バグ
「センのやつ、一体どこまで行くつもりなんだ」
ヤドカリを出て、ヤマトがセーレを見つけた巨大花の根本で一旦センまでの距離を測ってみると、その値はどんどん増え続けている。きっとセンは僕らがヤドカリで待機している間もずっと何かを追っているのだろう。
しかし不思議なのは、この不慣れな望遠状態でどうして止まることなく進み続けていられるのかということだ。いくらセンの身体能力が優れているとはいえ、遠近感の狂ったこの状態の中、迷わずにそれを追いかけ続けるなんてできるはずがない。
だとすると、今指し示すセンのカーソルも僕を横切った黒い影のそのどちらもセンではないという可能性がある。
だから、僕らはずっと慎重に彼女を追うべきだ。
「ラス、痕跡だ」
そう言ってヤマトは余計に大きく見えるその指で地面を差す。
そこには強烈な何かがぶつかったのであろうその衝撃で地に茂る花が吹き飛ばされた跡が残っている。
「ジェットブーツ……」
「ああ、そうだろうな。きっとここであの子は一気に加速したんだろう……。あの時の動きから考えると、あのジェットブーツというものは一直線にしか進めないはず」
「ということは……この先、ですね」
そして僕はもう一度文字のセンとの距離を確認する。
距離は前方十キロメートル辺り、そこから先に彼女はほとんど進んでいないようだ。
「ヤマトさん、センは前方十キロくらいのところにいるようです。でも、そこからはあまり動きませんね……」
「よし、急ごう」
疾走するヤマトはそれこそ風のようだったはずだ。
あの決闘の時もそう、僕は彼の動きを目で追うことができなかった。だが、今は違う。
これが進化したアームズのパワーなのかはわからないが、僕自身が感じるのは、踏み出した後の地面を蹴るその踏み込みの深さが以前とは段違いだということだ。
以前は走るといえば自分の体重を感じることが当たり前だったが、今は地面を踏みしめる瞬間の力加減の方が強く感じられる。
これが飛んでいるみたいだということなのだろうか、とにかく気持ちが良い。
「ラス、もっと速く走れるか?」
もちろんです。
僕は何も言わずヤマトよりも三歩前へ抜きに出た。
望遠のせいで、前方の一点だけが僕に迫ってくる風景の中不可解だと感じるのは、さっきからどれだけ花林の中に入って行こうともモンスターの一匹も出てこないということだ。いくらここらが毒にまみれているとはいえ、そこはモンスターだ、そういうのことに適合しているものがいたとしてもおかしくないのだが。
僕らが速すぎて追いつけないのか、それとも本当に一匹も存在しないのか。
その時、ふと何かを感じ、視線を上へ向けた。
「……な、何かいます!」
僕が急に足を止めると、その先でヤマトが地面を削りながら停止する。
巨大花の間を飛び回る黒い影、そうして目の前をハエが通り過ぎるようにちらちら僕の視界をかすめるだけの物体がモンスターなのか、あの時僕の前を横切ったものなのかそれを判断できない。
それは、僕らが動くのを止めたにも関わらず、その速度を落とすこともなくただ巨大花の間をずっと飛び回って僕らを撹乱するようにしている。
「何がしたいんだあれは……」
「さ、さあ……」
それから少しの間、僕らは身構えてそれの襲撃に備えていたのだが、一向にそれが僕らに向かってくる気配がない。
「変ですね。僕らから攻めますか……」
「……それがいいかもしれない」
そこで、両目の利くヤマトが地面に残り、僕が飛び跳ねる黒い物体に突撃、違う動きを見せた隙を突いてヤマトがそれを捕獲するという作戦を立てる。
動き回る黒い影の行動パターンは一定ではない、しかし、どうやらあれは僕らの視界から消えるつもりもないらしい。
僕は自分の真上をそれが通りすぎた瞬間にその方向とは逆の花へと飛びつく。
右腕の爪を食い込ませ、飛び回る黒い影と同じ高さに体を固定する。
「きたっ……!」
反対側の花群に意識を集中していると、巨大花の間を縫って移動している黒い塊が、こちらへ来るような進行に変わるのを捉えた。
勘だ。
僕は近いのか遠いのかよくわからないその黒い塊に向かってとりあえず体当たりを試みた。
しかし体当たりは空振り、影は僕の頭のすぐそばを通り抜けて今まで僕がしがみついていた花へと飛び移ってしまった。
不発に終わった体当たりの勢いのまま僕は反対側の花に再びしがみつく。
もう一度。
僕は目の前に広がる花群に目を凝らす。
今僕の目が片方しか利かないことがもどかしい。
レジェンドアームズが僕の右半身に纏わりついたその時から僕の右目には歯車が押し込まれており、それが痛いとかそういうことではないのだが、とにかくそれのせいで僕は今視界が半分しか見えていないのだ。
そして、再び黒い塊を捉えた。僕はそれを見失わないように意識を集中する。
「よしっ!」
向こう側で花の茎に踏み込むようにして力を溜めた一瞬、それの動きが鈍ったのを見計らって僕は黒い塊の予測軌道上に飛び込む。
今度は当たったようだ、猛スピードで突っ込んできた黒い塊が僕の右腕に激突する衝撃を感じた。
次の瞬間、下方から別の影が僕にぶつかって怯んだ黒い塊を攫って僕よりも高いところへと上がっていく。
「よし、成功だ」
地面に着地したヤマトは馬鹿でかいコオロギのような生き物を抱えていた。
気持ち悪くないのだろうか。
それは発達した後ろ足をバタつかせてヤマトの腕から逃れようともがいているみたいだ。
「ヤマトさん、これってコオロギですよね……」
「……そう見えるな。だが、ただの虫ではないようだ。これを見ろ」
ヤマトはそう言って暴れるコオロギの触覚を摘んで見せた。
その巨大さ故にそう見えるだけなのではないかとも考えたが、燻した銀色のこの感じは。
「まさかアンテナ、ですか?」
「おそらくそうだ。この触覚の根元も……生物らしくない」
「ってことは、これってもしかして……!」
「たぶん機械だろう。一度バラしてみるか……」
ヤマトはそう呟いた瞬間、抱え込んでいたコオロギの頭をその節からへし折った。
枯れ枝を踏みつけたようなパキパキという音を鳴らしながら、露わになったコオロギの体内からは、生物からは出るはずもないコード類の束が引き出されている。
思わず目を背けたくなる光景とはまさにこれだ。
明らかにコオロギの頭であるものと体を繋いでいるものがコードだとわかっているのに、どういうわけか僕の目にはそれが生き物の内蔵に見えてしまう。
超グロテスクな光景。
「ヤ、ヤマトさん……」
「やはりこいつは虫なんかじゃないな。それほど機械に詳しいわけではないが、アンテナとそれにこれだ…この太い管はきっとカメラか何かだろうな」
「ちょ、ちょっといくら機械だからって引き抜くことは……」
「……何を言っている。お前、まさか怖いのか?」
「いや、怖いとかではないんですけど……その」
ヤマトはまごつく僕を無視してコオロギをどんどんバラしていく。
コオロギのその棘のついた足を痙攣させて中身を取り出される姿は、言うなればエビの解体に見えなくもない。
僕はもう、久々にエビが食べたいなんて気になることはないだろう。
「……俺たちとの距離を取らなかったことといい、カメラにアンテナ。きっとこいつは監視か何かの役割を持った機械だ。……つまりここには人間の誰かがいるということだな」
ヤマトは、そう言いながら赤く点滅する小さな立方体を踏みつけた。
「それじゃあ、センが追いかけているのはその人間かもしれないってことですか……」
「ああ。そして、センがそれ以上動いていないということは……」
「そこに何かあるってことですね」
「そうだ。急ごう」
僕らはセンまでの残り二キロメートルを全速力で縮める。
途中、先程のコオロギとはまた違うトンボやら蟻のような監視虫を撃ち落としたが、それらもまた機械だった。
そこで僕が思うのは、今センがいる場所こそこの花林の最深部なのだろうということだ。
センまでの距離が近付くほど見かける虫の数が増えているのはその証拠といえるだろう。
「ヤマトさん……。センが見えますか?」
距離五メートル。
目の前にいるのがセンだとすればもう僕が見えているはずだ。
しかし、今僕の目の前にあるのは地面から盛り上がる細かな毛が生えた巨大な半球体。
生体反応を捉えているはずのセンサーが何もない空間を示している。
「……いや、俺には見えないな」
「そう、ですよね」
そうなると、今僕の目の前にいるのはまたしても透明人間か。
僕は前に踏み出し、右腕を伸ばす。
(父さん……)
「え?」
「どうした、ラス」
「声が……」
どこから聞こえたのか、「父さん」と呼ぶその声の出処を探すために辺りを見回す。
「セン! いるのか!?」
空に向かって娘の名を呼ぶが、返事はない。
ほとんど風の吹かない空間でただ電磁波のようなジージーいう音だけが耳を震わせている。
そこで、僕は今一度望遠を解き、再びセンとの距離を表示させた。
「ロ、ロスト……」
「見失ったのか?」
「……はい」
点滅するセンの名とロストの警告。
それはつまり、センの生体反応が消えたということだ。
原因はわからないまま、目の前にいたはずの娘は突如消えてしまった。
今の今までそこにいたはずなのに。
なぜかはわからない。でも、表示されるロストの文字に僕には言い知れぬ不安が込み上げていた。
「セ、セン……」
ヤマトは無言のまま僕の肩を軽く叩くと、目の前の毛の生えた半球体へと向かって行った。
センが最後にいた場所、そしてそこにあるこの大きな毛玉。
花林の最深部かもしれないその場所にあるこれがセン消失と何か関係あるのかもしれない。
僕もヤマトに続いてそれの周囲を調べる。
よく見てみれば、この半球体は一定の感覚で膨らんだり縮んだりしているようだ。
手を近付けてみると、これが縮んだ時にゆっくりと吐き出された息ほどの緩やかな風を感じる。
「もしかして……」
僕はマスクの機能を暗視に変えてそこを見つめてみる。
すると、思った通りそれが風を吹き出す瞬間に辺りに充満する青白い粒の量が一気に増えるのがわかった。
花林の花粉の原因はこれだ。
「ヤマトさん、これが元凶ですね」
「ああ、そのようだな」
「どうします? 破壊、してみましょうか……」
「いや、やめた方がいい。これが発する花粉は確かに俺たちにとっては有害だが、きっと何かこうなる理由があるのだろう。例えば、何かが身を隠すためとかな……」
「何かってなんです?」
「それはわからない。だが、あの監視虫をここらに放った者である可能性は低いだろう」
「そんな、だって監視するくらい警戒心の強い奴ですよ? 隠れるとしたらそいつ以外考えられませんよ」
「だから、だ。この半球体は見たところ自然にできたもの、つまりこれの出す花粉に身を隠しているものもまた自然に生きるものである可能性が高いということだ。きっとここらの特性に気付いて隠れている監視虫の製作者と本来ここに隠れているものとは違うはず」
「ど、どういうことですか? もう少しわかりやすく……」
「食虫植物……。もし、この花粉に幻覚を見せる理由があるとすればそれは植物そのものがここに迷い込んだ者を食うためかもしれない、そうでなくても幻覚毒の影響を受けない特殊な機能を持つ生物だな……」
「じ、じゃあ僕たちは今……」
「そいつの縄張りか腹の中のどちらかということだろうな」
「そ、そんな怖いこと平然と言わな……いっ!?」
突然地面に生い茂る花々が一斉に蠢き、ざわつき始めた。
しかしそれは地に生える花だけではなく、巨大花もまた揺れている。
まるで何かに指揮されているかのように全てが同じ方向に行ったり来たり揺れる花々の姿は、ファンタジー映画的には花が歌い踊るなんとも楽しげな光景だろう。
だが、それを目の当たりにしている僕らの意見は違う。
「ヤマトさん!」
「ああ……! 何か来るぞ!」
僕らは並び訪れるモンスターに身構えるが、一体どこから来るのか全くわからない。
そこで僕らは背を合わせ、全方位に対処すべく陣を組む。
花々の揺れは徐々に激しさを増し、最早地面から引き抜けんばかりに揺れている。
しかし、不思議なことに花が揺れても大地は身じろぎ一つせずただ静かにそこにあるだけだ。
花だけが共鳴しているということだろうか。
だとすれば、この現象の原因はドラゴン種ではない。
とはいっても、花林全体が揺れる光景はどう考えても自然現象とは考え難い。
そうして揺れ動く世界をその望遠の視界で眺めていると、まるで世界全体が揺れているように感じ、僕の三半規管はどこがただしい向きなのか混乱し始める。
「ヤマトさん、僕、酔いそうです……」
「耐えろ! こんな時に吐いてなんかいられないぞ!」
ヤマトがそう叫んだ瞬間、それまで左右に揺れていた周囲の花々が円を描くような揺れに変わった。
「出たぞ! ラス、気を緩めるなよ!」
後方を向いている僕には見えないが、ヤマトはその正体を視界に捉えたようだ。
ヤマトの肩越しにそれを覗きこもうとした途端、ヤマトが前方のそれに向かって行った。
僕は振り返り、それを視界に捉える。
「うわあ……」
なんだこれは。
棘の付いた太い二本の腕を振り回しながら、地面を這いずる巨大な虫。
コオロギにも見えるが、その体はコオロギのような黒光りではなく、ベージュ系の色をしている。
時々羽を震わせる度にジージーと空気を鳴らすその音は、僕が静寂に聞いたあの音だ。
ずっと近くにいたのだろうか。
だが不思議なことに、そうしてヤマトの攻撃を牽制するその必死な姿はとてもじゃないが凶暴には見えない。
僕は虫愛好家ではないがそう思う。
「ヤマトさん! そいつ本当に危険な奴ですか!?」
「な……だ……な……ぞ!」
「ヤマトさん!」
なんだ、何を言っているのかわからないぞ。
ついさっきまで普通に会話できていたのに、急に何かに遮られたようにヤマトの声が飛び飛びにしか聞こえない。
すると、ぐるぐる回ってヤマトを視界に収めようとしているその巨大な虫から離れたヤマトがこちらへ走ってくる。
「ラス! こいつの羽音だ、これのせいで無線が通らなかったんだ!」
「なるほど、それじゃあ奴を抑えればセンと通信が!?」
「ああ! 回復するかもしれない! 行くぞ!」
僕らはそれの正面に向かって突っ込み、既のところで左右に散る。
すると、目標を捉えきれなくなった虫がどちらを追うこともできず右往左往しているところをヤマトが思い切り殴りつけた。
しかし、それの体は思った以上に固かったらしく、右腕を弾き飛ばされたヤマトが無防備になる。
瞬間、僕の視界から巨大虫が消え、向こう側にいるはずのヤマトが防御の姿勢を取る姿が目に飛び込んできた。
そして次に巨大虫が目の前に現れた途端、僕の左肩に何かが振り下ろされる。
これが虫で良かった。
体重を乗せられたその一撃は確かに強力だったが、それ自体の重さがそれほどでもなかったために僕の肩を外すには至らない。
突然の攻撃に左側から姿勢を崩された僕は、そのまま手を地面に付き、不安定な姿勢のまま自分を叩きつけたものの方を見やる。
近すぎてよくわからないが、これはおそらく尻尾のようなものだろう。
僕は即座に立ち上がり、アームズの右腕でそれを掴む。
そんな今僕が感じているのは、何かを握りしめている間隔ではない。
腕が軋むほど収縮しようとする腕を纏う管の反発力だ。
こんなに力が入るなんて。
僕はその瞬間イケることを確信した。
右足で地面を掴み、全身を縮こませ、それを一瞬で解き放つ。
「うおおらあああっ!」
宙に浮いた巨大虫。本当にこいつが虫で良かった。
放り上げられて無防備に腹をさらけ出したそれを紫色の帯が貫通、破裂し液化したそれが降り注ぎ、地面の花々を僕らもろとも濡らす。
この虫は機械の虫ではなかったようだ。
「すごいな、お前の力は……」
「僕のじゃありません。こいつのですよ……。ところで今の虫なんだったんですか?」
「オケラだろうな。本来は大人しい虫なんだが、通信を遮断されるとなれば致し方ない」
「そうですか……」
「さあ、無線を」
「はい。……セン、聞こえるか?」
(…………)
(ラス! ラス! 聞こえてる?)
「セ、セーレさん!?」
センへと繋ぐつもりで発した無線に割り込んできたセーレの声は少し焦っているように聞こえる。
(良かった、無線が戻ったのね……。そうだ! 思い出したのよ、センが私になんて言ったのか!)
「本当ですか!? あいつは何て?」
(もういくわって。あの子そう言ってたのよ)
「もういくわ? どういうことですか?」
(わからないわよ……。後を追ったからかしら)
「それじゃあまるで初めから行くつもりだったみたいじゃないですか」
(さっぱりわからないわ……。でも、センにはその透明な何かが見えていたみたい」
「見えていたって。あいつにだけ特別なものが見えるはずが……」
ある。
あいつの、センの目は僕らのものとは全く違うんだ。
長い付き合いの内、あいつがマーマンでしかもただのマーマンではないことをすっかり忘れていた。
あのタイガーアイにだけ透明人間が映っていたのか。
しかし、そうだとしても一つ不可解な点が残る。
「セーレさん、話を整理させてください。……まず、二人で外に出てヤドカリの周囲を歩いていた、すると突然センが叫んでセーレさんは何かに連れ去られそうになった……でもそこでセンがそれを助けて、先へ行くと言った……。そこまでは覚えているんですよね?」
(そうね。覚えているわ)
「じゃあ、いつセーレさんは気を失ったんですか?」
(え?)
そう、セーレが気を失うタイミングがおかしいのだ。
そして、これらの出来事に辻褄を合わせるために考えられるのは。
「センが……あいつがセーレさんを気絶させたんじゃないですか?」




