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~七の章 海の向こう側‐慶長の役‐~

 「清正殿、ご無事で御座いますか」

固城コソンから駆けつけた親成は、人目を憚らず大声を上げた。蔚山ウルサン城の内外には、戦で果てたと思われる遺骸が転がっていた。然し他の戦とは異なり、日の本軍の遺骸は皆一様に痩せこけており、明軍の其れとは明らかに異なっていた。

「清正殿、いづこに」

「立花殿、か」

声を上げた主は、評定で顔を合わせたことのある、加藤清正、其の人であった。但し、頬は削げ、声も依然評定で顔を合わせた時より張りが無く、弱々しく感じられた。然し、其の眼は力強く、生を感じさせた。此れがこの過酷な環境で半月の籠城を耐えた人の眼であろうか。親成は息を飲んだ。

「よう此処まで参ってくれた、礼を申す」

其の姿の変わり様は隠し様が無かったが、威厳は以前逢った時其の儘で、少しばかり安堵した。

「当然では御座いませぬか、同じ日の本の武士に御座いましょう。さ、先ずは此処から討って出ましょう」

其の瞬間、清正の声に僅かに張りが戻った様に感じた。

「良し、総攻撃じゃな。儂も微力ながら働いて見せよう」

 明との講和条約が破綻し、再び「唐入り」する事になった慶長二年、第一軍を任された加藤清正は、浅野あさの幸長よしながらと共に朝鮮南部の支配を確固たるものにする為、蔚山に城を築き始めた。然し、此の動きを察知した明・朝鮮の連合軍は此処を攻めるが良しと判断、蔚山城に迫ったのが同年末の事であった。師走の二十二日、先ず連合軍は場外にて築城、護りを固めていた毛利配下の宍戸ししど元続もとつぐらを襲った。抗戦するも、焼き討ちを掛けられ、一同は城に退くことになる。此れが籠城戦の始まりであった。敵の数凡そ六万。対する第一軍は一万にも満たない。此の戦が過酷な籠城となるのが必至であるのは目に見えていた。だが、敵は目に見えるものばかりではなかった。城には築城中ということもあり、十分な兵糧の蓄えは無く、わずかに二日分の食料しか備えていなかったのだ。加えて、大陸の強烈な冬の寒さも手伝い、其の籠城戦は三日目から、立った儘餓死する者が出る程の過酷なものとなった。連合軍に水の手を遮られ、直ぐに食料も底を尽いた清正らは、死人が沈んだどす黒い血色の池から水を啜り、大切な愛馬を殺しては其の肉を喰らい、落ちている紙や土すらをも食料とし、飢えを凌いで今日に至ったという。其処に来て此の眼力と精神力、加藤肥後守清正とは、誠に強かな剛の武将である。城の外では連合軍との激しい戦が今も続く。親成は清正と共に場外へ再び討って出るのであった。

 そもそも、先の唐入りで勝ち得たと思っていた講和使者自体、偽りだらけの代物であった。明は王子の返還等を含む三条件を日本側に提示し、日本軍は、朝鮮王子の返還、日本軍の漢城から釜山への撤退、明軍の開城からの撤退、明から日本への講和使節の派遣の四つを決めた。其れに対し、明は名護屋城偵察や、秀吉の降伏文書の入手を目的に、明皇帝より正式に命ぜられていない徐一貫らを公使と偽り派遣する。此の一団を伴い帰国した小西行長らは名護屋城に滞在する秀吉の元へ参じた。秀吉からの条件は、明の皇女を天皇の后とする事、日明貿易の復交、日明両国の大臣が永代和平を誓う誓紙の交換、朝鮮北部四道と国都を返還する、朝鮮王子一名と大臣一人を人質として差し出す、加藤清正が生け捕りにした朝鮮の王子二名を返還する、朝鮮の大臣は日本に対して永代反する事無しという誓詞を書く、という七つであった。対する偽の公使の条件は、日本軍は朝鮮から一兵たりとも残さず撤兵する、豊臣秀吉を日本国王に冊封さくほうする、朝貢ちょうこうは認めない事の三つであった。一団は此れを受け帰国するのだが、其の裏では小西行長が明の沈惟敬しんいけいと謀り、家臣である内藤ないとう忠俊ただとしを偽の講和使節として北京へ送った。其の手には、在る筈の無い秀吉の降伏状があった。此の様な騙し合いの講和条約である、勿論直ぐに破綻するに至った。明国王が自身に冊封したことに激怒した秀吉は、慶長二年如月に再び陣立てを行い渡海を開始、築城に取り掛かった。今回は其の矢先の出来事であったのだ。

 清正らと合流した親成ら日本軍は勢いを増し、明軍を攻めた。まさかの援軍の到着に、明軍は混乱を極めた。一転、攻勢は日本軍が優勢となった。日の本の救援部隊に退路を断たれる事を嫌った明軍は、直ちに蔚山城から撤退をせざるを得なかった。こうして半月近くも続いた籠城戦は終わりを告げたのだった。此の時出来た加藤清正と立花親成との絆は、後々の二人の人生にとても深く関わってくる事となる。其れはいずれ語られる事となるであろう。

 さて日の本では秀吉が慶長三年、醍醐の花見を催した後、床に伏していた。秀吉が患った腹中の調子は、その後好転する様子はなく、悪化の一途を辿っていった。そして遂に同年葉月の十八日、天下人秀吉は帰らぬ人となった。大陸に思いを馳せ、野望を抱いて彼の世へ旅立ったのである。

 秀吉の死去に伴い、目的を失った日の本の軍勢は、同月二十八日の徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元ら四大老連名の書状が発せられたことにより、大陸から帰還する事となる。然しその書状が大陸で戦う日の本の武将らの手元に届くのは同年の神無月に入ってからの事になる。西部に散開していた小西行長、宗義智、島津義久、そして親成らは同月晦日の会談を以て、大陸からの撤退を決定する。然し撤退の間、秘していた秀吉の死去を察した明・朝鮮軍から反撃を受ける。撤退を行う小西行長は、順天スンチョン城にて退路を断たれた為、一旦、巨済島コセドに集結した島津、宗、親成らは小西の救援に向かう事となる。此れが唐入りの最終決戦・露梁津ノリャンジンの海戦である。此の間に小西は戦いに加わることなく順天城からの脱出に成功、一行は霜月の下旬に帰国の途に就く事となった。二度に渡り行われた唐入りの終焉はとても呆気無いものであった。

 師走には大陸から柳河に戻った親成だったが、戻るや否や慌ただしく上洛し、其の儘上方にて年を越す事となった。気付けば気まずい別れをしてからというもの、誾千代とは言葉を交わしていない。今頃はどうしているのか。息災であるのか。まだ機嫌は直っておらぬのか。留守居は大事なかったか。親成は一人煙草をくゆらせながら、月夜に誾千代を想う。

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