第九章:第二次人森戦争・後編-5
ヴァイスは、混乱していた。
咄嗟に剣を抜いたものの状況に頭が追い付かず何が一番良い判断かまるで浮かばないまま、ただただ目の前の臨戦態勢の若いエルフの双子を睨む。
周囲には自分達を含めたティリーザラ軍兵士達も居るが、皆が皆コチラよりも多い人数でエルフの兵士達が取り囲む……。余りにも絶体絶命な状況である。
一体何が起きたのか? 何故ヴァイスや取り巻きの三人、そして彼等の近くに居た兵士達は突然に開けた敵の拠点の中に居るんのか?
焦燥と狼狽が入り混じり混乱が生まれる。
(い、一体何が、どうして……っ!?)
然しものクラウンに冷静さを謳っていたヴァイスもこれには動揺を隠せず、咄嗟に抜き構えた剣は僅かにだが震え、極度の緊張で思考は乱れに乱れて視界が端から霞む。
(やら、ないと……僕が……僕が? 僕が、兵士と……この二人を相手に? どうやってっ!?)
周りを取り囲むエルフ兵だけならば、彼とてここまで取り乱してはいなかったかもしれない。運さえ良ければ倒す事だって難しくは無かっただろう。
ただ目の前に佇む若い人相の良く似た双子のエルフ……この二人は違う。
双子の身に纏う兵装は明らかに周囲のエルフ兵達に比べ一段も二段も上等であり、性能の高さが見て取れる。
そしてそんな兵装に振り回される気配を感じさせない圧倒的実力を窺わせる双子の気位と、目の前の敵に一切の容赦など挟むつもりは無いと言わしめる強い殺意の籠った瞳……。
そのどれもが只者ではない実力の持ち主だとヴァイスに悟らせ、実感させる。
今のヴァイスでは、どう足掻こうとも倒す事など叶わない、と……。
(どうするっ!? どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするッ!!??)
幾度と同じ問いを頭の中で繰り返すばかりで何一つ打開案が浮かばず、混乱は更なる混迷と視界の霞みを悪化させた。
だが──
(──ッ!! そ、うだ……そうだ……。僕は……一人じゃ、ない……)
ふと背中から自身の服の裾を僅かに引っ張る感触にハッとする。
そう。こんな状況に立たされているのは自分だけではないのだ。
ヴァイスの背中には、混迷を極める彼に縋るようにして三人の少女──シンシア、フォセカ、メラストマが身を縮こませて隠れていた。
(……こんな事になるなら、ちゃんと追い返すべきだったな……)
本来なら、彼女達はこの場には居てはいけない。
クラウンに成長を見せ追従の許しを与えたのはあくまでもヴァイス一人であり、温情があって漸く許された実力の彼とは違い、出陣すれば高確率で命を落とす程度の実力しか持ち合わせない彼女等では到底許される筈はなかった。
しかしヴァイスがクラウン達に着いて行く事を知った彼女達はそれを不満に思い、味方の兵装を拝借し変装して兵士達に紛れ込んだのだ。
この愚かな行いも偏にヴァイスの役に立ち、護りたいと願う心……それだけで行動に移した。
ヴァイスが最初に気付いたのは行軍を始めてから数時間後。
順調に国境を越えたあたりで動きが覚束ない三人の兵士を偶然見付け体調不良を心配して駆け寄ってみれば、それが着慣れず重い兵装にフラつく彼女達だった、というわけである。
勿論ヴァイスは反対した。すぐに引き返すよう強く言って聞かせた。
だが基本的に感情論にめっぽう弱いヴァイスはそこで彼の役に立ちたい、という何とも熱の籠った言い分を否定し切る事が出来ず、幾つかの条件を提示した上で誰にも相談せず彼女達の同行を許してしまったのだ。
だが結果はご覧の有り様……。自業自得としか言えないものである。
(…………ダメだ落ち着こう)
彼女達の存在を再認識し、凪が訪れた思考の向こうから今朝方クラウンにも言われた事を思い起こす。
『ただし聞いたからには緊急時は自己判断で対処をして貰うぞ? 特にお前の取り巻きの三人。万が一の時、覚悟を試されるのはお前なんだからな』
ここでヴァイスが取り乱せば彼は勿論、黙って紛れ込んで来てしまったシンシア達や他の兵士達まで危険に陥ってしまう……。
そんな事態は避けねばならない。決してあってはならないのだ。
(今が……クラウンの言っていた覚悟の決め時っ!!)
荒波の如く思考を掻き乱していた混乱は土壇場のこの状況で纏まり始め、長い長い息を吐き呼吸を整える。
すると少しずつ霞み掛けていた視界は開けていき、周囲の情報が滑らかに頭の中へと入って来た。
(まずは……そう、状況の分析だ。なんで僕達が急にこんな場所に来たのかは多分考えたって分からない)
これが敵の罠なのか、それかクラウンからの何かしらのイヤらしい試練なのかもしれない、と一瞬悩みはしたが判断付かない以上は無駄な思考。
今はそんな事の答えを探している場合ではない。そうヴァイスは即決した。
(だから僕が今最優先で頭を使わなきゃいけないのは、ここからどうやってみんなで生還するのか、だ。そう、僕達は──)
ヴァイスの現在の実力では、とてもではないが兵士十人を相手取るのがやっと……。
目の前の双子のエルフなど加わればお話にならない。あっという間に彼等によって命を散らされる事だろう。
ならば選択肢は自然と限定される。勝てないのであれば……。
(全力で逃げるッ!! ……でも──)
この囲まれている状況。逃げる事すらままならないだろう。
ならば逃げる為には隙を作り、そこを突破口とするしかない。そして隙を作るには──
(…………)
ヴァイスは一瞬だけ、背中に縋る三人を見遣る。
その表情は一様にして怯え、涙ぐみ、自分に事態の解決を期待する眼差しが注がれていた。
仮にクラウンが今のこの三人を見たならば『何を都合の良い事を……』と見下し、呆れ返っていた事だろう。
何せ彼女達がヴァイスに近付いたのはあくまでもキャザレル侯爵家という肩書きに釣られた為。そしてクラウンという将来の有望株に近付く為でもある。
親や家柄を重じて移した行動ではあるものの、やられた本人からすれば余りにも不誠実。ある種貴族としての常識とも取れはするが、だからといって不快でないとはお世話にも言えない所業だ。
そんな事情を知ってヴァイスも勿論落ち込み、彼女達との付き合い方を少しだけ考えた事もあった。
しかしそれでも、ヴァイスは彼女達を切り捨てる事が出来なかった。
彼女達の放つ一言、仕草、感情、笑顔が、彼にはどうしても全てが嘘だとは思えなかったのだ。
自分自身でも、甘い考えだと思う事はある。
こんなんだからクラウンにも未熟だと言われ、まともに相手にされないのだと理解している。
ただ……それでも──
「……安心して」
「「「え?」」」
「僕が絶対、何とかするから」
その言葉に三人は僅かに安堵しながらも、何処か漠然とした不安を心の隅に覚える。
彼は何か覚悟を決めた……。
それもとびきり嫌な予感のする、してはならない覚悟を……。
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____
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…………あぁ……。あぁ……。
全身に……喜びが満ちる……。
様々な味が、歯応えが、鼻腔を擽ぐる風味が……。私の……私の《暴食》を掻き立てる……。
もっと。もっとだ。欲しいのだ。
さぁ寄越せっ!!
肉を、骨を、臓腑を、髄を、脳を、命をっ!!
私に噛み砕かせろっ! 私に啜らせろっ! 私に味合わせろっ! 私を……私を満たせっ!!
「あ゛ぁ……あ゛っ……、あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああッ!!」
……。
…………。
………………。
『確認しました。補助系スキル《咀嚼鑑定》を獲得しました』
………………ん?
小さな小さな鼓動が一つのみとなったモルタルの部屋にて、私の中の《暴食》が《天声の導き》なアナウンスを切っ掛けに漸く落ち着く。
姿は未だにあのお伽話に出て来るような怪物に良く似た化け物のままだが、意識だけは《暴食》発動以前の冷静さを取り戻し、至極視認性の悪い四つの歪んだ瞳で部屋の唯一の生き残りを睥睨する。
「『ひ、ひぃぃ……。だ、だずげ、で……』」
異形の怪人十体を嗾けた張本人──魔力開発局局長エル・シンゴル・ロコッチークはそう口にしながらガタガタと地を這って震え、何とも汚らしい事に股間から粗相をして衣服を濡らしている。
まあ、無理もない話ではある。
何せお伽話に語られるような怪物が自慢の怪人達を次々と薙ぎ倒し、側から見たらどちらが本物の化け物か判別付かないほどの暴れっぷりを発揮しながら食い散らかしたのだからな。
そんな光景を目の当たりにし、何の反応も見せない方が逆にオカシイという話である。本当、余程の事が無い限りロリーナにも見せられないな、コレは。
私も《暴食》発動後、最初の方はハッキリとした意識を持ち怪人達を蹂躙し、彼等の肉を食い漁っていたのだが、途中から気が付けば食べる事以外思考が回らなくなってしまっていたしな。
まだまだ私も未熟……。こんな限定的な状況でなければ使えないなどお話にならない。もっと上手く制御し、せめて部分的に力を使い熟せるようにならなければ。
……と、これ以上の反省会はまた後だな。
今はこのビビり散らかしている哀れなエルフの老人をもっと虐めなければ。
「『……オ゛イ゛』」
「『ッッ!? は、ハィィッッ!?』」
おっと、声がかなり掠れて澱んでいるな。まぁ、このままでも構わないっちゃあ構わないが、流石に意思疎通が困難になるか……。致し方無い。
私は怯え止まないエルを他所に何やら名残惜しそうにする《暴食》の声を無視し《暴食》を解除。
いつもの人族の少年の姿へと問題無く元に戻る。
「『……オイ』」
「『ッッ!?』」
「『取り敢えず私をこの場から出すんだ。そうすればお前は一応殺さないでおいてやる』」
「『ほ、ほ、本当かッ!? みぃ、見逃してくれる、のかッ!?』」
「『ああ。ただし』」
「『ただ、し?』」
「『少しでも私の意にそぐわない行動をしてみろ? その時は生きたままなるべく死なぬよう少しずつ少しずつ噛み千切っていくからな?』」
私が優し気にそう言い聞かせてやると、エルは様々な液体で濡らした情け無い顔を高速で何度も縦に振り、懐から何やら装置を取り出す。
「『……それは?』」
「『は、はぃぃっ!! さ、先程お、お話した、ま、《魔力障壁》のスキルアイ、テムの機能を切る、り、リモコン、ですぅぅ』」
「『ふむ。成る程。ならさっさと押せ』」
「『は、はいぃぃっ!!』」
悲鳴のような同意しつつエルは迷い無くリモコンのスイッチを押し込む。
部屋の様子は……別段変化は無い。
何か音や光が発せられたり消えたりもしないな。
だが、ふむ……。《空間魔法》でテレポーテーションを発動しようとすると先程とは違い妨害される感じはしないな。これならば問題無く目的の場所へ転移が可能だろう。
「『オイ』」
「『は、ハイッ!? こ、今度は何ですかっ!?』」
「『お前達が罠として使った魔法陣の座標を教えろ。全てだ』」
「『えっ!?』」
「『お前がここに来た時《空間魔法》を使っていたな? という事はお前は座標を読める筈だ。違うか?』」
「『い、いえ……読め、ます……』」
「『ならば教えろ。さもなくば──』」
「『お、教えますっ!! 教えますから食べないでぇぇッッ!!』」
「『ふん』」
そうしてエルはつらつらと罠に使った魔法陣の座標を全て喋り、その全てを記憶した。
その座標から私達が行軍した際の隊の配置と照らし合わせ、おおよその転移場所を算出。これで飛ばされてしまった者達の元へ向かえるな。
「『ご苦労。約束通り食い殺さずに済ませてやろう』」
「『は、はぃぃ……』」
「『……まぁ──』」
私の振るった燈狼の刃がエルの首へと滑り込み、その素っ首が横回転しながら僅かに宙を舞うと床へと無力に落下。
後を追うようにして首を失った肉体が沈み込むようにして床に崩れ、両方の切断面から止めどなく血が流れ出す。
「殺さない、とは一言も言っていないぞ。私の《暴食》を見て生かしておくとでも思っていたのか……。おめでたい事だ」
死体はしっかり回収し、それでは早速皆の元へ転移しよう。
差し当たり最初は──
「お疲れ様です。クラウンさん」
「……まあ、君は大丈夫だろうと信頼していたが……」
ロリーナの転移場所に転移した直後、私の目の前に広がっていたのは予想していた通りの光景……とは少しだけ違った。
彼女が敵を倒しているというビジョンはそのままではあるのだが、何というか……ここまで圧勝している感じとは思いもしていなかったのだ。
《解析鑑定》を発動し地面に血塗れで倒れ伏すエルフを見てみた所、ロリーナの相手は西側広域砦を守護する守備団の第二副団長であるエグラスというエルフの敵将。
アールヴ軍〝最速〟の名を轟かせる程の俊足の持ち主であり、その早さはユーリを驚かせる程……らしい。
どれほどの速さか直接見ていないからイマイチ凄さを実感出来ないが、ロリーナ曰く──
「確かに速かったですが、ヘリアーテちゃんの速度と比べると数段落ちますし、動きが直線的だったので時間を掛けて見極めさえすれば捉えられない程ではなかったですね」
──と、いう事らしい。
これがファーストワンやヴァイスだったならばかなり厳しかったのだろうが相手がロリーナだからな。
ヘリアーテとの共同訓練で彼女の雷光が如きスピードを体感している彼女からしてみれば、実に単調な戦闘だったのだろう。故にロリーナもここまで余裕でいられるのだ。
「ん。そういえば」
「む? どうかしたか?」
「いえ……。ヴァイス君は大丈夫なのかな、って……」
「……ああ。アイツか」
あの大馬鹿者。散々諭してやったにも関わらず紛れ込んだ取り巻き三人に甘い顔をして私達に黙って従軍を許してからに……。
私としてはもうどうなっても知らん、好きにしろ、と面倒になって放置したが、こういう形になってバラバラにされた以上はそうもいくまい。
まあ、奴も一応成長はしていたらしいからな。何だかんだと事態に冷静に対処し、案外ケロっとしているかもしれん。マグレで敵将を倒していたりしてな。
「……クラウンさん?」
「ん? ああいや、ちょっと面白い妄想をしていただけだ。気にしないでくれ」
「……?」
「兎に角、だ。ヘリアーテ達は問題無いとして、君の言う通りヴァイスは少し懸念がある。次は奴の元に行くぞ」
「はい。ご一緒に」
「ふふ。当然だろう?」
そうして私達はテレポーテーションでヴァイス達が飛ばされたであろう地点に転移……した直後──
「ああぁぁ……死ぬなッッ!! 目を開けてくれぇッッ!!」
悲痛極まりない慟哭が辺りを支配する。
敵すら振り翳していた剣を思わず下ろし、味方の兵士達は様々な感情がごちゃ混ぜになった表情でその様子を眺めている。
一番近くに居る若いエルフの双子など、何やら罪悪感を抱いているように顔を顰め、お互いがお互いに顔を見合わせ困惑を極めていた。
「……」
「頼む……頼む……頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼むッッ……頼むから……目を……さましてくれよ……」
地を血で濡らし、赤く染め、そんな真紅の水溜りの中を横たわるのは三つの死体。
身体にはそれぞれ鋭い刃物で容赦無く付けられた大きな斜め傷が刻まれ、そこからは水溜りを作り出した源泉が未だに血を流し続けている。
流血の量、肌の色の薄さ、そしてどれだけ揺すっても全く微動だにしない様子は、誰がどう見ても死んでいる……。
だがそんな死体を、ヤツは奇跡が起きて当然とでも信じているかのように揺らし続け、何度も何度も私が教えた無意味な心臓マッサージと人工呼吸を繰り返していた。
「……クラウンさん」
「……チッ」
私は《光魔法》を発動し、味方と敵の境界線を区切るようにして光の結界を展開。一切コチラに手出し出来ぬよう遮断した。
何やら双子のエルフが喧しく私を指さしながらぎゃあぎゃあ騒いでいるが今は後回しだ。相手ならば後で幾らでもしてやるから黙ってみてろ。
「『ッ!?』」「『ッ!?』」
《威圧》により静かになった双子を無視し、私は徐にヤツに歩み寄る。
するとそんな変化に漸く気が付いたヤツは顔を振り上げ、その絶望に染まり切った顔で私の事を見付け、縋った。
「く、くら、クラウン……」
「……」
「た、頼むクラウンッ!! さ、三人を、三人を助けてくれッ!! 三人共息をしてないんだッ!! 血だってこんなに……。このままじゃ彼女達が──」
「死体はどう足掻こうと死体だ」
「ッッ!? な、な、何を、言って……」
「現実逃避して何が変わる? 彼女達の死体を辱めて彼女達が蘇るのか? 起こり得ない奇跡が叶って自らの過ちが帳消しになるのか? それとも都合良く私が何とかしてくれると? 同情を買う為のパフォーマンスなら吐き気がするな」
「な……な……」
「お前が今すべき事はなんだ? 死体に涙を滲ませる事なのか? 死体に呼び掛け続ける事なのか? 奇跡を待つ事なのか? なぁヴァイスよ──」
「ぐ……ぁぁ……。や、め……」
「シンシア、フォセカ、メラストマは死んだ。お前が死なせた。お前のせいで死んだ。その現実は変わらな──」
「や、めろォォォォォォッッ!!!!」
激情が噴火し、私目掛け振り翳す。
私は、それを──
多分味方側でちゃんと死んだのって今回が初めてだったかな?
でも実はこの小説の構成当初は、もっとバンバン味方が死ぬ内容だったりするんですよね。
でもクラウンを優秀に書けば書く程に「クラウンが居るのに味方が死ぬか?」という具合になってしまい、結局今回まで死ななかった感じです。
本当はもっともっと内容ブラックになる予定だったんですよ、この作品……。私も甘いんですかねぇ。