霧と花畑とおばけ
大湿地帯ネロガーデンはマクロスアクロの丘を越えた先にあると、そこまでは把握されている。
しかし、その広さと視界の悪さから、わざわざその一帯を調査するような者は少ないらしい。
そのために情報通のジーナでもそれを噂程度にしか聞いたことがなく、湿地帯のどこにそれがあるのかわからないそうだ。
つまり、花の都ルルディアの存在もまた霧に包まれているということだ。
花の都というくらいだから、当然花で満ちているのだろうけれど、今巨大なモニタに映る霧に包まれてどんよりとした光景からそんな美しそうな雰囲気は想象できない。
湿地に咲く花といえば、水芭蕉とか睡蓮だろうか。
まず僕は花なんかに興味がなかったからもっとたくさんあるであろう湿地の花々を知らないが、とにかく慎ましいイメージがある。
「ジーナさん、ルルディアについてかかれているそのお伽話っていうのには、ルルディアがどんなところだって書いてあるんです?」
「いや、それがねえ……花の都ルルディア、ってそう書かれているだけなんだよ」
「ってことは、とにかく歩き回るしかないってことですね……」
どれだけ広いかすらよくわかっていないこの湿地帯を噂だけを頼りにお伽話の都市を探す。
まさしく冒険らしい冒険だが、あの世界の過去の人々もこうやって少しずつ世界を広げていったのだろうかと思うと頭が下がる思いだ。
今だって視界二十メートル程度のこの霧の中、ほんの少しだけ絶望感を味わっているというのに、全く僕は本当に恵まれた時代に生まれていたんだと実感する。
当たり前のように地球儀があって、世界百九十六カ国の名前が知れ渡っていて、でもそれは先進国と呼ばれる経済的にも文明、文化的にも栄えている場所に育ったからこそ持つ常識まがいの知識なのかもしれないが、マサイ族なんて原住民ですら外国人をきちんと認識していて、しかも洋服を知っている。
あの時代のあの世界を作り上げるのに、一体どれだけの冒険家の記録が必要だったのか。
そういう様々な好奇心の人々の行動力で作られた世界、それは本当に僕の世界だと思っていいのだろうかと、なんだか物足りないような、錯覚させられているかのようなそんな気持ちになる。
行く必要がないから行かないというのは、あくまで平凡なあるもので満たされればそれで良いというある種宗教的な発想の人々が持つ意見であって、でもそれは実は怠け者の適当な言い訳なのかもしれない。
あの世界のほとんどの人は怠け者で、人の好奇心から得たものに簡単にすがりつくから世界は共通的なんじゃないだろうか。
神話でバベルの塔なんて話があるが、それを破壊した神は人間を生意気だとしてそうしたわけじゃなく、怠惰で共通的である人間を恐れたからということもあるような気がする。
言語は分かたれていて当然、だって僕らはヒトだけど違う生き物なのだから。
同じ生物が同じ通信手段を取るのが当然だというのもまた、とある学者の勝手な意見じゃないか。
それなら僕は思う。
全人類が学者であったほうが世界はもっと広いし面白いんじゃないかと。
視界二十メートルの霧の中で、僕は本当の世界の広さを少しだけ知ったような気がした。
「……あれ? そういえばセンがどこに行ったか知りません?」
「さあ? 知らないわよ? トレーニングでもしてるんじゃない?」
セーレにそう言われて僕はコックピットを離れ、トレーニングルームへ向かう。
しかしそこにもセンの姿はない。
「あいつ……どこに行ったんだ?」
ふと嫌な予感を感じた。
「まさか……!」
急いでコックピットへと戻り、操作盤を弄くり回す。
「どうしたの?」
「嫌な予感がするんです!」
操作を終え、目の前に広がる巨大なモニタに視線を移すと、やはりセンは外に出ていたことがわかる。
モニタに新たに映し出されているのは、センの名前が記されたカーソルだ。
カーソルは画面の左端の方角を示している。
「あれー? いつの間に出てったんだろ?」
「全く、視界が悪いから外には出るなって言ったのに……」
「大丈夫だよ。反応はグリーンだし、たぶんその辺ぶらぶらしてるだけでしょ」
「でも、この辺りのことはよくわからないんですよね? どんなモンスターがいるかも」
「……確かに。まあ、センちゃんならやばくなる前に逃げてくるとは思うけど、どこにルルディアがあるかもわからないし、とりあえずセンちゃんを探しますか」
ジーナはそう言うと、床から起き上がりヤドカリの操作を始めた。
「ジーナさん、映像を後ろの方に切り替えた貰ってもいいですか?」
「はいよ」
新たにモニタに映しだされた後方の映像。
センのカーソルは今度は画面の右端を示している。
どうやら彼女を置き去りにしてきたわけではないようだ。
ヤドカリが進行方向を左に移すと、カーソルは徐々に画面の中央へと寄ってくる。
カーソルがおよそ中央に来たところでヤドカリの旋回を止め、前進を始めた。
霧が濃く、同じような風景ばかりが続く中センのカーソルを追いかけて僕らは進む。
それにしても、センはどこまで行くつもりなのか。
そもそも戻ってくる気があったのだろうかと思えるほど、センに追いつくことができない。
「あいつ、もしかして逃げてるんですかね?」
「え? まさか……だってこんなに視界が悪いのよ? それにわざわざ逃げる必要もないじゃない」
「……そう、ですよね」
しかし、おかしい。
さっきからカーソルの位置こそ変わらないものの、カーソル上に示されているセンとの距離の値がほとんど変動しないのだ。
ぎりぎり視界に映らない程度の距離を保ちながら僕らを先導しているかのように進み続けているとでもいうのだろうか。
そんなのいくらセンが優れた感覚を持っているとはいっても無理だろう。
それに、セーレの言う通りそんなことをする意味が無い。
「セン! セン! 聞こえるか!?」
(…………)
「ダメだ。応答しない」
「うそ……。どういうこと?」
「……わからないよ。でも、なんとなくやばい感じってのはわかってきたね」
「ジーナさん、一旦停まって下さい。僕、直接見てきます!」
僕は、停められたヤドカリから飛び出して辺りを目視する。
しかし、モニタで見た通り視界が悪くその先に何があるのかさっぱりわからない。
浅く水に満ちている地面は土ではなく、何か砂利のようなものが敷き詰まっているようで、思いの外足場は悪くない。
ゴーグルの視界をヤドカリのモニタとリンクさせ、センのカーソルを表示させると、やはりセンは僕の前方四十メートルのところにいると表示されている。
ヤドカリが停止するのに合わせてセンも止まったということだ。
この奇妙な状況、僕はできるだけ足音を殺すようにしながらセンの後を追う。
視界に表示されているセンとの距離は三十メートル、まだセンの姿は見えない。
残り十メートル。
肉眼で確認できる視界にセンが見えてもおかしくない距離だ。
それなのに、センの姿はない。
距離一メートル。
「なんで、いないんだ……」
(ラス。いた?)
「い、いません……。どこにも」
(え? ちゃんと見てるの?)
セーレに言われて、念のためにもう一度周囲を見回すが、目に映るのは浅い水溜りに浮く植物と濃い霧ばかりで人の姿なんか見えやしない。
「ダメです。どこにもセンの姿が見えません」
確かにカーソルの距離は目の前にセンがいることを示しているというのになぜ、見えないのか。
「もしかして……」
僕はゴーグルを外した。
すると、肺が凍りつくような冷たい空気が体に流れ込み、先程までの霧が嘘のように晴れ、目の前には色とりどりの花々が敷き詰められたまるでお伽話のような光景が広がっている。
ゴーグルをかざしたり外したりしながら状況を確認すると、ゴーグル越しに見る景色は霧、外せば花畑に変わる。
そして気付いたのだ。
自分のすぐそばの足元の花が踏み潰され、僕の先に誰かがいるような様子になっていることに。
しかし、ゴーグル越しに見てもそうでなくてもそこに何かがあるようには見えない。
そっと手を伸ばし、そこにあるかもしれない何かに触れようとすると、不意に足元の花が散り、それは逃げるように僕から遠ざかって行った。
「ジーナさん……透明人間って……いますか?」
「え? ボクは知らないけど……まさか、何かいたの?」
「いえ、何もいません。でも、いや……。一旦そっちに戻ります」
僕がヤドカリに戻ると、セーレとジーナが格納庫まで出向いて待っていた。
「どうしたの?」
「……ちょっと、着いて来てもらえますか?」
二人が顔を見合わせて僕の後に続いて外へと出る。
「マスクを外してみてください」
「…………! 何よこれ!」
「わーお! なんだこれやっべえ! うおお! 世界は不思議だらけだぜ!」
「これがつまりは花の都……ってことなんですかね?」
「……どうだろう。でも、花の都っぽさ満載だよねえ?」
「って、そんなことよりセンは? それにあんたの言ってた透明人間って何?」
「わかりません。センを追ってそこまで行ったんですが、そこには何もいなくて、でもゴーグルを外したらそこには足跡があって、でも誰もいなくて……」
「うーん……。だから透明人間?」
「そう、です」
そこまで話したところでジーナは腕を組んだまま何かを考えるようにして言った。
「……光学迷彩?」
「は?」
光学迷彩、僕はその言葉を知っている。
ゲームや映画なんかで度々出てくる未来の技術のことだ。
光の反射を利用して物を見る肉眼の特性を逆利用して、物理的な存在をまるで見えなくしてしまう未来技術のことだと僕は認識している。
まあ、その程度のことはこのアンダーワールドの機械技術から察するに行われていて当然だろうと思う。
しかし、ジーナのその言葉に対するセーレの反応は以外なものだった。
「コウガクメイサイ? って何?」
「え? その、目には見えなくする科学技術のことですよ。知ってますよね?」
「んー……。聞いたことがないなあ」
バムみたいな機械技術がありながら、光学迷彩を知らないなんておかしいと思うのはおかしいだろうか。
でも、彼女のことだから知らない、ということも考えられる。
「ジーナさん、光学迷彩って普通の技術ですよね?」
「……そ、そりゃそうさ! セーレはいろんなことに無頓着だからね。天才のボクが知っているんだからそういう技術は当然あるさ」
「な! あんたのその言い草だと私がバカみたいじゃない!」
「……どうかしたの?」
「ん? あれ?」
センだ。
僕は慌ててゴーグル越しにセンを確認すると、確かに僕の目には彼女を示すカーソルが彼女に被さっているのが見える。
「ジーナさん、個体感知センサー壊れてません?」
「そんなバカな! ボクのマシンがそんなに簡単に故障なんかするかい!」
じゃあ、さっき僕が見たセンのデータは何だったんだ。
同じ生物が二体もいるなんてあり得ない。
まさか。
「……幽霊?」
「は? ユウレイって何よ。またわけのわからないこと言って」
「ままま、ま、まさか! やめてよ! ボク、その手の話はダメなんだ!」
僕の幽霊という言葉にジーナが異常なまでに怯えている。
さすがは天才考古学者といったところか、まさかそんなものまで本気で信じているとは驚きだ。
とはいっても、透明でセンと同一個体のデータを持つ生き物となればそんなものは実在し得ないだろう。
だと考えると、この霧が起こす電磁的なバグか何かだろうか。
難しすぎて僕にはもう理解不能だ。
「ところでセン、お前どこにいたんだよ?」
「トレーニングルームで寝てたよ?」
なんでそんなところで寝ているんだ。
どうりで気付かないわけだ。
本来なら元気なやつがバシバシやるところで寝てるなんて想像もしなかった。
「でさ、結局ここがルルディアだとすると、どこに都市があるの? 私には花畑しか見えてないんだけど」
「確かにそうですね。とりあえず集落でもなんでもそういうのがないか探しましょうよ」
「探すと言っても、ボクのヤドカリちゃんじゃ何も見えないよ? ってことはまさか……!」
「……大丈夫よ。バムがあるじゃない。あれでなら目視のまま進めるわ。あんたの嫌いな徒歩ではなくて大丈夫です」
「そ、その手があった! さっすがセーレだね!」
「……あんたムカつくわ」
「ねえ。一体何があったの? あたしも混ぜてよー」




