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その名で私を呼ばないで  作者: 久住 ゆかり
プロローグ〜モニカの回想

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2/2

流転の中で

 授業参観を終え外へ出ると、捜査官が外で私たちを待っていた。捜査官は4人だった。1人が片手で警察手帳を見せ、連れに名前を確かめた。

 「…ダグラス・パーカーだな?」

 「…ああ」

連れが頷くと、その捜査官は容疑をいくつか挙げ彼に手錠をかけた。そして相棒と2人で彼を連れて行った。残った2人は私のもとへ来て聞き取りを始めた。まず1人が私に名を尋ねた。

 「…モニカ・アシュクロフトです」

私が名乗ると、彼は

 「…アシュクロフトさん。…その呼び方で構いませんか」

と神妙な顔で尋ねてきた。

 「…はい」

 「…ビザを持っていないようですね」

 「…はい」

ーこれは私も認めるしかなかった。

 「…入国は何年前ですか?」

 「…15年前です」

聞かれなくて済むはずの質問だったーだからといって弁明もできなかった。

 「…入国した理由は?」

 「…一時退避です」

私が答えると捜査官は1つため息をついた。それから軽く頭を振り私にこう尋ねた。

 「…失礼ですが、今年おいくつですか」

 「…32です」

 「…ご本籍は?…ご両親はご健在ですか?」

ー私は息を吐いてから答えた。

 「…英国籍です。…両親はどちらも生きていません」

 「英国籍…両親は死亡…」

捜査官は復唱しながら記録をつけていった。

 「…ご両親のお名前を伺っていいでしょうか」 

 「…父の名はウォーレン・アシュクロフトです。母はー」

そこで言葉が詰まってしまった。母は再婚し父の戸籍から抜けていた。

 「…母の名はアマリアです。ただ、…母は再婚して戸籍が見つかっていません」

 「…お母上が再婚を?」

 捜査官は少し眉を上げた。

 「…お父上と離婚なさったんですか?」

 「…いいえ、死別でした」

聞かれるたび私の心は重くなった。捜査官は一つ大きく息を吐き、

 「…お父上が亡くなった時あなたはいくつでしたか?」

と私に聞いた。

 「…6つでした」

 「6つの時お父上が他界ーその後あなたはどちらに?」

 「…レニングラードに」

 「…お母上とご一緒でしたか?」

 「…母は別でした」

捜査官は頭を抱え低い声で呻いた。

 「お母上にはついていかなかった…」

私は頷いた。

 「…ついていけませんでした。父の知人が私を引き取りました」

 「…その知人は今も健在ですか?」

 「…私が米国へ来る前に亡くなりました」

 「…入国を勧めた人物は?」

私は少し目を伏せ考え込んだ。ー彼の名前は覚えていたが、それが本名かどうか疑わしかった。それでこう答えた。

 「…覚えていません」

 「覚えていない…かなり前ですから無理もないでしょうね」

捜査官は仕方ないと笑っていた。だが、隠すわけにいかないと私は起こったことを正直に告げた。

 「…ビザを申請する直前に連絡が取れなくなったんです」

 「音信が途絶えた…?」

捜査官は私の言葉に目を剥いた。

 「ーしばらくお待ちください」

 捜査官は私に言い、携帯電話で連絡を取り始めた。彼は何度か電話の合間に頷き、話し終えると、鞄を膝の上で広げ何やら探し物を始めた。

 「…これだ」

捜査官は呟き、

 「…背景を調べる必要があるのでお名前や生年月日をお願いします」

彼は一枚の用紙を私に差し出した。ー移民局行きの申込書。同じ名でビザの申請が届いていないかどうか調べるためだろう。私が書き終えると、捜査官は書面を睨みながら小声で呟き始めた。その後再び私に向き直った。 

 「…17歳で入国なさったんですね」

私は頷いた。

 「…ロシアからこちらへ避難なさった理由は何でしょう」

 「…義父から逃れるためです。母の再婚相手から」

ー私は答えた。

 「…彼の名は?」

 「…ヴァシリー。…確かヴァシリーと」 

 「ヴァシリー…彼の仕事は?」

 「…表向きは造船会社の社長です。ーただ彼の名も戸籍になかった」

捜査官がため息をつくのが解った。

 「すると…別に本名があるのですね」

 「…はい」

ー養父の書き残してくれた紙を私は捜査官に差し出した。ローマ字とキリル文字の2つが紙の上に並んでいた。

 「…これが本名だそうです」

 「ヴァシリー・チェレブコフ…何だか聞き覚えがあるな」

ー捜査官は言い、私の差し出したメモを手に

 「…しばらくお借りします」

と再び携帯電話で話し始めた。彼の顔つきが硬くなっていくのが解るようだった。

 「…裏稼業にご親戚がいたんですね」

 「…はい。…来る少し前に知りました」

ーヴァシリーのことだった。母のいとこで、彼は私のいとこおじと言ってもよかった。

 「…彼があなたの義父だった」

 「…はい。…一緒には暮らしませんでしたが」

 「…彼と御母上との関係を知ったのはいつですか」

 「…15か16の時です」

捜査官がため息をついた。  

 「つまり…それまで知らなかったと」

彼はそう呟き、再び私に尋ねた。

 「…誰から2人の関係を聞きましたか?」

 「…ヴァシリーの兄です。このメモを私にくれた人」

 「…解りました」

捜査官は重い声で言った。彼の表情も会った時と比べだいぶ沈んでいた。

 捜査官は母の再婚後について調査してみると言った。そのためには、ロシア領事館にも手を借りなければいけないらしかった。私はあまり期待していなかったー母は自分で命を断っていたし、母が裏社会で暮らした事実は取り消せないのだから。

 「…詳細が解り次第お知らせします」

ー捜査官は言ったが私は断った。

 「…母はもう物故者なのでお構いなく」

 「…そうですか」

捜査官も理由については深追いする気はないようだった。ただ1つだけ彼は言った。

 「…あなたの亡命について、我々が事情や背景を聞ける人物がいたら」

教えてほしい。ー私は一呼吸置き、財布から名刺を取り出した。

 「…彼にお願いします」

 「リリュー警部ーフランスの警官ですね」

名刺を見つめながら彼は言った。そして彼はその名刺を軽く掲げ、

 「…こちら、お預かりします」

と告げた。その後で一心に紙に書き取り書き上がったものを彼は私に見せた。ー彼は私の供述書を書いていたのだった。

 「…この内容で合っているでしょうか」

 「…間違いありません」

全体を読み終え私は言った。捜査官も頷き、

 「…お疲れ様でした。…次は出国手続きになります」

私は会釈し立ち上がった。ーそこで私の聞き取りは終わるはずだったが、連れに聞き取りしていた方の捜査官がかけてきた。

 「…どうした?」

捜査官も目を見張りそう尋ねた。だがかけてきた当人は首を横に振った。

 「…ちょっと外してくれ」

 「…外せ?」

 「…保護者の個人情報だ」

重い声で言われ、捜査官も部屋を出て自分の同僚に席を明け渡した。その捜査官ー連れと話していた警官ーは、私を見下ろしたまま硬い声で言った。

 「…彼が、あなたの連れが、…あなたがた2人を知らないと言っている」

そう聞いて、私の頭は一瞬で真っ白になってしまった。 

 「…本当に彼がそんなことを?」 

 「…ああ、誓って嘘じゃない。…聞き取り直前にやつはそう言ったんだ」

それからその捜査官はやっと腰を下ろした。そして、

 「…もう一度名前を聞いて構わないか」

 「…モニカ・アシュクロフトです」

私は一度深呼吸してからゆっくり自分の名を告げた。捜査官は頷き、供述書に私の回答を書き込み始めた。両親の名前、国籍、そして亡命申請の理由ー質問の内容は前に聞かれたことと変わらなかったが、後から聞き取りに来た捜査官はだいぶ深刻そうな顔つきをしていた。

 ひとしきり質問が済むと捜査官は私にこう言った。

 「…自分と一緒にいた男が何者か、あんた知っていたか」 

 「…あまり詳しくは」

 「…そうか。…あの男はな、米国東北部を荒らし回ってるギャングなんだ」

 「ギャング…?」

私はふと目を上げた。言われてみれば、声の凄みや目つきの剣呑さにその片鱗が感じられなくもなかった。義父やその部下と対峙し、彼らと撃ち合いを果たした後で、私の感覚が少しばかり鈍っていたのかもしれない。私があれこれ思い巡らしていると捜査官はさらに言った。

 「…いつ頃やつと知り合った?」

 「…この國へ来てすぐに」

 「…すると、10年以上一緒だったのか」

捜査官の表情はさらに重くなった。

 「…何がきっかけなんだ?…何があって、やつと動くようになった?」

憐れむような目をして彼は私に問いかけた。

 「きっかけ…」

私は思わず呟いた。ーなぜ一緒にいたのかと問われても、理由は一言で表せなかった。

 「…話しづらいか」

捜査官は腕組みしながら私を見つめ続けた。

 「…言葉にしづらくて」

 「…そうか」

私はその頃周りであったことを捜査官に打ち明けることにした。その方が理由を直に話すより解りやすいと思ったからだ。私が話していくと捜査官の表情がこわばっていった。

 「…売春の隠れ蓑か」

 「…はい。初めは客に応対してくれとしか言われませんでしたが」

 「…断ったら向こうに引き渡す。…大家があんたにそう言ったんだな」

捜査官は唸り、大家の名前を教えるよう私に言った。それは私の雇い主の名を教えることでもあった。私が紙に書いて差し出すと

 「…中国人か」

と捜査官は呟いた。

 「…はい」

聞いたことある名だと言い、彼はオーナーの名を自分の手帳に書き写した。

 「…大家があんたの雇い主だった」

 「…はい」

 「…そして店主が自分の物件から一部屋をあんたに貸した」

 「…ええ、そうです」

 「…あんたは米国の市民じゃない。査証も持ってない。…それをいいことに、大家含め周りの大人があんたを利用してたわけだ」

 「…はい」

私は心が重くなるのを感じながら頷いた。

 「…途中で何度も撃ち合いやってたな」

捜査官は言った、

 「…遺体の身元もだいふ割れてる。こんな言い方するのもどうかと思うが、…中にこの国の人間は一人もいなかった。さらに言うと死んだのはやくざ者だけだった」

そこまで言ってから捜査官は息を吐いた。

 「本来なら重罪だが…幸か不幸か一般人に巻き添えが出てない。だから、俺の見る限りだが、あんたらのしてきたのは裏稼業同士の揉め事にしか見えない。…それに、あんたもここへ来た頃はまだ未成年だったもんな」

私もそうです、としか言えなかった。

 「やつが黙秘するんで聞くんだが…どこであいつと知り合った?」 

 「…大家の経営する店で」

 「…料理屋でか。…何年くらい前だ?」

私はそのまま答えたー米国へ入って来てすぐ大家の切り盛りする店で出会ったと。すると捜査官は顔をしかめた。

 「…知らないと言い切る理由がやつにあるのかね」 

それから彼は私にまた尋ねた。

 「…銃はどこで習った?」

 「…養父に教わりました」

 「…彼の名は?」

 「…アレクセイ・チェレブコフ」

 「…ドミトリーの親父か」

捜査官はまた唸った。

 「…あんた、あの親子と知り合いなのか」

 「…母の遠縁です」

私はそれだけ言った。捜査官は眉間にしわを寄せながら供述書を埋めていった。

 「…おふくろさん、イタリア人だったな」

 「…はい」

 「…祖父さんと祖母さん、どっちがロシア出身だった?」

 「…祖母がロシア系でした」

ー革命を逃れ亡命したロシア貴族、その娘が私の祖母だった。ナタリヤ・イヴァネヴナ。『イヴァンの娘ナタリヤ』ーそういう意味だと祖母は私に教えてくれた。

 「ロシアとイタリアの混血…」

捜査官はそう呟きながら書き込んでいた。

 それからどれだけ経ったか解らない。聞き取りの間中、捜査官は硬い表情だった。彼は始終手元を睨んでいたーそれがなぜだったか私には解らない。解ったのは、自分が複雑な事件に巻き込まれていたということだけで。 

 捜査官は宙を見ながら言った。

 「…ここに身寄りはないと言ったな」

ー私が頷くと、

 「…娘さんは未成年だし、何よりも父親が米国の市民だから娘さんは連れて行かせられない。…あんただけ出国させることになる」

捜査官はそう言った。〈父親が米国の市民だから〉ー彼は確かにそう言った。犯罪者でも戸籍が米国にあるので、娘は自動的に米国の国民となるという話だった。こうして私たち3人は散らされることになった。

 帰り道の気の重さは言いようがなかった。連れが放った言葉や家族が別れ別れになるという現実、その2つが私の心を押し潰し私に口をつぐませていた。家族が離れ離れになるのは仕方ない。だが捜査官から聞いた連れの言葉をどう処理したらいいのだろう?聞いた言葉があまり衝撃的で、私の見てきたものとかけ離れすぎて、どう判断していいかまるで解らなかった。連れはずっと娘に寄り添ってきたー手の空いた時はあれこれ理由をつけ、娘の世話をするくらいに。娘のこととなると目の色を変えとやかく世話を焼いていた人がなぜ急に態度を反転させたのか、その理由が私にはずっと解らなかった。それくらいなら妊娠の解った時点で堕ろせと言ってくれればよかったのに。

 ー家につくまでの間、私は娘の手を握ったまましばらく考え込んでいた。2人で一緒に動くうち、私は彼との関係を過信するようになっていたのかも知れなかった。だが私には今でも解らないー初め産んでいいと言われた意味が、そして自分の子が成長してからその子を放り出す意味が。

 「お母さん、顔色暗い…」

娘は私を見るなりそう言ったが、私にはもうそう?と聞き返すしかできなかった。

 家に着いてから私は娘に話をした。母親の私は国を出るが娘は連れて行かれない、またこの先は互いに行き来ができなくなるだろうと。娘も初め黙って聞いていたが、私が話し終えると寂しそうに呟いた。

 「私たち、本当に離れ離れになるんだね…」

 「そうね…」

それきり私も娘も何も言わなかった。

 干してあった洗濯物を取り込みながら私はずっと考えていた。連れの言い残した言葉の意味から、娘の将来や自分たちの今後までー考えても気が重くなるだけだが、それでも考えずにはいられなかった。授業参観に来てくれとせがまれ出ることを決めた連れと、父親が顔を出したことで自分の頼んだことの重みを知った娘ーそのどちらも重い現実に直面したことに変わりはないのだった。娘にしても、決して離れ離れになるのを願って言い出したわけではないのだから。やがて下の方から娘のすすり泣きが聞こえてきた。私は少し手を止めた、そして連れが前日言ったことを思い出した。『隠れるのも限界だと思うからそのつもりでいろ』。彼が顔を出すことで、私も自分の身元を明かすことになる。つまりそういうことだったのだ。もしかしたら彼はもう何年もそうなるのを覚悟していたのかも知れない。初めは軽い冗談も交えながら話をしていた人が、娘が生まれてからは少しずつ口数も笑顔も減った。彼はどう切り抜けるかだけでなく、一緒に過ごす日数が減っていくのを少しずつ自分に飲み込ませていたのだ。彼は自分なりに刑期の計算もしていたのかも知れない。刑務所へ父親と面会に行くより、国際郵便で母親と手紙をやり取りするほうが娘のためになると思ったのだろうか。それも彼らしいと言えば彼らしかったが、私にだけ言い含めておいて娘に黙っていたというのが切なくやるせなかった。

 連れと知り合って4年後の夏に、私は娘を出産した。彼は22歳、私は21歳だった。娘が生まれた後、私たちは話し合い偽名で暮らし始めた。違法だと解っていたが、母親の私に米国籍がなく移民ビザももらえなかったからどうしようもなかったのだ。その頃には既に連れの運転で居住地を転々としていた。 

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