第5話 執追Ⅰ
木の根元に残った踏み跡は軽い。
男はしゃがみ込む。
地面を観察する。
落ち葉のめくれ方。
踏み込みの深さ。
根の踏み外し。
細い。
歩幅が揃っていない。
若い女。
森を歩き慣れていない。
根を踏み、葉を滑らせ、幹に触れている。
音を立てている。
焦り。
恐怖。
男は立ち上がる。
追跡を開始する。
足音を消す。
重心を低く保つ。
森では速さより静かさが重要だ。
焦る必要はない。
逃げる側は森を知らない。
男は森の奥へ入っていく。
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鈴木紗季は森の中を歩いていた。
どうして自分がこんな場所にいるのか、まだ理解できていない。
ほんの数十分前まで、確かに教室にいた。
気がつけば森の中に立っていた。
足元には土。
見渡しても木ばかり。
建物も道路もない。
「……なに、ここ」
思わず声が出る。
その声はすぐ森の奥に吸い込まれていった。
返事はない。
風の音も。
鳥の声も。
ほとんど聞こえない。
静かすぎる。
森なのに、音が少ない。
「……どうして」
理由が分からない。
頭が追いつかない。
それでも立ち止まるのは怖かった。
歩くしかない。
誰かいるかもしれない。
同じクラスの誰か。
先生。
とにかく、人。
そんなことを考えながら歩いていた、その時。
背後で枝が――
ぱきり、と鳴った。
鈴木は反射的に振り向く。
⸻
視線と同時に。
男は間合いへ入っていた。
感情のない目。
刺突。
剣が胸を貫く。
鈴木の身体が崩れる。
血が落ちる。
男は背を向ける。
⸻
数歩。
男の足が止まる。
血の匂いが足りない。
心臓を穿った量ではない。
男は振り返る。
血はある。
だが。
身体がない。
違和感が形を持つ。
⸻
鈴木は走っていた。
腕が焼けるように痛い。
視線を落とす。
制服の袖が赤く染まっている。
血だ。
自分の血。
胸を刺されたと思った。
あの瞬間、終わったと思った。
なのに。
裂けているのは胸じゃない。
腕だった。
「なんで……」
意味が分からない。
混乱した頭の端に、文字が浮かぶ。
⸻
【ギフト:認識改変】
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意味は分からない。
だが今は考えている余裕がない。
逃げないと。
あの男が追ってくる。
理由は分からない。
でも分かる。
あの目。
あれは人を見る目じゃない。
あんな視線を向けられたのは初めてだった。
殺される。
「やだ……」
声が震える。
死にたくない。
普通に学校に来て。
普通に授業を受けていただけなのに。
なんでこんなことになるの。
鈴木は必死に走る。
足がもつれる。
枝に引っかかる。
何度も転びそうになる。
それでも止まれない。
止まったら終わる。
⸻
足跡が別方向に現れる。
血の位置がずれる。
枝の折れ方が変わる。
木が動く。
違う。
自分が動いている。
岩が動く。
さっき通った場所が違う。
森が歪む。
さっきの文字の力。
鈴木自身も自分の位置が分からない。
分からない。
でもいい。
迷えばいい。
あの男も迷えばいい。
⸻
認識が滑る。
木立が曲がる。
距離が伸びる。
近い木が遠い。
視界が壊れる。
男にとっての庭が。
迷宮に変わる。




