第4話 群圧
「いったい、なんだったの……」
最初に声を出したのは、西園寺ルカだった。
髪の先に吐瀉物がついていた。
まだ乾ききっていない。
顔色は悪い。
口元を押さえたまま、吐き気を堪えていた。
「……めちゃくちゃだ」
久我亮は、近くの木に手をついた。
いつもの軽口はなかった。
先ほどまで自分が立っていた場所さえ、今はもう信用できないようだった。
藤堂優斗は、少し離れたところで息を整えていた。
表情は大きく崩れていない。
ただ、視線だけが森の奥を測るように動いていた。
鬼塚美鈴は立ったまま、拳を握っていた。
震えがあった。
それを見せまいとしている。
佐伯真帆は、地面に座り込んでいた。
動かなかった。
呼吸は浅い。
焦点の合いきらない目だけが、かすかに揺れていた。
まだ何かを処理し続けているように見えた。
⸻
しばらく、誰も動かなかった。
風だけが葉を揺らしていた。
西園寺が、口元を押さえたまま言った。
「……また吐きそう」
髪先の汚れはそのままだった。
それを気にする余裕もない。
見たものは、それほどひどかった。
木が伸びた。
縮んだ。
位置を変えた。
地面は波のようにうねり、距離が伸び縮みした。
森が森ではなくなっていた。
西園寺は吐いた。
久我は笑えなくなった。
藤堂は森の奥を見ていた。
鬼塚は拳を握っていた。
佐伯は座り込んだまま戻ってこない。
久我が低く毒づいた。
「なんなんだよ、この森」
西園寺は、ようやく顔を上げた。
「私たちさ」
そこで少し黙った。
「本当に、異世界に来ちゃったのかもね」
久我が眉を上げた。
「あれは冗談だって」
西園寺は首を横に振った。
「学校から、いきなり森に来た」
声は掠れていた。
「意味の分からない能力を渡されて」
それから、久我を見た。
「亮だってそうでしょ」
「茶化してるけど、未来が見えるんでしょ?」
久我は肩をすくめた。
「一秒だけね」
「一秒でも、未来は未来でしょ」
西園寺の手は、まだ口元にあった。
「思ってる以上に」
少し間が空いた。
「まずい状況かもね。私たち」
風が葉を揺らした。
誰も、すぐには答えなかった。
⸻
鬼塚美鈴は森を見ていた。
知らない森だった。
知らない世界だった。
身体は、前よりもずっと軽い。
出そうと思えば、まだ出せる。
力の底が見えない。
身体の出力が、恐ろしいほど上がっている。
自分の身体でありながら、自分のものではないようだった。
化け物。
その言葉が、一瞬だけ頭をよぎった。
だめだ。
弱気になるな。
しっかりしろ。
そう思っても、胸の奥のざわつきは消えなかった。
知らない森に放り出された。
知らない力を身体に入れられた。
ようやく同級生と合流したと思ったら、今度は森そのものが壊れた。
西園寺は、ここが異世界かもしれないと言った。
否定する材料はなかった。
現実らしいものが、どこにも残っていなかった。
やがて、鬼塚は顔を上げた。
「……移動しよう」
声は低かった。
「ここにいたくない」
それだけで、意味は伝わった。
藤堂優斗が短く頷いた。
久我亮は木から手を離した。
西園寺ルカも、小さく頷いた。
その時だった。
佐伯真帆が、ゆっくり顔を上げた。
「……待って」
声は小さかった。
全員が止まった。
佐伯は森の奥を見ていた。
焦点の合わない目が、木々の間に向いている。
西園寺が反射的に聞いた。
「……同級生?」
佐伯は首を横に振った。
「……違うと思う」
佐伯には、姿が見えているわけではなかった。
足音が聞こえているわけでもない。
それでも、森の奥から、まっすぐこちらへ伸びてくるものがあった。
一度、浅く息を吸った。
「男の人」
佐伯の声は、感情を失っていた。
「ひとりで、まっすぐ」
そこで言葉が切れた。
「こっちに来てる」
知らない人間がいる。
しかも、迷わずこちらへ向かってきている。
その事実だけで、全員が黙った。
⸻
すでに三人を処理した。
多い。
通常、転移は一人で起こる。
多くても二人だった。
それが、さらに五人。
多すぎる。
三人を処理した時点で、報告案件だった。
さらに五人。
合計八人。
単独処理の通常範囲を越えている。
範囲。
時間。
人数。
八。
異常だった。
ここのギフトを確認する必要がある。
だが、報告が先だ。
男はそう判断した。
木々の影に身を置く。
この距離なら、向こうからこちらは見えない。
そのはずだった。
次の瞬間、小柄な女が顔を上げた。
目が合ったわけではない。
それでも、女の視線だけが、正確にこちらを向いた。
男は止まった。
捕捉された。
作者メモ
第4話は、かなり単純に言うと、一対一をやめる回です。
第1話から第3話までは、基本的に主人公対転移者ひとり、という形でした。
ただ、この主人公、基本的に喋りません。
必要がないと喋らない。
3話までやって、セリフがたしか2個くらいです。
なので、主人公をメインにして一対一を続けるのは、3話あたりが自分の限界かなと思いました。
主人公をなぜ今の性質にしたのかは、また別の機会に話します。
ということで、第4話からは対集団です。
ただ、この話はそもそも、超人的なギフトを持つ転移者相手に、主人公が単独任務をしている時点で、かなり危ういところがあります。
なので、まず前提として、転移は基本的に少人数で起こることにしました。
基本は一人。
多くても二、三人。
それなら、優秀で癖の強い処理官が単独で当たることも、ギリギリ制度上容認されている、くらいでいけるかなと。
逆に言えば、今回のクラス転移はこの世界にとっても完全に異常です。
三人を処理した。
さらに五人いる。
合計八人。
この時点で、主人公にとっても通常業務ではありません。
ただ、主人公は五人が固まっているのを見つけて、そのまま突っ込んでいくタイプではありません。
まず見る。
数える。
報告を考える。
その上で必要なら動く。
なので、ここでは先に相手側から捕捉される必要がありました。
そこで、感知系のギフトを持つ人間が必要になりました。
それが佐伯真帆です。
この時点ではまだ、佐伯は「感知系の子」くらいの役割から始まっています。
ここから先、どんどん面倒な方向へ育っていくわけですが。
第4話はつなぎの話です。
鈴木の認識改変で森が壊れて、その後に五人の集団が残る。
そこへ、処理官が近づいてくる。
若者集団が異常事態のあとに立ち尽くしている、田舎ホラーや森ホラーでよくある場面ですね。
参考にした映画が明確にあるわけではありませんが、あの「何かが起きた後、まだ誰も状況を言葉にできていない若者たち」の感じです。
ちなみに西園寺が吐いているのは、登場人物が嘔吐する映画にハズレがないからです。




