第7話「謁見」
朝から、エリーゼが静かだった。
宿の廊下で声をかけると、部屋の中から「ちょっと待って」という返事が来た。それから妙に長い時間が経って、扉が少しだけ開いた。
「……入っていい?」
「ああ」
扉を開けると、エリーゼが鏡の前で固まっていた。
深緑のドレスを着ている。騎士服とは違う、貴族の謁見に相応しい正装だ。ただ——背中のリボンが半分しか結ばれておらず、裾も微妙に曲がっていた。蜂蜜色の髪はどう結えばいいのかわからないらしく、半分下ろしたまま手が止まっていた。
「……似合わない?」
「似合ってる」
即答した。
本当のことだった。深緑はエリーゼの明るい印象を落ち着かせて、別の種類の美しさを引き出している。ドレス越しでも、しなやかな体のラインはわかった。
「でも背中が」
「直す」
俺はエリーゼの後ろに回って、リボンを結び直した。
白い首筋が近かった。髪が流れて、耳の後ろがわずかに見えた。
(……近い)
「アシュくん、慣れてるの?」
「慣れてない」
「じゃあなんでそんなにさらっとやってるの」
「やることをやってるだけだ」
エリーゼが小さく笑った。
俺はリボンを結び終えて、一歩下がった。
「髪はどうする」
「うーん……ハーフアップ? でもやり方が」
「貸せ」
「え」
「書物で読んだことがある」
エリーゼが鏡越しに俺を見た。
呆れた顔と、嬉しそうな顔が混ざっていた。
結果として、そこそこ様になった。
エリーゼは鏡を見て「意外とできるじゃん」と言った。俺は何も言わなかった。
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宿の入口まで来ると、セレスティアが立っていた。
制服姿で手帳を持っている。いつも通りだが、少しだけ表情が違った。
「……見送りに来ました」
「そうか」
「同席できないのは、制度上の問題です。研究員が王城の謁見の間に入れるわけがない」
「わかってる」
「ただし」セレスティアがエリーゼを一瞥した。「謁見後のデータは詳細に報告してください。どんな空間で、どの程度の魔力を使用したか。可能な限り具体的に」
「研究のためか」
「当然です」
エリーゼが俺の隣でにこりと笑った。
「行ってくるね、セレスティアさん」
「……気をつけて」
短い返事だった。
それでも「行ってくるね」という言葉に、ちゃんと答えた。
エリーゼが歩き出す。俺もそれに続いた。
振り返ると、セレスティアがまだ入口に立っていた。
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王城の謁見の間は、想像より広かった。
天井が高く、両側に柱が並んでいる。赤い絨毯が奥の玉座まで続いていた。衛兵が左右に控えており、その奥——玉座に、白髪交じりの金髪の老王が座っていた。
国王レオナルド・フォン・アルデナ。
そしてその隣に、一人の青年が立っていた。
金髪を短く整えた、端正な顔立ちの青年だ。年は俺より少し上か。王族の礼装を自然に着こなし、温和な表情を浮かべている。だが——その目だけが、父と同じ種類の鋭さを持っていた。
第一王子レイン・フォン・アルデナだ。
「近う」
レオナルドが穏やかに言った。
俺はエリーゼとともに前に進み、礼をした。
「ヴァルナー伯爵家嫡男、アシュレイ・フォン・ヴァルナーです」
「面を上げよ」
顔を上げると、レオナルドが俺を見ていた。
品定めではない。人を見る目だ。値踏みではなく、本質を測ろうとする目。
「神話級のスキルを持つと聞いた。年は十五か」
「はい」
「怖いか、王都が」
「いいえ」
レオナルドが少し目を細めた。
「正直に言え。辺境の若者が宰相府の召喚状を受け取って、怖くないはずがなかろう」
「怖くないとは言いません」俺は続けた。「ただ、怖いからといって動きを止める理由にはならない。それだけです」
沈黙。
レオナルドがゆっくりと口を開いた。
「ヴァルナーの領地は今、どういう状況だ」
「魔物の侵攻が続いており、耕作地が荒れています。食料の自給率が低く、民の生活は厳しい。改善できる余地は多くあります」
「改善できる、と言うか」
「できます」
「根拠は」
「前例のない方法を試すつもりです。うまくいかない可能性もある。ただ、何もしなければ確実に悪化する。ならば動く方が合理的です」
レオナルドが、静かに笑った。
本音の笑顔だった。謁見の場の威厳とは別の、一人の人間としての笑顔だ。
「なぜ王都に来た。本当の理由を聞かせよ」
「領地の民を守るためです」
「それだけか」
「それだけです」
レオナルドはしばらく俺を見ていた。
それから、頷いた。
「よい。下がれ」
そのとき、俺はレインと目が合った。
レインは謁見の間、ずっと静かに立っていた。一言も発しなかった。ただ——俺が魔力を抑えながら話していた、その「抑えている」という事実に、確実に気づいていた。そういう目だった。
「また話したい」
レインが静かに言った。
声は低く、穏やかだ。ただその一言に、値踏みではない純粋な興味が宿っていた。
俺は短く頷いた。
「光栄です」
レインがわずかに口元を緩めた。
それだけで、謁見は終わった。
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廊下に出た瞬間、エリーゼが小さく息を吐いた。
「……緊張した」
「そうか」
「アシュくんは緊張しなかったの?」
「した」
エリーゼが目を丸くした。
「ほんとに?」
「顔に出なかっただけだ」
エリーゼはしばらく俺を見て——それからふっと笑った。
「そういうとこ、正直に言ってくれるの好きだよ」
俺は何も言わなかった。
(また、見透かされた)
内心で思いながら、廊下を進んだ。
その曲がり角で——
「これはこれは」
声が来た。
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宰相ドルフ・ハイネマンが立っていた。
白髪を綺麗に撫でつけ、常に微笑みを浮かべている。細身で長身。一見すれば品のある老貴族だ。
「偶然でございますね。謁見はいかがでしたか」
「おかげさまで」
「国王陛下はお喜びの様子でしたね。私めも嬉しい限りです」
丁寧だ。回りくどい。含みがある。
昨夜の侯爵とは全く違う種類の圧力だ。侯爵は正面から罠を仕掛けてくる。ドルフは——恩を売る形で近づいてくる。気づいた頃には借りができている、そういうやり方だ。
(こちらの方が厄介だ)
「実は、アシュレイ様のお力になれることがあれば、と思いまして。王都は初めてでございましょう。何かあればご遠慮なく」
「ご親切に」
「いえいえ。優秀な若者が正しく活躍できる場を作るのも、私どもの役目でございますから」
笑顔が、変わらない。
目が、笑っていない。
俺の隣で、エリーゼが小さく俺の袖を引いた。
耳元で、囁いた。
「笑顔なのに目が笑ってない。なんか嫌い」
(正確だ)
俺は内心で静かに思った。
「お心遣い、感謝いたします。また改めてご挨拶に伺います」
「ええ、ええ。いつでも」
ドルフが一礼した。
その背中が廊下の奥に消えていくのを見送って——俺は息を一つついた。
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その直後だった。
廊下の奥から、一人の青年が歩いてきた。
年は俺と同じくらい。黒髪を真面目に整え、隙のない身なりをしている。父ドルフとは対照的に、まっすぐな目をした青年だった。
その青年が、俺の姿を認めた瞬間——足が止まった。
(……濃い)
俺は内心で静かに確認した。
魔力だ。
この廊下の空気が、わずかに変わった。宰相府の廊下を歩く貴族の子弟にしては、あり得ない濃度の魔力がこの青年から滲み出ている。抑えているのだろう。それでも滲み出る。
英雄級に、限りなく近い。
青年の方も、俺を見ていた。
同じことを感じているはずだ。廊下の空気の密度が、わずかに変わったことに——気づいている目だ。
「……神話級というのは」青年が静かに言った。「こういうことか」
「ルーカス・ハイネマンか」
青年が目を細めた。
「知っていたか」
「宰相のご子息だと聞いていた」
「俺も知っている。ヴァルナーの嫡男、アシュレイ・フォン・ヴァルナー」
ルーカスはまっすぐに俺を見た。
父ドルフの目とは、全く違う目だった。計算も含みもない。ただ——実力者を前にした、純粋な闘志だ。
「一度、手合わせ願いたい」
「いずれな」
「必ず」
ルーカスが一礼して、歩き出した。
すれ違う瞬間、互いの魔力が触れた。ほんの一瞬だが——確かに、触れた。
その感触は、敵意ではなかった。
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宿への帰り道、エリーゼが空を見上げながら言った。
「国王様って、思ったより普通の人だったね」
「普通に見せるのが、一番難しい」
「……それってアシュくんもそうじゃない?」
俺は一瞬、足が止まった。
「淡々としてるけど、本当はちゃんと感じてるじゃん。怖いとか、緊張するとか。さっきちゃんと言ってたし」
エリーゼが俺を見た。
夕日の中で、蜂蜜色の髪が橙色に輝いている。
「私には、ちゃんと見えてるよ」
俺はしばらく、何も言わなかった。
それから——ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
「……うるさいな」
エリーゼが、ぱっと顔を輝かせた。
「笑った! アシュくん笑った!」
「笑ってない」
「笑ってた! 絶対笑ってた!」
エリーゼが嬉しそうに隣を歩いた。
俺は視線を前に向けたまま、何も言わなかった。
(敵わない、本当に)
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宿に戻ると、部屋の前に封書が置いてあった。
差出人は——セレスティア・アムレイン。
開くと、簡潔な文字が並んでいた。
『明朝、魔法の実演を正式に要求します。場所と時間はこちらで手配します。断る選択肢はありません。 セレスティア』
「断る選択肢はない、か」
エリーゼが覗き込んで、くすくすと笑った。
「あの子、面白いね」
「……そうか」
俺は封書を折り畳んだ。
窓の外、王都の夜空に星が出ていた。
カクヨムで先行公開しています。
頑張って執筆していきますので面白い、続きが気になると思っていただけた方は応援して頂けると嬉しいです。




