風の化身ウィンドエレンファス
村を出た僕たちは今、『風の果て』を目前に捉えている。
それはつまり、クーリスの花畑を抜け、その先にある森を抜けたまた先にある大地の層、髭剃りの立ち並ぶ刃に似たその光景を差す。
バムから降りて風を浴びながら眺める光景はアネモスに来る前に見たあの山岳と大差なく思えるが、上空で縦に回転しながら風に巻かれている草や土埃を見ると、この場所が風の果て、そして始まりであるという意味がわかる気がする。
ヤマトはその自動車ほどの大きなバイクにまたがったまま何かを気にしている。
「どうしたんですか?」
「モンスターが住処にしているとすれば、それはこんなに開けた場所ではないだろうな……」
「言われてみれば確かに……」
僕もセンも、ここまで来れば何かしらの形跡を得られると思っていた。
それは間違いなく僕らが無知だからなのだろう。
登山家としての知識なのか、それとも年長者としての経験かはわからないが、今感じるのはヤマトという男に着いてきてもらえてとても助かった、という気持ちだ。
ヤマトはバイクから降りると、徐ろに崖の方へと向かって行く。
「ヤマトさん……?」
「……ウィンドエレンファスはどこから来るのかわからないんだったな」
「ええ、そういう話です」
「下だ、きっと奴はこの谷底にいる」
「なぜ、そう思うんですか?」
「風だ、吹き上がってきているこの風が真に集まっているのは谷底に違いないだろう?」
「そ、その通りです」
見下ろした崖の底は光が届かないほど深く、僕ならば間違いなくここを降りようなんて思わなかっただろう。
しかし、彼の言うことにも一理あると思う。
もともとどこから来るのか知られていないとなると、普段人が行くはずもない場所だと考えるのは妥当だ。ダメなら戻れば良いこと、僕らはヤマトの提案通り谷底へ降りることに決めた。
ヤマトはバイクに跨がり、何の飾り気もない能面みたいなマスクを装着する。
「俺が先に様子を見てくる……」
彼のバイク、スカイバムはセーレのロードバムとは違い戦闘仕様にはなっていないためその攻撃性は皆無だが、その分移動スピードと操縦性はこのバムとは段違いに優れている。
そんなヤマトのスカイバムは地面から浮いた状態での移動が可能なため、崖を垂直に降りて行くこともできるようだが、僕らのバムは登るのは得意でも降りるのは苦手だ。
(……聞こえるか?)
「オッケー! 聞こえてるよ!」
(谷底に到着した……。特に危険はないようだ)
「深さはどれくらい?」
(ニキロ程度だ。……お前たちが来るまでの間周辺を調査する)
「よろしく!」
崖を半分ほど下りた所で、周囲にはもう明かりが微かにしか届いていない。そして、更に深くまで降りて行くと、紫色の光球が点々と輝くのが見える。
ヤマトの光球、彼が僕らが迷わないように道標を示してくれているのだろう。
さすがは登山家といったところだろうか、僕らは無線とソナーでなんとかしてしまいがちだが、やはり経験と知識が違う。
「到着!」
(了解。一旦そっちに戻る)
降り立った谷底にはもう完全に光が届かず、今はバムのライトだけが頼りだ。
ここは暗闇で光も届かないはずなのに足元には珊瑚のような植物や肉厚な葉の平べったい植物が生い茂っている。しかし、動物ないしモンスターの気配は感じない。
一体風はどこから始まっているのか、バムに守られている今の状態では確認できない。
すると、紫色の光球を纏わせたバムのヘッドライトの明かりがこちらに向かってくるのが見えた。
道標に置かれた光球が吸い込まれるようにしてヤマトの周りに集まっていく。
(……風が強いな)
「どうです? 向こうには何かありましたか?」
向こうとはいっても、外から見るだけでも端が見えないほど幅広いこの場所を都合よくウィンドエレンファスがほっつき歩いているとも考え難いのだが。
(いや、特には何もなかった……)
「そうですか……」
よく考えて見れば、僕らはその辺を歩いているモンスターを狩ることはあっても、その巣を探したりすることはなかった。
それもこれもこのアンダーワールドが動物たちにとって都合の良い土地だからだろう。
地上ならば探すまでもなくモンスターに出くわすことは当たり前のようにある。
とくに地球上ではサバンナやジャングルみたいなところではそうなのかもしれないが、アンダーワールドでモンスターに出会う確率はそんなものではない。
強いていうなら秋ごろの草むらで飛び出す虫と出会う確率に近いだろう。
それなのに、ここには小型の虫すらもおらず、地面から生えている植物たちも外の強風に揺れたりもしていない。
不気味だ。
「ヤマトさん、風上に行きましょう。ここまで来たのと同じように」
(……ああ、そうだな)
「向き、わかりますか?」
すると、ヤマトはマスクを外し、辺りを見回し始めた。
(ダメだ、わからない……。ここは上とは違って風の向きが一定じゃないな。一度出てみたらどうだ?)
「そうですね……」
バムの外に出てみると、やはりヤマトの言う通り風の向きが一定じゃない。
むしろ一定じゃないというか、自分に向かって風が四方八方から吹き付けてくるような感覚だ。
そのおかげで視覚以外の感覚がほとんど働かず、無線がなければ隣の人との会話すらできないだろう。
そして何気なく落とした目線の先に、僕は違和感を感じた。
「なんだ……あれ」
白く色のない死んだ珊瑚のような姿の植物、その触手のように伸びる枝なのか葉なのかよくわからない部分に混じって、特別太く長い白っぽいもの。
近付いてそれを拾い上げる。
「……骨」
(骨? どれどれ?)
僕がそれをセンに渡すと、彼女はそれをじっくりと見つめている。
この時、頭に浮かんだのはモリーが言っていた被害の一端、カイザーモウのことだった。
もしやと思い辺りをよく観察してみると、そこら中の珊瑚系植物に混じって何かの骨が無数に散らばっているのがわかった。
今この状況でこの骨が何か考えれば、それは奴が食べたものの残りだろう。
そして、ここらにそれを散らかしているのはウィンドエレンファスかもしれない。
「ヤマトさん、ここが巣で間違いなさそうですね……」
(……ああ。そのようだな)
そう言ってヤマトの指差す先には何かに潰されたように砕けた植物の一群がある。
僕たちがその植物の砕けた跡に近づくと、ヤマトはそこを手で散らかし、少しの間何かを探すようにした後、一枚の青い鱗を拾い上げた。
「それって、もしかして……」
(ああ、きっとそうだろう。もしかすると、近くに奴がいるかもしれないな……)
「そ、そうですよね。でも、これだけ広いこの谷底で、こんなに簡単に痕跡が見つかるなんて思いませんでしたよ」
(……しかし、この痕跡もいつできたものかはわからない。それに、いつも寝る場所が同じとは限らない)
「た、確かにその通りです……」
その後、ヤマトが行かなかった方へ進んでみると、砕けた植物跡が幾つも見つかった。
辺りに散らばるカイザーモウらしき骨もそうだが、その他の骨の数も尋常ではない。
地面を歩く蟻一匹に気付くと他にも続々と見つけられるあの状況と同じだ。
「ヤマトさん……、これは推測なんですけど……」
(……ああ、俺もそう思う)
(何? どういうこと?)
(これだけの数の骨だ。一体の寿命がどれほどかはわからないが、とてつもなく長い時間かけなければこれだけの量を集めることはできないだろう……それはつまり、ウィンドエレンファスが一体ではないか、もしくは予想をはるかに超える大きさだと考えるのが妥当だということだ」
(そ、それはどっちも嫌だね……)
アネモスを襲撃するウィンドエレンファスは話を聞く限りでは一体だろう。
それを考えれば、とてつもない大きさと考えるよりは数が多いと考えた方がいいのかもしれない。
「ど、どうしましょう……。近くにいるとふんでおびき出しますか?」
(……それだと群れだった場合に太刀打ちできなくなる。奴の強さがどんなものかはわからないが、俺の能力を使えば一体程度なら造作もないはずだ。なんとか一体だけをおびき出せるように考えるべきだ)
ウィンドエレンファスが群れだと仮定して一匹だけをおびき出す。
それは簡単なことじゃない。せめて一体の姿でも確認できればいいのだが。
僕が再び落ちていた青い鱗を拾い上げようとしゃがみ込んだその時、センが呟いた。
(と、父さん……上……見て)
「上?」
そう言われて上を見上げると、バムのライトが作り出す光の範囲ギリギリのところをチラチラと横切る尻尾のようなものが目についた。
「セン、光を直接当てちゃダメだぞ……」
僕はマスクを暗視モードに切り替えて再び壁の上部を見上げる。
「……こ、これは」
おびただしい数のモンスター。
たぶんその全てがウィンドエレンファスだろう。
何体ものそれが壁の高いところに張り付いて皆尻尾を振るばかりでほとんど動かない。
この状況は思い出したくもないあれを思い出す。
昔とある経験から古い住宅の床下に潜ることになったのだが、そこが山だったということもあってかそこにはおびただしい数のカマドウマが壁や天井に張り付いていたのだ。奴らは人に慣れていないためか、僕がすぐ側を通っても動くことはなかったが、それでも僕は恐ろしくて身動きが取れなかった。結局ひと叫びしてそこを飛び出したのだが。
この壁に張り付いている生き物のフォルムがそうでなくてもやはり気持ち悪いと思うのは、あの時の嫌悪感が生物に対してじゃなく、群れに対して抱くものだからなのだろうか。
(これは……とてつもない数だな。この中から一体だけをおびき出すのは難しいかもしれない……)
「そう、ですよね……」
その通りだ、と考えるまでもない。この量は無理。
やはり再びアネモスを襲いに来るタイミングを知っておくべきだった。
これも僕の勝手な想像と結果を良きとしか捉えない楽観性がいけないんだ。
「一度戻って、一体が単独で行動するのを待ちま……おい、何やってんだ、セン」
いつの間にかバムから出てきていたセンが僕の隣で何かを頬張っている。
「お前……こんな時に何でそんなの食ってんだよ」
(いやあ、お腹空いちゃって)
(おい! まずいぞ、その食べ物の匂いで勘付かれるかもしれない!)
(ははっ。大丈夫だよ、どうせ風はアタシに向いているんだし)
そう言ってケラケラ笑うセンの姿を見て、父ながら恥ずかしさを覚えずにはいられない。
吐き出したため息が自分に返ってくるのを感じたその時、足元の骨が小刻みに揺れて飛び跳ねた。
すると、それをきっかけにそこら中の骨や欠片が水面に跳ね上がる鰯の群れのように忙しなく踊り始める。
(まずいぞ! バムに乗れ!)
そう叫んだヤマトはすでにバムに跨っていて、「俺が牽制するから上へあがれ」と再び叫んだ。
僕とセンがバムに乗り込む瞬間振り返った先には、つるべ落とし宛らにぼたぼたと有り難さもくそもなく落ちてくるウィンドエレンファスたち。
僕がバムに一段踏み上げたところで、壁面に吹っ飛んでいったバム。
センの奴め。
空振りした右足が地面の珊瑚を踏み砕く。
ものすごいスピードで壁の方へ走り去っていくバムの背中を僕はただ眺めていた。
その時、足元の欠片が一段と高く飛び跳ねた。
風のせいで気配は感じない、でもわかる。
恐る恐る振り返ったその視界にあるのは視界を覆う白黒の鱗の足、巨大な足、その一本だけで僕の体を優に超える大きな足。
僕は無意識にバットを構えた。
目の前をその太い鼻がかすめる。不思議なことにその瞬間だけその冷たい吐息を感じた。
間合いを取っている暇なんてない。
僕は、成長し手の平の様な形になりかけているそのバットで目の前の足を思い切り掬い上げた。
太くなった鉤爪がウィンドエレンファスのその巨大な足の鱗を弾き飛ばす。
しかし、致命打にはならない。
不意の攻撃に足を跳ね退けたウィンドエレンファスが怒りの咆哮を上げるのを感じた。
次の攻撃に備えて後ろに飛び退き、一気に間合いを取る。
だが、その間合いでは足りなかった。
白黒にしか見えないその視界の端に突然現れた巨大な手の平で僕は思い切り吹き飛ばされる。
僕はこの瞬間ほど自分の転生先が鉄骨人であったことに感謝することはないだろう。
今までに感じたことのない浮遊感を体に感じながら空中で体を反転させた。
着地した地面の植物を弾き飛ばしながら僕は慣性に抗う。
視線の先には三本の鼻を振り回しながら突っ込んでくるウィンドエレンファス。
僕は再びバットを構え直す。
「ヤマトさん!」
走りこんでくるウィンドエレンファスの後方からヤマトのスカイバムが更に速いスピードでこっちへ向かってくるのが見えた。
ヤマトを廻る光球が徐々に連なっていき、絡まっていく。
ヤマトが紫色の光る帯を纏ったその腕を向かってくるウィンドエレンファスの方へ向けると、それは一直線にそれに飛んでいき、ウィンドエレンファスに絡みつくと、締め上げ、そのまま体をバラバラにしてしまった。
(ラスっ! 逃げるぞ!)
言われるのと同時に僕は飛び出していた。
液化したウィンドエレンファスのそこに落ちたものが何なのかわかっていたからだ。
しかし、辺りに色がなくて何がなんだか分からない。
「くそっ! この辺りのはずなのに!」
地面を飛び跳ねる欠片が邪魔をしてさらに見分けがつかない。
焦るこころを抑えつつ、必死にそれらをかき分けて落ちているはずのそれを探す。
その時、高く飛び跳ねた欠片の中にそれを見つけた。
握り拳ほどの大きさの結晶。
僕がそれを拾い上げると、目の前にはまた鱗の大足が立ちはだかっていた。
次の瞬間、僕は地面から遠ざかる。
遠くなる地面を眺めながら僕は込み上げる吐き気を感じていた。
僕は今、きっと何かを口から垂れ流しているだろう。
誰かは感じたことがあるだろうか、自分の体を通り抜ける風を。
そこには痛みなんかないんだ。
ただ、熱く燃えるような感覚を覚えながら、悪寒を感じ、でも体には一切の力が入らない。
(ラスっ!)
意識が途切れる寸前、聞こえたヤマトの叫び声。
この結晶だけは手放してはならないと心で叫びながら僕は感覚の全てを失った。




