終焉を終えた世界とは
生命は、言ってみれば空をかき混ぜたらそうなった結晶のようなものだという。
所謂必然、だがしかし、それは認識として偶然と捉えられる。
それらを疑問視するのが生命であることから、生命が不安定な事実だといえるだろう。
生命とは不安定なのだ。
それは事実としても、存在としてもだ。
だから、疑問こそが真実だと。
そう世界に組み込んだ。
始まりは、二つの生命だった。
互いに不安定なことを理解できなかった二つの生命は、もどかしさを埋めるためにいつの間にか対となっていた。上下に重なり、互いを同一視するようになった。
生まれたのが認識だ。
そこで二つの生命は自己となる。
しかし、細田等の戻した後の世界ではその現象が起きなかった。
二つの生命は一体にはならず、故に自己が生じなかった。
それらは、認識としての相互ではなく、あるべきものとして受け入れるという形に進歩したのだ。
終焉の世界では、二つの生命と認識がきっかけとなって欲を生んだ。
しかし、細田等がアンダーワールドでの経験を得た上で世界を戻したことによって螺旋はその道筋を変えた。世界の経験として細田等が存在したからだ。
時系や運命というものは、生命の認識による永遠の中の情報だ。
だから世界はその時間を失ったとして、そこに混乱は生じない。
世界はあくまで無垢なまま、再び時を選び始めた。
その結果、自己を持たぬ生命を誕生させたのだ。
その後、生命は補給を行わずして保持する術、つまりは時定点を移動することで成長を得ることを可能にした。無限の時定点を故意に選択することでそんざいという存在のでき得る最大限の力を得たといってもいいだろう。
結果、世界という存在と生命という存在は、存在という確定事項を共有することで育まれることになった。
終焉の世界でいわれる進化は行われず、世界が変わらぬように、ただ人は人、動物はそうなるものだという細田等の生きていた頃の経験を元にそうなったのだった。
自己も他者も認識しない世界。それこそが終焉を終えた世界だ。
神はおらず、管理もされぬ世界。
あらゆる生命は時定点を移動し、終えるものはその時に留まる。
未来を行くもの共は、留まるものを知らない。
全てが生命たる世界こそ、終焉を終えた世界なのだ。




