仕舞い直し結論を先送りにしてから「どうぞ」とだけ訪問者に告げる。
そしてその訪問者は──
「クラウンさん。よろしいですか?」
聞き馴染みのある愛しい声音──ロリーナのものだ。
「ああ。構わないぞ」
「はい。失礼します」
垂れ幕の入り口を掻き分けて入って来たロリーナの格好は既に寝衣。入浴等も済ませたようで、ほんのりと肌の色が薄桃色に染まっている。
……というか──
「もう、そんな時間なのか?」
「え? はい。そうですが……」
彼女の格好。どう考えても数時間は経過している。
どうやら時間感覚まで馬鹿になっているらしい。少し深層内で会議をし過ぎたか、或いはまたスキルが勝手に悪さをしたか……。何にせよこの数日間の調整が鍵だな。
「あの……。大丈夫ですか?」
「ん? ああすまない。少し事情があってな」
「事情……ですか?」
「明日詳しく話そう。今夜は流石に色々と疲れた」
今現在、念の為にと《疲労耐性・小》のみを使用している。
そのせいか今日一日休まず動き続けた疲労が徐々に身体にのしかかって中々に辛い……。《睡眠耐性》も切っているから風呂に浸かろうものならそのまま寝てしまいそうだ。
汗で身体がベタ付くが、英雄エルダールを倒した人間が風呂で溺死など笑えない。風呂は明日の早朝に入る事にしてもう寝てしまおう。
「悪いロリーナ。然しもの私も限界だ。何か用事があって訪ねてくれた所申し訳ないが、また明日に──」
と、謝罪を口にしていた最中。私の体に何かが抱き付く。
一瞬何が、と混乱し掛けたが、目線を真下に下ろすとその答えが視界に写る。
「……ロリーナ?」
ロリーナが私に、抱き着いていた。
それも遠慮するような軽い感じではない。私の背中に両手を回し、ありったけの力で服を握り込みながら身体を目一杯に密着させるような……。そんな抱き着き方だ。
彼女の細身な体躯に備わる女性的で柔らかな抱擁……。何故突然こんな事を、と疑問が浮かびはするものの、それとは関係無く身体の奥から熱が上がってくる。
このままでは……少しマズイ。
「ろ、ロリーナ……。抱き着いてくれるのは嬉しいが今の私はまだ着替えてすらいないし汚れている。 風呂上がりの君までまた汚れて──」
「なら、もう一度入ります。一緒に入って下さい」
「──ッ!?」
こ、この子は急に何を……。
「何を言っているんだ突然……。何かあったのか?」
何か嫌な思いをして慰めて欲しいのかと思い問い掛けてみたが──
「……」
「……違うようだな」
いや。本当にいきなりどうしたというのだ? 今日あった事で何かあったか?
進軍して分断された後に合流し、その後エルダールと鎬を削り合いそのまま──む?
……まさか。
「……もしや、私を心配して?」
「……」
「……そうか。成る程。そうだな……」
思い返してみれば、エルダールを無事に倒し帰って来るまでの間、私は数時間ほど試運転がてら砦前の拠点を片端から殲滅しに動いていた。
そしてその後に前線拠点に帰還して直ぐに夕食の準備に取り掛かり、食後は真っ直ぐ自分の帷幄へと帰り今に至る。
つまり……。まともな報告をロリーナにしないままでいた、という事になるな。うん。
……。
…………。
…………はぁぁぁぁぁぁ。やってしまった……。
そりゃ心配もする当然だ。
何せエルダール戦直後の数時間何をしていたのかロリーナは知らなかったのだからな。普通ならば決着直後にでも一報を入れ私の安否を報せるべきだった。
しかし私ときたらどうだ? スキルを手に入れた高揚感と興奮、そして新たな力への好奇心でその事を忘れ、試運転に数時間を費やしてしまった。
その結果エルダール戦の結末を告げられていないロリーナは何も知らぬままただ私の無事を待ち続け、しかし待てど暮らせど何一つ連絡すが来ないという状況が出来上がる……。
うん。どう考えても私が死んだようにしか見えんな。
自惚れが入ってしまうが、さぞや私の事を心配したに違いない。
まあ、《魂誓約》による繋がりでグラッドとロセッティから私の無事は一応確認だけは出来ただろうが、それでも私からの直接の連絡を欲していた事だろう。
しかもその後何事もなく私が普通に拠点に帰還したかと思えばだ。心配であったろう彼女に特に構う事もなく、そのまま夕食作りに突入……。
その時のロリーナの心中たるや……。ああ本当に何たる不覚だ。
「すまないロリーナ。本当にすまない。私とした事が君を蔑ろにしてしまうとは……。一生の不覚だ……」
一時の欲に流され最も尊ぶべきものを見失ってしまうなど愚の骨頂。「強欲の魔王」として、いやっ! 私という人間としてあるまじき失態だ。ロリーナを悲しませ、不安にさせるなどあってはならないっ!
「ロリーナ、どうか私に償いをさせてくれ。それで君の抱いたものを解消出来るかは分からないが、私に出来る事ならば何でもしよう」
「……何でも、ですか?」
ロリーナが私の胸に埋めていた顔を上げ、私を見上げる。
その表情は何かを期待するような……。彼女にしては珍しい無邪気さが僅かに垣間見え、何だか新鮮味がある。
ロリーナのこの反応を見てこの時点では私の対応が正しかったと思ったのだが……。
「あ、ああ。私に可能な事ならば何でも、幾らでもだ。それで君の感じた不安を取り除けるならば何一つ惜しみは──」
「なら私と寝食を共にして下さい」
「……む?」
し、寝食を共に? ま、まぁ食事は基本的にいつもロリーナと済ませているからそれはいつもと変わりないが……。この場合彼女が重視している点はつまり……。
「なぁ、ロリーナ」
「はい」
「私の解釈が間違いでないのならそれはつまり……。一緒の帷幄で共に過ごしたい、と?」
「はい」
「一緒のベッドで起き、一緒の食卓で食事を済ませ、一緒の帷幄から仕事に出て帰還し、一緒の時間を過ごした後に一緒のベッドに眠る……。その解釈で正しいのか?」
「はい」
「……成る程」
これ、は……ふむ。
私に、それを断るという選択肢は無い。ここは唯々諾々と彼女の望みを全力で全うしよう。
問題は同衾だ。ベッドなどセミダブルサイズのものしかないぞ? ロリーナの使っている物を持って来る手もあるが……。恐らくそれを彼女は望んでいない。キッチリ私のベッドで寝る事を考えているだろう。言葉端からそう感じた。
ならばこの場の解決策は私の〝忍耐力〟にある。超至近距離での長時間の接触は、ロリーナに対する情欲を我慢し続けて来た私にとって最大の試練となるだろう。
今まで培って来た精神力の見せ所というわけだ。
……。
…………。
…………いや正直なところ……襲わない自信がない。
今までだって割とギリギリだったのだぞ? 何度私の琴線に触れたのかも分からん。それなのに同衾だと? 我慢など出来る気がせん。
ロリーナはそこの所もちゃんと理解しているのか? 私が君を襲わない保証など何も無いのだぞ? 確かに以前に子供云々の話をしたが、それとこれとはまた別だ。私の理性など、君の魅力でアッサリ瓦解する。それを分かっているのか?
……。いや待て。
「……まさか風呂も?」
「それは……。少し考えます」
あ。流石にそれは恥じらうか……。先程の発言も勢いというか、ちょっとした意地悪か脅しのつもりだったのだろう。
風呂に関しては交渉次第で何とかなりそうだが……。やはり課題は同衾……。
要は私が欲情しなければ問題は無い。私の中から一時的にでも情欲が薄れてさえくれれば何とかなるのだ。
そう、例えば事前に解消するなりして……。
……。
…………。
……はあ。覚悟、決めるか。
「よし。ならば、一緒に寝よう」
「──っ!」
「だがせめて風呂には入らせてくれ。汚れているし汗だってかいている。臭う状態で君と同衾するのは憚られる。だから、な?」
「……分かりました。待っています」
「ああ」
はぁ……。情け無くて敵わん。さっさと済ませて愛しいロリーナとベッドを共にしよう。勿論、襲う事無くだ。
だがこんな方法、いつまでも続けられるわけがない。一時的な処理で私のロリーナに対する情欲が薄れさせるのも限界がある。絶対に我慢出来なくなる。
そうなる前に何か避妊する術を……。粗雑な避妊具等ではない方法を探さねば。
…………スキルにないか? 避妊出来るスキルが……。
……ノーマンに夜翡翠を直して貰うついでに漁ってみるか……。
嗚呼、本当に、情け無い……。
数話は箸休め的な回になる予定です。
それが終わり次第、一気に今部のラスボスまで駆け抜けますので、どうぞお楽しみに。