愛しい人(ローエン視点)
アカネと過ごす日々は、平穏そのもの。そばにいるだけで、安らぎを感じた。
愛らしい笑顔で俺を見つめるアカネの瞳は、輝きに満ちている。せがむように俺から話を聞こうとするから、柄にもなく語った。
アカネは些細なことで嬉しそうに笑うから、髪飾りや領巾を仕事帰りに買っては贈った。すぐにそれをつけては俺に見せる。子どもっぽくはしゃぐ姿は、可愛いと思う。
だが、時折、艶かしい一面を垣間見る。堪らなく、胸を擽られた。
触れたい。
桜色の唇に。
しかし、それは性急すぎると思い、我慢した。
それに、妖狐憑きの件が気掛かりだ。
アカネを家に置いて以来、使用人達から喜び事が起きたと聞かされた。仕事も快調で、犯罪者を容易く捕まえられ、情報もすんなりと得ることが出来て、暇なくらいだ。
本来、妖狐憑きの鏡源郷の者は、王に会わせ、王とともに厳重に守るべき存在。
俺なんかの家に置いていい存在ではないのだ。
妖狐憑きについて聞いても、アカネは相槌を打つだけでなにも言わなかった。自分が貴重な存在だと理解しながらも、黙っている理由は、俺の元にいたいからだろう。自惚れではないと、思いたい。
いつまでも、アカネといたかった。
言葉を交わさずとも、庭を眺めながらお茶をすするだけの時間を、幾度も味わいたい。
そう願った矢先に、麒麟が舞い降りて、アカネにお辞儀をした。麒麟が頭を下げたのだ。
もうこれ以上の証明は必要ない。
九尾の妖狐が憑いた鏡源郷の者。
隠しきれないと思った。遅かれ早かれ、発覚してしまう。
アカネといることが、叶わない。
その事実が突き刺さり、痛みすら感じた。
報告することを迷っていれば、戦に行かなければならなくなった。アカネに話すと、泣いてしまいそうな表情になりながらも、俺についていこうとする。
危なっかしいアカネのことだ。無用なのに武器を持ち、俺を助けようと戦いかねない。わざわざ危険な目な戦に連れていくつもりはない。俺は強いと言うが、アカネに強さを示したことがないため、説得力に欠けたらしい。妖狐憑きの力で俺を守りたいと思っているようだ。
堪らなく、胸を擽られた。
これを――――愛しいと言うのだろう。
我慢を忘れて抱き締めて、額に口付けをすれば、アカネは真っ赤になった。
まずいことをした。余計に放しがたくなってしまう。以前なら、真っ先に戦に出向いたのに、彼女から離れがたくなる。
俺の帰りを待つと言ってくれたアカネと、想い合っている。そう感じた。
強さの証明のためにも、無事に帰ることを約束し、戦に向かった。
今回は強者揃いだったが、不思議と力が沸き上がり、圧勝。妖狐憑きの力か、またはアカネを想う力なのか。
わからないが、強者達を俺の手で倒したことを、そして無事だということを、アカネに知らせたくて真っ先に帰る。
アカネは栗色の髪を舞い上がらせて、俺の胸に飛び込もうとした。
受け止めようと腕を広げたのだが、アカネは寸前で思い止まったのか、触れる前に止まった。
胸に飛び込んだアカネを、力一杯に抱き締めるつもりだったのに。
しかし、俺の帰りを喜んだ笑顔を見るだけで、満足を覚えた。戦の話も、アカネは興味津々に輝いた瞳で聞いてくれた。
使用人達から、戦中アカネは屋敷を歩き回っては祈るように空を眺めていた聞聞いた。俺の無事を、ひたすら祈ってくれたのだろう。
三日間、こもりっきりの彼女を、街に連れ出すことにした。
アカネは喜び、円満の亭主に会いたいと言うので、連れていく。
アカネに幾度も救われた上に、店は繁盛しているという亭主。妖狐憑きの恩恵を受けているようだ。迷信のおかげで、街の民は妖狐憑きだと気付かないだろう。
「それで、少佐とお嬢さんはいつ結婚すんだい?」
亭主は笑顔で、訊ねた。いきなりすぎる。
周りから見れば、そういう仲に見えるのだろう。保護者と保護対象ではないのは喜ばしいが、いきなりすぎる。
アカネは俺を見ないまま、笑顔を崩すことなく笑って誤魔化す。否定も肯定もない。
肯定なんて、できるわけないだろう。その予定を立てていない。しかし、否定もしない。恋仲だと思われたままにした。
余計な質問をされる前に、アカネの肩を押せば紙袋一杯に肉まんを渡された。持つと言ったが、アカネは抱えたいと言って拒んだ。あの亭主の質問が頭から離れず、気まずく思った。
「……あの、ローエンさん。鏡源郷の池に行ってもいいですか?」
帰る前に、池に行きたいと言われる。意を決したような落ち着き払った声。悲しみが滲んだ瞳。
もう、そばにいられない。
そんな予感を覚えながらも、ともに森を歩き、鏡のような水面の池に向かった。
そこに着くと、森の妖がわらわらと出てきて、アカネの着物にしがみつく。アカネは笑いかけると、肉まんを与えた。
「あ、妖に食べさせても大丈夫ですかね?」
「……大丈夫だ」
犬や猫とは違い、餌づけできるような生き物ではないが、アカネから与えられるものを好んでいる。
妖に好かれるのだろう。
だからこそ、妖狐に憑かれる。妖狐がそばを離れないだけで、彼女自身が福を招く存在なのかもしれない。妖はその体質に惹かれて、集まるのだろう。妖狐も麒麟も。人間までもが。
「……妖狐憑きは、我が儘を聞いてもらえるでしょうか?」
立ち上がると、アカネは唐突にそんなことを訊ねた。
両腕を広げ、池のふちを歩く。そんな彼女の姿が、映っていないことに気付く。鏡源郷の池は、異界の者を映さない言い伝えは本当だったのか。
そんなアカネの後ろ姿は、今にも消えてしまいそうで、胸が締め付けられた。
「お城に保護されるんですよね? 待遇は崇められるような感じになるとは思いますが、求めるものは与えてもらえるのでしょうか?」
俺が贈った領巾が、赤色の毛先とともに風で靡く。
「……どんなものでも、与えるはずだ。妖狐憑きには、それ以上のものを与えられるのだから」
国に平穏と繁栄をもたらす存在が、求めるものならば何でも差し出す。
アカネが問いたいことがなにかわかり、鼓動が静かに、そして強く高鳴るのを感じた。
「ローエンさんが欲しい――――と言ったら?」
栗色の髪を舞い上がらせて振り返ったアカネは、微笑んで問う。
ほんのりと頬は赤く染まり、大きな瞳を細めて俺を艶かしく見つめる。
今、わかった。
艶かしい眼差しは、俺を求めていた証。
「アカネのものだ」
アカネが望むのなら、王も俺を与えるだろう。
アカネが求めさえすれば、そばにいられる。叶うんだ。
「じゃあ王様に、くださいって言いに行かないといけませんね。連れてってくれますか?」
その手を放さなくてもいいのなら、何処へだって連れていこう。
アカネが差し出す右手を、俺は掴むと引き寄せた。よろけて俺の胸に飛び込んだアカネが見上げる。大きな瞳を見つめて、口付けの許可を待つ。
艶かしく見つめ返すアカネが、顎を上げた。俺を待っている。そう思い、身体を抱き上げ、髪の中に手を滑り込ませて顔を寄せれば、唇が重なった。
焦がれていた瞬間。
愛しさが、痺れるように身体中に広がっていった。
「一緒にいると、約束してください」
離れると、その桜色の唇から吐息のような声が零れた。またその唇に触れて、その柔らかさを味わう。抱き締めて、放さないと示す。俺の首に腕を巻き付けて、アカネも抱き締め返した。
「約束する、アカネ」
告げれば、アカネは俺の腕の中で笑う。そんなアカネに構ってほしいのか、小さな妖がしがみついた。
だめだ。
今は俺が独占する。
この危なっかしい愛しい人を、俺の手で守り抜く。
だからずっと、求めていてくれ。
20151012