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~六の章 戦いの間で~

 碧蹄館での敗戦に意気消沈した明は、平壌の襲撃よりひと月後、日本軍との講和の席に着いた。そして講和にて、秀吉の念願であった、明からの講和使者が派遣される事が決まった。加えて明側からは休戦の申し出もあった為、暫しの間両軍に於いて、此の戦を中断する事となった。其の間、日本軍は帰国する者、此の儘朝鮮に残り、築城や城番じょうばんに従事する者、各々それぞれの時間を費やすことになった。宗虎も此の間に、名を正成、親成と改め、釜山に小早川隆景が築城した亀浦かとかい城や南に位置する安骨浦あんこうらい城の城番に従事した後、文禄四年の長月、実に三年半振りに日本への帰国の途に就いた。

 「側室、で御座いますか」

親成は面食らった。鳩が豆鉄砲を食った顔、と言うのは此の様な顔の事を指すのであろう。

「うむ。先日矢島を召し抱えた時、あれの妹御とうたであろう。あれと祝言を上げてみてはどうか、と思うてな」

此処は神無月の伏見、帰国した其の足で秀吉への拝謁を賜った親成は、茶の湯の席で秀吉、細川藤孝と対峙していた。秀吉に拝謁するだけでも大事であるのに、そこに同席するのは前将軍である足利家とも縁の深い細川家の御大、御二方と同席する茶の湯等、親成には天地が返る程の一大事である。そこで、まさか鳩が云々の顔をすることになるとは夢にも思わなかった。確かに先日、藤孝の口添えで、京に於いて公家の菊亭家の親戚筋に当たる、矢島石見を召し抱えたばかりではあった。其の時、茶を運んできた女子を「妹」と申しておったことは覚えているが、顔など全く覚えておらず、いきなり其れを持ち出されてもと、親成は困惑を覚えた。

「拙者婿にて、妻が居ります」

「知っておる」

秀吉は顎髭を扱きながら、「あの小生意気なじゃじゃ馬な」と、名護屋での出来事を思い出していた。

「何も正室にしろ、と言うてはおらぬ。無論側室で良いのじゃ。そなたもいい加減子がおっても良い年ではないか、悪い話ではなかろう」

秀吉の声には、有無を言わせぬ威圧感が宿っていた。親成は主君の計らいを跳ね退る等、自分に出来ないことは、十分に解っている。

「承知致しました。仰せの通り有り難い御縁、しかと頂戴致します」

深々と頭を下げる親成を、二人は笑顔で見つめていたが、秀吉の眼の奥は、少しも笑っていなかった。無論、平伏する親成は此の秀吉の笑顔を目にする事は無かった。

 「困った」

茶室を出て宿場に向かう途中、親成は溜め息を吐いた。主君の珍しい行動に「どうなさいました」と問う十時摂津に、親成は「実は」と、茶の湯の席での話を切り出した。「左様な事が」摂津は言葉を詰まらせた。或の誾千代の存在をを知っていて側室を持たせるなど、憎たらしい演出である。

「やはり噂は本当だったのでしょうか、誾千代様が太閤殿下をあしらった、というのは。其の為に此度の縁談があるのでしょうか」

「まあ、そうである、かもしれぬな」

親成は言葉を濁した。名護屋城での一件は、柳河では知らぬ者はおらぬ程だと言う。

「よもや、とは思っておったが、まさか和泉との会話が現実のものであったとは」

親成は、其れ以上は何も言わず、「誾千代、苦労を掛けたな」と独り言ちたのだった。兎に角嫌がらせ、とは口に出すことも憚られるが、側室を娶る事は抗い難い事実だ。今後、側室が城に入る事で、誾千代に此れ以上居心地の悪い空間を作る事にはなるまいか。親成と誾千代の間柄が、今より悪くなる事はないであろうか。誾千代と継室の関係は。少し考えただけでも、いろいろと頭の痛くなることばかりである。穏やかな親成には珍しく、此度の件では苛立ちすら感じていた。

 何に。はっきりとした態度を取らない自分に、そして、少しばかり己の気持ちを汲み取る気の無いであろう我が妻、千代に。柳河に戻り、話を切り出した親成だが、予想通り誾千代は「良縁に御座いますな」と眼を見開いた。

「或の猿、では無く、殿下は中々粋な事をなさいますな。京の女子を彌七郎殿に、とは。田舎侍にて、少しは垢抜けろ、ということに御座いましょうか」

拙者がどれだけ気を揉みながら、此の話を切り出したと思うておるのやら。誾千代は次から次へと饒舌に言葉を紡いだ。

「誾千代、良いから先ず聞け。此度の縁談は殿下と細川様からの御縁で受けざるを得ぬ。然し、家臣の妹御、室とは形だけにしようと思うておる。聞けば矢島は親御を亡くし、辛い立場にあったという。拙者は此度、兄妹共に召し抱えたと思う事にした」

「な、何を言うておられますのやら。良いではありませぬか、室として、その妹御を迎え入れれば」

「良く無い」

畳み掛ける様な誾千代の言葉を、親成は遮った。

「良く無いのだ、誾千代。わかるか、御主が此処、宮永に移った時、其のわけを何と言ったか覚えておるであろう」

二頭ふたがしらはいらぬ、そう申しました」

「うむ。そうであったな。では此度はどうだ、二人の室が居るのじゃぞ」

「其れと此れとは別で御座います。此度は室で御座いますよ」

「違わぬ、別でないのだよ、誾千代」

親成は荒い口調で話を続けた。

「二人室が居れば、家が二分する理由にもなる。そうならないためにはどちらか一人をを立てねばならぬ。どちらを立てるか、それは正室である誾千代、其方である。分かるな、拙者が言いたいことは」

最後は親成らしく、やわらかい語気に戻ったものの、其の言葉には否と言わさぬ強さがあった。誾千代には珍しく、親成に返す言葉も無かった。

 宮永殿から柳城へ戻る親成の背中を見つめながら、誾千代は呟いた。

「のう、はな。何処で間違ったのだろうか。或のまま城に残り、当主としての務めを離れ、彌七郎殿の室として生きる、其れが私の生きる道であったのだろうか」

はなは言葉を詰まらせた。妻としてでは無く、当主として家を護る、夫を護る、其れは誾千代の決めた道。其の為に此処、宮永にわざわざ館を構え、親成から距離を取ってきた。然し、有事には何時でも駆けつけられる様、城が見える此の場所に移ったのだ。妻の務めは出来ぬ、そう悟ったが為に、何時親成が継室を迎え入れ様が支障の無い様に、奥方の席は空けてきたのだ。しかし親成は誾千代が戻ると信じて疑わず、室は誾千代以外に認めようとしない。お互いが信じているものを真っ直ぐに貫き通すが為に起きるすれ違い。其れを全て切り捨てられる程、はなの立ち位置は誾千代からも親成からも遠くはなかった。二人の苦悩、痛み、喜び、其れ等を目の当たりにしてなお、否定出来る程、はなは誾千代や親成を知らぬ訳では無かった。其れ以上は言葉を発する事も無く、二人はただただ親成の後姿を見えなくなるまで見送ったのだった。

 斯くして矢島秀行の妹御、八千子は親成の室となった。誾千代はあくまで室と考えていたが、親成は、まるで侍女の様に八千子を扱った。誾千代の眼には生前父道雪が、側室であった宗像の姫、色姫を質として扱い続けていたのと状況が重なった。其の時とは幾分か異なり、城内の一室にて、八千子は大事にされている様子ではあったが、誾千代の眼から其の姿は、色姫の其れとは対して違わぬように見えた。身動きも取れず、自由も無く、妻としても母としても生きられぬ。城に囚われた八千子は幸せであるのだろうか。然し、当の八千子は己の立ち位置を直ぐに理解した様子で、文句も言わず親成の言う通りに従っていたのが救いであった。否、八千子はそうすることでしか、此の世を生きられぬのかもしれない。

「すまぬ、八千子殿。此度の件、殿が要らぬ事を申したであろう。御主は室として、此の城で構えて居て良いのだからな」

「御方様、何を仰いますやら。殿は御優しい方に御座おわせられます。私は御城に置いて頂けますだけでも有り難き事。御方様はどうかお気を揉まれません様」

あくまで謙虚にこうべを垂れる八千子に、誾千代は恐縮した。こうなるとあまり城に顔を出し過ぎるのも、八千子に気を使わせて申し訳無い。

女子おなごとは、こうも不自由な者なのだな」

誾千代は八千子や色姫を思い、自分の自由さが稀な物であると思い知らされた。そして自由だからこそ、自分には特別な役割が有ると確信したのだった。

「其れが、立花の、彌七郎殿の為の役目であればなんと嬉しかろう」

八千子の処遇の考え方の違いで口論となった或の日から、親成と誾千代は何と無しにぎこちなく、余り言葉を交わしていない。

「いつか二人、また語り合える様になるであろうか」

二人で交わす言葉よりも、独り言が多くなった様な気がしている。或の立花城での戦の時のように、お互いに背を預けながら分かり合える様な、そんな日は戻ってくるのだろうか。

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